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愛国釧路飛行場(愛国飛行場)跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2010年6月訪問 2022/1更新  


無題b.png
撮影年月日1947/11/22(USA M673 55) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

北海道釧路市にあった「愛国釧路飛行場」。

有名な釧路湿原のすぐ南側にあり、新釧路川左岸、河口まで3kmちょい、

釧路空港の東南東約15kmに位置していました。

当飛行場につきましては、長いこと「おおよそこの辺りにあった」としか分からなかったのですが、

■防衛研究所収蔵資料:「航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16.3 水路部」

の中に当飛行場の付図があり、上に貼った1947年の航空写真で似た地割はないかと探したところ、

やっと正確な場所を確定することができました。

2010年に現地にお邪魔して、多分この辺。と写真を撮った場所は完全にズレていました。

某サイト様でリンク貼って頂いていることもあって、改めてこちらでご紹介させて頂きます。

飛行場の南半分は現在すっかり住宅地になっているんですが、北半分はまだそれほど開発がされておらず、

L字型の着陸可能地区の地割が一部残っていました。

先頭のグーグルマップは、水路部資料の付図を参考に作図しました。

同資料に当飛行場の資料がありました。

以下引用させて頂きます。

愛国釧路飛行場(昭和15年8月調)
釧路市鳥取村字鳥取(釧路駅の北方約4粁)

所管 釧路市役所。
着陸場の状況
高さ 平均水面上約4米。
広さ及形状 本飛行場は総面積50萬平方米にして未だ整地中なり・着陸可
能区域は長さ東西約700米、幅南北約600米の略L字形地区なり(付図参照)。
地表の土質 沙を混ずる尋常土・泥炭地は約2米にして其の下部は良質な
る尋常土。
地面の状況 本場は西方新釧路川の土沙を盛土整地の上7頓「ローラー」
を以て転圧しあるも硬度十分ならず・中央部稍高くこれを中心として四囲に約
1/600の下り傾斜あり・全面植芝を為しあるも夏期は雑草繁茂し整理の必要あり
・排水施設としては地下に2本の主排水暗渠を東西及南北に設置し之に交叉す
る十数条の補助排水暗渠(内径約30糎のコンクリート管)を60-100米の間
隔を以て埋没し場内の溜水を周囲に設けある小排水溝より開渠(幅約4米)に
注がしむ、排水良好なり・日射及降雨に依る影響なきも冬季降雪の際は凍結し
尚雪解期には一時的に稍軟弱と為ることあり。
障碍物 区域内にはなし。
離着陸方向 北北東-南南西。
離着陸上注意すべき点 硬度充分ならず。
施設 吹流柱(高さ約8米)

周囲の状況
地勢一般 本場四囲は平坦広濶なる釧路平野にして遙北西に阿寒山系の高
峯連互し南東方は太平洋なり、釧路平野は釧路川及阿寒川に依り形成せる沖積
地にして釧路川下流は大なる湿地帯なり此の湿地帯は一望平坦荒蕪地にして地
表下2米位迄泥炭層をなし其以下は良質の尋常土にて形成せらる・場は此湿地
帯の南西部新釧路川東側に設備されたるものなり。
山岳丘陵 北方遥か遠く屈斜路、阿寒の火山群に属する西別、跡佐登、雄
阿寒、女阿寒等の諸火山峯聳ゆ・西方遠く白糠丘陵横たわり其の最高峯は「ウ
コタキヌプリ」山(高さ745米)なり。
堤防 場の西側に新釧路川の土堤あり高さ約3米なり。
河川 本場の東方には釧路川の支流雪裡川あり西方には新釧路川及旧阿寒
川流る・釧路川は屈斜路湖に源を発し断層谷を南東流し標茶付近にて方向を南
西に転じ坦々たる湿地を蛇行して本場の東方付近に於いて雪裡、幌呂川を合せ釧
路市に於て太平洋に注ぐ、舟筏の便に富み流域に於ける交通並に物資運輸の利
便を供す・場の至近西側を流れる新釧路川は場の北方約10粁付近にて釧路川
本流より分岐して釧路港外港北端に於いて海に注ぐものにして河口付近に於いて旧
阿寒川を合す尚河口東側海岸には東防沙堤あり。
建築物 本場の南西方付近に数箇の民家あり。
市街 場の南東方約3粁に釧路市あり全市は釧路平野の南東部釧路川河口
に在り、北海道東部随一の良港を有し其の大規模なる築港工事も完成に近く
十勝、釧路北見根室地方物質の集散市場として殷賑なり。
煙突 場の南西方約4.5粁に高さ約37米の王子製紙会社工場の煙突あり
電線 場の西側道路に沿い北東より南西に走る高さ約7米の電話線あり
着目標 釧路川、新釧路川、釧路市、王子製紙会社工場、放送局塔・本場
の南西方新釧路川の河口西側に在る王子製紙会社釧路工場の煙突(2基)は其
の煤煙に依り風向きを測定し得べく又浪花町に在る札幌鉄道局釧路工場、釧路川
南方高台にある、市役所、裁判所、警察署及之に隣接する博濟病院の塔、釧路
埼灯台等は好目標となる。

