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アラスカ・アンカー・リバー・エアパーク [├海外の空港、飛行場]

   2018年1月作成(データは作成時のものです)  



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SkyVector.com

アラスカ州アンカー・ポイントにある「アンカー・リバー・エアパーク」。

2000年2月開設、ANCHOR RIVER AIRPARK OWNERS ASSOC 所有のプライベート空港で、

762 x 23 mの砂利敷き滑走路を有しています。

これまでも「〇〇エアパーク」は何度か登場したんですが、

英語版Wikiにちゃんと"Airpark"という項目がありました。

それによれば、「利用者が自分のヒコーキでやって来て、楽しむことができる施設」とのことです。

施設には、宿泊施設、駐機場、それにゴルフや乗馬等が備わっていて、

こうした施設は世界のあちこちに整備されているのだそうです(@Д@)

そう知ってから改めて先頭のグーグルマップを眺めると、確かに滑走路の周辺は自然豊かで、

ヒコーキは駐機場にズラリと並んでいるのではなく、

パラパラと散らばった宿泊施設それぞれに小型機が駐機しています。

まるで自家用車感覚。

これならヒコーキに積んできた荷物の積み下ろしも便利ですね。

Wikiではこうした形態を"Fly-in community" と表現していました。

高速道路のサービスエリアに宿泊施設が併設している「ハイウェイホテル」みたいなものでしょうか??

凄い世界もあったものです。

年代は不明ですが、10機の単発機と2機のヘリが当空港を定置場にしていました。



     アラスカ・アンカー・リバー・エアパーク        
アンカー・リバー・エアパーク データ
Owner:ANCHOR RIVER AIRPARK OWNERS ASSOC
種 別:非公共用
FAA Code:AK00
標 高:120 ft. / 37 m
標 点:N59°47.80' / W151°51.80'
滑走路:500 x 75 ft. / 762 x 23 m
磁方位:16/34
表 面:砂利

関連サイト:
AirNav/Anchor River Airpark  


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アラスカ・ローウェルフィールド空港 [├海外の空港、飛行場]

   2018年1月作成(データは作成時のものです)  



無題.png
SkyVector.com

アラスカ州アンカー・ポイント、クック湾にほど近い「ローウェルフィールド空港」。

2006年5月開設、DAN PRESLEY 所有のプライベート空港で、762 x 12 mの砂利敷き滑走路を有しています。

年代は不明ですが、2機の単発機が当空港を定置場にしていました。

単純に比較できないことは重々承知ですけど。

日本は「空港多過ぎ」と言われ、静岡空港が「最後の空港」なんて言われていますが、

それに引き換え、アラスカは何と新規空港の多いことか。。。



     アラスカ・ローウェルフィールド空港        
ローウェルフィールド空港 データ
Owner:DAN PRESLEY
種 別:非公共用
FAA Code:00AK
標 高:252 ft. / 77 m
標 点:N59°56.93' / W151°41.53'
滑走路:2500 x 40 ft. / 762 x 12 m
磁方位:N/S
表 面:砂利

関連サイト:
AirNav/Lowell Field Airport  


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アラスカ・エンスルスキー・レイク水上機基地 [├海外の空港、飛行場]

   2018年1月作成(データは作成時のものです)   



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SkyVector.com(下側の錨マーク)

アラスカ州カシロフ、エンスルスキー湖にある「エンスルスキー・レイク水上機基地」。

2006年9月開設、STATE OF AK DNR の公共用水上機基地で、

東西方向に1067 x 152 mの離着水エリアが設定されています。

ただし、オイラにはこの湖からそんなに距離がとれるようにはとても見えません。

ナゾです。

それはともかく、湖のあちこちに水上機が映っています。

真っ白に凍結した湖面に水上機が非常に美しいです。

こんな凍結しているところで滑走したら、たちまちフロートが削れて壊れてしまいそうな気がするんですが、

氷上専用の何か特殊なフロートでもあるんでしょうか。

年代は不明ですが、6機の単発機が当水上機基地を定置場にしていました。



     アラスカ・エンスルスキー・レイク水上機基地        
エンスルスキー・レイク水上機基地 データ
Owner:STATE OF AK DNR
種 別:公共用
FAA Code:AK5
標 高:230 ft. / 70 m
標 点:N60°15.33' / W151°18.18'
離着水エリア:3500 x 500 ft. / 1067 x 152 m
方 位:9W/27W
表 面:水

関連サイト:
AirNav/Encelewski Lake Seaplane Base  


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アラスカ・ハックニー・ランディング水上機基地 [├海外の空港、飛行場]

   2018年1月作成(データは作成時のものです)  



無題g.png
SkyVector.com(上側の錨マーク)

アラスカ州クラム・ガルチにある「ハックニー・ランディング水上機基地」。

前記事の「カシロフ空港」の南西約8kmにあります。

2006年4月開設、DNR 所有のプライベート水上機基地で、南北610 x 427 mの離着水エリアが設定されています。

この数字は、この湖のほぼ最大値です。

北岸に桟橋的なものがあり、グーグルアース 2006/5/26、2004/9/14 の画像に黄色っぽい水上機が映っています。

年代は不明ですが、1機の単発機が当水上機基地を定置場にしていました。



     アラスカ・ハックニー・ランディング水上機基地        
ハックニー・ランディング水上機基地 データ
Owner:DNR
種 別:非公共用
FAA Code:96AK
標 高:208 ft. / 63 m
標 点:N60°17.27' / W151°20.77'
離着水エリア:2000 x 1400 ft. / 610 x 427 m
方 位:18/36
表 面:水

関連サイト:
AirNav/Hackney Landing Seaplane Base  


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アラスカ・カシロフ空港 [├海外の空港、飛行場]

   2018年1月作成(データは作成時のものです)   



無題f.png
SkyVector.com

アラスカ州カシロフにある「カシロフ空港」。

1947年5月開設、アラスカ州運輸公共施設局(DOT&PF) の公共用空港で、

732 x 18 mの砂利敷き滑走路を有しています。

年代は不明ですが、1機の単発機が当空港を定置場にしていました。



     アラスカ・カシロフ空港        
カシロフ空港 データ
Owner:ALASKA DOT&PF CENTRAL REGION
種 別:公共用
FAA Code:5KS
標 高:125 ft. / 38 m
標 点:N60°21.03' / W151°15.77'
滑走路:2400 x 60 ft. / 732 x 18 m
磁方位:1/19
表 面:砂利/good condition

関連サイト:
AirNav/Kasilof Airport  


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アラスカ・アラスカ・エアパーク [├海外の空港、飛行場]

   2018年1月作成(データは作成時のものです)   



無題e.png
SkyVector.com(ど真ん中のⓇ)

