長野県・上田市 松脂採取痕跡松 [├場所]
2018年5月訪問 2022/1更新
「戦時中燃料不足から松脂を採った」という話は聞いていたんですが、
長野県上田市に松脂を採取した木が実際に残っていると知り、お邪魔したのでした。
木があるのは山の中なんですが、上田市の「戦争遺跡」というサイトに
現場までの詳しい地図があり(下記リンク参照)、プリントアウトして向かいました。
「上田飛行場跡地」の南南東約4.2kmと、南西約12.4kmの二か所です。
■下之郷
遊歩道の手前で車を停めて山道を歩いて行くと、程なく道沿いに説明版がありました。
戦争を伝える松(全文)
ここ下之郷東山の里山には、幹に矢羽根のような傷をつけて「松脂」を採った跡のある木が、数十本あります。第二次世界大戦末期、日本は戦闘機などの燃料(ガソリン)が不足していました。そのため軍部は、松脂から航空機用燃料を作ろうと考えました。そして、松脂をとることを全国民にすすめ、下之郷でも松脂採取組合をつくって大々的に集めました。混ぜ合わせて使用したという証言もありますが、航空機用燃料としては質が悪く、使われないまま、昭和二十年(一九四五年)八月十五日、終戦を迎えました。上田市内では、このような松の木が、この東山山林や鴻の巣、浦野地区、丸子の西内地区、武石の下武石地区などでも見ることができます。これらの傷をつけられた松は、大戦中の燃料不足を物語る「戦争遺跡」として、今も生きているのです。平成二十四年(二〇一二年)八月六日 上田市教育委員会
戦争を伝える松(全文)
ここ下之郷東山の里山には、幹に矢羽根のような傷をつけて「松脂」を採った跡のある木が、数十本あります。第二次世界大戦末期、日本は戦闘機などの燃料(ガソリン)が不足していました。そのため軍部は、松脂から航空機用燃料を作ろうと考えました。そして、松脂をとることを全国民にすすめ、下之郷でも松脂採取組合をつくって大々的に集めました。混ぜ合わせて使用したという証言もありますが、航空機用燃料としては質が悪く、使われないまま、昭和二十年(一九四五年)八月十五日、終戦を迎えました。上田市内では、このような松の木が、この東山山林や鴻の巣、浦野地区、丸子の西内地区、武石の下武石地区などでも見ることができます。これらの傷をつけられた松は、大戦中の燃料不足を物語る「戦争遺跡」として、今も生きているのです。平成二十四年(二〇一二年)八月六日 上田市教育委員会
説明版によりますと、「ここに数十本ある」とのことだったんですが、
説明版周辺でオイラが探した範囲では3本ありました。
こんなに痕がクッキリと残っているものなんですね!
2本目
1本目も2本目も、戦後70年以上経ちますが、ちゃんと生きてました。
2本目の木の裏側。
松脂取りは1本の木から一面だけだったんでしょうか。
3本目。
こちらは枯れてしまっており、筋状の痕が残っていません。
■西内地区
こちらは西内小学校内に説明版がありました。
背後の山林に件の松があるそうです。
戦争を伝える松(全文)
ここ西内小学校裏山の山頂西側付近には、幹に矢羽根のような傷をつけて「松脂」を採った跡のある木が、百本以上あります。第二次世界大戦末期、日本は戦闘機などの燃料(ガソリン)が不足していました。そのため軍部は、松脂から航空機用燃料を作ろうと考えました。そして、松脂をとることを全国民にすすめ、大々的に集めました。混ぜ合わせて使用したという証言もありますが、航空機用燃料としては質が悪く、使われないまま、昭和二十年(一九四五年)八月十五日、終戦を迎えました。上田市内では、このような松の木が、この西内地区の山林や上田地域の下之郷東山の山林、鴻の巣、浦野地区、武石地域の下武石地区などでも見ることができます。これらの傷をつけられた松は、大戦中の燃料不足を物語る「戦争遺跡」として、今も生きているのです。平成二十五年(二〇一三年)七月二十三日 上田市教育委員会
こちらには百本以上あるとのことですが、上田市のサイトによりますと、
松脂を採取した松のある地点として示されているのは、ここから道なき山の結構先だったので、
オイラは説明版の写真だけ撮って引上げました。
長野県・上田市 松脂採取痕跡松
上田市 松脂採取痕跡松 データ
所在地:長野県上田市下之郷
関連サイト:
上田市の「戦争遺跡」■
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