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荒川河畔グライダー場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2014年7月訪問 2021/12更新  


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1/50000「熊谷」昭和14年部修「今昔マップ on the web」より作成
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撮影年月日1947/11/03(昭22)(USA R465-No1 45) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

埼玉県‎熊谷市‎にある熊谷ゴルフクラブ。

この周辺一帯はかつて「河原松山」と呼ばれた場所でした。

そして当ゴルフ場のあった辺りが戦争末期に「荒川河畔グライダー場」として利用されていました。

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。

黄色で囲んだ部分よりもっと北側もゴルフ場なんですが、

航空写真を見ると北側はかなり濃い植生になっているため除外しました。

黄色で囲った部分は畑地のように見えるのですが、上に貼った昭和14年の地図では全面的に河原であり、

終戦から8ヵ月後の写真で見ると、徐々に畑地になっていっているように見えるため、

オイラとしましては、黄色で囲った部分が滑空場として最も可能性が高いのではないかと思います。

情報お待ちしておりますm(_ _)m 

 

当滑空場につきましては、全面的にアギラさんから情報頂きました。

頂いた情報をここに引用させて頂きます。

「熊谷高校80年誌(1975年)」の中に<中46回4卒同窓会だより>からの抜粋転載がありました。
「3年生全員実施ではなく1組1943年7月21日~25日、2組26日~30日の各5日間、河原松原で体操の教員がプライマリーを生徒25人が1人ずつ左前方、右前方2手に分かれゴム索を引っ張り或る程度引っ張ったところで固定索を離す。そうするとグライダーが高度3~4m距離30m位飛んだ」とありました。
そのページには松林をバックにプライマリーと数人が写った写真も添えられていました。写真のキャプションは「荒川河畔グライダー場」とありました。この「河原松山」が何処なのかを探しておりました。

Aさん(M):今は無くなってしまった松林に松脂を採りに行ったことがある。(シャボン玉液に混ぜるといい泡ができるのだそうです)
河原松山にグライダーの格納庫があったが米軍艦載機の銃撃で燃えてしまった。ここに熊谷市立商業学校(県立熊谷商業の前身:作家 森村誠一氏の母校)の滑空部?もあったそうです。

Bさん(F):1943年ごろ?近郷近在の国民学校代表が模型の小さなグライダーを作り河原松山で競技会をしたのでBさんも村の学校代表として参加したそうです。ですが小さなグライダーは自分で作ったのではなく訓導が作ってくれたプロペラの無いものを飛ばしたそうです。
80歳代前半の2人とも現在、熊谷ゴルフクラブ(秩父鉄道石原駅近く)のところが河原松山だったと言っておりました。その隣にある荒川大麻生公園に松を植えて昔のようにする運動が最近始まったそうです。
という事で熊谷の河原松山には滑空場があったそうですが、キャプションのように「荒川河畔グライダー場」と戦中に「グライダー」と言う言葉を果たして使ったのかどうか少々気になっています。

熊谷高校 熊谷市立商業学校がここでグライダーを飛ばしたのですね。

これまたアギラさんから頂いた「學校グライダー部一覽(昭和15年10月現在)」に両校は登場しないので、

発足は遅かったのかもしれませんが、格納庫もあり、米軍の標的になったとのことですので、

ある程度の規模の滑空場だったのではないかと思われます。

アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m  

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赤マーカー地点。

現在は美しいゴルフ場


      埼玉県・荒川河畔グライダー場跡地     

荒川河畔グライダー場 データ

種 別:滑空場
所在地:埼玉県‎熊谷市‎赤城町‎
座 標:36°08'26.3"N 139°21'34.2"E
標 高:37m
着陸帯:800m×350m?
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1943年07月 21日~30日 熊谷高校がグライダー飛行。同じ頃、近郷近在の国民学校による模型グライダー競技会

関連サイト:    
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