アラスカ州スターリングにある「アラスカ・エアパーク」。

一連のずらずらと連なる飛行場のラストです。

前記事の「ムースラン滑走路」の東北東約10.5kmにあります。

2007年1月開設、ALASKA AIRPARK INC 所有のプライベート空港で、

533 x 15 mの砂利敷き滑走路を有しています。



     アラスカ・アラスカ・エアパーク        
アラスカ・エアパーク データ
Owner:ALASKA AIRPARK INC
種 別:非公共用
FAA Code:AK01
標 高:336 ft. / 102 m
標 点:N60°31.74' / W150°37.51'
滑走路:1750 x 50 ft. / 533 x 15 m
磁方位:6/24
表 面:砂利

関連サイト:
AirNav/Alaska Airpark  
Alaska Airpark  


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アラスカ・ムースラン滑走路 [├海外の空港、飛行場]

   2018年1月作成(データは作成時のものです)   



無題d.png
SkyVector.com(右端下側のⓇ)

アラスカ州ソルドトナにある「ムースラン滑走路」。

前記事の「スクータース・ランディング・ストリップ」の東南東約4.8kmにあります。

2002年11月開設、PAUL FEDORKA & GENEVIEVE KLEBBA 所有のプライベート滑走路で、

610 x 12 mダートの滑走路を有しています。

年代は不明ですが、3機の単発機が当滑走路を定置場にしていました。



     アラスカ・ムースラン滑走路        
ムースラン滑走路 データ
Owner:PAUL FEDORKA & GENEVIEVE KLEBBA
種 別:非公共用
FAA Code:AK55
標 高:290 ft. / 88 m
標 点:N60°29.35' / W150°48.10'
滑走路:2000 x 40 ft. / 610 x 12 m
磁方位:8/26
表 面:土

関連サイト:
AirNav/Moose Run Airstrip  


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アラスカ・スクータース・ランディング・ストリップ [├海外の空港、飛行場]

   2018年1月作成(データは作成時のものです)   



無題d.png
SkyVector.com(右端の上にあるⓇ)

アラスカ州スターリングにある「スクータース・ランディング・ストリップ」。

前記事の「バンガーター・フィールド空港」の西北西約7.2kmにあります。

2004年7月開設、SCOOTER'S LANDING H.O. ASSN.所有のプライベート飛行場で、

732 x 24 mの砂利敷き滑走路を有しています。

ここは資料により名称が

Scooter's Landing Strip Airport だったり、

Scooter's Landing Strip  だったりします。

年代は不明ですが、15機の単発機と1機の双発機が当飛行場を定置場にしていました。



     アラスカ・スクータース・ランディング・ストリップ        
スクータース・ランディング・ストリップ データ
Owner:SCOOTER'S LANDING H.O. ASSN.
種 別:非公共用
FAA Code:AK84
標 高:259 ft. / 78.9 m
標 点:N60°31.77' / W150°49.85'
滑走路:2400 x 80 ft. / 732 x 24 m
磁方位:8/26
表 面:砂利

関連サイト:
AirNav/Scooter's Landing Strip Airport  


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アラスカ・バンガーター・フィールド空港 [├海外の空港、飛行場]

   2018年1月作成(データは作成時のものです)  



無題d.png
SkyVector.com(錨マークのすぐ右のⓇ)

アラスカ州ソルドトナにある「バンガーター・フィールド空港」。

前記事の「マッキーズ・レイクス水上機基地」の南東約2.6kmにあります。

2007年5月開設、KENT BANGERTER 所有のプライベート空港で、

853 x 15 m砂利/ダートの滑走路を有しています。

実はここ、滑走路がドコかわかりません(;´Д⊂)

先頭のグーグルマップのヒコーキマーカーの位置は、AirNAV等の緯度経度情報の場所です。

調布飛行場以上の長さの滑走路がここのどこかにあるはずです。

年代は不明ですが、8機の単発機が当空港を定置場にしていました。



     アラスカ・バンガーター・フィールド空港        
バンガーター・フィールド空港 データ
Owner:KENT BANGERTER
種 別:非公共用
FAA Code:70AK
標 高:250 ft. / 76 m
標 点:N60°31.07' / W150°57.58'
滑走路:2800 x 50 ft. / 853 x 15 m
磁方位:3/21
表 面:砂利、土

関連サイト:
AirNav/Bangerter Field Airport 


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アラスカ・マッキーズ・レイクス水上機基地 [├海外の空港、飛行場]

   2018年1月作成(データは作成時のものです)  



無題d.png
SkyVector.com(中央ちょい上の錨マーク)

アラスカ州ソルドトナにある「マッキーズ・レイクス水上機基地」。

前記事の「ソルドトナ空港」の北北東約6.8kmのマッキーズ・レイクスにあります。

PUBLIC DOMAIN の公共用水上機基地で、南北914 x 305 mの離着水エリアが設定されています。

オイラにはこの湖がメタ視点でカエルに見えるんですが、頭からお尻までだと650m程しかなく、

SkyVectorのマップでは、頭から左後ろ足まで含めて離着水エリアに設定されているようです。

また同マップでは、先頭のグーグルマップのヒコーキマーカーの位置に水上機基地施設が描かれているんですが、

実際には湖のあちこちに水上機が係留されている様子が映っています。

2015年の1年間に100便の運航があり、内訳は全てローカルゼネアビでした。

また、10機の単発機が当水上機基地を定置場にしていました。



     アラスカ・マッキーズ・レイクス水上機基地        
マッキーズ・レイクス水上機基地 データ
Owner:PUBLIC DOMAIN
種 別:公共用
FAA Code:L85
標 高:175 ft. / 53 m
標 点:N60°32.02' / W150°59.73'
離着水エリア:3000 x 1000 ft. / 914 x 305 m
方 位:N/S
表 面:水/good condition

関連サイト:
AirNav/Mackeys Lakes Seaplane Base  


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ホンダジェット [├雑談]





2015年12月から販売を開始したホンダジェットですが、その後徐々に生産が軌道に乗り、

2017年には43機を出荷し、軽量小型ジェット機部門で世界シェア首位を獲得しました。

現在のところ月産4機体制ですが、2019年3月末までにこれを7機に引き上げる計画だそうです。

今年に入り、3月には「ANAビジネスジェット株式会社」によるビジネスジェットチャーターサービスに、

ホンダジェットを活用すると発表があり、

5月27日にはアップグレード版「ホンダジェット エリート」の発表がありました。

また、6月7日には、ホンダジェットの日本国内のディーラーは丸紅に決定したと発表がありました。


ビジネスジェット大国のアメリカでは、2015年現在13,000機の運用があるのに対し、

日本国内では90機程度に留まっています。

国内販売決定に関連してホンダの八郷隆弘社長は記者会見の席上、

「国内の多くの顧客から要望を受け、需要が見込めることが確実に分かった」と説明。

またホンダエアクラフトカンパニーの藤野社長は、

「参入をきっかけに国内市場規模を4~5年で2倍にしたい」と述べました。

国内でホンダジェットがたくさん飛び回って欲しいです。

そして超個人的な希望を言わせて頂くと、埼玉のホンダエアポートを拡張して、

ここでホンダジェットが飛んで欲しい。

できればここにホンダジェットの訓練施設ができて欲しいです。

どうかできてください。


公式サイト   

(次回からアラスカ強化月間に戻りマス)


