寒河江の滑空場跡地(推定位置) [├国内の空港、飛行場]
2018年6月訪問 2022/1更新
撮影年月日1947/11/13(USA M647-A 49)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
山形県寒河江市。
■「寒河江高等学校六十周年誌」と「寒河江市史下巻」の中に滑空場についての記載がありました。
大戦末期の時期、旧寒河江中学校(現・寒河江高等学校)傍に建設されたものです。
それによりますと、同校校庭西側畑地への建設案が具体化し、昭和19年4月19日整備作業開始、5月27日開所式。
とのことで、規模は直線滑空コース200m余、巾50mでした。
同校練習生は、滑空場での訓練後、升形飛行場での合同合宿訓練の後、3級滑空士資格試験を受けたのだそうです。
ということで、滑空場の場所として、旧寒河江中学校の「校庭西側畑地」とあります。
西寒河江駅東にある寒河江高等学校公式サイト内の沿革には、
大正10年4月 県立寒河江中学校創立
同11年3月 現在地に移転
昭和23年4月 山形県立寒河江高等学校となる
とありました。
「寒河江高等学校六十周年誌」と「寒河江市史下巻」に登場する「寒河江中学校」=現在の「寒河江高等学校」
ということで間違いないみたいですね。
で、同校の1947年の航空写真を上に貼りました。
グーグルマップと比較すると、校舎等建物は、現在よりも西側(ボーイスカウト会館側)にあったようです。
で、「校庭」の場所なんですが、「ここが校庭だ!」とハッキリする場所が見当たらず、
校舎のすぐ西隣が(オイラが見た感じでは)最も校庭っぽいです。
滑空場の位置は、「校庭西側畑地」ということでしたから、
その校庭の西側ということで、先頭のグーグルマップ、航空写真に示した位置に滑空場があったのではないかと。
現在でこそ左澤線と県道26号線の間は住宅が立ち並び、滑空場を建設するスペースなどほとんどとれそうにないですが、
当時の航空写真で見ると、旧中学校の周辺は更地が多く、滑空場適地がそこここにあります。
先頭のグーグルマップ、線路に沿って滑空場の線を引きましたが、飽くまで一例ですのでご了承くださいませ。
当滑空場の正確な位置情報お待ちしておりますm(_ _)m
赤マーカー地点。
山形県・寒河江の滑空場跡地(推定位置)
寒河江の滑空場跡地(推定位置) データ
種 別:滑空場
所在地:山形県寒河江市六供町2丁目
座 標:N38°22′51″E140°16′00″?
標 高:106m
滑走路:200mx50m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1943年09月 20日 寄贈滑空機命名式
11月 23日 滑空査閲
1944年01月 旧寒河江中学校校庭西側畑地への建設案が具体化
04月 19日 整備作業開始。29日滑空場整理作業
05月 27日 滑空場開場式
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この記事の資料:
「寒河江高等学校六十周年誌」
「寒河江市史下巻」