新潟県・深才航空基地跡地(推定位置) [├場所]
2018年6月訪問 2022/1更新
撮影年月日1946/04/16(USA M106A-5 54)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
新潟県長岡市深沢町の「深才航空基地」。
■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)に当航空基地の資料がありました。
以下引用させて頂きます。
位置 新潟県三島郡深才
基地名 深才
最寄駅よりの方位距離 信越線来迎寺駅北1粁
建設の年 1945
飛行場 方向NNE
主要機隊数 小型
主任務 退避
其の他記事 工事中
当航空基地については、ググっても何も出てこず、
上記資料が昭和二十年八月時点のもので、建設年が1945年、しかも「工事中」とあり、
終戦から8ヵ月後の航空写真を見てもそれらしいものは映ってないし、
未完成のまま終わった可能性が非常に高いのではないかと。
ということで、唯一の手掛かりである上記資料から位置を推定することになりますのだ。
先ず、「位置」の項目に「新潟県三島郡深才(さんとうぐんしんさい)」とあります。
Wiki先生によりますと、「深才村」は1954年(昭和29年)5月1日 - 長岡市に編入され消滅。
とあり、住所的に「深才」はなくなってしまったようですが、
それでも「深才コミュニティーセンター」、1967年まであった「深才中学校」等、
この地域にはその名称が残っています。
次に「最寄駅よりの方位距離」の項目で、「信越線来迎寺(らいこうじ)駅北1粁」とあります。
「来迎寺駅の北1km」は、先頭のグーグルマップ青マーカー、航空写真の・の位置です。
「飛行場」の項目に「方向NNE」とありますから、滑走路の方向は、北北東~南南西 ですね。
ところで「来迎寺駅の北1km」の位置に「北北東~南南西」の滑走路を建設しようとすると、一つ問題が。
それは、この1km地点が集落と川に挟まれた地形であるということ。
渋海川(しぶみがわ)とこの集落の間は400m~500m程度しかないため、
恐らく滑走路は集落の西か東のいづれかにズラして計画したのではないかと。
集落の東側には、1946年の時点で既に立派な道路が設けられており、こちら側に滑走路はちょっときつそう。
ということで、恐らく集落の東側に計画していたのではないかと思います。
上記資料には滑走路の長さが記されていないのですが、
「主要機隊数:小型」、「主任務:退避」とあるので、600mx60mの長さで集落の東側に、
「北北東~南南西」方向で線を引いてみました。
他に資料が見当たらないため、これは完全にオイラの想像ですので、ご了承くださいませ。
赤マーカー地点。
北方向(画面左がに映っているのが件の集落です)。
撮影地点南方向
建設地としては申し分なさそうなんですが、実際のところどうだったんでしょうか。
新潟県・深才航空基地跡地(推定位置)
深才航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:退避
所在地:新潟県長岡市深沢町
座 標:N37°24′30″E138°47′09″?
標 高:28m
滑走路:600mx60m?
方 位:01/19?
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年 工事中
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)