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甲府練兵場着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2024/8更新  



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1/50000「御岳昇仙峡」昭和4年修正「今昔マップ on the web」から作成
5.png
1934年(昭和9年)5月調査資料添付地図
Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)
無題2.png
撮影年月日1947/11/21(USA M662 93)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

山梨県甲府市にある「緑が丘スボーツ公園」。

戦時中この周囲一帯は甲府練兵場で、練兵場の中に着陸場がありました。

■アジ歴「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」の中に当着陸場の資料がありました。

先頭のグーグルマップは、同資料内の図から作図しました(下記リンク参照)。

ごく一部ですが、以下引用させて頂きます(オイラ訳ですので間違えていたらゴメンナサイ)。

甲府練兵場(昭和9年5月調)
位置 山梨県西山梨郡相川村
高さ 287米
広さ 演習場は170,000平方米以上 着陸場は長さ(東西)450米、幅(南北)150米。
其の他 練兵場の西及び北東側の地図上に示した拡張が提案された区域は、
着陸場適地とする作業の後、山梨県愛国献納会から陸軍に献納された

DSC_0050.jpg

着陸場のあった場所はこんな感じ。

現在はすっかり住宅地になっています。



     山梨県・甲府練兵場着陸場跡地         
甲府練兵場着陸場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:着陸場
所在地:山梨県西山梨郡相川村(現・甲府市緑が丘)
座 標:N35°40′45″E138°33′34″
標 高:287m
着陸帯:450mx150m
方 位:09/27
(座標はグーグルアースから)

関連サイト:
アジ歴「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」  
ブログ内関連記事       


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長野県・下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート [├場所]

   2018年5月訪問 2022/1更新  





長野県の諏訪湖北岸にある赤砂崎公園。

前記事では、「赤砂飛行場跡地の南半分は、現在赤砂崎公園になっている」旨書きましたが、

この公園は元々防災機能を備えた公園として整備されました。

そして園内には「下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート」があります。

ヘリポート条例がネットで閲覧可能になっております(下記リンク参照)。

「日本一高い空港」を謳う松本空港は標高657mですが、

当ヘリポートの標高はそれより100m以上も高く、なんと762mです(☆Д☆)

条例の第9条は、「ヘリポートの使用料は、無料とする。」とあります。

あらステキ!

これは是非一度オイラも下りてみようか。と思ったんですが、

その第2条によりますと、

「緊急医療活動、消防活動、警察活動若しくは災害対策等(訓練を含む。)又は公共・公益施設の維持管理の用に供するため、ヘリポートを設置する。」

とあり、第6条では、「原則としてこれ以外の使用は許可しない」とあります。

残念。

はっ!

オイラそもそもヘリ持ってなかったや。d( ̄∇ ̄*)☆\(--


DSC_0015.jpg


DSC_0021.jpg


DSC_0023.jpg
これ見よがしに標高が高いことをアピールするペイント(違)。

国内にこれより高いヘリポートってあるのかしらん。




     長野県・下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート         
下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート データ
設置管理者:下諏訪町長
種 別:防災ヘリポート
所在地:長野県下諏訪町10944番地 赤砂崎公園内
座 標:N36°03′35″E138°04′45″
標 高:762m
方 位:09/27
全長31メートル以下かつ最大離陸重量23トン未満とする
(座標、標高はグーグルアースから)

関連サイト:
下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート条例  
ブログ内関連記事       


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赤砂飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  



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1938年(昭和13年)3月調査資料添付地図 Translation No. 30, 11 January 1945, Airways data: Chubu Chiho (B). Report No. 3-d(28), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)
無題1.png
撮影年月日1947/10/02(USA R238-No1 47)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

長野県諏訪湖北岸の下諏訪町にあった「赤砂飛行場」。

■「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」の中に当飛行場の資料がありました。

先頭のグーグルマップは、同資料の付図から作図しました(下記リンク参照)。

同資料内の情報を一部ですが引用させて頂きます(オイラ約なので間違えていたらゴメンナサイ)。

赤砂飛行場(1938年3月調)
長野県諏訪郡下諏訪町字赤砂
(下諏訪町の北北西1.8km)
高さ 湖面から0.5m
広さ及形状 490,000平方米。
着陸場は第一地区長さ(東西)200m、幅80mと、第二地区長さ(南北)200m、幅70mから成る。
土地は下諏訪町から借り、飛行協会が飛行場として使用している
最初の飛行機は着陸の際、飛行場の狭さから破損したと報告あり

DSC_0012.jpg

赤マーカー地点。


DSC_0016.jpg

青マーカー地点。

飛行場跡地の南半分は現在赤砂崎公園になっています。



     長野県・赤砂飛行場跡地         
赤砂飛行場 データ
設置管理者:飛行協会
種 別:着陸場
所在地:長野県諏訪郡下諏訪町字赤砂
座 標:N36°03′39″E138°04′45″
標 高:762m
滑走路:
第一地区:200mx80m(06/24)
第二地区:200mx70m(15/33)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)


関連サイト:
アジ歴「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」  
ブログ内関連記事       

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中部(関東、関西)・4 [■旅行記]


Ⓐ道の駅風穴の里→Ⓑ松本(長谷川、笹部)飛行場跡地→Ⓒ赤砂飛行場跡地→Ⓓ下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート→Ⓔ松本空港→Ⓕ甲府練兵場着陸場跡地→Ⓖ自宅


4日目

4:00 起床

夜中に震度5弱の余震がないかしらん。と心配していたんですが、特に揺れることはありませんでした。

4:25 道の駅風穴の里出発

朝からどんより曇っていて、昼前後から雨の予報が出てました。

5:30 松本(長谷川、笹部)飛行場跡地見学。

ここは2010年にお邪魔していたんですが、場所がハッキリしたのでまた行ったのでした。

過去記事に追記してありますので、興味のある方はご覧くださいませ  

ここから5km程の所に松本空港があって、最近展望デッキに張られたワイヤフェンスを見に行くつもりでした。

でもせっかくなので、ヒコーキのいる時間帯にしようと最近購入したスマホで調べると、

伊丹から9:30到着のJAL機があります。

おおおお、サスガスマホ! スマホ便利!

