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埼玉県・風船爆弾工場跡 [├場所]

   2022年3月訪問  



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撮影年月日1947/02/08(昭22)(USA M28 113) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

埼玉県越生(おごせ)町にあった「風船爆弾工場」。

県道30号飯能寄居線からちょっと入った所にありました。

明治大学平和教育登戸研究所資料館(下記リンク参照)に、詳しい資料がありました。

「仕様書 工程表等準備ノート」に風船爆弾製造に至る協力関係が記されていて、

東京方面では、以下「在東協力工場」が並んでいます。

東京人□□草及芋蒟蒻組合
福島縣東北地方(蒟蒻組合)
栃木縣手漉紙(烏山)
長野縣御子柴基地
石川縣手漉工組合

(長野以外は)「蒟蒻」、「手漉」とあります。

元々こうしたものを生産している地域が風船爆弾用の和紙、蒟蒻(糊?)の製造協力工場とされたようですね。

そして、これら協力工場から一旦「田端化工紙工場」に集約され、

それから日比谷第一、日比谷第二、越生の三ヶ所へ送られ、「完成」と記されています。

日比谷第一と第二で一日十二球、越生は一日二球とも記されており、

「ここから越生は東京方面の主要な風船爆弾製造工場だったことがうかがえる。」

とありました。


ちょっと脱線しますが、同じ埼玉県には1,300年の歴史を有する「小川和紙」の産地小川町があり、

地元ではこの小川和紙も風船爆弾の開発段階から深いかかわりをもっていたとされています。

この「小川和紙」の産地は、越生の工場跡から北僅か約10kmにあるため、

オイラはこれまで「越生の風船爆弾工場」とは、

和紙産地である小川町で製造された和紙を切ったり貼ったりする程度だと思っていたんですが、

上述の資料には、越生は「主要な風船爆弾製造工場」とあります。

風船爆弾は偏西風に乗せて米国に飛ばすのですが、偏西風が強いのは冬季に限られるため、

昭和20年4月をもって放球は中止となりました。

ところが同サイト様によれば、

大津基地の倉庫にはまだ多量の風船爆弾が残っていたこと、

特に小川町では風船爆弾用和紙「生紙(きがみ)」用の原料である楮が昭和20年4月、5月も配給されていること、

登戸研究所庶務将校の大尉が昭和20年8月2日に越生に向おうとしたとする日誌が残されていること等から、

8月で終戦とならなければ風船爆弾の放球は同年秋から再開されていた可能性があったとしています。


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赤マーカー地点。

町営住宅の一角にある碑と銘板。

碑:「フーセン爆弾工場跡 乾繭所の広間が昭和二十年風船爆弾工場となり、和紙の巨大風船を製造。」


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「乾繭所」
 昭和12年(1937)の「支那事変」勃発後、軍需工場として戦地向けの乾燥野菜の製造も行われていた。
戦後は稚繭共同飼育所になり、昭和25年には学校組合立埼玉県坂戸高等学校越生分校が置かれた。昭和28
年に埼玉県立飯能高等学校越生分校となり、昭和45年まで校舎として使用されていた。
 
 風船爆弾工場
 風船爆弾(気球爆弾)は、太平洋戦争中に日本陸軍が「ふ号兵器」の名称で密かに開発した兵器である。水素を充填した気球に爆弾を搭載し、ジェット気流に乗せてアメリカ本土を空爆するもので、昭和十九年(一九四四)に実用化された。翌春までに九千三百発が福島県、茨城県、千葉県の海岸から放たれ、太平洋を横断して推定約千発が到達した。
 十五キロ爆弾一発と五キロ焼夷弾二発を吊るす直径十メートルの気球は、和紙を蒟蒻糊で貼り合わせて作られた。楮を原料とする薄くて丈夫な細川紙から「気球紙」が開発され、産地の小川町、東秩父村とその周辺で生産が始まり、全国の和紙生産地に拡大された。
 越生町でも生繭の共同乾燥施設である乾繭所の施設を利用して、兵器製造会社の中外化工品(ちゅうがいかこうひん)越生作業所が製造に当っていた。
 平成二十七年三月 越生町教育委員会  



     埼玉県・風船爆弾工場跡         
埼玉県・風船爆弾工場跡 データ
所在地:埼玉県入間郡越生町黒岩68

沿革
1945年 乾繭所の広間が風船爆弾工場となる

関連サイト:
越生町/風船爆弾工場跡 
明治大学平和教育登戸研究所資料館 
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コメント(4) 
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コメント 4

tochi

和紙で作られていたのですね
栃木にも工場が・・
烏山には今でも和紙製造会社があったような

by tochi (2023-03-06 07:04) 

an-kazu

落下傘には絹が用いられたそうですが、
風船爆弾は和紙だったのですね〜

by an-kazu (2023-03-06 17:02) 

とり

■tochiさん
詳しく目を通して頂いたのですね(@Д@)
烏山と越生、こんなところで結びつきがあったのですね。
by とり (2023-03-08 05:57) 

とり

■an-kazuさん
絹製だったのですね。
高級品ですね~。
by とり (2023-03-08 05:58) 

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