地方の状況
軍隊 釧路連隊区司令部(釧路市浦見町)南方約5.5粁。
警察署 釧路警察署(釧路市幤舞町)南方約5.5粁。
駐在所 鳥取村駐在所(釧路郡鳥取村)南西方約3粁。
支庁及役場 釧路国支庁(釧路市浦見町)南方約5.5粁。鳥取村役場(釧
路郡鳥取村)南西方約3粁。
医療 釧路市に医院10、病院1、鳥取村に医院1あり。
宿泊 釧路市に旅館約30(収容員数計約500)、鳥取村に旅館1(収容員数
約10)・近くに釧路市を控うるを以て宿泊至便なり。
淸水 付近農家に水量豊富水質良好なる井戸あり。
応急修理 釧路市に鐡道工場2、民営工場6箇所あり、又発動汽船を造船
し得る造船所及修理工場あり一時的応急修理程度ならば可能。
航空需品 釧路市に於て航空用燃料油、潤滑油及「ガソリン」等補給可能
・燃料油供給者は函館石油釧路支店、株式会社村上石油店、日米礦油釧路出張
所等あり。

交通運輸及通信
鉄道 新富士駅(根室本線)南西方約3粁・省線は東方根室に至り西方は
帯広を経て札幌及旭川に通ず又雄別炭鉱鉄道株式会社線は釧路市より鳥取村を
北西に貫き雄別炭山と連絡す。
乗合自動車 本場の南西方約1.5粁を通過する釧路乗合自動車の便あり・
最寄停留場は鳥取橋。
道路 本場の西側を南北に通ずる道路及釧路市内より本場に通ずる飛行場
専用道路あり共に自動車類の運行可能・西側道路は4箇所の橋により新釧路川
対岸との交通連絡あり。
港湾 釧路港は釧路川河口に位し防波堤及東防沙堤に依り囲まる、港内は
深水部狭隘なる為著々浚渫拡張中なり、本港は明治32年7月開港場と指定せ
られてより以来急速なる発展を遂げ北海道東部に於ける重要なる港湾なり・当
港を起点又は寄港地とする内外航路は最近急激に増加するに至れり。
車馬 釧路市に自動車(乗用55、貨物55 及荷馬車約140あり。
運送店 釧路市に約2あり。
電信及電話 鳥取郵便局(釧路郡鳥取村)南西方約2粁、電信及電話を取
扱う。