せっかくなのでこのJAL機のタイミングに合せてることに。

まだ4時間もあるので、片道30km程行って、また戻って来ることになるんですが、

先に「赤砂飛行場跡地」に向かいました。


DSC_0019.jpg

6:35 諏訪湖岸にあった「赤砂飛行場跡地」。

そして、偶然見つけたヘリポート見学。

本日は赤砂公園で何事かあるらしく、たくさんのスポーツメンがいて、おぢさんたちが旗振りしてました。

松本空港へ。

途中の昼食のお握りを購入したセブンでお土産コーナーがあったので、

ここで家族とお客さんのお土産購入を済ませることに。


IMG_20180513_065944.jpg

7:10 ガストで鯖味噌朝食。

9:30のヒコーキまで時間があるので久々に店内でゆっくり。

松本空港の駐車場で仮眠をとり、空港の撮影開始。

ところが、もう9時を過ぎたというのに、お客さんがさっぱり来ません。

…アレ?

展望デッキに掲示してあった時刻表には、9:30 の便は記載がありませんでした。

そんなバカなとスマホをよく見たら、9:30の便は8月だけの運航だったのでした。

_| ̄|○ il||liガックシ

9:40 松本空港発。

次のポイントへ。

本当は野辺山の丸山の碑が見たかったんですが、

ドコから登ればいいかわからず、予報通りなら丸山に到着する頃に降り出しそうなので、

野辺山に行く分岐点まで行こうかどうしようか迷ったんですが、結局止めました。

12:20 山梨県・甲府練兵場着陸場跡地

これにて今回の見学終了。

車に戻った途端ポツポツ降ってきた。

ん~、結果論なんですが、松本空港でのロスがなければ、丸山行けたっぽい。。。

ヘンな所が積み残しになっちゃいました。。。とほほ。

12:30 給油

初日に自宅近くで満タンにして、2日目に琵琶湖で給油して、これが3回目の給油です。

そして一路自宅へ。

甲府市から自宅までは122km。

旅行中は念のため早めに給油するんですが、そうじゃなきゃ、途中1回の給油でいけたな。

16:40 自宅着

これにて今回の旅行記はおしまいです。

長々とお付き合い、ありがとうございました。


本日の走行距離:310km
総走行距離数:1,729km
総燃費:21.6km/L
(4日目に新たにお邪魔した3カ所の記事をアップした後、またアラスカ強化月間に戻りマス)

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高山市北北東方上野平着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  



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1938年(昭和13年)3月調査資料添付地図 Translation No. 30, 11 January 1945, Airways data: Chubu Chiho (B). Report No. 3-d(28), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)
無題1.png
撮影年月日1947/11/04(USA M626-B 133)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

岐阜県高山市上野町にあった「高山市北北東方上野平着陸場」。

■「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」の中に当着陸場についての図があり、

先頭のグーグルマップはこの図から作図しました(下記リンク参照)。

同資料内の情報を以下一部ですが、引用させて頂きます。

1938年3月調
高山市の北北東3km
標高650m
最大値350mx100m
着陸場の北東部分は農地
着陸場の西側に高さ10mの木あり
地元の人々は当着陸場を「上野平飛行場」と呼ぶ
当地は岐阜県吉城郡古川町のコンダマゴスケの私有財産
過去に陸軍機と民間機が当着陸場に着陸したことがある


DSC_0004.jpg

赤マーカー地点。


DSC_0003.jpg

青マーカー地点。

現在は美しい田園が広がっています。




     岐阜県・高山市北北東方上野平着陸場跡地         
高山市北北東方上野平着陸場 データ
種 別:着陸場
所在地:岐阜県高山市上野町
座 標:N36°10′13″E137°16′07″
標 高:650m
滑走路:350mx100m
方 位:11/29
(座標、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場  
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滋賀県・柏木航空基地(未着工・推定位置) [├場所]

   2018年5月訪問 2022/1更新   



無題4.png
撮影年月日 1947/11/21(昭22)(USA M661-1 37) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


滋賀県甲賀市に戦争末期の時期、「柏木航空基地」の建設計画がありました。

■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調) 

に当航空基地についての情報がありました。

最寄駅よりの方位距離:八幡線三雲駅E4
建設年:1945
滑走路の向き:WNW
主要機:小型
主任務:退避

先頭のグーグルマップ青マーカーは三雲駅の東4km地点です。

ググってみると、ここは未着工で痕跡もないとのことなので、滑走路跡が発見できなくても安心です。

ちょうどこの辺り、ポッカリと開けたスペースになっていますね。

航空写真は終戦から2年後のものですが、

北側が山間部になっていて、集落、そして集落と神社を結ぶ道路等、

いかにも戦前からずっとあったように見えるものを避け、

離陸、着陸の延長線上に山間部がかからないように…

いろいろ考えると、多分こんな感じだろう。

という部分に滑走路の線を引いてみました。

滑走路については、方向のみで長さの記載がないため、

「小型・退避」であることから一応800mx80mにしてあります。

実際に建設したとしたら、こんな感じだったのではないかと。


DSC_0162.jpg
赤マーカー地点。

滑走路方向。

西を向くとこんな感じ。

同じ場所で180°回頭すると-


DSC_0164.jpg

こんな感じ。

資料にある滑走路方向と、当時からある道路、地割の方向が同じなんですよね~。

というか、ここの地形、地割から滑走路方向を計画したのかも。




     滋賀県・柏木航空基地(未着工・推定位置)         
柏木航空基地(未着工・推定位置) データ
設置管理者:海軍
種 別:退避用飛行場
所在地:滋賀県甲賀市水口町名坂他
座 標:N34°58′48″E136°09′39″
標 高:171m
滑走路:800mx80m
方 位:11/29
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調) 


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大津陸軍少年飛行兵学校跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  


無題.png
撮影年月日1946/10/02(USA R275-A-7 71)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

