鹿児島県・奄美空港 [├国内の空港、飛行場]
2024年4月訪問

撮影年月日1983/11/03(昭58)(KU831Y C2 20)■ 新空港設置許可から1年。開港まであと4年8ヵ月

撮影年月日1996/02/12(平8)(KU953X C17C 11)■ 開港から7年7ヵ月
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。上2枚とも)

SkyVector.com
鹿児島県奄美群島最大の島、奄美大島。
その奄美大島の北東部、リーフ上に奄美空港があります。
元々は南西約2kmに旧空港があったのですが、1988年の現空港開港により、ジェット化を果たしました。
国内主要都市空港と奄美群島各空港とのハブ空港としての機能を果たしています。
【奄美空港 建設】等のワードで図書目録を見ると、
上述の通り新空港の滑走路はリーフ上に建設されたため、反対運動が起こったこと、
またエプロンやターミナル、駐車場周辺には多数の遺跡が存在することから、発掘調査が実施されたこと
等出てきました。









鹿児島県・奄美空港
ビュー:☆☆☆☆★
屋上に広々とした無料展望デッキあり。
滑走路側は高いフェンスが張られているが、細長い窓が設けてあり、エプロン、滑走路全域見渡せる
施設:☆☆☆☆★
ターミナル前に無料駐車場あり
分かり易いターミナル。ファミレス、各種売店あり
マニア度:☆☆☆★★
周辺は撮影スポットに恵まれている
総合:☆☆☆☆★
奄美群島と本土を結ぶハブ空港
奄美空港 データ
設置管理者:鹿児島県
種 別:地方管理空港
3レター:ASJ
4レター:RJKA
所在地:鹿児島県奄美市
標 点:北緯28度25分51秒東経129度42分45秒
標 高:4.2m
面 積:109.6ha
着陸帯:2,120m×300mC級
滑走路:2,000m×45mLA-12
方 位:03/21
誘導路:2,383m×23~30m
エプロン:331.5m×190m(MJ-1,SJ-2,プロペラ-3,大型ヘリ-1)
駐車場:241台
照明施設:精密進入用灯火1式
無線施設:VOR/DME,ILS
運用時間:8時00分~19時30分(11.5時間)
(主に県公式サイトから)
沿革
1982年09月 新空港設置許可
1983年 この年から遺跡調査実施
1985年07月 新空港の航空灯火設置許可(CAT-1)
1987年04月 新空港の空港施設変更許可
05月 新空港の航空灯火変更許可
09月 新空港の航空灯火変更許可(PAPI)
1988年07月 10日 空港施設供用開始(1期R/W2,000m×45m)、航空灯火供用開始(1期夜間照明,PALS420m)
日本エアシステムが鹿児島線ジェット化
1989年07月 24日 航空灯火変更許可(転回灯,SALS)
09月 21日 航空灯火供用開始(2期PALS900m)
1990年07月 1日 空港施設供用開始(2期着陸帯150m→300m) 航空灯火供用開始(3期CAT-1)
1992年12月 日本エアシステムが東京線を開設(MD-81)
1993年03月 2日 空港施設変更許可(A/P拡張等の変更3~4期) 航空灯火変更許可(4~4期)
1994年09月 日本エアシステムが関西線を開設
1995年02月 21日 航空灯火変更許可(R/W灯等)
06月 22日 空港施設供用開始(3期平行T/W,A/P拡張) 航空灯火供用開始(4期平行T/Wに伴う)
11月 エアーニッポンの鹿児島・那覇線が全便ジェット化
1996年05月 23日 空港施設供用開始(4期平行T/W,A/P拡張) 航空灯火供用開始(5期平行T/Wに伴う)
1997年05月 22日 航空灯火供用開始(R/W灯等)
1998年12月 日本エアシステムが関西線休止、伊丹線開設
1999年02月 エアーニッポンの那覇線休止。琉球エアコミューターが那覇線開設
2004年12月 6日 航空灯火変更許可(高輝度誘導案内灯)
2005年06月 30日 空港施設変更許可(A/P拡張) 航空灯火変更許可(A/P拡張に伴う)
2007年09月 27日 空港施設変更供用開始(A/P拡張) 航空灯火変更供用開始(A/P拡張に伴う)
2009年08月 18日 航空灯火変更許可(CCR用無停電電源装置)
2011年04月 7日 航空灯火変更供用開始(CCR用無停電電源装置)
2016年09月 7日 航空灯火変更許可(SALS光度変更)
関連サイト:
空港公式サイト■
鹿児島県/奄美空港■
航空局/奄美空港■(38コマ)
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
全国空港ウォッチングガイド
設置管理者:鹿児島県
種 別:地方管理空港
3レター:ASJ
