宮城野原陸軍練兵場(仙台第一飛行場)跡地 [├国内の空港、飛行場]
2016年7月訪問 2021/12更新

1/25000「仙台東南部」昭和3年測図・昭和5.10.30発行「今昔マップ on the web」より作成
撮影年月日1947/10/08(USA R276 57)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
宮城県仙台市にある宮城野原運動公園。
この周辺はかつて「宮城野原陸軍練兵場」でした。
2番目に貼った今昔マップは昭和年3年測図のものですが、現在の仙台医療センターの辺りに「飛行場」とありますね。
この「飛行場」とある部分が先頭のグーグルマップの黄色のシェイプです。
■「南国イカロス記 かごしま民間航空史」59pには、
奈良原氏一行が奈良原式4号鳳号で大正2年に札幌の月寒練兵場、旭川で飛行大会を行った帰路、
当練兵場でも飛行を行ったと記されています。
大正2年11月15日、16日のことでした。
オイラの知る限り、これが宮城野練兵場における飛行機の最古の記録です。
■国立国会図書館デジタルコレクション「報知年鑑 大正15年」に、
「本邦民間飛行場調〔大正14・8調〕」のページがあります(下記リンク参照)。
ここに当飛行場についての情報がありました。
管理人 宮城飛行協会
種類 陸上
位置 宮城県宮城郡原ノ町生■原宮城野練兵場
面積 150,000坪
同「報知年鑑.大正16年」にも、
「本邦民間飛行場調〔大正15.8〕」として以下の通り記載がありました(下記リンク参照)。
使用者 朝日新聞社内東西定期航空会
種類 陸上
位置 仙台市外宮城野原
面積 陸軍演習其の他に支障なき範囲
昭和8年、南々東約3kmに霞目飛行場ができると、こちらは「仙台第一飛行場」とも呼ばれました。
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、
「仙臺高等工業學校、宮城縣工業學校(当時)に校友會滑空部、グライダー部があり、当練兵場を滑空場として使用していた」
とありました。
また同資料では、 仙臺工業學校の校友會技藝部グライダー研究會が「仙臺市外宮城の原」を使用したとも記されています。
この「仙臺市外宮城の原」というのは、もしかしたら当練兵場のことなのかもしれません。
この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

宮城県・宮城野原陸軍練兵場(仙台第一飛行場)跡地
宮城野原陸軍練兵場(仙台第一飛行場) データ
使用者:朝日新聞社内東西定期航空会
種 別:陸上
着陸帯:520mx340m(変形・最大)
面 積:13.1ha
所在地:宮城縣仙台市外宮城野原(現・仙台市宮城野区宮城野)
座 標:N38°15′25″E140°54′19″
標 高:15m
(座標、標高はグーグルアースから。着陸帯、面積はグーグルマップのから)
沿革
1913年11月 15日、16日 奈良原氏一行による飛行会実施
1933年 霞目飛行場完成を機に「仙台第一飛行場」とも呼ばれるようになる
1940年10月 この頃滑空場訓練場として使用
関連サイト:
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正15年(183コマ)■
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正16年(225コマ)■
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この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」
「南国イカロス記 かごしま民間航空史」
宮城県・石巻防空監視隊第四監視哨跡 [├場所]
2016年7月訪問 2021/12更新
宮城県牡鹿半島の突端にある「おしか御番所公園」。
江戸時代の鮎川浜唐船御番所を復元した建物があります。
どこからどう見ても100%「御番所」で、園内の案内板でも、ここが防空監視哨であるとは説明されていないのですが、
戦時中ここで防空監視が行われていたのだそうです。
宮城県・石巻防空監視隊第四監視哨跡
所在地:宮城県石巻市鮎川浜黒崎 おしか御番所公園内
座 標:N38°17′19″E141°31′04″
