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長野県・東長倉小学校跡地 [├場所]

   2018年6月、2019年10月訪問 2022/1更新   


無題1.png
撮影年月日1946/06/14(USA M165-A-6 75)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

長野県軽井沢町の県立軽井沢高校西隣にはかつて「東長倉小学校」があり、

ここに県下初となる飛来があったのでした。

軽井沢の土屋写真店にこの時の写真があり、

「県下に初めての飛行機が軽井沢に(大正4年(1915)8月 東長倉小学校)」
「8月26~29日、所沢気球体の陸軍飛行機、所沢~高田間横断飛行の給油のため東長倉小学校庭に着陸する。(佐藤大尉、岡大尉操縦の2機)軽井沢だけでなく県下で初めて飛行機がお目見え。「モーリスファルマン式飛行機」(2016年記)

と説明書きが添えてありました。




マップ上に落とすとこんな感じ。

所沢から高田(多分、新潟県の高田練兵場)に向かう途中、給油で当小学校に寄ったんですね。

なんとも時代を感じさせる話です。

所沢飛行場→軽井沢の東長倉小学校 直線距離で98km
東長倉小学校→高田練兵場 直線距離で90km

目的地の(ほぼ)直線上ですし、中間地点ですし、理想的な中継点なんでしょうね。

軽井沢は標高が非常に高い(約1,000m)ので、離陸は相当キツイはずなんですが、

複葉の大きめの主翼で翼面荷重も相当低そうだし、そんなに厳しくはないのかしらん。

軽井沢を離陸すると、すぐに標高2,000m級の白根山が控えています。

高田練兵場は次の次の記事で登場します。


これは余談なんですが、

「目で見る明治・大正・昭和 思い出のアルバム軽井沢」37pには、山をバックに飛ぶ複葉機の写真があり、

「大正6年8月29日徳川大尉のプロペラ機がはじめて離山上空を飛行する」というキャプションがついています。

大正6年は1917年なので、1915年東長倉小学校の県下初飛来から2年後にも飛来があったことになります。

この徳川大尉の飛来の際に使用された飛行場は不明なのですが、二十間道路の建設は大正14年開始ですから、

まだありませんでした。

もしかしたら、この時も東長倉小学校が使用されたかも。


DSC_0133.jpg

赤マーカー地点から東長倉小学校跡地方向



     長野県・東長倉小学校跡地         
東長倉小学校 データ
所在地:長野県軽井沢町軽井沢
座 標:N36°20′38″E138°36′52″
標 高:948m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1915年08月 26~29日 給油のため着陸

関連サイト:
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この記事の資料:
土屋写真店
目で見る明治・大正・昭和 思い出のアルバム軽井沢


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