琵琶湖南西部に位置する滋賀県大津市御陵町。

皇子山球場、運動公園、陸上競技場といったスポーツ施設が並び、京阪電鉄の線路を挟んで西側には、

学校、市役所、文化会館等があります。

かつてここに「大津陸軍少年飛行兵学校」がありました。

ここは主に少年飛行兵の基礎教育の場だったのですが、

滋賀県平和祈念館の展示によりますと、グライダー訓練も行っていたそうです。

残念ながらグライダー訓練を行っていた具体的な場所は不明なんですが、

上の航空写真矢印部分に広々とした場所がありますので、ここでグライダーが飛んでいたのではないかと。

DSC_0143.jpg

赤マーカー地点。

現在は皇子山球場。

オイラがお邪魔した時間帯は丁度試合の最中のようで、場外まで歓声が響いていました。


DSC_0159.jpg


青マーカー地点。

市民文化会館脇に碑まで上がる階段があります。  


DSC_0156.jpg

若鷲の記(全文)
 大津陸軍少年飛行兵学校は、太平洋戦争が苛烈の度を加え、その戦域が益々拡大された昭和十七年十月、航空戦力増強の要請に応じ東京陸軍航空学校大津教育隊として此の地に開設され、翌十八年四月、大津陸軍少年飛行兵学校に独立した。当時十五・六歳の少年たちは、祖国存亡のとき、陸軍航空の期待と栄光の重責を担い、「至誠・純真・元気・周到」の校風のもと、炎熱の朝、酷寒の夕、琵琶湖畔に、長等山麓に、幹部要員として徹底した一ヵ年の基礎訓練に励んだ。その数、第十五期生から第二十期生に至るまで八千有余人。ついで、操縦・通信・整備の各上級学校に学び、若鷲となって大空に巣立ち、北辺の空に南溟の果てに、本土防衛のさきがけとなって愛機と生死を共にした。昭和二十年八月、戦いは終り、これらの出身者、また未だ学業半ばの者は、ともに全国に離散し、本校もまたその歴史を閉じた。往時茫々、戦後三十年。教えし者、教えられし者相つどい、かつて青春のすべてを抛げうった想い出深きこの地に、永遠の平和を願って、茲に「若鷲の碑」を建立する。昭和五十年十月十二日 大津陸軍少年飛行兵学校 関係者一同




     滋賀県・大津陸軍少年飛行兵学校跡地      


大津陸軍少年飛行兵学校 データ
設置管理者:陸軍
種 別:滑空訓練場
所在地:滋賀県大津市御陵町4丁目?
座 標:N35°01′14″E135°51′24″?
標 高:89m
着陸帯:250mx225m?
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1873年    第四軍管歩兵第九連隊駐屯
1934年    第四軍管歩兵第九連隊満州に移駐。臨時陸軍病院として使用
1943年04月 大津陸軍少年飛行兵学校創設
1944年06月 大津市内の中学生が飛行訓練などの軍事教練を受けるようになる

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の碑文


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長田野着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  



5.png
(昭和6年4月撮影)高度300米 方位SSE 距離1,000米
6.png
1934年(昭和9年)10月調査資料添付地図 Translation No. 31, 12 March 1945, Airways data: Kinki Chiho (A). Report No. 3-d(29), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)
無題o.png
撮影年月日1947/11/03(USA M624 191)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

京都府福知山市長田野にある福知山IC。

すぐ東側には陸自の長田野演習場が広がっていますが、戦時中は福知山IC周辺にも演習場敷地は続いており、

ここに「長田野着陸場」があったのでした。

■国立国会図書館デジタルコレクション「報知年鑑 大正15年」に、

「本邦民間飛行場調〔大正14・8調〕」のページがあります(下記リンク参照)。

ここに当飛行場についての情報がありました。

管理人 冬廣正雄
種類 陸上
位置 京都府天田郡下六人部村長田野陸軍演習場
面積 57,000坪

■航空路資料 第5 昭10-4 近畿地方不時著陸場 の中に当着陸場について扱われていました(下記リンク参照)。

先頭のグーグルマップは、この資料の地図から作図しました。

同資料の情報を以下一部引用させて頂きます。

1934年10月調
長田野着陸場
標高:78m
第一地区:600mx80m
第二地区:500mx70m
土壌:黒粘土

当着陸場はいつ設定されたのか不明なんですが、

「1934年10月調」ということですから少なくともこの頃にはあったということで、

周辺の「福知山」、「高津」、「綾部」よりずっと先輩ということになります。

えっへん。

実は現在の演習場内には現役の「長田野離着陸場」 があります。

位置はわりと近いんですが、全くの別物です。紛らわしいですけども。


DSC_0140.jpg

A地点


DSC_0141.jpg

B地点

この周辺は一般人が自由に立ち入ることができて、且つ見通しの良い場所が非常に限られていて、

こんな写真しか撮れませんでした^^;




     京都府・長田野着陸場跡地         
長田野着陸場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:離着陸場
所在地:京都府福知山市長田野3丁目
・第一地区
座 標:N35°17′00″E135°10′32″
標 高:85m
滑走路:600mx80m
方 位:02/20
・第二地区
座 標:N35°17′02″E135°10′38″
標 高:84m
滑走路:500mx70m
方 位:01/19
(座標、標高、方位はグーグルアースから)


沿革
1925年08月 この頃、民間飛行場として使用していた
1934年10月 この頃、地方不時著陸場として登録されていた

関連サイト:
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正15年(183コマ) 
航空路資料 第5 昭10-4 近畿地方不時著陸場  
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高津航空基地跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新   


無題n.png
撮影年月日1947/11/03(USA M624 193)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

「福知山航空基地」の東約3.4km、京都府綾部市高津町にあった「高津航空基地」。

アジ歴の資料:C08011215400 に当航空基地の図面があり、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました(下記リンク参照)。

この情報は再生おじさんからいただきました。再生おじさんありがとうございましたm(_ _)m

■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)

に当航空基地の資料がありました。

以下引用させて頂きます。

位置:京都府何鹿郡中筋村
基地名:高津
最寄駅よりの方位距離:山陰線石原駅E2
建設の年:1945-7
飛行場:600x30 方向EW
施設の所要経費円:含上記(すぐ上の欄は福知山で、8.628.500と記載)
主要機隊数:小型
主任務:退避
(施設欄、其の他欄:記載なし)

冒頭でも述べましたが、当航空基地の西約3.4kmには「福知山航空基地」があり、

前記事の「綾部航空基地」は東南東約4.6kmに、

そして次の記事で登場する「長田野着陸場」は南西約3.4kmにあります。

この周辺は実に多くの飛行場が密集していたことになります。

そして長田野以外の3つは、いずれも戦争末期の時期に建設されました。

先頭のグーグルマップを見ての通りで、JR山陰本線と府道に挟まれた細長い地割に滑走路が設けられました。

ここは元々水田が広がっており、人家等なかったのだそうです。

昭和20年3月に着工し、600mx30mの滑走路の建設が進められました。

■『福知山に飛行場があった!』によりますと、

海軍の予科練習生達が中筋国民学校(現・中筋小学校。先頭のグーグルマップ赤マーカー)

の校庭で寝泊まりして工事が進められ、

中筋国民学校、以久田国民学校(旧・豊里東小学校)の6年生もローラー引きに動員されたのだそうです。

福知山市下天津付近の由良川や兵庫県八鹿付近の円山川の河原からくり石を運んできて、

水田にくり石を敷き、その上にバラスを置きローラーで固めていきました。

航空基地は戦後土地所有者に返還され、各所有者が昭和27年末頃までに元の農地に戻しました。

滑走路に敷かれたくり石は現在も民家の石垣として現役であり、

地元の方々は終戦から70余年経った今もここを「滑走路」、「飛行場」と呼ぶのだそうです。


DSC_0133.jpg

A地点


DSC_0136.jpg

B地点 高津駅付近。

画面左側に府道、右側にJR山陰線。

両者に挟まれた細長い地割の府道寄りに滑走路がありました。

奥に見えている大きな建物は京都協立病院です。



     京都府・高津航空基地跡地         
高津航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:退避用
所在地:京都府何鹿郡中筋村(現・綾部市高津町大橋他)
座 標:N35°18′145″ E135°12′14″
標 高:29m
滑走路:600mx30m
方 位:08/26
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年03月 着工