標 高:208m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1941年12月 設置
関連サイト:
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北海道、東北・5 [■旅行記]
Ⓐ道の駅 上品の郷→Ⓑ石巻防空監視隊第四監視哨跡→Ⓒ宮城野原陸軍練兵場跡地→Ⓓ追廻練兵場跡地→Ⓔ城南練兵場跡地→(Ⓕ八幡原飛行場跡地)→Ⓖ千咲原飛行場候補地→Ⓗ野沢秘匿飛行場候補地→Ⓘ郡山歴史資料館→(Ⓐ郡山駐屯地)→Ⓑ須賀川飛行場跡地→Ⓒ道の駅那須与一の郷(車中泊)
5日目
3:35 起床
4:15 道の駅上品の郷出発
9:00 ローソンで冷やし中華と野菜ジュース。
日曜日なのでツーリングの人が多い。
いいお天気です。
この時点で27℃。暑い1日でした。
昼食は時間がなかったため、運転しながらカロリーメイト的なもので済ます。
郡山駐屯地は一時期滑走路があったという情報があったので一応撮影したのですが、
イマイチ確証がないので、取り敢えずお蔵入り。
最後に須賀川飛行場跡地を撮って、本日の見学終了。
実は福島県については他にも、
郡山第三飛行場跡地、浅川飛行場跡地、浪江飛行場候補地の場所特定ができているのですが、
まさか今回福島まで来れるとは思っていなかったので、キチンと作図してませんでした。
いろいろ積み残しをしてしまった福島県。
また福島来なきゃ。
18:20 セブンで冷やしつけ麺とヨーグルト。
19:30 福島県内の某温泉に入る。
すんごいヌルヌルのお湯でした。
湯につかると、なんか壁に穴が開いていて、向こう側に湯船が繋がってる。
頭をかがめる様にして 穴の向こう側の湯船に行ってみると、位置的にここは混浴の内風呂(☆Д☆)
こんなトコ、初めて入った。
オイラがいた時間帯はおじさんが気持ちよさそうに1人スイスイとで泳いでました(o ̄∇ ̄o)
20:45 道の駅那須与一伝承の郷着。
道の駅内を徘徊していたら、たまたま前を通った自販機の中からアンパンマンが話しかけてきて演奏が始まり、
勧められるままにイチゴ・オレ購入。
すっかり真っ暗な道の駅の一角でファンファーレが鳴り響き、「ありがとう!」と言われました。
ど、どういたしまして(///∇///)
まさか正義のヒーローから個人的にお礼を言われるとは思わなかったのでちょっと照れる。
21:20 寝る
おやすみなさい
(続きます)
本日の走行距離:522.7km
本日お邪魔した場所で、過去記事の追記のみで済ませたもの:
八幡原飛行場(大日本飛行協会山形県支部第二滑空訓練所)跡地■
岩手県・岩手県立一関第一高校 [├場所]
2016年7月訪問 2021/12更新

1/50000「一関」大正2年測図「今昔マップ on the web」より作成
撮影年月日 1946/06/16(昭21)(USA M167-A-4 153)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
磐井川右岸にある岩手県立一関第一高校。
■「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)
の中で、「岩手縣立一關中學校(当時)に滑空部があり、校庭を滑空場として使用していた」とありました。
この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m
1946年の航空写真と現在とでは土手の位置が変わっているようで、グーグルマップに作図すると、
校庭が土手から飛び出してしまいます。
赤マーカー地点。
岩手県・岩手県立一関第一高校
所在地:岩手県一関市磐井町
座 標:N38°56′08″E141°08′07″
標 高:25m
着陸帯:110mx80m
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)
沿革
1940年10月 この頃校庭を滑空場として使用
関連サイト:
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この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(アギラさんから)