4レター:RJKA
所在地:鹿児島県奄美市
標 点:北緯28度25分51秒東経129度42分45秒
標 高:4.2m
面 積:109.6ha
着陸帯:2,120m×300mC級
滑走路:2,000m×45mLA-12
方 位:03/21
誘導路:2,383m×23~30m
エプロン:331.5m×190m(MJ-1,SJ-2,プロペラ-3,大型ヘリ-1)
駐車場:241台
照明施設:精密進入用灯火1式
無線施設:VOR/DME,ILS
運用時間:8時00分~19時30分(11.5時間)
(主に県公式サイトから)
沿革
1982年09月 新空港設置許可
1983年 この年から遺跡調査実施
1985年07月 新空港の航空灯火設置許可(CAT-1)
1987年04月 新空港の空港施設変更許可
05月 新空港の航空灯火変更許可
09月 新空港の航空灯火変更許可(PAPI)
1988年07月 10日 空港施設供用開始(1期R/W2,000m×45m)、航空灯火供用開始(1期夜間照明,PALS420m)
日本エアシステムが鹿児島線ジェット化
1989年07月 24日 航空灯火変更許可(転回灯,SALS)
09月 21日 航空灯火供用開始(2期PALS900m)
1990年07月 1日 空港施設供用開始(2期着陸帯150m→300m) 航空灯火供用開始(3期CAT-1)
1992年12月 日本エアシステムが東京線を開設(MD-81)
1993年03月 2日 空港施設変更許可(A/P拡張等の変更3~4期) 航空灯火変更許可(4~4期)
1994年09月 日本エアシステムが関西線を開設
1995年02月 21日 航空灯火変更許可(R/W灯等)
06月 22日 空港施設供用開始(3期平行T/W,A/P拡張) 航空灯火供用開始(4期平行T/Wに伴う)
11月 エアーニッポンの鹿児島・那覇線が全便ジェット化
1996年05月 23日 空港施設供用開始(4期平行T/W,A/P拡張) 航空灯火供用開始(5期平行T/Wに伴う)
1997年05月 22日 航空灯火供用開始(R/W灯等)
1998年12月 日本エアシステムが関西線休止、伊丹線開設
1999年02月 エアーニッポンの那覇線休止。琉球エアコミューターが那覇線開設
2004年12月 6日 航空灯火変更許可(高輝度誘導案内灯)
2005年06月 30日 空港施設変更許可(A/P拡張) 航空灯火変更許可(A/P拡張に伴う)
2007年09月 27日 空港施設変更供用開始(A/P拡張) 航空灯火変更供用開始(A/P拡張に伴う)
2009年08月 18日 航空灯火変更許可(CCR用無停電電源装置)
2011年04月 7日 航空灯火変更供用開始(CCR用無停電電源装置)
2016年09月 7日 航空灯火変更許可(SALS光度変更)
関連サイト:
空港公式サイト■
鹿児島県/奄美空港■
航空局/奄美空港■(38コマ)
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
全国空港ウォッチングガイド
遺跡というワードが出てきましたが(^^)
鹿児島本土と離島との遺跡に違いがあるってご存知でしたか?
鹿児島本土は姶良カルデラ、喜界カルデラ等いくつものカルデラによって
シラス台地が広がっています。
それにくらべ離島はその大部分が珊瑚の破片にて形成されています。
本土は酸性土、離島はアルカリ土。
本土では人骨や動物の骨などの遺跡はほぼ出る事はありません。甕壷に埋葬されていてもです。溶けてなくなっちゃいます。
例外は貝塚などにある人骨が偶然発見される(かなりごく少数)くらいです。鹿児島市では谷山の光団地そばの縄文遺跡でみつかっています。
それにくらべ、離島では縄文時代から洞穴に埋葬という風習があったらしく、堆積した鍾乳石のしたから縄文人の遺骨が発見されることがあります。
自分も本土ですが、黒曜石の矢じりと石斧みたいな石を見つけたことあります。谷山の学校の現場では掘ったら軍刀でてきたこともありました(≧▽≦)
by 鹿児島のこういち (2024-05-13 22:03)
私は大島紬は伊豆大島産と大間違えしておりました ( ゚Д゚)
その後、奄美大島で製造工程を見学し陳謝してきました
(高くて本のカバーしか買えない品々でしたが)
その時に加計呂麻島に行かなかった事を後悔しております。
by guchi (2024-05-14 05:23)
■鹿児島のこういちさん
おお、勉強になる内容ですね。
軍刀見つけましたか^^
by とり (2024-05-15 06:05)
■guchiさん
あ~、これはオイラも陳謝してこないと。。。
加計呂麻島、飛行場がないので行かなかったんですが、
調べたら、そうとう凄い所ですね。
by とり (2024-05-15 06:08)