高津航空基地跡地 [├国内の空港、飛行場]
2018年5月訪問 2022/1更新
撮影年月日1947/11/03(USA M624 193)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
「福知山航空基地」の東約3.4km、京都府綾部市高津町にあった「高津航空基地」。
アジ歴の資料:C08011215400 に当航空基地の図面があり、
先頭のグーグルマップはそこから作図しました(下記リンク参照)。
この情報は再生おじさんからいただきました。再生おじさんありがとうございましたm(_ _)m
■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)
に当航空基地の資料がありました。
以下引用させて頂きます。
位置:京都府何鹿郡中筋村
基地名:高津
最寄駅よりの方位距離:山陰線石原駅E2
建設の年:1945-7
飛行場:600x30 方向EW
施設の所要経費円:含上記(すぐ上の欄は福知山で、8.628.500と記載)
主要機隊数:小型
主任務:退避
(施設欄、其の他欄:記載なし)
冒頭でも述べましたが、当航空基地の西約3.4kmには「福知山航空基地」があり、
前記事の「綾部航空基地」は東南東約4.6kmに、
そして次の記事で登場する「長田野着陸場」は南西約3.4kmにあります。
この周辺は実に多くの飛行場が密集していたことになります。
そして長田野以外の3つは、いずれも戦争末期の時期に建設されました。
先頭のグーグルマップを見ての通りで、JR山陰本線と府道に挟まれた細長い地割に滑走路が設けられました。
ここは元々水田が広がっており、人家等なかったのだそうです。
昭和20年3月に着工し、600mx30mの滑走路の建設が進められました。
■『福知山に飛行場があった!』によりますと、
海軍の予科練習生達が中筋国民学校(現・中筋小学校。先頭のグーグルマップ赤マーカー)
の校庭で寝泊まりして工事が進められ、
中筋国民学校、以久田国民学校(旧・豊里東小学校)の6年生もローラー引きに動員されたのだそうです。
福知山市下天津付近の由良川や兵庫県八鹿付近の円山川の河原からくり石を運んできて、
水田にくり石を敷き、その上にバラスを置きローラーで固めていきました。
航空基地は戦後土地所有者に返還され、各所有者が昭和27年末頃までに元の農地に戻しました。
滑走路に敷かれたくり石は現在も民家の石垣として現役であり、
地元の方々は終戦から70余年経った今もここを「滑走路」、「飛行場」と呼ぶのだそうです。
A地点
B地点 高津駅付近。
画面左側に府道、右側にJR山陰線。
両者に挟まれた細長い地割の府道寄りに滑走路がありました。
奥に見えている大きな建物は京都協立病院です。
画面左側に府道、右側にJR山陰線。
両者に挟まれた細長い地割の府道寄りに滑走路がありました。
奥に見えている大きな建物は京都協立病院です。
京都府・高津航空基地跡地
高津航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:退避用
所在地:京都府何鹿郡中筋村(現・綾部市高津町大橋他)
座 標:N35°18′145″ E135°12′14″
標 高:29m
滑走路:600mx30m
方 位:08/26
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年03月 着工
関連サイト:
アジ歴:C08011215400■
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
『丹波綾部の中筋歴史散歩』
『福知山に飛行場があった!』
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)