岩手県・花巻防空監視哨跡地 [├場所]
2016年7月、2023年5月訪問 2023/6更新

撮影年月日1947/11/01(昭22)(USA M621 273)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
岩手県花巻市に現存する「花巻防空監視哨」。
花巻空港の南西約4kmと非常に近い所にあります。
花巻空港は戦後の新規建設なので関係ないんですけど。
しっかりと残るものなんですね~。
(以下2023年5月撮影)
聴音壕と、聴音壕西側の道路沿いに説明版が設置されたため、2023年5月に再度お邪魔しました。
(以下、説明版から一部引用させて頂きました)
花巻防空監視哨聴音壕跡
防空監視哨は、太平洋戦争中全国各地に設置された施設で、敵機の来襲をいち早く感知し、軍や警察に報告するためのものでした。高い所から双眼鏡で監視するものが一般的ですが、中には、円筒形の壕の中に人が入り、飛行機の接近する音を聞き分ける聴音壕を有する監視哨もありました。
花巻防空監視哨は、この聴音壕を有する監視哨の一つです。壕は直径3.5m、高さ3.17mのレンガ積みで、内部の深さは約2mの空洞になっています。上空から見て軍の施設と分からないように、当時の壕のまわりは盛土され、かやぶき屋根がかけられていました。
聴音壕の西側には平屋建て18坪(約60㎡)の管理棟もありました。
花巻のように、円筒形の壕の形状がほぼ完全な形で残っているものは珍しく、当時の様子を物語る全国的にも貴重な戦争遺跡です。
私たちは、恒久平和を願い、次世代に戦争の惨禍を語りつぐために、この看板を設置します。
設置年月日 2019年(令和元年)7月20日
設置者 花巻防空監視哨聴音壕跡地保存会 会長 鎌田龍造
協力 地権者 株式会社宮澤商店 代表取締役社長 宮澤淑様
パネル製作 花巻市 花巻市教育委員会
昭和17年(1942)につくられた、飛行機の接近をいち早く知るための建物です。隊員が中に入り、飛んでくる飛行機の爆音を聞き取って、電話で陸軍部隊へ報告していました。アメリカではレーダーが開発され、電波によって情報を得ていた時代に、日本の設備は大変遅れていたことがわかります。
忘れられぬ花巻空襲
昭和20年8月10日、その日は最高気温30℃を超えるじりじりとした暑い日でした。
午前8時半ごろから、花巻上空に何度も米軍の戦闘機が現れ、まちには警戒警報や空襲警報が繰り返し鳴り響いていました。
米軍の航空機戦闘報告書によると、襲来した戦闘機は全部で22機で、花巻駅や上町周辺、さらに宮野目村(当時)の似内駅など各所を攻撃。中でも花巻駅周辺への攻撃は激しく、多くの人が犠牲になりました。
岩手県・花巻防空監視哨跡地
所在地:岩手県花巻市若葉町2丁目14
座 標:N39°40′44″E141°06′14″
標 高:92m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1942年 施設設置
1945年08月10日 花巻空襲
2019年07月20日 看板設置
関連サイト:
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この記事の資料:
現地の説明板
三本木(三沢第二)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2016年7月訪問 2021/12更新
撮影年月日 1948/05/15(昭23)(USA M1011 136)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
青森県十和田市にあった「三本木(三沢第二)飛行場」。
ここもなかなか場所が特定できなかったのですが、地元図書館の司書さん?にお尋ねしたところ、
「みちのく国際ゴルフクラブ、県道沿い、すぐ東側にあったらしい」との情報を頂きました。
これ以外の情報がほとんどないため、当時の航空写真で植生の濃い部分を避けて「こんなかなあ」と線を引いたのが
上のマップです。
位置情報お待ちしておりますm(_ _)m
青森県・三本木(三沢第二)飛行場跡地
種 別:陸上飛行場
所在地:青森県十和田市八斗沢八斗沢
座 標:N40°39′09″E141°13′48″?
標 高:75m
滑走路:1,300mx180m?
方 位:18/36?
