SSブログ

朝鮮・金浦国際空港(旧金浦飛行場、京城第1飛行場) [└日本統治時代の飛行場]

   2017年7月作成 2022/7更新  



無題4.png
SkyVector.com

ソウル特別市西端にある「金浦国際空港」。

今でこそインチョン空港が目立ってますが、「韓国の空港」といえば、やっぱり「金浦空港」(オイラ調べ)。

前記事でも書きましたが、「京城飛行場」は水害と障碍物で運用に難があることから、

京城周辺に新たな飛行場を建設することになりました。

サイト「京城飛行場」(下記リンク参照)によりますと、朝鮮総督府は飛行場用地として以下の条件を定めたのだそうです。
1.漢江の常時水位より10m以上の高地にある
2.恒風の関係上、将来拡張する場合北西の方向に延長できる地形である
3.京城より20Km以内の地にあり連絡道路等に便利である
4.電力・電話・水等の供給が容易である
5.飛行場周辺に障害物がない
6.人家の密集地帯ではない

そしてこの条件に従って選ばれたのが、「京城飛行場」の西北西約12kmの金浦でした。

「民間飛行場として東洋一」、「夢の金浦飛行場」と謳われたその余りに立派な規模故と思うのですが、

先輩を差し置いてこちらが「京城第1飛行場」に、そして元祖の方が「京城第2飛行場」となりました。

そして元祖の方が1971年に閉鎖されたのに対し、当飛行場は日本による統治終了後、

朝鮮戦争時は米軍からK-14という符号で使用され、空軍基地を経て現在の「金浦空港」となりました。

国の権限で選定された用地(選定された用地には十数戸の農家があった)が飛行場として申し分なく、

戦後もそのまま大規模飛行場として拡張されるというのは、

内地で散々繰り返されたことですが、ここも(建設に直接関わったのは軍じゃなくて朝鮮総督府ですけど)似たケースですね。

土地選定が1938年、着工が1940年、後述しますが水路部資料によりますと、

1942年9月に一部使用を開始しました。


上のグーグルマップは水路部の地図から作図しました。

滑走路の形は水路部地図にハッキリ出てるし、場所も「金浦空港」=「京城第1飛行場」。ということはすぐ分かりました。

ところが、では朝鮮総督府が携わった滑走路は正確にどの位置にあったか、という資料がなくて途方に暮れたのですが、

飛行場をバイパスするように西側に設けられた水路の形が水路部地図とグーグルマップとでピッタリ一致してました。

水路部の地図通りの形、縮尺で飛行場/滑走路を作図して、

完成した飛行場を試しにこの水路の位置で合わせてグーグルマップにのせてみたら、

北西~南東方向の1,200m滑走路と現行の滑走路のうち北側の1本(14L/32R)がピッタリ重なり、

南東側に張り出した地割もしっくり馴染む感じだったので、多分こんなだったと思います。

日本国内だと国土地理院の航空写真で1947年かそれ以降なら(目ぼしい地域は)ほぼ全域が網羅されていて、

閲覧可能なので、こういう昔の飛行場跡地の作図の際は非常に助かるのですが、

1940年、1950年代の朝鮮半島を網羅した航空写真というのは存在しないのでしょうか。

オイラのネットリテラシーでは現在のところ閲覧可能なサイトが見当たらず、

当時の飛行場位置の根拠である「水路の形がピッタリ」というオイラの考えが正しいのかどうか、確認できずにおります。

水路部の資料によれば、総合庁舎、大日本航空の格納庫は工事中、

南東部に飛び出している部分は拡張地区で、芝張り、道路整備の最中とのことでした。

サイト「京城飛行場」様には、

「1943年には陸軍航空隊が金浦に移ることになり、1500m滑走路の1本が1800mに延長されることとなる。」

という一文があります。

一方、水路部の資料では、最長の滑走路は北西-南東のもので、それでも1,200mしかありません。

南東方向に張り出した地割部分に北西-南東滑走路を延長すると、1,800m滑走路にしてまだ100m余裕があるので、

この飛び出し部分は、滑走路延長のための拡張。ということなんでしょうね。

1943年10月「金浦飛行場」開場。

陸軍航空隊、大日本航空は金浦飛行場に移り、朝鮮航空事業社は汝矣島飛行場に留まりました。

そして日本統治時代の終了。

前述の通り、朝鮮戦争中は重要な航空基地(K-14)として使用され、1958年までは軍用飛行場でした。

「汝矣島空港」閉鎖後は主に民間機向けの国際空港となりました。

2001年「仁川国際空港」が開港すると、同時に国際線は全て同空港へ移転したのですが

現在は日本、中国便の路線があります。


■朝鮮交通史 1041p
 日本国内では航空機の進展に順応して、行政機構の設置、関連法令の制定と航空保安施設の整