気象
本場は釧路市に隣接し海岸に近きも山稜海岸方面に連互し海霧の影響少く温度
も夏季極度に高温を示さず冬季は温暖にして積雪少し。
測候所 釧路測候所(釧路市幣舞町)南方約5粁。
地方風 最多風向は全年を通じ偏北風にして1月至3月及9月は北北東風
4月至8月は南風、10月、11月は北風、12月は西風なり・大正15年至昭和10
年10箇年間の統計次の如し。(以下、月別の最多風向、平均風速省略)
天候 大正15年至昭和10年10箇年間統計次の如し。
(以下、月別の快晴日数、曇天日数、降水日数、霧日数、雪日数省略)
釧路地方は夏秋の季節は雨霧多く殊に霧は北海道地方に於て最多なる地方にし
て7,8月は平均1箇月約15日間の濃霧ありと言う、其の濃厚なるものは太陽
の光を失い咫尺を辯ぜず甚しき時は6-8米を隔てて人影を見る能はず、而し
て霧は多く午後5時頃より発生し翌日午前9時頃迄に消散するを常とす。
気象特性 (1)冬季 (イ)天気変化の目安 南東方面の海岸に海鳴を聞
く時は天気不良の前兆又海上に群飛ぶ鷗が空高く陸上に群をなして飛ぶ時は時
化の前兆なりと言う・阿寒岳明瞭に視認し得る時及風向西變する時は天気良好
となる傾向あり (ロ)降雪及積雪 11月に於て微雪23日あり、降雪の継続時
間は2,3時間にして雨を含む雪多し、12月の降雪日は稍多く継続時間は約6,7
時間にして粉雪なり1月及2月間は各月12.3日にして2日位連続して粉雪の
降雪あり・12月至翌年2月間の積雪は風の為吹き溜ること多し・11月頃急激
な温度の変化と共に濃霧の来襲することあり・12月中旬より河霧の発生を見1
月及2月間は晴天にして気温零下10度以下に低下したる場合は夜半頃より午
前10時頃迄北北東風に送られ濃密なる河霧の発生を見る (2)夏季 (イ)天
気変化の目安 主として偏南風が卓越せる季節は天気不良勝なるも風向南より
南南東乃至南東に変化する時は濃霧又は雨となること多く南南西、南西となる
時は概して天気良好なり・3月より5月頃迄は早朝北寄りの風吹続し午前10
時頃より偏南風と為る此の場合に於ても北より南南東風乃至南東に変る場合天
気不良勝なり又北風及北北東風の場合不良勝なり・高気圧と天気との関係 高
気圧三陸沖合又は千島東海上に在る場合霧の発生多く高気圧の移動せざる限り
霧の消散すること殆んどなし (ハ)霧7,8月は1年中最も霧多く1日中にては
早朝最も多し、早朝発生せしものは日中一時消散又は薄らぎ夕刻より再び濃度
を増すこと多し、濃霧の継続時間は1-3時間にして1日中に於て数回濃淡を
繰返すこと多し・霧の明視距離は100-1,000米のもの最も多く100米以内と
なること極めて少し (3)天気変化の癖 当地方は海陸風の現象ありて夏季殊
に顕著なり、午前10時前後より風向一変し海上より陸に向い南風吹き夕刻急
転して反対に陸上より海に向い北風吹くを常とす而して1年間を通じ偏東風稀
にして夏季は東西に偏する風向甚だ少し。

其の他
本飛行場は釧路市の施設にして将来本島定期航空路開始の暁は帯広飛行場と共
に其の空港候補地たらしむるを目標とし目下整地中にして将来計画は西方及南
方に拡張して各辺1,000米となす予定なりと言う、現在航空設備全く備りあら
ず。


「地面の状況」の項目に排水施設についての記述があります。

飛行場敷地には2本の主排水暗渠、十数本の補助排水暗渠が設けられていて、

敷地を囲む排水溝から、最終的に幅4mの開渠に排水する、とあります。

加えて、新釧路川の土砂で盛土転圧もしています。

ただの更地なだけじゃなくて、ものすごく手間かけてますね(@Д@)