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
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土浦海軍航空隊秋田基地跡地 [├国内の空港、飛行場]
2016年7月訪問 2021/12更新
撮影年月日 1948/05/16(昭23)(USA M1020 92)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
秋田県北秋田市にある合川町平和公園。
ここに「土浦海軍航空隊秋田基地」の碑があります。
この情報は再生おじさんから頂きましたm(_ _)m
昭和20年6月、当地で有人ロケット戦闘機「秋水」の完成に備え、グライダー訓練が行われました。
グライダーの先端部分には爆弾に見立てた砂袋が付けられており、ゴムを引っ張って滑空訓練が行われました。
訓練が実施された当北秋田市大野台の一角に平和公園が整備され碑が建立されています。
赤マーカー地点。
見づらくて申し訳ないのですが、「土浦海軍航空隊秋田基地跡」と(右から左に)彫られています。
裏面には、「昭和二十年夏海軍第十四期甲種飛行隊豫科練習生九百名が国に殉ぜんと空中特攻の猛訓練に励みし血と汗と涙の滲む基地跡なり いま往時を偲び永久の平和を祈念し建立する 撰文 秋田基地隊員一同 題字 秋田県合川町長 畠山義郎 平成四年六月六日 建立 湯沢市開口 渡部竹朗刻」とありました。
秋田県・土浦海軍航空隊秋田基地跡地
種 別:滑空場
所在地:秋田県北秋田市下杉上清水沢
座 標:N40°10′07″E140°21′10″
標 高:79m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1945年6月 開隊
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現地の碑文、説明版
青森県・弘前練兵場跡地 [├場所]
2016年7月訪問 2021/12更新

1/25000「久渡寺」明治45年測図「今昔マップ on the web」より作成
撮影年月日 1948/10/21(昭23)(USA R409 39)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
青森県弘前市大開。この周辺に「弘前練兵場」がありました。
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、
「東奥義塾、縣立弘前工業學校(当時)に航空部、校友會航空部があり、弘前練兵場を滑空場として使用していた」
とありました。
この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m
余談ですが、上に貼った地図、明治45年とかなり古いものを使ってます。
本当は昭和14年のものもあって、タイミング的にはバッチリなんですが、
練兵場のれの字も出ておらず、「戦時改描の可能性」とありました。
この周辺は軍関係の諸施設が本当に多いんですが、軍関係の施設など一切ないことになってました。

青森県・弘前練兵場跡地
軍の演習、郷土訪問等、当練兵場を使用しての飛行記録がいくつか残っています
弘前練兵場 データ
所在地:青森県弘前市大開
座 標:N40°34′41″E140°26′35″
標 高:84m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1940年10月 この頃滑空場として使用
関連サイト:
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この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(アギラさんから)
青森県・青森県立弘前高等学校 [├場所]
2016年7月訪問 2021/12更新
撮影年月日 1948/05/21(昭23)(USA R1466 35)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
1/25000「弘前」昭和14年修正「今昔マップ on the web」より作成
