長崎県・富江航空基地(野々切飛行場)跡地 [├国内の空港、飛行場]
2017年5月訪問 2022/1更新
撮影年月日 1947/08/18(昭22)(USA M415-2 68)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
長崎県福江島にあった「富江航空基地(野々切飛行場)」。
先頭のグーグルマップは上に貼った航空写真から作図しました。
上のマップの通りで、第一滑走路、第二滑走路が逆V字にクロスしています。
当記事作成にあたり、再生おじさん、PUTINさんに大変お世話になりました。
どうもありがとうございました。m(_ _)m
当航空基地跡地には自家発電所と無線電信所が現存しているのですが、
自家発電所の写真は諸般の事情からブログ掲載見送り、
無線電信所はオイラの準備不足のせいで正確な位置が分からず、キチンと撮ることができませんでした。
■PUTINさん情報ですが、
OHAMAの東南東0.5マイル、Fukaeの南南東3マイル、N32-39,E128-50 3,000ftx1,000ft 撮影日1944.6/18
として米軍からもバッチリマークされていました。
■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)
に当航空基地について以下の情報がありました。
位置 長崎県南松浦郡富江町
基地名 富江
最寄駅よりの方位 距離 粁 福江島東南部
建設の年 1943
飛行場 1,500x150
1,200x150芝張
格納庫 施設あるも数量不明
収容施設 士官20
兵員150
工場倉庫 施設あるも数量不明
船溜 民施設利用
送信所 方位測定所 施設あるも数量不明
主用機隊数 小型0.5
主任務 作戦
隧道竝に地下施設 居住、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、工業場、倉庫
掩体 中型28
には、「昭18建」とありました。
撮影地点A(野々切町・前原橋北側)
滑走路交差部。
この道路は第一滑走路を浅く斜めに突っ切る方向に伸びています。
取り敢えずこの写真で真っ直ぐ見えている部分は全部滑走路跡地です。
撮影地点B(野々切町・若草保育園)
この先、おおよそこの方向に第二滑走路が伸びていました。
撮影地点C(小泊町・以下3枚とも)
第二滑走路跡地の南側部分は、長さ約550mに渡り、滑走路の形が舗装道路として残っています。
当飛行場で滑走路の地割がしっかり残っているのは、オイラの見る限り、この部分のみです。
実は資料によれば、滑走路の幅は150mとあるのですが、1947年の航空写真の通りに作図すると、
115m程度になり、ここの舗装道路の地割とピッタリ一致します。
上の写真は第二滑走路南端部分。
車一台がやっとの細道の右側が滑走路跡地部分。
写真奥に向かって真っすぐ滑走路。
カメラの向きを固定したまま右横に移動すると、
こんな感じ。
細道の左側が奥に向かって真っすぐ滑走路。
撮影地点D(野々切町・野々切住民センター)
当時はこの場所に土中耐弾式の戦闘指揮所(11mx3m)があったのだそうです。
実はこの写真、住民センター裏手側を撮ったものなんですが、方向的にこの背後に格納庫がありました。
撮影地点F(野々切町)
誘導路跡。
幅30m、総延長4,600mもあり、誘導路に沿って無蓋掩体壕があったのだそうです。
長崎県・富江航空基地(野々切飛行場)跡地
富江航空基地(野々切飛行場) データ
設置管理者: 旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:長崎県五島市野々切町他
座 標:N32°39′24″E128°49′26″
標 高:39m
第一滑走路:1,300mx150m(15/33)
第二滑走路:1,200mx150m(03/21)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
「日本海軍航空史」(終戦時)