A380生産終了・5 メーカーの話(上) [├雑談]
■A380総受注数
エアバス公式サイトに受注、引き渡し状況のページがあります。
それによりますとA380は、
確定受注合計:331
引き渡し合計:229
受注残数:102
となっています(2019年4月現在)。
ただしこの数字、2018年7月31日で更新が止まっています。
いろいろ検索してみるとこの最終更新の後、
2019年2月に入って、エミレーツ39機、カンタス8機、エアアコード3機、
アメデオ20機のキャンセルがありました。
また、UNDISCLOSED(未公開)となっている10機は、「香港航空」のキャンセル分
という情報もあり、これも含めると合計80機のキャンセルが出た計算に。
エアバスの公式データが更新されないので推定になってしまうんですが、
事実上A380の受注残は、エミレーツ19機とANA2機(2号機は6月デリバリーらしい)のみとなり、
A380の総受注数は、2019年4月時点で、251機と思います。
2016年にエアバスは受注が319機の段階で「機体として損益分岐点を越えた」
と発表していましたので、非常に厳しい状況となってしまいました。
■747のデリバリー数
747の年代別デリバリー数を出してみました。
2010年代はまだ途中の数字なのと、受注残数(22)も含んでいます。
1960年代 4機
1970年代 410機
1980年代 341機
1990年代 481機
2000年代 182機
2010年代(153)機
747のデリバリー開始は1969年末だったので、
実質1970年から始まったようなものなんですが、
こうして見ると、デビュー直後の1970年代よりも
1990年代の方が売れてるんですね。
-400のデリバリーは1989年~2009年まででしたから、
1990年代はまさに-400の黄金期です。
そして2000年代に入るとデリバリー数は一挙に落ち込みます。
(-400への切り替え需要が一巡したのが大きいんでしょうか?)
そして2010年代には燃費、航続性に優れた小/中型機の台頭により、
747も存亡の危機を迎えます。
■A380の方が3倍売れた
一方A380のデリバリー数なんですが、A380は2007年にデリバリー開始し、
2019年4月現在、総受注数は前述の通り251機(オイラ調べ)。
A380がデリバリーを開始した2007年から2019年までの期間に限ると、
747のデリバリー数と受注残の合計は、192機で、A380の方が多いです。
しかも747の数字には-8F(貨物機)の 107機が含まれますので、
747の旅客型に限ると、85機となります。
実は-400の貨物型もかなりの数生産されているんですが、
年別のデリバリー数が分からないため、計算に含めていません。
なので2007年以降の旅客型に限るともっと減ると思います。
つまり、同じ期間で比較すると、A380の方が3倍は売れています。
確実にその数だけ747の需要を奪いました。
「あと10年早ければ」という言葉がありますが、
仮にA380のデリバリーがあと10年早く1997年だったとしたら、
747-400が最高に売れた黄金期の後半に当ります。
前記事でも書きましたが、747-400と比較して、A380の方がずっと大きく、
しかも1席当りの燃費はA380の方が優れていることはボーイングも認めています。
各航空会社も、「そんなにイイヒコーキが出るんなら、ちょっと待ってそっちにしようかなぁ」
と考えるかも。
A380の登場があと10年早かったら、貨物型も開発され、
双方の生産数は随分変わっていたのではないかと。
ネット上には「A380はB747との競争に敗れた」的な論調の記事があります。
確かに総受注数(251機と1,572機)、生産年数(14年と50年)を見れば、747の圧勝なんですが、
デリバリー開始からの期間に限って見れば、A380の方がずっと売れてます。
A380がちっとも売れないのに、747は相変わらず売れ続けているのではなく、
超大型機の2機種が仲良く衰退している訳ですので、
どっちが勝った負けたではなく、敢えて何に負けたかといえば、
どちらも、「 時 代 に 負 け た 」んじゃないでしょうか(いいこと言った風)。
■貨物型
大ヒットとなった747-400の後を継いだ747-8は、
旅客型の受注が僅か47機に留まっており、既に全機引き渡し済み。
A380はつい先日「2021年で生産中止」と発表しましたが、
実は747だって、もうとっくに生産中止の発表があってもおかしくなかった訳です。
