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千葉県・特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡 [├場所]

   2021年6月、2022年2月訪問  




千葉県いすみ市行川にあった「桜花四三乙型」行川基地。

中川小学校正門前を道なりに進んでいくと、


DSC_0078_00001.jpg


青マーカー地点。

説明版の前に出ます。


DSC_0076_00001.jpg


説明版の左上に上向きの矢印がありますが、ここから藪漕ぎをして60m先に基地跡があります。

説明版(全文)
いすみ市指定史跡
特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡
平成十六年三月二十三日指定
 航空特攻兵器として有名な「桜花」の基地がこの地に建設され、現在、格納庫用の洞窟と旋回盤跡が残っています。
「桜花」はまず、一式陸上攻撃機の胴体下に吊るして目標付近まで曳航させ、滑空もしくはジェットエンジンで敵艦船に体当たりするグライダー型の「一一型」及び「二二型」が開発されました。
しかし、本土決戦の意識が高まってくると、近海に押し寄せるアメリカ艦船に対して、本土から直接発進させ激突させようとする計画が持ち上がりました。
この計画によって開発されたのが、頭部に八〇〇キロ爆弾を搭載した、単葉タービンロケット推進の脚なし単座特攻機「桜花四三乙型」です。
これは、山間部から海上に向けて射出するために、非常に高い初速が求められ、そのための高性能のカタパルトの開発は昭和二十年二月、「桜花四三乙型」本体の開発は三月から始まりました。

五月には横須賀鎮守府が、桜花四三乙型噴進射出装置基地施設構築を命じました。
基地候補地のうち八月末に使用可能を目標として工事に着手したのは伊豆半島の十国峠および竹ノ沢、筑波の五輪堂および閉居山、房総半島南部の上滝田および下滝田(南房総市)、房総半島東部では黒原(大多喜町)およびこの行川の八か所でした。
 『中川小学校沿革史』によると、基地は七月二十六日に滑走路が完成したとありますが、それ以降も勤労奉仕が続いたとあるので、工事はまだ続いていたようです。
しかし、八月十五日の終戦までに、「桜花」が基地に届くことはなく、その役目を果たすことはありませんでした。
【格納庫の寸法】
 奥行 三十六・五m
 高さ 五・二m
 幅  四・五五
 旋回盤の直径 三m

基地跡はこの奥約60mの場所にあります。
※崩落の危険があるので、格納庫内部には立ち入らないで下さい。
いすみ市教育委員会


DSC_0006_00001.jpg


赤マーカー地点。

旋回盤跡。

マムシが怖くて、半年後寒くなってから改めてお邪魔しました。

現在周囲はうっそうと茂っており、オイラのカメラだとこんな一部分しか撮れませんでした。

日の出から30分経過しているんですが、まだフラッシュ焚かないと真っ暗でした。

補正かければなんとかなるさ。と思っていたんですが…


DSC_0008_00001.jpg


旋回盤すぐ横に格納庫があります。

写真だと伝わらないですけど、「高さ5.2m」とある通りかなり巨大です。


DSC_0012_00001.jpg


説明版に「立ち入らないで下さい」とあったので、入り口から。




     千葉県・特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡         
特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡 データ
設置管理者:横須賀鎮守府?
種 別:桜花用射出滑走路
所在地:千葉県いすみ市行川
座 標:35°17'05.7"N 140°16'45.6"E
標 高:52m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革(案内板から)
1945年02月 カタパルト開発開始
     03月 「桜花四三乙型」開発開始
     05月 横須賀鎮守府、桜花四三乙型噴進射出装置基地施設構築を命じる
     07月 26日 滑走路完成するも桜花届かず
     08月 15日 終戦
2004年03月 23日 いすみ市指定史跡指定

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の案内板


コメント(2) 
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コメント 2

an-kazu

この現場への突入・・・なかなかの勇気が必要ですね〜

by an-kazu (2023-03-06 17:04) 

とり

■an-kazuさん
そうですね~。
普段こういうところには入らないので、
なんか怖いです(XДX)
by とり (2023-03-08 06:00) 

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