備が行われていたが、朝鮮では昭和4年の日鮮満を結ぶ定期航空路の開設に伴いようやくこれに
取組むようになったが、しかも急速に整備する必要に追われた。(中略)
 定期航空開始に間に合うようこれの寄航地は次のように準備されたが、朝鮮の飛行場建設に当
たり特に留意しなければならぬ要点は
 (1)冬期に土壌の凍結がひどいこと
 (2)梅雨季には豪雨により地盤が軟弱となったり、飛行場が冠水するおそれがあること
等があったが朝鮮内では適当な候補地を得られないので、これが選定に当たっては相当苦慮させ
られ、施工に当たっても予想以上の困難が伴った。(中略)
 終戦までに整備した飛行場の概況は次の通りである。

金浦飛行場 1047p
 汝矣島飛行場は鮮内随一の重要飛行場であるにもかかわらず、水害と障害物への対応策が得ら
れず、他に適地を求めねばならなかった経緯については前述したが、次の条件を満すところとし
て金浦を選定した。計画原図は上図の通りである。
 (1)漢江の常時水位より10m以上の高地にある。
 (2)恒風の関係上、将来拡張する場合北西の方向に延長できる地形である。
 (3)京城より20km以内の地にあり、連絡道路等に便利である。
 (4)電力、電話、水等の供給が容易である。
 (5)飛行場周辺に障害物がない。
 (6)人家の密集地帯でない。
  建設に当たり特に留意した点は
 (イ)滑走路は四条とし、滑走路の長さは最長1,500m、最短1,000mとする
 (ロ)滑走路は航空機全備重量30tに耐えられる強度を保つこと。
 (ハ)場内排水には特に配慮すること。
 (ニ)飛行場勾配並びに滑走路断面勾配は1/880より1/1000とし、でき得れば総合庁舎より場
  内が見通し得ること。
 (ホ)官庁、航空会社の事務所は総合庁舎に纏めること。
 (ヘ)滑走路と場周との距離は少なくとも100mの間隔を置くこと。
 京城付近は北漢山系の山があるので、京城-仁川間の平野地帯に限定されたが、所有面積70
万坪を確保できた。
 現地は30m乃至50mの丘陵地帯を含めた疎林と畑で、周辺は水田であった。
 家屋は十数戸の農家と数個の墓地もあった。
 設計は内務局京城土木事務所に、土地買収は京畿道に依頼したが、面積が広いので土地買収に
手間取り、現地測量、土量計算、土木設計等に相当日数がかかり、実際に工事に着手したのは昭
和15年春で一応3ヵ年継続工事とすることとし、予算はすべて逓信局で賄ったが、施工は京畿
道内務部京城土木出張所に依頼した。
 総合庁舎は官庁側(飛行場事務所、電信電話局、郵便局、気象台、税関、出入国管理、動植物
検査、警察、建設事務)と会社側(日航、満航の接客、待合室、事務室、手荷物、貨物室、食堂
等)が一ヵ所に入りかつ、水道、暖房設備等も共用することとなるので、官庁相互の予算は無論、
官民合同となると、国有財産法、管財法等の規則があり、これを纏めるのが大変であった。
 建物は地下1階・地上2階、鉄筋、煉瓦造、総坪数2,000坪の予定であったが、物資動員計画
等の関係により500坪に縮小されて昭和19年5月竣功した。
 滑走路は80m幅で東-西、南-北1,000mのもの1本宛。北西-南北1,500m、北東-西南
1,200mのもの4本を作る予定であったが、昭和18年陸軍航空隊が金浦に進出することとなり、
爆撃機編隊の離着陸の為北西-東南線は10m宛左右に簡易舗装をし長さも1,880mとなった。
 昭和15年着工したものの予算と物資が意のままにならず昭和17年の「物資統制令」により工
事の続行が困難となったが、滑走路の大半ができたので昭和18年10月より使用を開始した。一
般土木や総合庁舎などができたのは昭和19年秋から20年春にかけて一応完成したものの、当初の
計画とは相当の隔たりがあった。
 なお軍事費により軍兵舎防空施設等も建設された。
 工事遂行に当たっては前述の基本的な制約のほか、個々に亙り支障続出して非常に困難な工事
であったが、総督府の各局その他関係者の積極的な協力を得て完成することができた。施工に当
たり要点を述べると、
 1)現在のように土木機械が発達していなかったので人海作戦によったが、京畿道では「報国
 青年隊」を結成して1ヵ月交替で参加した。
 2)場内排水には特に留意し、ターミナルを最高として貝殻状のコンタを作り、各盲暗渠、滑
 走路に沿う主幹排水溝に集めた他場面に降った瞬間降雨がノリを破壊しないよう場周に集中溝、
 遊水池を設け、これを200m間隔でコンクリート管に集め場外の排水溝に纏め、最後は漢江に
 放流する勾配をつけた。滑走路は切土に設けられ、場周には幅4mの場周道路が設けられた。
 3)飛行場と京城の間は16.7kmあったが内4kmは漢江堤防を通らねばならなかったので、
 特例として堤防上を公共道路とし、幅員も6m幅の2車線として舗装し、しかも国道に指定した。