青森県立弘前高等学校。
■「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)
の中で、「弘前中學校(当時)に航空部があり、校庭を滑空場として使用していた」とありました。
この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m
赤マーカー地点。
青森県・青森県立弘前高等学校
所在地:青森県弘前市新寺町
座 標:N40°35′40″E140°28′03″
標 高:48m
着陸帯:130mx70m
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)
沿革
1940年10月 この頃校庭を滑空場として使用
関連サイト:
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この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(アギラさんから)
北海道、東北・4 [■旅行記]
Ⓐ道の駅なみおか→Ⓑ青森県立弘前高等学校→Ⓒ弘前練兵場跡地→Ⓓ土浦海軍航空隊秋田基地跡地→(Ⓔ油川飛行場跡地)→(Ⓕ茂浦水上機基地跡地)→Ⓖ三本木(三沢第二)飛行場跡地→Ⓗ花巻防空監視哨跡地→Ⓘ岩手県立一関第一高校→Ⓙ道の駅上品(車中泊)
4日目
4:20 起床
5:00 道の駅なみおか出発
本日はまず青森県内を回ります。
今回の旅行記の2日目の記事でもチラっと書きましたが、
青森県出身のtakkunさんから、この時期の青森県内の天候を教えて貰っていたのでした。
「青森市以東では太平洋側からの強い東風の影響で、午前中を中心に霧が発生しやすいです。
空港探索をするのであれば、朝の早い時間は日本海側から始め、太平洋側を午後にすると良いです。」
とアドバイス頂いていたので、移動時間の効率だけ考えればまた違った回り方になったのですが、
青森県の西側の見学ポイントから始めて、一旦秋田県まで南下し、その後再び青森市に戻って最後に十和田市に行く。
という変則的な行程になりました。
そもそもこの梅雨の時期に、北海道+青森というスケジュールを組めたのも、
「例年7月上旬の青森は、梅雨時とはいえ、関東のように一日中雨がしとしと降り続く日はそんなになく、
どちらかというと、北海道に近い、晴れればカラッとした日の方が多い印象です。 」
と教えてもらっていたからなのでした。
takkunさんありがとうございましたm(_ _)m
6:00 Ⓚで幕の内
11:35 青森市内のJAでお稲荷さん購入
このお稲荷さん、中の酢飯が鮮やかなピンク色で生姜?の香りが爽やか~(*´ヮ`)
すげー美味しい! 何個でも食べられそうです。
こんなお稲荷さん初めて見たのですが、この地域ではこれが普通なのかしらん。
13:50 青森県内での見学終了。
本日の十和田市が午前中霧だったかどうかは不明なのですが、
雨や霧の影響を受けることなく、無事見学を終えることができました。
流石俺 d( ̄∇ ̄*)☆\(--
次はお隣の岩手県に移動します。
隣県ですが、見学ポイントは花巻市にあり、約200km離れているため、高速利用。
途中Fさんから電話。
オイラが旅行していると、相変わらずすごい確率で電話が入る(o ̄∇ ̄o)
18:30 一関にて見学終了。
本日はこれまで。
次の見学ポイント牡鹿半島の突端はここから約100km先。
その手前の道の駅まで下道でのんびり移動することに。
18:40 給油。
18:50 サンクスで幕の内とヨーグルト。
北海道はあれだけセイコマだらけなので、てっきり東北にもあるものだとばかり思っていたのですが、
後で調べてみたら、現在セイコマは北海道、茨城、埼玉のみの展開なんですね。
道内ではセイコマ一辺倒だったのに、昨晩青森港についてからは、一転してサンクスかⓀばかり利用しました。
サンクスはコンビニ業界の弁当の中で、値段と栄養はともかくとして、一番美味しいです(オイラ調べ)。
20:05 道の駅上品の郷着。
上品な人以外利用できないのかしらん。
利用を断られたらどうしようかと心配だったのですが、特にそういうことはありませんでした。
ここは21時まで入浴可能なかなり大きい道の駅でした。