そうならなかったのは、747-8には貨物型があるから。
こちらは107機の受注があり、現在受注残の22機を細々と生産中です(2019/4現在)。
運ぶのが人なら、旅客機はある程度小さくても支障はなく、
むしろ経済性を求める航空会社のニーズとも合致しますが、
貨物の場合、モノがすごく嵩張ったり重かったりすると、
どうしても大型機でなければ運べません。
一連の記事で繰り返し述べていますが、大型機、そして4発機はコスト面で不利で、
これが超大型旅客機終焉の主因なんですが、
貨物機の場合、そうした大きなマイナスを差し置いてでも、
大型機でなければならない理由がある訳です。
一応アントノフに747より大型の貨物機はあるんですが、
これまで半世紀にわたり、モデルチェンジを繰り返しながら
1,500機超の売り上げを誇る絶大な信頼感と性能は唯一無二のものです。
元々747計画は、当時の米空軍の次期大型輸送機開発で
ロッキード案に敗れたところからスタートしました。
この時のボーイング輸送機案を見ると、機首をガバッと開けて積み下ろしが可能なように、
コックピットは上に設けられており、エンジンが4発なのは現在の747と同様です。
ただし軍用輸送機らしい高翼機で、現在の747とは大分印象が違います
(興味のある方は【Boeing CX-HLS】でググってみてください)。
747開発当時、ボーイングの社長は、「747は貨客兼用機としても売れる」と考え、
軍用輸送機案と同様、コックピットを二階に置き、機首を開けられるようにしました。
ノーズをガバッと開けて貨物の出し入れができれば、
胴体側面のカーゴドアからはとても入らないような長尺の貨物でも
積み込みができます(A380はこういう設計になってない)。
また、当時は近い将来超音速旅客機の時代が来るとされており、
ボーイングの開発者たちは、「そうなったら、747は貨物機に転用しよう」と考えていました。
結局超音速旅客機の時代は来ず、747が主役の時代が長く続きましたが、
その代わり今度は燃費の優れた双発の小/中型機の時代が到来。
今度こそ超大型旅客機は引退の時期を迎え、A380が一足先に生産中止を発表したのですが、
747は貨物専用の-8Fのおかげで首の皮一枚繋がっている状態。
「そうなったら、747は貨物機に転用しよう」という思惑が半世紀を経て活きたことになります。
でも当時の747開発者たちは、超音速機ではなく、まさか「ミニジャンボ」
と呼ばれた737(とその後の787等)が747を引退に追い込む存在にまで
発展を遂げることになろうとは、夢にも思わなかったんじゃないでしょうか。
■戦後のジェット旅客機開発
エアバス公式サイトに受注、引き渡し状況のページがあります。
それによりますとA380は、
確定受注合計:331
引き渡し合計:229
受注残数:102
となっています(2019年4月現在)。
ただしこの数字、2018年7月31日で更新が止まっています。
いろいろ検索してみるとこの最終更新の後、
2019年2月に入って、エミレーツ39機、カンタス8機、エアアコード3機、
アメデオ20機のキャンセルがありました。
また、UNDISCLOSED(未公開)となっている10機は、「香港航空」のキャンセル分
という情報もあり、これも含めると合計80機のキャンセルが出た計算に。
エアバスの公式データが更新されないので推定になってしまうんですが、
事実上A380の受注残は、エミレーツ19機とANA2機(2号機は6月デリバリーらしい)のみとなり、
A380の総受注数は、2019年4月時点で、251機と思います。
2016年にエアバスは受注が319機の段階で「機体として損益分岐点を越えた」
と発表していましたので、非常に厳しい状況となってしまいました。
■747のデリバリー数
747の年代別デリバリー数を出してみました。
2010年代はまだ途中の数字なのと、受注残数(22)も含んでいます。
1960年代 4機
1970年代 410機
1980年代 341機
1990年代 481機
2000年代 182機
2010年代(153)機
747のデリバリー開始は1969年末だったので、
実質1970年から始まったようなものなんですが、
こうして見ると、デビュー直後の1970年代よりも
1990年代の方が売れてるんですね。
-400のデリバリーは1989年~2009年まででしたから、
1990年代はまさに-400の黄金期です。
そして2000年代に入るとデリバリー数は一挙に落ち込みます。
(-400への切り替え需要が一巡したのが大きいんでしょうか?)
