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大津陸軍少年飛行兵学校跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  


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撮影年月日1946/10/02(USA R275-A-7 71)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

琵琶湖南西部に位置する滋賀県大津市御陵町。

皇子山球場、運動公園、陸上競技場といったスポーツ施設が並び、京阪電鉄の線路を挟んで西側には、

学校、市役所、文化会館等があります。

かつてここに「大津陸軍少年飛行兵学校」がありました。

ここは主に少年飛行兵の基礎教育の場だったのですが、

滋賀県平和祈念館の展示によりますと、グライダー訓練も行っていたそうです。

残念ながらグライダー訓練を行っていた具体的な場所は不明なんですが、

上の航空写真矢印部分に広々とした場所がありますので、ここでグライダーが飛んでいたのではないかと。

DSC_0143.jpg

赤マーカー地点。

現在は皇子山球場。

オイラがお邪魔した時間帯は丁度試合の最中のようで、場外まで歓声が響いていました。


DSC_0159.jpg


青マーカー地点。

市民文化会館脇に碑まで上がる階段があります。  


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若鷲の記(全文)
 大津陸軍少年飛行兵学校は、太平洋戦争が苛烈の度を加え、その戦域が益々拡大された昭和十七年十月、航空戦力増強の要請に応じ東京陸軍航空学校大津教育隊として此の地に開設され、翌十八年四月、大津陸軍少年飛行兵学校に独立した。当時十五・六歳の少年たちは、祖国存亡のとき、陸軍航空の期待と栄光の重責を担い、「至誠・純真・元気・周到」の校風のもと、炎熱の朝、酷寒の夕、琵琶湖畔に、長等山麓に、幹部要員として徹底した一ヵ年の基礎訓練に励んだ。その数、第十五期生から第二十期生に至るまで八千有余人。ついで、操縦・通信・整備の各上級学校に学び、若鷲となって大空に巣立ち、北辺の空に南溟の果てに、本土防衛のさきがけとなって愛機と生死を共にした。昭和二十年八月、戦いは終り、これらの出身者、また未だ学業半ばの者は、ともに全国に離散し、本校もまたその歴史を閉じた。往時茫々、戦後三十年。教えし者、教えられし者相つどい、かつて青春のすべてを抛げうった想い出深きこの地に、永遠の平和を願って、茲に「若鷲の碑」を建立する。昭和五十年十月十二日 大津陸軍少年飛行兵学校 関係者一同




     滋賀県・大津陸軍少年飛行兵学校跡地      


大津陸軍少年飛行兵学校 データ
設置管理者:陸軍
種 別:滑空訓練場
所在地:滋賀県大津市御陵町4丁目?
座 標:N35°01′14″E135°51′24″?
標 高:89m
着陸帯:250mx225m?
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1873年    第四軍管歩兵第九連隊駐屯
1934年    第四軍管歩兵第九連隊満州に移駐。臨時陸軍病院として使用
1943年04月 大津陸軍少年飛行兵学校創設
1944年06月 大津市内の中学生が飛行訓練などの軍事教練を受けるようになる

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この記事の資料:
現地の碑文


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