入浴料:平日以外は700円。高!入るの止めよう。
周囲をうろついたり、見学ポイントをナビに打ち込んだりする。
21:30 寝る。
おやすみなさい。
(続きます)
本日の走行距離:645.3km
本日お邪魔した場所で、過去記事の追記のみで済ませたもの:
青森(油川)飛行場跡地
茂浦水上機基地
北海道・帯広第一飛行場掩体壕 [├場所]
2016年7月訪問 2021/12更新
撮影年月日 1944/11/04(昭19)(X2 C2 63)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
北海道帯広市にある「帯広の森」。
ここに帯広第一飛行場当時の掩体壕が一基現存しています。
(説明版から) 掩体壕(えんたいごう)このコンクリートの塀は、第2次世界大戦中に建築された、戦闘機を敵から隠すための倉庫で「掩体壕」といいます。全国各地には、大きさや形状の様々な掩体壕が残っていますが、この掩体壕は戦闘機1機を隠すためにつくられたものです。当時、この近辺には同形の掩体壕が全部で46基、それとは別に大きな掩体壕も7基、現在の十勝飛行場を囲むように南東に存在しており、それぞれの戦闘機が誘導路を通って飛行場内の滑走路から飛び立っていきました。現在、この帯広の森の中で確認できている掩体壕はこの1基のみです。
説明版に掩体壕群の写る当時の航空写真と、現存する掩体壕がどれなのか、示されています。
2013年、ここに間伐材を使用した赤い戦闘機のオブジェが展示されたとのことで、オイラも見れるかしらん。
と思っていたのですが、2015年末に撤去したようです。
一足遅かったです。
(ググると展示していた当時の写真がたくさん出てきます)
帯広第一飛行場の掩体壕群についてググってみると、「現存する掩体壕に屋根はないけれど、当時は有蓋掩体壕だった(らしい)」
としているサイトが散見されます。
ですが、戦中の日本陸軍撮影の航空写真、戦後に米軍が撮影した航空写真を見ると、オイラには
「ん~。。。無蓋っぽいなあ」と見えます。
仮にこれが有蓋だったとして、説明版にあるようにまさに「塀」のように壁を真っ直ぐ立ち上げる形式って、
当時の小型有蓋掩体壕の規格にあるんでしょうか??
地面から山みたいになだらかな傾斜がついている形式しか見たことないんですが。。。
北海道・帯広第一飛行場掩体壕
所在地:北海道帯広市南町南7線
座 標:N42°53′28″E143°08′54″
標 高:84m
(座標、標高はグーグルアースから)
千代田滑空場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2016年7月訪問 2021/12更新
北海道中川郡、十勝川左岸にあった「千代田滑空場」。
滑走路東端付近から。現在はゴルフ場になっています。
北海道・千代田滑空場跡地
種 別:場外離着陸場
所在地:北海道中川郡池田町千代田
座 標:N42°56′34″E143°20′45″
標 高:20m
滑走路:180mx10m?
方 位:08/26
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
関連サイト:
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トムラウシの飛行場 [├国内の空港、飛行場]
2016年7月訪問 2021/12更新
北海道上川郡にある飛行場

北海道・トムラウシの飛行場
トムラウシの飛行場 データ
種 別:場外離着陸場
所在地:北海道上川郡新得町トムラウシ
座 標:N43°23′09″E142°52′59″
標 高:448m
滑走路:410m?(16/34) 310m?(14/32)
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
関連サイト:
ブログ内関連記事■
北海道、東北・3 [■旅行記]
Ⓐ道の駅しかおい→Ⓑトムラウシの飛行場→Ⓒ千代田滑空場跡地→Ⓓ音更飛行場の碑→Ⓔ帯広第一飛行場掩体壕→Ⓕ(千歳飛行場の掩体壕)→Ⓖ沼ノ端飛行場跡地→Ⓗ函館港→Ⓘ青森港→Ⓙ道の駅なみおか(車中泊)
3日目
3:30 起床 途中寒くて布団かぶる
3:50 出発。気温11℃でした。
7:00 セイコマで幕の内弁当
