浅川航空基地跡地 [├国内の空港、飛行場]
2017年8月訪問 2022/1更新
撮影年月日 1947/10/28(昭22)(USA M607 19)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成・3枚とも)
福島県石川郡浅川町、東白川郡棚倉町にあった海軍の「浅川航空基地」跡地。
当飛行場跡地については、長いこと(本当にあったの??)というレベルで位置特定できなかったのですが、
2014年4月に佐藤正孝さんから貴重な情報を頂いたのでした。
頂いた情報によりますと、
■地元郷土史科家の衣山氏による当飛行場の調査資料が棚倉町役場発行の「お知らせ版」2010年7/15号に掲載され、
直接衣山氏と共に現地を訪れ、場所を確認したとのことでした。
飛行場のあった場所は、「浅川町役場の西方で浅川町大字浅川字背戸谷地の西端と棚倉町一色に跨いだところ」
と教えて頂きました。
「浅川町大字浅川字背戸谷地の西端と棚倉町一色に跨いだところ」を1947年の航空写真で確認してみると、
確かにありました!
南北方向に滑走路跡がクッキリと写っており、グーグルマップにその通り線を引いて場所を確定したのでした。
佐藤さんどうもありがとうございましたm(_ _)m
めでたしめでたし。
…と思っていたのですが、その後2016年2月に防衛研究所にお邪魔して入手した資料に
■「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)があり、
その中に当浅川飛行場も出ていました。
以下引用させて頂きます。
位置:福島県西白河郡浅川町
基地名:浅川
最寄り駅よりの方位 距離粁:水郡線磐城浅川駅駅前
飛行場 長x幅 米:800x70E-W 600x60N-S
収容施設:150名
工場倉庫:施設あるも数量不明
主要機隊数:小型
主任務:退避場
隧道並に地下施設:工事中
其の他記事:未使用
当飛行場の用途は「退避」だったんですね。
終戦の年の8月調べの時点で、「諸施設等工事中」とあります。
そして非常に気になる項目が「飛行場」で、そこには「600x60N-S」とあり、
確かに航空写真に写っている跡はピッタリその通りの寸法だったのですが、
続けて「800x70E-W」とも記されています。
オイラは、浅川飛行場はてっきり南北滑走路1本だと思い込んでいたのですが、
東西方向のもう少し大きい滑走路もあり、全部で2本だったのです。
■「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」という書籍の中でも、
浅川海軍飛行場
石川郡浅川町 東西800x70 南北600x60 未使用のまま終戦を迎えた。
という情報があり、ここでもやはり滑走路は2本と出ています。
■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m
方面 横須賀
牧場 浅川
滑走路 EW SN(かすれて読み取れず)
縣郡村 水郡線(磐城浅川)
記事 既成
改めて浅川飛行場についてネットで検索してみたのですが、
当飛行場について扱っているサイトが非常に少ないうえに、
辛うじて出ていても、南北滑走路についてしか触れられていません。
…これは自力でナントカするしか。
そう思って改めて1947年の航空写真を眺めたのでした。
方面 横須賀
牧場 浅川
滑走路 EW SN(かすれて読み取れず)
縣郡村 水郡線(磐城浅川)
記事 既成
改めて浅川飛行場についてネットで検索してみたのですが、
当飛行場について扱っているサイトが非常に少ないうえに、
辛うじて出ていても、南北滑走路についてしか触れられていません。
…これは自力でナントカするしか。
そう思って改めて1947年の航空写真を眺めたのでした。
南北滑走路のアップ。
この滑走路からそれ程離れていない位置にもう一つ東西方向の滑走路があったはずなのですが、
改めて南北滑走路跡を見てみると、
地元の方が滑走路を横断するために設けたのではないかと思われる線が幾つもあります(白矢印の箇所)。
終戦間もない頃の滑走路跡には時折見られるものなのですが、
似たようなものがすぐ下側にも東西方向に幾つもあることに気が付きました。
コレです。
ここが資料に出てくる東西方向の滑走路跡と仮定して作図してみたところ、800mx70mでサイズもピッタリ。
周辺は濃い植生、建物、畑地が広がっており、滑走路跡地の候補地は限られています。
というか、オイラにはここ以外に東西方向800mx70mの適地は見当たりません。
それでここが浅川飛行場のもう1本の滑走路跡なのだと思います。
そして2018年8月にやっとのことで現地にお邪魔して撮影してきたのでした。
赤マーカー地点。
南北滑走路跡。
ここから奥に向かって真っすぐ滑走路だったはずです。
佐藤さんから頂いたコメントにあった通り、画面右端の道路をはじめとして、滑走路の地割が結構残っています。
真正面に林が前方を塞ぐように見えていますが、1947年の航空写真ではあの部分も滑走路跡で更地でしたので、
アレは戦後のものです。
南北滑走路跡。
ここから奥に向かって真っすぐ滑走路だったはずです。
佐藤さんから頂いたコメントにあった通り、画面右端の道路をはじめとして、滑走路の地割が結構残っています。
真正面に林が前方を塞ぐように見えていますが、1947年の航空写真ではあの部分も滑走路跡で更地でしたので、
アレは戦後のものです。
青マーカー地点。
東西滑走路跡。
もう少し背後から画面奥に向かって滑走路が伸びていたはずです。
こちらは1947年の写真でも滑走路の地割がハッキリせず、横断路痕のみでしたので、
現在も滑走路跡を思わせる地割は見当たりませんでした。
ということで、佐藤さんから情報頂いてから3年半も経過してしまったのですが、
やっとのことでアップの運びとなったのでした。
改めて佐藤さん、そしてオイラは直接お目にかかっていないのですが、
地元郷土史科家の衣山さん、ありがとうございましたm(_ _)m
東西滑走路跡。
もう少し背後から画面奥に向かって滑走路が伸びていたはずです。
こちらは1947年の写真でも滑走路の地割がハッキリせず、横断路痕のみでしたので、
現在も滑走路跡を思わせる地割は見当たりませんでした。
ということで、佐藤さんから情報頂いてから3年半も経過してしまったのですが、
やっとのことでアップの運びとなったのでした。
改めて佐藤さん、そしてオイラは直接お目にかかっていないのですが、
地元郷土史科家の衣山さん、ありがとうございましたm(_ _)m
福島県・浅川航空基地跡地
浅川航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:軍用飛行場
所在地:福島県石川郡浅川町背戸谷地、福島県東白川郡棚倉町一色
座 標:N37°04′41″E140°24′15″
標 高:311m
滑走路:800mx70m(10/28)、600mx60m(01/19)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年8月 隧道等工事中。未使用
関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(21コマ)■
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
棚倉町役場発行の「お知らせ版」2010年7/15号(地元郷土史科家の衣山さん。佐藤さんから)
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)
設置管理者:海軍
種 別:軍用飛行場
所在地:福島県石川郡浅川町背戸谷地、福島県東白川郡棚倉町一色
座 標:N37°04′41″E140°24′15″
標 高:311m
滑走路:800mx70m(10/28)、600mx60m(01/19)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年8月 隧道等工事中。未使用
関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(21コマ)■
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
棚倉町役場発行の「お知らせ版」2010年7/15号(地元郷土史科家の衣山さん。佐藤さんから)
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)