関連サイト:
アジ歴:C08011215400  
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この記事の資料:
『丹波綾部の中筋歴史散歩』
『福知山に飛行場があった!』
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)


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綾部航空基地跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新   


無題m.png
撮影年月日1947/11/03(USA M624 194)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

京都府綾部市にあったと思われる「綾部航空基地」。

「あったと思われる」という表現になってしまうのは、

当航空基地はネットでも情報が皆無と言って良い程ないからです。

実際にあったのか、計画止まりだったのか、そしてドコにあったのか、ずっとナゾの飛行場だったのですが、

■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)

の中で、当航空基地についての記載がありました。

以下引用させて頂きます。

位置:京都府何鹿郡綾部
基地名:綾部
最寄駅よりの方位距離:山陰線綾部駅S1
建設の年:1945
飛行場:600x30m
方向:EW
用地面積(除飛行場):600x30
主要機隊数:小型
主任務:退避
(その他諸施設の有無、其の他記事の項目に記載なし)

建設の年が1945年とあります。

このテの資料で建設年が1945年だと、着工前に終戦だったりすることもあるので、本当にビミョーです。

資料作成が「昭和二十年八月調」というのもまた一層醸してます。

ただし「綾部駅の南1km」と、非常に近い場所が目標になっております。

この資料から「綾部航空基地は綾部駅の南1kmなのだ」と知ったオイラは、早速当時の航空写真を確認したのですが、

綾部駅の南1km地点は山のど真ん中。

それでも、駅から1.5km南下した場所にほぼ東西に真っ直ぐな道があります(上の航空写真の赤矢印部分)。

この府道483号安場田野線沿いの南側部分は、資料にある通りの滑走路の長さ(600mx30m)

なら直線がとれる地割になっており、しかも道の向きは、資料にある滑走路の方位(EW)とも合っているため、

この道路に沿って滑走路が設けられていたか、設ける計画だったのではないかと。

この道路以外、「綾部駅の南1km」の周辺で、資料にある通り、

600mx30m東西方向の飛行場適地は、オイラには見当たりません。

「ここ以外に考えられない」という主観が根拠という、なんとも心許ない状況なんですが、

先頭のグーグルマップは一応資料にある通り、600mx30mで滑走路を描いてみました。

場所がココで良かったならば、こんな感じではないかと。

正直心が折れそうなんですが、こうして記事をアップしたのがきっかけで、真相が判明すれば本望です。

情報お待ちしておりますm(_ _)m


DSC_0131.jpg

赤マーカー地点。

ここから奥に向かって少し上り勾配がついています。

この道路の左側に奥に向かって滑走路があったか、建設しようとしていたのではないかと思うのですが。。。


…と思っていたら、PUTINさんからこんな情報を頂きましたm(_ _)m

■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。

方面  舞鶴
牧場  綾部
滑走路 五〇×六〇〇EW
縣郡村 京都、何鹿 以久田村
記事  既成

先の資料では所在地について「何鹿郡綾部」とありましたが、

こちらでは「何鹿郡似久田村」とありますΣ(゚Д゚;)

この当時、綾部町は由良川の南側、以久田村は北側にあり、河を挟んで対岸という位置関係でした。

試しに当時の航空写真で以久田村域を確認してみたのですが、滑走路っぽい地割は発見できず、

由良川河川敷とその周辺に畑地が広がる以外は山間部でした。

ドッチが正しいのかしらん(゚Д゚;≡;゚Д゚)




     京都府・綾部航空基地跡地         
綾部航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:退避用
所在地:京都府何鹿郡綾部(現・京都府綾部市田野町田野山)
座 標:N35°17′18″E135°15′02″
標 高:81m
滑走路:600mx30m
方 位:08/26
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年 建設

関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(21コマ) 
GeoNLP/歴史的行政区域データセットβ版 
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)


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中部(関東、関西)・3 [■旅行記]


Ⓐ道の駅ガレリアかめおか→Ⓑ綾部航空基地跡地→Ⓒ高津航空基地跡地→Ⓓ長田野着陸場跡地→Ⓔ大津陸軍少年飛行兵学校跡地→Ⓕ柏木航空基地(未着工・推定位置)→Ⓖ八日市飛行場の掩体壕→Ⓗ高山市北北東方上野平着陸場跡地→Ⓘ道の駅風穴の里(車中泊)



3日目

3:55 起床

4:25 道の駅ガレリアかめおか出発

5:35 綾部航空基地跡地

山の中の一本道沿いにある小さな集落なんですが、静かな早朝の時間帯、

ワンちゃんの散歩をする京都府民、ジョギングをする京都府民が行き交う中、道路を撮らせて頂き、

逃げるように退散したのでした=====ヽ( ゚∀゚)ノウヒョヒョー!!

DSC_0132.jpg

DSC_0139.jpg

5:55 高津航空基地跡地

6:10 長田野着陸場跡地

これにて京都の3飛行場跡地の見学終了。

今回の旅行で自宅から最も遠ざかりました。

ここでUターンして滋賀県に戻ることに。

IMG_20180512_073032.jpg

7:30 途中、ジョイフルで朝食

9:30 滋賀県・大津陸軍少年飛行兵学校跡地

碑が目立たない所にあるので、ちゃんと見つかるか心配だったけど、警備員の方に親切に教えて頂き無事見学。

10:55 滋賀県・柏木航空基地(未着工)

11:50 滋賀県・八日市飛行場の掩体壕見学終了。

ここは過去記事に追記してありますので、興味のある方はご覧くださいませ  

ここから一気に岐阜県高山市にあった着陸場に向かうことに。

ナビの目的地に設定すると、204km、18:20到着と出た。

お握り昼食

お昼のニュースで、今日の午前10時半頃に長野県北部で震度5弱の地震があり、

今後一週間程度は余震に注意と言っていた。

…オイラ今夜はその長野県で車中泊するんスけど^^;

17:40 岐阜県・高山市北北東方上野平着陸場跡地

静かな山村でした。

はー。おちつく。

IMG_20180512_180232.jpg

18:00 地元スーパーでお握り弁当

明日の見学にそなえ、長野県松本市を目指すことに。

ナビのルート検索は「有料道路ではなく一般道路優先」と設定してあるため、

安房峠道路を使えばものの5分で行けるところを、ものすごい迂回を強いられるハメに。。。

真っ暗で行き違い不可の箇所が多く、ブラインドコーナー連続のすんごい山道を延々走りました(;´Д⊂)

オイラこういう道ではワリと血が騒ぐんですが、それでも時速20~30km位しか出せない。

対向車はほとんどなかったんですが、アップダウンの非常に厳しい真っ暗な山道で、

何台ものロードバイク集団とすれ違いました。

どのバイクも非常に強力なライトを二つ装着しているのですが、それがどれも上向きで超眩しい~(XДX)

よくこんな道を走ろうと思うな~。

今なら言える!

