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岩手県・花巻防空監視哨跡地 [├場所]

   2016年7月、2023年5月訪問 2023/6更新  


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撮影年月日1947/11/01(昭22)(USA M621 273) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


岩手県花巻市に現存する「花巻防空監視哨」。

花巻空港の南西約4kmと非常に近い所にあります。

花巻空港は戦後の新規建設なので関係ないんですけど。

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しっかりと残るものなんですね~。


(以下2023年5月撮影)

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聴音壕と、聴音壕西側の道路沿いに説明版が設置されたため、2023年5月に再度お邪魔しました。

(以下、説明版から一部引用させて頂きました)

花巻防空監視哨聴音壕跡
 防空監視哨は、太平洋戦争中全国各地に設置された施設で、敵機の来襲をいち早く感知し、軍や警察に報告するためのものでした。高い所から双眼鏡で監視するものが一般的ですが、中には、円筒形の壕の中に人が入り、飛行機の接近する音を聞き分ける聴音壕を有する監視哨もありました。
 花巻防空監視哨は、この聴音壕を有する監視哨の一つです。壕は直径3.5m、高さ3.17mのレンガ積みで、内部の深さは約2mの空洞になっています。上空から見て軍の施設と分からないように、当時の壕のまわりは盛土され、かやぶき屋根がかけられていました。
 聴音壕の西側には平屋建て18坪(約60㎡)の管理棟もありました。
 花巻のように、円筒形の壕の形状がほぼ完全な形で残っているものは珍しく、当時の様子を物語る全国的にも貴重な戦争遺跡です。
 私たちは、恒久平和を願い、次世代に戦争の惨禍を語りつぐために、この看板を設置します。
設置年月日 2019年(令和元年)7月20日
設置者 花巻防空監視哨聴音壕跡地保存会 会長 鎌田龍造
協力 地権者 株式会社宮澤商店 代表取締役社長 宮澤淑様
パネル製作 花巻市 花巻市教育委員会


昭和17年(1942)につくられた、飛行機の接近をいち早く知るための建物です。隊員が中に入り、飛んでくる飛行機の爆音を聞き取って、電話で陸軍部隊へ報告していました。アメリカではレーダーが開発され、電波によって情報を得ていた時代に、日本の設備は大変遅れていたことがわかります。

忘れられぬ花巻空襲
 昭和20年8月10日、その日は最高気温30℃を超えるじりじりとした暑い日でした。
 午前8時半ごろから、花巻上空に何度も米軍の戦闘機が現れ、まちには警戒警報や空襲警報が繰り返し鳴り響いていました。
 米軍の航空機戦闘報告書によると、襲来した戦闘機は全部で22機で、花巻駅や上町周辺、さらに宮野目村(当時)の似内駅など各所を攻撃。中でも花巻駅周辺への攻撃は激しく、多くの人が犠牲になりました。


     岩手県・花巻防空監視哨跡地      

花巻防空監視哨 データ

所在地:岩手県花巻市若葉町2丁目14
座 標:N39°40′44″E141°06′14″
標 高:92m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1942年       施設設置
1945年08月10日 花巻空襲
2019年07月20日 看板設置

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の説明板


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コメント 3

鹿児島のこういち

ん?このレンガ、積み直したかな?モルタルの色もそうだし、レンガ一つ一つの焼き方か、年代が違うような。気のせいですかね?
by 鹿児島のこういち (2016-11-18 11:48) 

an-kazu

レンガ・・・鹿児島のこういち様がおっしゃるように、
後の時代のもののような気がしますが、
どうなのでしょう(´ε`;)ウーン…


by an-kazu (2016-11-18 22:58) 

とり

■鹿児島のこういちさん
言われてみれば、モルタルの色が一列だけ違いますね
オイラはこれっぽっちも疑問に感じなかったんですが、
流石プロの着眼点ですね~。

■an-kazuさん
隊長! 写真をよ~く見返してみたら、
レンガの一つに 98円 というカインズホームのシールが貼ってありました!
d( ̄∇ ̄*)☆\(--
by とり (2016-11-19 06:25) 

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