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直方飛行場(知古民間飛行場、直方滑空場)跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2017年5月訪問 2022/1更新  


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測量年 1938(昭13)(リスト番号125-6-1-2 図名 木屋瀬) 無題1.png
撮影年月日 1947/04/26(昭22)(USA M279 59) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成・2枚とも)


福岡県直方市に大正時代、民間の飛行場がありました。

直方飛行場(知古民間飛行場)で、遠賀川の河川敷にありました。

地元図書館で3つの書籍を教えて頂きました。

以下、該当部分を引用させて頂きます。

■直方市史下巻
1924年、大正13年、直方飛行場検査に合格。5ヶ年間の正式使用許可。9月7日開場式、後援会発会式 直方号初飛行

■ふるさとの思い出写真集 直方83p
164 直方飛行場
 直方に伊藤音二郎のヒコーキ恵美号が中島公園彦山川河川敷の東側に飛来したのが大正五年八月。直方にも知古民間飛行場が開場された。大正十三年(一九二四)九月七日、「訪れた秋天に飛行機自在に快翔、太刀洗より二機、祝賀飛行来」と新聞にかきたてられた。

■直鞍こぼればなしp126,127
第6話 直方飛行場
 直方に飛行場があった、と言っても、信じてもらえないかもしれないが、正真正銘、民間飛行場があったのだ。場所は知古、堀農園(現在の直方三中)の東側、遠賀川の洪水敷である。話は七十数年前に遡る。病院通りの久保という人が、直方にも是非飛行場を、と思い立ち、町内の有志に呼びかけたところ、賛成者が多く、直ぐに直方飛行場後援会が出来た。後援会が中心になって、場所の選定、造成工事が進められ、使用許可の申請が出され、大正十三年四月十三日に正式の認可が下りた。
名称は直方飛行場、使用期間は五年、経営責任者は久保茂、飛行士は志鶴忠夫となっていた。(志鶴さんは、当時、旧制鞍手中学校の五年生で、後に、グライダーの世界に入り、数々の日本記録を樹立、毎日新聞航空部長などを歴任、日本滑空会の重鎮となった。)直ちに、ニューポールという双発の二人乗りの飛行機が購入され、直方号と命名された。
飛行場開場式は、同年の九月七日に行われた。直方号の初飛行である。太刀洗飛行場からも二機が応援に飛来し祝賀飛行に花を添えた。「堤防には溢れるばかりの人出で、大変な騒ぎだった。双発の飛行機が、屋根もすれすれに飛んだ」という記事も残っている。同十四年一月には、航空思想の宣伝と技術員の養成を目的とした直方飛行協会が結成され、町民の航空熱は弥が上にも高まった。会員は四百名、会長は町長の秦伝次郎氏であった。
 この飛行場が、飛行場として何時まで使用されたかは、残念ながら記録として残っていないが、昭和十三年には、グライダー練習場として蘇ることになる。その経緯はこうだ。昭和十二年、日中戦争が勃発、防空意識の向上が叫ばれ、翌十三年三月には、直方でも、各小学校で防空展覧会が開かれた。また防空に関する講演会・映画界なども開かれた。飛行機に対する関心が高まる中、県の奨励もあって、同年九月に、旧制鞍手中学にグライダー部が新設されたのである。知古の旧飛行場が、大日本青年航空団の支部第二次訓練道場として整備され、航空団より貸与されたグライダーと、県から譲り受けたプライマリー型グライダーの二機が揃った。そして、すでに滑空会の中堅として活躍していた卒業生の志鶴さんの支援のもとに、三十名の部員が練習に励んだのである。


飛行場のあった場所として書籍から、「知古」、「直方三中の東」、「遠賀川の洪水敷」が出てきます。

「洪水敷」とは、河川敷のうち、増水時に水の流れる部分を指すようです。

上の地図と航空写真は、使用再開した1938年と戦後の1947年のものです。

一応開場式の2年前の1922年の地図も閲覧できるので見比べてみたのですが、

河川敷の形に大きな変化はないものの、1922年の方が南側がやや太くて使いやすそうです。

河川敷内のドコからドコまでを飛行場としていたかについては資料がないため、

飛行場として使用可能(に見える)部分をグーグルマップで囲ってみました。

直方三中から北側に向かって幅もしっかりある適地がずっと続いてますね。

最大で長さ1,400m、幅200mはとれそうです。

河川敷内の適地全面を飛行場として使用していたのかもしれませんし、

わざわざ「直方三中の東側」とあり、「知古」という地区は、「直方三中の東側」周辺に限られていることから、

河川敷の南側部分しか使用しなかったか、南側部分を中心として使用していたのかもしれません。

地図でも航空写真でも、河川敷内の直方三中のちょい上の辺りに、斜めの線が走っています。

航空写真で拡大して見る限り、これは水路ではなく河川敷を横切る道のようです。

飛行場としての使用に支障はないかと。


更に、アギラさんからも情報頂いていました。

■「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

直方商業學校滑空部・福岡縣直方市大字新入・「直方市大字新入大日本飛行協會直方滑空場」という記録があります。

「新入」とは、知古のすぐ西側にある地名であること、

知古の飛行場も「直方滑空場」も、学生の滑空訓練に使用した飛行場であることから、

こちらは同一である可能性が高いと思います。

アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


実は直方にはこの民間の飛行場の他に、戦争末期の時期、海軍の秘匿飛行場が建設されました。

事前にPUTINさんから有力な位置情報を頂いており、今回(多分ここ)と考えられる場所で写真も撮ったのですが、

自宅に戻ってから更にレファレンスサービスを利用したところ、オイラが考えていた場所が全く違うことが判明したのでした。

海軍の直方飛行場については、またいつか改めてお邪魔する予定です。


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     福岡県・直方飛行場(知古民間飛行場)跡地      


直方飛行場(知古民間飛行場) データ
経営責任者:久保茂(後に大日本青年航空団?)
種 別:民間飛行場→滑空場
所在地:福岡県直方市知古 遠賀川左岸河川敷内
座 標:N33°46′08″E130°43′14″
標 高:4m
滑走路:1,400mx200m?
方 位:16/34
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1924年04月 13日 正式認可
     09月 7日 飛行場開場式
1925年01月 直方飛行協会結成(その後いつの頃からか使用されなくなる)
1938年03月 直方の各小学校で防空展覧会、防空に関する講演会・映画界が開かれる
     09月 旧制鞍手中学にグライダー部新設。旧飛行場を大日本青年航空団の支部第二次訓練道場として整備

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この記事の資料:
直方市史下巻
直鞍こぼればなし
ふるさとの思い出写真集 直方

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