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東京都・青山練兵場跡地 [├場所]

   2020年12月訪問  



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1/25000「東京西部」大正5年測図8年鉄補・大正8.10.30発行「今昔マップ on the web」より作成


東京都新宿区と港区にまたがる明治神宮外苑。

ここに青山練兵場があり、国内の航空黎明期にはしばしばヒコーキが飛んでいました。

明治45年(1912年)、当練兵場にて5月11、12日に無料公開飛行が行われました。

白戸栄之助の操縦する奈良原式4号鳳号により実施されたものだったのですが、

帝都中心地での国産機初飛行であるばかりか、皇族の御台臨もあったのでした。

大正期に入ると、アート・スミスが当練兵場で曲芸飛行を披露しました。

その時の様子について、「南国イカロス記 かごしま民間航空史」69pには次のように記されていました。

 アート・スミスが最初に来日したのは、鹿児島にくる一年前の大正五年(一九一六年)三月十八日であった。スミスは、カーチス式複葉プッシャー(推進式)二機を持参した。二機ともカーチス式OX九〇馬力発動機を搭載した普通の型式だが、曲芸飛行にたえられるように、油送管を二本にして一本を輪にし、宙返り飛行中でも間断なく燃料補給が出来るように工夫してあった。
 来日したスミスは、四月一日から四日までかかって、千葉県国府台で丹念に機体を組み立て、試験飛行をくりかえした。青山練兵場で飛行大会が催されたのは、四月八日(土)から三日間であった。
 奈良原三次の無給助手だった伊藤音次郎は、スミスの飛行大会より三か月前の一月八日に、みずから設計製作した伊藤式恵美第1型(通称「恵美」号)で、稲毛から海上往復五十五分の帝都訪問飛行に成功し、新進飛行家として認められるようになっていた。伊藤音次郎は、一番弟子の山縣豊太郎を伴い、青山練兵場へ出かけていった。その時の模様は、伊藤音次郎日記によろう。
 『四月八日、土曜、晴風なし。(中略)昼食もぬきにして、二時の開会から第一回の宙返りを見た。話し程に思わなかった。その内、場内整理の為追出された。名刺を出そーと思(っ)たが馬鹿馬鹿しいので、もくして出た。そして第二回のを見た。垂直らせん降下はうまいと思った。横転でも、すべてないるすよりきびんであっただけ、素人受する飛び方であった』
 飛行大会当日の入場者は、二十万人を超えた。入場料は特等五円、一等三円、普通一円である。

1年後の1917年4月に再来日したアート・スミスは、

ここ青山練兵場の観衆12万人の前で再び曲芸飛行を披露しています。


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赤マーカー地点。

100年以上昔ここから練兵場が広がっていて、国産機が初お披露目を行い、

また二十万を超す観衆が見守る中、曲芸飛行大会が繰り広げられました。




     東京都・青山練兵場跡地         
青山練兵場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:練兵場
所在地:東京都新宿区霞ヶ丘町、港区北青
座 標:35°40'32.7"N 139°43'07.1"E
標 高:33m
着陸帯:1,000mx550m不定形
面 積:52ha
(座標、標高、着陸帯長さ、面積はグーグルアースから)

沿革
1912年05月 11、12日無料公開飛行。奈良原式4号鳳号・白戸栄之助操縦
1916年04月 8日から3日間、アート・スミスによる飛行大会
1917年04月 25日 アート・スミスによる飛行大会

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この記事の資料:
「南国イカロス記 かごしま民間航空史」


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