「しっかり温めますか?」
「じゃあ、ネコジタなんでやや温めでお願いします」
「うちにもネコジタが二人いますよ。私はしっかり温めないとダメなんですけどね」
「そうですか。熱くないと物足りないですか」
「腸には悪いかもしれないけどね。フフフ」
上の地図に載せた「千歳飛行場の掩体壕」のことなんですが、現存する有蓋掩体壕の場所はネットに出ていたので、
是非見てみたいと立ち寄ったのですが、
付近はヒグマのお散歩コースのため、単独行動は非常に危険であると警告がありました。
事前に地図で見る限り、かなり近くまで車で接近できる感じだったので、車の中から望遠で撮るだけでもいいや。
くらいのつもりで行ってみると、掩体壕に向かう道が封鎖されていました Σ(゚Д゚;)
なんとか車で近寄れないものかとぐるぐる回ってみたのですが、フィットではとても近寄れそうにありません。
掩体壕の位置まで行けないことはないのですが、クマさんのお散歩コースを徒歩でかなりの距離進む必要があります。
ということで、ここは諦めたのでしたつД`)
14:00 今回北海道で最後の見学ポイントである沼ノ端飛行場跡地見学終了。
3日かかると思っていたけど、まさか2日で回りきれるとは思わなんだ(@Д@)
この後は予定通り函館から青函フェリーで青森に渡り、東北を周るのですが、もしかしたら、18時出港の船に間に合うかも。
これを逃すと、次の便は20:30出港で、青森到着は0:30。
オイラは0時を過ぎて起きてると調子悪くなるので、できればこれは避けたい。
港には出港30分前には着く必要があります。
18時の船に乗るには、17:30 にはターミナルに入らなくてはなりません。
事前にグーグル先生にお尋ねしたところによれば、
苫小牧→函館港は、 高速利用で273km、所要3時間30分とのことでした。
時間の余裕ゼロです。
即最寄りのICから一路函館へ =(⊃゜Д゜)⊃
フェリーは事前に電話予約が可能で、船会社の電話番号も控えてあるのですが、
確実に次の便に間に合う保証がないので、予約の電話はできません。
千歳から函館まで高速が伸びていて非常に便利なんですが、
基本的に片側1車線のみで、時々追い越し車線がある感じなので、
ゆっくりな車がいると、そこでしばしペースダウンしてしまい、時間が計算できません。
なんだか時間がギリギリな感じで、昼食をとる時間もないです。
走りながらカロリーメイト的なもので空腹をしのぐオイラ(眠くなるので2本だけ)。
結局今回道内で、食事はセイコマしか利用しませんでした。
しかし道内での最後の食事がカロリーメイト的なものかぁ。。。(;´Д⊂)
15:00 有珠山SAで給油。
「窓拭きますか?」と尋ねられたけど、もう1分1秒も惜しい感じでお断り。
せっかく北の大地にいるのに、なんでオイラ、こんなにあくせくしてるのか(-"-;)
燃費は24.27km/lでした。流石北海道。
道央道の終点で高速を降り、国道5号線で函館へ。
20分位余裕がありそうです。
…と思ったら、函館市内に入ると、「フェリー乗り場→」的な案内表示がたくさんあるのですが、
オイラの乗りたいフェリーとは別の場所フェリー会社への誘導で、ちょっと迷ってしまった(゚Д゚;≡;゚Д゚)
時間の余裕がみるみる減ってしまいました。
函館~青森は、「津軽海峡フェリー」と「青函フェリー」の2社が運航していて、後者の方がお安いので、
オイラは「青函フェリー」を利用するつもりだったのですが、後で調べたら、
青函フェリーは元々貨物の会社だったため、一般的なフェリー埠頭とは別の場所にターミナルがあるらしい。
オイラの見落としなのかもしれないけど、青函フェリーのターミナルにかなり近づいているはずなのに、
周辺に案内標識は全然なくて、(ホントにこの道で合ってる??)という感じ。
ここでモタモタしたら、もうアウトっぽいです。
心配しながら進んでいくと、道の先に社名の入った建物を発見してホッと一安心。
17:18 青函フェリーのターミナル駐車場到着。
17:20 マッハで乗船申込書書いて、窓口に提出。
ホントにギリギリだった(XДX)
まだシーズン直前だし、そんなに混んでないはずなのですが、予約もしてないし出港ギリギリなので、
もしかしたらもう満席かも。
その場合は次の便以降まで待たねばなりません。
心配だったのですが、無事18時便のチケットゲット!