現在も更地になっている飛行場北側部分、掘り返せば飛行場当時の暗渠が出てくるんじゃないでしょうか。

住宅地になっている部分の地下は、上下水、ガス管等ライフライン整備の都合から、

完全に残っているとは考えられないんですが、もしかしたら残骸的な感じでも残ってるかも。

 
「其の他」の項目では、当飛行場が定期航空路開設を目標にしているとあります。

後述しますが、当飛行場の使用はたったの1回で終わってしまったとのことなんですが、

1回しか使われなかったのは結果論で、まだ整地中の昭和15年当時は、

「定期便の飛ぶ飛行場にするべさ!」という大きな目標があったのですね。

こんな本気の飛行場にする目標があるのなら、地盤改良、排水施設にすごい手間掛けたのも納得です。

また、定期航空路線開設のライバル(?)として「帯広飛行場」が挙がっています。

実は同じ水路部資料の中に、「帯広飛行場(昭和15年8月調)」があり、

「其の他」の項目には、

「本飛行場は帯広市の施設にして公共用陸上飛行場なり将来定期航空の発着場たらしむる計画とのことにて現在整地作業実施中なり」

とあります。

愛国釧路飛行場の「其の他」に出てくる「帯広飛行場」とは、きっとコレのことですね。

因みにこの「帯広飛行場」は、この後すぐに陸軍飛行場として転用されており、

陸軍の「帯広第二飛行場」となりましたので、こちらの名称の方が通りが良いと思います。

このように、定期便の飛び交う飛行場実現を目指す動きが昭和15年当時、この地方にはあったのですね。


以上が昭和15年8月調べの水路部情報なんですが、

ググってみますと、当飛行場について扱っているサイト様が幾つかあります。

それによりますと、

1938年、釧路市長は軍に飛行場建設を働きかけました。

同年調査、建設許可が出されたのですが、資金不足のため中止通達が出てしまいます。

その後、今度は道に働きかけ、釧路の経済界からの15万坪の土地と95,000円の寄付があり、

釧路市文苑、新釧路川左岸に飛行場を完成させることができました。

「愛国飛行場」の誕生です。

地元作成の「 鳥取地域の歴史について」というサイト様(下記リンク参照)の中で、当飛行場について触れられており、

愛国郵便切手寄付金が用いられたこと、現在の愛国という地名はこの愛国飛行場から取ったと思われること、

等記されています。
 
札幌から飛来機があり飛行場開きを行ったのですが、

貨物輸送での採算性、戦時下の燃料不安からたった1回の着陸、離陸で飛行場の使用は終わってしまいました。

飛行場はなくなってしまいましたが、「愛国」という地名が残りました。

この周辺には現在でも「愛国」という地名があり、愛国小学校等、「愛国」を付した諸施設があります。

無題3.png
撮影年月日1961/05/09(MHO611 C5 5879) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

当飛行場がいつまであったのかについてですが、

Wiki/愛国飛行場(釧路市)にはソース不明ながら、

戦後は民間飛行場となり、1961年の釧路空港開設に伴い廃止。とあります。

確かに国土地理院の航空写真を年代を追って見ていくと、1961年の写真では、

飛行場敷地がそのまま残っています。

但し、敷地を幾つかに区分けして使ってるように見え、飛行場っぽくないんですが。。。

当時ストリートビューがあれば良かったんですけどね~。
無題4.png
測量年 1958(昭33)(32-10-2-1 遠矢 ) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

昭和58年測量、昭和61年1月発行の地図。

昭和61年に廃港したとすれば、その3年前に測量したものです。

飛行場の地割はしっかり描かれていますが、「飛行場」という表記は無し。

地図の発行から間もなく廃止になることが決まっていたので、記載しなかった。とも考えられるのですが。

どうなんでしょう。



      釧路市・愛国釧路飛行場跡地      

愛国釧路飛行場 データ
所 轄:釧路市役所
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道釧路市文苑2-41
座 標:N43°01′34″E144°23′21″
標 高:4m
面 積:50ha
着陸帯:700m×600mのL字形
離着陸方向:北北東-南南西
(座標はグーグルアースから)

沿 革
1938年     市長が軍に飛行場建設を働きかけ。同年調査、建設許可
     11月 17日 資金がないため中止通達
       その後釧路市長は道に働きかけ、地元からの寄付により飛行場完成
1940年08月 この頃整地中
       採算性、燃料問題から閉鎖

関連サイト:
鳥取地域の歴史について 
北海道旅行・3 
帯広第二(市設帯広、音更)飛行場跡地 

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16.3 水路部」

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