そして2010年代には燃費、航続性に優れた小/中型機の台頭により、
747も存亡の危機を迎えます。
■A380の方が3倍売れた
一方A380のデリバリー数なんですが、A380は2007年にデリバリー開始し、
2019年4月現在、総受注数は前述の通り251機(オイラ調べ)。
A380がデリバリーを開始した2007年から2019年までの期間に限ると、
747のデリバリー数と受注残の合計は、192機で、A380の方が多いです。
しかも747の数字には-8F(貨物機)の 107機が含まれますので、
747の旅客型に限ると、85機となります。
実は-400の貨物型もかなりの数生産されているんですが、
年別のデリバリー数が分からないため、計算に含めていません。
なので2007年以降の旅客型に限るともっと減ると思います。
つまり、同じ期間で比較すると、A380の方が3倍は売れています。
確実にその数だけ747の需要を奪いました。
「あと10年早ければ」という言葉がありますが、
仮にA380のデリバリーがあと10年早く1997年だったとしたら、
747-400が最高に売れた黄金期の後半に当ります。
前記事でも書きましたが、747-400と比較して、A380の方がずっと大きく、
しかも1席当りの燃費はA380の方が優れていることはボーイングも認めています。
各航空会社も、「そんなにイイヒコーキが出るんなら、ちょっと待ってそっちにしようかなぁ」
と考えるかも。
A380の登場があと10年早かったら、貨物型も開発され、
双方の生産数は随分変わっていたのではないかと。
ネット上には「A380はB747との競争に敗れた」的な論調の記事があります。
確かに総受注数(251機と1,572機)、生産年数(14年と50年)を見れば、747の圧勝なんですが、
デリバリー開始からの期間に限って見れば、A380の方がずっと売れてます。
A380がちっとも売れないのに、747は相変わらず売れ続けているのではなく、
超大型機の2機種が仲良く衰退している訳ですので、
どっちが勝った負けたではなく、敢えて何に負けたかといえば、
どちらも、「 時 代 に 負 け た 」んじゃないでしょうか(いいこと言った風)。
■貨物型
大ヒットとなった747-400の後を継いだ747-8は、
旅客型の受注が僅か47機に留まっており、既に全機引き渡し済み。
A380はつい先日「2021年で生産中止」と発表しましたが、
実は747だって、もうとっくに生産中止の発表があってもおかしくなかった訳です。
そうならなかったのは、747-8には貨物型があるから。
こちらは107機の受注があり、現在受注残の22機を細々と生産中です(2019/4現在)。
運ぶのが人なら、旅客機はある程度小さくても支障はなく、
むしろ経済性を求める航空会社のニーズとも合致しますが、
貨物の場合、モノがすごく嵩張ったり重かったりすると、
どうしても大型機でなければ運べません。
一連の記事で繰り返し述べていますが、大型機、そして4発機はコスト面で不利で、
これが超大型旅客機終焉の主因なんですが、
貨物機の場合、そうした大きなマイナスを差し置いてでも、
大型機でなければならない理由がある訳です。
一応アントノフに747より大型の貨物機はあるんですが、
これまで半世紀にわたり、モデルチェンジを繰り返しながら
1,500機超の売り上げを誇る絶大な信頼感と性能は唯一無二のものです。
元々747計画は、当時の米空軍の次期大型輸送機開発で
ロッキード案に敗れたところからスタートしました。
この時のボーイング輸送機案を見ると、機首をガバッと開けて積み下ろしが可能なように、
コックピットは上に設けられており、エンジンが4発なのは現在の747と同様です。
ただし軍用輸送機らしい高翼機で、現在の747とは大分印象が違います
(興味のある方は【Boeing CX-HLS】でググってみてください)。
747開発当時、ボーイングの社長は、「747は貨客兼用機としても売れる」と考え、
軍用輸送機案と同様、コックピットを二階に置き、機首を開けられるようにしました。
ノーズをガバッと開けて貨物の出し入れができれば、
胴体側面のカーゴドアからはとても入らないような長尺の貨物でも
積み込みができます(A380はこういう設計になってない)。
また、当時は近い将来超音速旅客機の時代が来るとされており、