これで船に何事も起こらなければ、無事今日中に青森に着けます\(^o^)/
「ご乗船の車は正面の列です。乗船開始は17:40 ですから」とのことだったのですが、
実際に乗船開始して車列が動き始めたのは17:34で、
オイラのすぐ前の車はドライバーのおぢさんが慌てて走ってやって来たのでした。
17:35 乗船開始。
昼はカロリーメイト的なものを2本しか食べていないのでもう腹ペコです。~~(⊃゜Д゜)⊃
でも船に乗りさえすれば、きっとなにか美味しいものにありつけるはず。
車両甲板から客室階に上がり、レストラン的なものを探したのですが…ありませんですたorz
下調べ不足です。
航行中はデッキに出ないでください。という表示があり、
大きな窓のあるテーブル席に陣取り、自販機のどん兵衛で昼食兼夕食。
18:10 定刻より10分遅れで出港。さらば北海道。
2日間急ぎ足の道内でのアレコレを思い出していたら、
懇意にして頂いているお客様から連絡があり、一気に営業口調で仕事モードに。
大口注文の連絡でした。ありがたや。
現在金曜日の夕方。
月曜以降の対応で構わないとのことで、これで来週の月曜日、訪問先が2件になったのでした。
そういえば金曜日の18時過ぎだから、多分もう仕事関係の緊急連絡は来週の月曜日の朝まで入りません。
青森港到着は、21:50。
それまでテーブル席でノートPCにここまでの記録付けをして過ごしていようと思っていたのですが、
たまたま隣に居合わせたご夫婦と随分長いこと話し込んでしまいしまた。
全国の登山巡りをしているご夫婦なのだそうですが、いわゆる『百名山』が大嫌いで、
それ以外の山を巡っているのだそうです。
超マイナーな山ばかり回るので、当然ほとんど人に出くわすことはなく、何が起きても全て自己責任。
子供たちには、「万一我々が予定の日に戻らなくても、周りに迷惑掛けずに自然に還るだけだから捜索などしてくれるな」
と話しているのだとか。
今回も東北~北海道の山々を巡って戻る途中なのですが、巨大な熊のフンを見たり、
破格の長さの蛇と出くわしたりしたのだそうです。
きちんとした知識を持って対応すれば、危険な状態に陥ることはないのだそうですが、
それでもどうしても最後に避けようもなく残る最大の危険は、結局人間なんだとか。
おじさんから「このフェリーはシャワー室無料だよ」と教えてもらい、オイラも利用。
シャワーから上がったら、奥さんから道内産のトマトを頂きました。
ロクに野菜を取っていないせいもあるのかもしれませんが、味が濃厚でやけに旨い。
ということであっという間に入港の時間となり、挨拶して別れたのでした。
おぢさんたちの車は下船すると、そのままターミナル内の駐車場に車を停め、車中泊の構えです。
オイラは明日の見学ポイント方面に移動しておくことに。
青森港近くのサンクスで冷やしラーメンとヨーグルト。
……オイラこんな寝る前の時間にナニ食べてるんだろ。
22:45 道の駅なみおか着。
23:15 寝る
おやすみなさい。
(続きます)
本日の走行距離:684.6km
本日お邪魔した場所で、過去記事の追記のみで済ませたもの:
音更飛行場跡地
沼ノ端飛行場跡地
北斗場外離着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2016年7月訪問 2021/12更新
北海道釧路市にあった「北斗場外離着陸場」。
滑走路の長さと方向、おおよその場所は分かっているのですが、なかなかキチンと場所特定することができておりません。
多分この辺り。という程度のものですのでご了承くださいませ。

北海道・北斗場外離着陸場跡地
種 別:場外離着陸場
所在地:北海道釧路市北斗
座 標:N43°03′48″E144°17′08″
標 高:10m
滑走路:250mx50m(転圧)
方 位:04/22
(座標、標高はグーグルアースから)
関連サイト:
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