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東京国際空港(1952~) [├国内の空港、飛行場]

   2016年3月訪問 2022/2更新  

無題1.png
撮影年月日 1956/03/06(昭31)(USA M288 66)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

前記事の続きです。

先頭のグーグルマップは比較のため日本海軍当時の飛行場敷地を重ねてみました。

終戦と共に接収された「ハネダエアベース」でしたが、

1952年に米軍から運営移管を受け、運輸省所管の「東京国際空港」に名称変更を果たします。

羽田は1958年に全面返還されるので、上の写真はその2年前のものです。

「閲覧可能な返還前の羽田の写真」としては、現在最古のものです。

無題7.png
(リスト番号 o205 測量年 1957)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

全面返還の前年、1957年測量の地図。

「東京国際空港」と表題がついており、北西~南東方向の大きな滑走路は「主滑走路」、

小さい滑走路は、「副滑走路」、滑走路がクロスした南側の赤い部分は「空港ビル」と記されています。

1947年の写真と1956年の写真を比較すると、「主滑走路」の両端が延長しています。


ご存知の通り、1984年から始まった「沖展」で羽田空港は大きく変貌を遂げた訳ですが、

それでもこうして見てみると、

1945年以降米軍が拡張した滑走路、誘導路の痕跡がビックリするほど色濃く残っていました。

特に T-6 から F-TWY にかけての辺り。

コンパスエリアから、スポット956~951 にかけてもそうですね。

「沖展」により、1988年7月に新A滑走路が、そして2000年3月に新B滑走路が供用開始し、

こうして1946年以来拡張工事を続けつつ使用して来たに「ハネダエアベース」当時の滑走路は全て閉鎖されました。

現在は全て沖合方向に移動した新規滑走路を運用している訳ですが、

それでも滑走路の方向は、AとC滑走路が騒音対策で若干の変更をした(15/33→16/34)ものの、

B滑走路はハネダエアベース当時と同じ。

管理する国が変わっても、時代が変わっても、風向きは変わらないんですね。

「沖展」については以前記事にまとめましたので、興味のある方はご覧くださいませ  

一連の「羽田空港生誕100周年記念記事」はこれにて終了です(2017年に入っちゃったけど)。


      東京都・東京国際空港     

東京国際空港 データ

設置管理者:運輸省
種 別:公共用
所在地:東京都大田区
座 標:N35°33′19″E139°45′43″
A滑走路:2,133m×45m(15/33)
B滑走路:1,676m×45m(04/22)
(座標はグーグルアースから)

沿革
1952年07月 米軍より運営移管。滑走路2,133m、1,676m。東京国際空港に名称変更。運輸省所管となる
     10月 日本航空、DC-4 3機で自主運行を開始(札幌線、大阪線、東京~大阪~福岡線)
     11月 エールフランス、スーパーコンステレーションで南回り欧州線乗り入れ
1953年12月 日ペリと極東航空の大阪定期便(貨物)開始
1954年01月 極東航空、DH.104ダブで大阪線旅客、貨物便開設。
       日本航空初の国際定期便サンフランシスコ線開設。日ペリ、大阪定期便開設
     06月 A滑走路 2,500mに延長
1955年06月 空港ターミナルビルとハイランド給油施設完成
1956年03月 航空管制業務を米軍より移管
1957年03月 敷地約1万坪、日本側に返還
1958年07月 航空交通菅政権を米軍から移管
1959年05月 拡張工事。北側第一工区
1960年12月 東京国際空港騒音対策委員会初会合
1961年    A滑走路 3,000mに延長
     02月 ILS稼働
1963年07月 国際線ターミナルビル拡張工事落成式
1964年02月 C滑走路3,150mx60m新設
     08月 首都高1号線(羽田線)開通
     09月 国内線到着専用ターミナル完成。浜松町~羽田空港間にモノレール開通

関連サイト:
「序 調査の目的と範囲-大田区ホームページ」(pdf)  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「日本民間航空史話」
「全国空港ウォッチングガイド」
「東京100km圏の戦時飛行場 関東飛行場の地歴図集」


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