■防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料第9 朝鮮地方飛行場及不時着陸場 昭和18年9月刊行」

の情報を以下引用させて頂きました。 

第7 京城第1飛行場(昭和18年4月調)
管理者 朝鮮総督府逓信局。
位置 朝鮮京畿道金浦郡陽西面松亭里。
   (京城府の西方約22粁、北緯37°33′0、東経126°47′0)。
種別 公共用陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約17米。
広さ及形状
 本場は長さ東西1,500米、南北1,200米及北西-南東2,100米(総面積22.6萬平方米)の略正方形地域なり。
 着陸地域は長さ南北850米、東西900米、北西-南東1,200米及北東-南西1,150米、
 幅各80米の4條の舗装滑走路を使用するを原則とす(付図参照)。
地表の土質
 粘土混り眞砂土。
地面の状況
 滑走路は「アスファルト」乳剤舗装にして日射及季節に因る影響なき平坦且堅硬地なり・
 北側格納庫前に長さ東西458米、幅南北100米の「コンクリート」舗装の整備場あり・
 滑走路以外の地域は概ね整地せる平坦地なるも北側の建物敷地を中心とし南方に向け
 放射状の下り傾斜(1/200)を為す・一面に張芝を施せるも設置後日尚浅き為育成十分ならず且地盤稍軟弱なり・
 排水施設は滑走路側溝及場周に排水溝あり。
場内の障碍物
 なし。
適当なる離着陸方向
 滑走路方向・無風時は北西又は南東。
離着陸上注意すべき点
 滑走路以外は地盤軟弱為るを以て着陸せざるを可とす。
施設
格納庫及総合庁舎は目下建築中なり・仮事務所内に逓信局出張所、大日本航空株式会社支所・油庫・修理工場・
羅針盤修正台・飛行機計量機あり。
昼間標識 吹流1・境界標識あり。
夜間標識 なし。

周囲の状況
丘陵
 本場は漢江左岸より内方約4.5粁の台地上に在り、西及東方は富平水利組合の灌漑地にして
 極めて広濶なる水田地帯なり・北北東方約3粁に高さ131米の開花山あり平地に屹立するを以て遠望極めて顕著なり・
 南及南東方は稍高き丘陵性台地なるも南進するに従い次第に標高発達せる山地となり遠く高嶺連互す。
樹林
 周囲の丘陵上に樹林あるも障碍となる程度ならず。
河川
 北東方約4.5粁に略北西流する漢江あり付近に於ける唯一の大河にして本場付近は河幅約800米に達し
 帆船の航行極めて頻繁なり、
 (中略)
其の他
本場は昭和17年9月一部使用を開始したるものにして正方形部分の整地及滑走路は完成せるも、
南東部の拡張地区の張芝及連絡道路等は目下工事中にして総合庁舎及大日本航空株式会社所属格納庫
(鉄骨造、間口54米、奥行58米)は目下建設中なり・大日本航空株式会社経営の定期航空路(東京-大連及新京)
の寄港地にして毎日上下3往復の定期旅客機発着す。




     朝鮮・金浦国際空港(旧金浦飛行場、京城第1飛行場)  