通行料金770円は惜しくない!(断言)

20:30 道の駅風穴の里着

ここは駐車エリア全体に結構きつめの傾斜がついています。

山側になんとか傾斜の少ない場所を見つけて駐車。

件の余震が心配なんだけど、万一の落石より寝心地を優先するオイラ。

今になって冷静に考えると、これはどうだったんだろう。。。

21:00 寝る

おやすみなさい。

どうか揺れませんように。

何も落ちませんように。

本日の走行距離:508km

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七尾水上機基地跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  


無題j.png
撮影年月日1947/11/06(USA M631 52)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

石川県七尾市にあった「七尾水上機基地」。

ここは、あったことは分かっているんですが、正確な位置が長いこと不明で、

現在のところイマイチ場所がハッキリしません。

それで当記事は「中間報告」ということにしておきます。

ご了承くださいませ。

当基地については、PUTINさんから、「急造の木製スロープを設けて水上機を海面に降ろしていた」

という情報を頂いており、

再生おじさんからも、「補助水上機基地」として、

複数の目標からの方位と距離、緯度経度情報が米軍の資料に載っていること等情報頂いておりました。

また、マー坊さんからは、「詫間空(横浜空)の二式大艇が疎開していた」という情報を頂いておりました。

PUTINさん、再生おじさん、マー坊さん、ありがとうございましたm(_ _)m

当水上機基地について頂いた位置情報の中に、

"1 mi.ENE of Nanao,in Nanao-wan on E side of Yatashin-desaki;"

とあります(下記リンク参照)。

"1 mi.ENE of Nanao"は、「七尾の東北東1マイル」ですが、この「七尾」を「七尾市役所」とすると、

先頭のグーグルマップの黄マーカーの位置になります。

また、

"E side of Yatashin-desaki"は、「矢田新出崎の東側」となります。

「矢田新出崎」とは、先頭のグーグルマップに記載のある、チョキの指の右側部分です。

その東側ですから、先の「七尾の東北東1マイル」と大体同じような場所を示しています。

当地は国土地理院では戦前、戦中の航空写真、地図が閲覧できないのですが、

テキサス大学収蔵のAMS(旧米国陸軍地図局)作成の地図が閲覧可能であり、

これを見ると、まさに「矢田新出崎の東側」にピョコンと桟橋が描かれています(グーグルマップ赤ライン。下記リンク参照)。

(きっとコレが「七尾水上機基地」の桟橋なんだろう)と思いました。


ところがです。

■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)の中で、

当基地について情報がありました。

以下引用させて頂きます。

位置:石川県七尾市 
基地名:七尾水上機基地
最寄駅よりの方位距離:北陸線七尾駅N2
建設の年:1944
飛行場:巾10x長90のもの2基 木
用地面積(除飛行場):49500㎡
主要機 隊数:小型0.5 中型
主任務:作戦
其の他記事:防波堤 1

なんと、10mx90mのものが2基とあります。

上述の米陸軍作成の地図(AMS)で、「矢田新出崎の東側」にある桟橋は1つだけ、

それも長さは40m強、幅はほんの数メートルしかありません。

また、この米陸軍の地図は、1939年までのデータを元に作成されたものであるのに対して、

「海軍航空基地現状表(内地の部)」によれば、当基地の建設年は1944年とありますから、

米陸軍地図には(少なくとも基地の完成形は)載っていないことになります。


ということで、振り出しに戻った感があるのですが、

1947年の航空写真で「10mx90m 2基」を探すと、

オイラ的には先頭のグーグルマップの紫線、航空写真の矢印部分しか見当たりません。

ただし、これだと長さが90mどころか、110m、130mもあり、一方で幅は5m程度しかないため、

「海軍航空基地現状表(内地の部)」に出ている「10mx90m」とは随分異なっています。

また同資料には、当水上機基地の位置として、「北陸線七尾駅N2」とあるのですが、

これはグーグルマップ赤マーカーに位置になり、米軍の資料とは全然違ってしまいます。

また、ここまで「10mx90m」のものが桟橋状のものであることを前提に話を進めてきましたが、

PUTINさんからいただいた情報では、「急造の木製スロープ」とあります。

七尾には複数の基地(計画含む)があったようで、それぞれの資料は別々の基地のことを指しているのか、

はたまた年代によって形状が変化していったのか。。。

ナゾです。

ここまでが現在のところオイラの知り得ている情報です。

情報お待ちしておりますm(_ _)m


…と、ここまでいろいろ書いてきてアレですが、

■防衛研究所収蔵資料:「5航空関係-航空基地-108 日本列島 海軍航空基地略図」の中に、

当水上機機基地の略図があり、先頭のグーグルマップの紫マーカーの位置に丸印がついており、

「仮設木造?滑走台2キ」とありました。

航空写真で確認すると、この場所は砂浜のようで特に何もないんですよね。

まあ、だからこそ「急造」とか「仮設」という表現が説得力を持つのですが。。。


DSC_0082.jpg

A地点


DSC_0087.jpg

B地点




     石川県・七尾水上機基地跡地         
七尾水上機基地 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:水上機基地
所在地:石川県七尾市
座 標:N37°02′55″E136°58′56″? N37°02′55″E136°59′01″?
標 高:0m
滑走路:10mx90m 2基「海軍航空基地現状表(内地の部)」より
(座標はグーグルアースから)

沿革
1944年 建設

関連サイト:
AMS七尾市   
No. 85-3, central Japan: Central and northern Honshu  
No. 85-1, provisional airfield list of Japan  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)
防衛研究所収蔵資料:「5航空関係-航空基地-108 日本列島 海軍航空基地略図」


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富山県・富山県立高岡工芸高等学校 [├場所]

   2018年5月訪問 2022/1更新   


無題k.png
撮影年月日1946/11/16(USA M320-A-10 39)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

■「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)