ボーイングの開発者たちは、「そうなったら、747は貨物機に転用しよう」と考えていました。
結局超音速旅客機の時代は来ず、747が主役の時代が長く続きましたが、
その代わり今度は燃費の優れた双発の小/中型機の時代が到来。
今度こそ超大型旅客機は引退の時期を迎え、A380が一足先に生産中止を発表したのですが、
747は貨物専用の-8Fのおかげで首の皮一枚繋がっている状態。
「そうなったら、747は貨物機に転用しよう」という思惑が半世紀を経て活きたことになります。
でも当時の747開発者たちは、超音速機ではなく、まさか「ミニジャンボ」
と呼ばれた737(とその後の787等)が747を引退に追い込む存在にまで
発展を遂げることになろうとは、夢にも思わなかったんじゃないでしょうか。
■戦後のジェット旅客機開発
初飛行年 | メーカー | 機 種 | 座席数 | 生産数 |
1949年 | (英)デ・ハビランド | コメット | 36-79 | 112 |
1955年 | (仏)シュド・エスト | カラベル | 60-140 | 279 |
1957年 | (米)ボーイング | B707 | 147-195 | 1,010 |
1958年 | (米)ダグラス | DC-8 | 132-259 | 556 |
1959年 | (米)コンベア | CV880 | 110 | 75 |
↑ | (米)ボーイング | B720 | 149-170 | 154 |
1961年 | (米)コンベア | CV990 | 133 | 37 |
1962年 | (英)ホーカーシドレー | トライデント | 128-180 | 117 |
↑ | (英)ビッカース | VC-10 | 151 | 54 |
1963年 | (米)ボーイング | B727 | 150-189 | 1,831 |
↑ | (英)BAC | 1-11 | 89-119 | 230 |
1965年 | (米)ダグラス | DC-9 | 90-139 | 976 |
1967年 | (米)ボーイング | B737 | 115-130 | 1,021 |
↑ | (欄)フォッカー | F28フェローシップ | 60-85 | 241 |
1969年 | (英仏)BAC、シュド | コンコルド | 100 | 20 |
1971年 | (独)VFW | VFW614 | 44 | 12 |
↑ | (仏)ダッソー | メルキュール | 150 | 12 |
一応A300等ワイドボディ機就航以前のジェット旅客機を全部含めたつもりです。
座席数、生産数共に資料によって若干バラつきがあるのと、
この中で唯一生産が続き、未だに5,000機近いバックオーダーを抱えているB737は、
おおよそこの表で扱っている年代の-100、-200型機だけの数字です。
ご了承くださいませ。
この時代のジェット旅客機は、エンジンの数が2発、3発、4発と様々なんですが、
全て単通路型のナローボディ機で、座席数もおおよそ100席クラスで共通しています。
B707とDC-8なんて、4発機なのに100席台~なんですよね。
現代の感覚からするとビックリです。
表の通り、ジェット旅客機の歴史はイギリスのコメットから始まりました。
話が広がり過ぎてしまうので、東側以外の全メーカーを対象に表を作ったんですが、
全17機種全て西欧とアメリカのメーカーで占められています。
1955年初飛行のフランス製カラベルは、採算分岐点200機のところ279機も売って、
「商業的に成功」と評されており、
1963年のイギリスのBACワンイレブンも230機の生産で、
「イギリス製ジェット旅客機で最も成功」とされています。
1967年のオランダのフェローシップも241機生産されて採算分岐点
(225機とされていた)を超え、これをベースに続くシリーズが製作されました。
ただしそれ以外が、米国と比較すると文字通り桁違い。惨憺たる有様ですね。
最後の2機なんて、12機ですよ…(資料により諸説あり)。
ジェット旅客機で12機しか生産されないとか悪夢です。
ボーイング、エアバスの生産数に慣れている現代の感覚では、
このテの小型双発機なら数百機、数千機売れて当然。という感じなので、
「え、ナニ? 12機って…あっそうか! 試作機? 試作機だよね? エッ違う?