・京城第1飛行場 データ(昭和18年4月)
管理者:朝鮮総督府逓信局
位 置:朝鮮京畿道金浦郡陽西面松亭里(京城府の西方約22km)
座 標:N37°33′00″E126°47′00″
種 別:公共用陸上飛行場
標 高:17m
面 積:226,000㎡
広 さ:東西1,500m、南北1,200m、北西-南東2,100m
滑走路:850mx80m(18/36)、900mx80m(09/27)、1,200mx80m(14/32)、1,150mx80m(05/23)
・金浦国際空港 データ(現在)
所有者:国土交通省
運営者:韓国空港公社
空港種別:公共用飛行場
所在地:ソウル特別市江西区果海洞274
座 標:N37°33′29″E126°47′29″
3レター:GMP
4レター:RKSS
運用時間:06:00〜23:00
標 高:18m
滑走路:3,600×45(14L/32R)アスファルト、3,200×60(14R/32L)アスファルト

沿革
1938年    京城飛行場に代わる新たな候補地が金浦に決定
1940年    着工
1942年09月 一部使用開始。当時大日本航空の定期航便(東京-大連、新京)毎日3往復していた
1943年10月 金浦飛行場開場
1945年    終戦。朝鮮戦争中には航空基地となる
1958年    国際空港として運用開始
1971年    汝矣島空港閉鎖に伴い国内線就航
2001年    仁川国際空港開港に伴い国際線は全て同空港へ移転
2002年    日韓サッカーワールドカップを機に、期間限定のチャーター便開設
2003年11月 30日、羽田~金浦が“定期チャーター便”として運航開始
2010年10月 31日、羽田~金浦が“定期チャーター便”から定期便化

関連サイト:
公式サイト  
京城飛行場(リンク切れ)  
Wiki/金浦国際空港 

この記事の資料:
朝鮮交通史
防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料第9 朝鮮地方飛行場及不時着陸場 昭和18年9月刊行」


コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 3

鹿児島のこういち

韓国に初めて旅行に行ったとき、降り立ったのがこの金浦国際空港でした。
夜、ソウルの街中を歩き回って、市場で韓国味付け海苔が10パック入って1袋1000ウォンを見かけたのですが、帰り、国際空港の免税店でまったく同じ物が1000円で売ってましたよ(*´Д`)為替が1000円≒7000₩でしたから、免税どころの話じゃないじゃん!って(^◇^)
街中では何でも安くて、いろんなものを食べまくりでしたよ(^^♪
by 鹿児島のこういち (2017-07-31 11:01) 

takkun

鹿児島のこういち様と同じく、私も初めての韓国は金浦でした。
金浦は地下鉄一本でソウル市内まで行けちゃうのと、旧羽田空港ターミナル然とした懐かしさ、そして空港食堂、とでも言うのか、オモニの作ったご飯、って感じの韓国料理を出国前最後に食べられるので断然金浦利用派です。日本へのデスティネーションが羽田でこれまた便利ですしね。
仁川は垢抜けてはいますが、いい意味での韓国っぽさがなく、市内から遠いので、インターナショナルコンベンションに出席した時のツアーで飛んだ事しかありません。
1930年代に既に、拡張を見越した用地選定をした上で今の金浦が出来上がったのですね。韓国らしい発想だと思います。
因みに、韓国の高速道路は、朝鮮戦争再勃発時に滑走路として直ちに転用できるよう、一部直線区間に中央分離帯がない区間が存在します。
戦争は絶対イヤですが、この合理的な発想はすごい、と思いました。
by takkun (2017-07-31 13:28) 

とり

■鹿児島のこういちさん
>同じ物が1000円
なんという価格差!!(☆Д☆)
>食べまくり
いいですね~
そういう旅行がしてみたいです

■takkunさん
オモニの作ったご飯
これまたいいですね~
金浦空港、オイラも行ってみたくなりました
それと、これは説明不足で申し訳なかったんですが、
金浦の地を飛行場用地に選定して、建設した朝鮮総督府は、
日本の機関です。
最初に書いとけば良かったですね。
失礼しました。
>直ちに転用
一部中央分離帯を設けないんですね!
それは知りませんでした
14の飛行場記事をアップした後は、
朝鮮半島の飛行場/跡地マップをアップします。
ご指摘の代替滑走路も登場しますよ~
by とり (2017-08-01 20:02) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

メッセージを送る