の中で、高岡市中川富山縣立高岡中學校に「高岡中學校滑空部」があり、

「高岡中學校運動場」を使用していたとありました。

この情報はアギラさんからいただきました。

アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

で、肝心の「富山縣立高岡中學校」の場所なんですが、

(ここがそうだろう)と考えて、「富山県立高岡高校」にお邪魔して撮ったのが、2015年7月。

ところがです。

自宅に戻ってから念のため高校に問い合わせのメールをしたところ、

富山県立高岡高校の教頭先生から直々に非常に丁寧なメールを頂きました(ノ><)ノヒイィィ

いただいたメールによりますと、

「本校(富山県立高岡高校)は昭和63年に現地に移転しており、

昭和15年当時のグラウンドは、現在の高岡工芸高校のグラウンドの場所にありました」

とのことでした。

つまりオイラの撮った場所はまったくの誤りで、

現在の高岡工芸高校のグラウンドこそ、当時滑空訓練をしていた場所だったのですΣ(゚Д゚;)ガーン

ということで、今回3年ぶりに現地にお邪魔したのでした。

1946年当時の航空写真で見ると、グラウンドは2面あるように見えます(航空写真のAとB)。

広さはおおよそですがそれぞれ、A:100mx110m  B:175mx90m で、訓練用としてはどちらも十分です。

ということで、両方を撮ったのでした。


DSC_0079.jpg

赤マーカー地点。

適当な撮影場所を見つけられなかったのでちょっと遠いんですが、

画面中央のゴールポストよりちょい手前から奥が当時のグラウンド。


DSC_0078.jpg

青マーカー地点。

昭和15年当時、どちらか、もしくは両方でグライダーが飛んでいたと思うのですが。。。



     富山県・富山県立高岡工芸高等学校         
高岡中學校(当時) データ
所在地:富山県高岡市中川町1
A:
座 標:N36°45′07″E137°01′28″
標 高:8m
広 さ:100mx110m
B:
座 標:N36°45′06″E137°01′35″
標 高:13m
広 さ:175mx90m
(座標、標高、広さはグーグルアースから)

沿革
1940年10月 当時グラウンドにて滑空訓練実施

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)アギラさんから

謝意:
高岡高校K教頭先生


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中部(関東、関西)・2 [■旅行記]


Ⓐ道の駅ウエーブパークなめりかわ→Ⓑ富山県立高岡工芸高等学校→Ⓒ七尾水上機基地跡地→Ⓓ立野ヶ原不時着陸場跡地、立野原監的壕→Ⓔ愛国金沢飛行場跡地→Ⓕ鯖江不時着陸場跡地→Ⓖ近江航空踏切→Ⓗ多賀飛行場跡地→Ⓘ道の駅ガレリアかめおか(車中泊)


2日目

4:20 起床

5:00 道の駅ウエーブパークなめりかわ出発

6:00 富山県立高岡工芸高等学校

ここは以前明後日写真を撮ってしまったので、また来たのでした。

今回は無事撮影。

6:30 ガストで焼き鮭朝食

7:50 石川県の七尾水上機基地跡地。

ここはイマイチ場所が分からない。。。


DSC_0092.jpg

8:10 富山湾越しの立山連峰。霞んでるけど。

10:30 「立野ヶ原不時着場跡地」と「目玉監的壕」。

立野ヶ原不時着場跡地は、2011年10月にお邪魔したんですが、その後滑走路位置がハッキリしたので、

再訪問したのでした。

過去記事に追記してありますので、興味のある方はご覧くださいませ  

11:40 石川県・愛国金沢飛行場跡地。

ここも2010年7月に一度お邪魔していたんですが、その後滑走路位置がハッキリしたので、

今回再訪問したのでした。

ここも過去記事に追記してありますので、興味のある方はご覧くださいませ  

12:00 おにぎり昼食

14:00 鯖江不時着陸場跡地にお邪魔。

ここも過去記事に追記してありますので、興味のある方はご覧くださいませ  

16:10 初日自宅近くで給油して、ここまで782km走ったところで給油。

17:15 滋賀県の「近江航空踏切」と「多賀飛行場跡地」撮影。

近江航空踏切は、そういう名称の踏切があると最近知ったので、ついでに撮ったのでした。

隣接する高校からゾロゾロと踏切を渡る高校生の視線がイタイイタイ(///∇///)

多賀飛行場は滑走路の位置がハッキリしたので再訪したのでした。

ここも過去記事に(以下省略)  

本当はここから小一時間走った所にある掩体壕も見る予定だったんですが、現在時刻は17:35。

到着した頃に日没っぽいし、現地まで徒歩で移動しないといけないので、本日の見学はこれにて終了。

翌朝までこの近辺に留まると時間が勿体ないので、

今回の旅行で(ここまで行けたらいいなぁ)と思っていた一番遠い京都府福知山方向に移動することに。

18:00 ファミマでチキン南蛮弁当

21:10 京都府 道の駅ガレリアかめおか着

21:35 寝る

おやすみどすえ。

本日の走行距離:508km


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長野県・上田市 仁古田飛行機製造地下工場跡 [├場所]

   2018年5月訪問 2022/1更新  



長野県上田市に「仁古田飛行機製造地下工場」跡があります。

上田飛行場の南西約6.2km。


DSC_0077.jpg

・A地点

ここまでは車で簡単に走れます。

変則的な丁字路になっていて、突き当りを左右どちらかに進みます。

画面向かって左折すると、墓地。

地下工場跡に行くには右折。


DSC_0049.jpg


DSC_0065.jpg

A地点を右折して少し進んでいくと、左折の脇道が現れます。


DSC_0050.jpg

標柱に従い脇道を入って行きます。


DSC_0053.jpg

100m進むとこんな説明版が。

仁古田飛行機製造地下工場跡(全文)
 太平洋戦争の末期(昭和二十年六月)、日本軍部は、東南海地震と空襲によって壊滅した名古屋の三菱重工業第五製作所
(航空機工場)を移転させるべく、上田地区(仁古田・八木沢・東塩田・川辺)に地下壕などの建設を始めました。この航空機工場建設の工事は公式には「上田付近三菱重工業株式会社第五製作所分散防護工事」と称されたもので、軍は、機密保持のため「上田地下倉庫工事」略して「ウ工事」と呼びました。地下壕の建設には、上田・小県地域の勤労報国隊の人たちのほかに、強制連行された人を含めて朝鮮の人たち四四〇〇人(推定)が、過酷な労働に従事しました。建設工事は、八月十五日の終戦の日まで続けられ、仁古田地域には二十数本の壕が五〇~一〇〇メートル掘られましたが、現在、壕のほとんどは潰れて凹地となっています。この仁古田地区に残る地下壕跡は、その当時を物語るものです。上田市教育委員会


DSC_0054.jpg


DSC_0059.jpg


DSC_0060.jpg


DSC_0061.jpg


DSC_0056.jpg

中はこんな感じ。

雨の後だからなのか、結構滴ってました。




     長野県・仁古田飛行機製造地下工場跡         
仁古田飛行機製造地下工場 データ
所在地:長野県上田市仁古田
座 標:N36°22′09″E138°10′13″
標 高:530m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1945年6月 建設開始

関連サイト:
ブログ内関連記事   

この記事の資料:
現地の説明版


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