…じゃあ、すぐ派生型に生産移ったとか??」
なんて思ってしまうのですが、
VFW614は真面目に1,000機市場に投入するつもりでしたし、
メルキュールだってDC-9の後継機として、「1,500機は売れる!」
と本気で目論んでました。
開発したヒコーキの種類でいうと、米国の8に対して欧州は9で数は多いんですが、
生産数を比較すると、
欧州:1,077機
米国:5,660機
となり、米国製のシェアは84.0%に達します。
ということで、1950年代、1960年代の第一世代、第二世代のジェット旅客機製造競争は、
数字から明らかな通り、米国の完全勝利。
(主に)西側諸国の空には、米国製の100席クラスのジェット旅客機が
何千機も飛び回る状況となったのでした。
(今回で終わると思ったけど続きます)
座席数、生産数共に資料によって若干バラつきがあるのと、
この中で唯一生産が続き、未だに5,000機近いバックオーダーを抱えているB737は、
おおよそこの表で扱っている年代の-100、-200型機だけの数字です。
ご了承くださいませ。
この時代のジェット旅客機は、エンジンの数が2発、3発、4発と様々なんですが、
全て単通路型のナローボディ機で、座席数もおおよそ100席クラスで共通しています。
B707とDC-8なんて、4発機なのに100席台~なんですよね。
現代の感覚からするとビックリです。
表の通り、ジェット旅客機の歴史はイギリスのコメットから始まりました。
話が広がり過ぎてしまうので、東側以外の全メーカーを対象に表を作ったんですが、
全17機種全て西欧とアメリカのメーカーで占められています。
1955年初飛行のフランス製カラベルは、採算分岐点200機のところ279機も売って、
「商業的に成功」と評されており、
1963年のイギリスのBACワンイレブンも230機の生産で、
「イギリス製ジェット旅客機で最も成功」とされています。
1967年のオランダのフェローシップも241機生産されて採算分岐点
(225機とされていた)を超え、これをベースに続くシリーズが製作されました。
ただしそれ以外が、米国と比較すると文字通り桁違い。惨憺たる有様ですね。
最後の2機なんて、12機ですよ…(資料により諸説あり)。
ジェット旅客機で12機しか生産されないとか悪夢です。
ボーイング、エアバスの生産数に慣れている現代の感覚では、
このテの小型双発機なら数百機、数千機売れて当然。という感じなので、
「え、ナニ? 12機って…あっそうか! 試作機? 試作機だよね? エッ違う?
…じゃあ、すぐ派生型に生産移ったとか??」
なんて思ってしまうのですが、
VFW614は真面目に1,000機市場に投入するつもりでしたし、
メルキュールだってDC-9の後継機として、「1,500機は売れる!」
と本気で目論んでました。
開発したヒコーキの種類でいうと、米国の8に対して欧州は9で数は多いんですが、
生産数を比較すると、
欧州:1,077機
米国:5,660機
となり、米国製のシェアは84.0%に達します。
ということで、1950年代、1960年代の第一世代、第二世代のジェット旅客機製造競争は、
数字から明らかな通り、米国の完全勝利。
(主に)西側諸国の空には、米国製の100席クラスのジェット旅客機が
何千機も飛び回る状況となったのでした。
(今回で終わると思ったけど続きます)