岩手県・北上平和記念展示館 [├場所]
2019年9月訪問 2022/1更新
岩手県北上市にある「北上平和記念展示館」。
戦時中、長く地元で教師を務めた高橋氏は、戦地の教え子たちを励ますため故郷通信「眞友」を送り続けました。
返信として恩師の元に届いた軍事郵便は7,000通にも上ったのでした。
地元の農村から出兵した「農村兵士」たち。
作柄の心配、戦況や友の戦死報告、特攻隊員として出撃を待つ気持ちなど内容はさまざま。
当館には、それら軍事郵便や銃、衣服、教科書など戦時資料約400点が展示されています。
また、当館の北西約3kmにあった「岩手陸軍飛行場」についての非常に詳しい資料、
加えて、当館の南約12kmにあった金ヶ崎飛行場についての資料もあり、
それぞれの飛行場記事に反映させて頂きました(下記リンク参照)。
撮影しても構わないかどうかお尋ねしたら、
「どうぞどうぞ。宣伝してください」と温かい東北言葉で許可頂きました。
ありがとうございましたm(_ _)m
岩手県・北上平和記念展示館
北上平和記念展示館 データ
設置管理者:北上市
所在地:岩手県北上市和賀町藤根14地割147−3
沿革
2002年 開館
関連サイト:
公式サイト■
ブログ内関連記事
旅行記■
岩手陸軍飛行場■
金ヶ崎飛行場■
北楢岡飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2019年9月訪問 2022/1更新


左:測量年 1913(大2) 61-12-1 大曲 おおまがり■
右:測量年 1929(昭4) 61-12-3 大曲 おおまがり■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。2枚とも)
秋田県大仙市にあった「北楢岡飛行場」。
郷土の英雄、佐藤章氏縁の「六郷飛行場」の北西約19kmに位置しており、
佐藤氏が郷土訪問飛行を行った翌年の大正9年に陸軍の演習が行われた際、
ここに臨時飛行場を造ったのだそうです。
この情報は、美郷町民さんから頂きましたm(_ _)m
美郷町民さん、どうもありがとうございました。
現在、神岡野球場の前に「北楢岡飛行場跡」の標柱が立っています(グーグルマップ赤マーカー)。
上に2枚の地図を並べましたが、左が飛行場建設の7年前、右が飛行場建設の9年後。
X印は、標柱の位置です。
【使用前】【使用後】で、標柱の周辺に大きな変化は見られないですね。
ちょうど標柱の位置に大きめの道路が斜めに走っていますが、
そのどちら側も飛行場を建設するのに支障なさそうに見えます(つまりドッチが飛行場が分からない)。
では、この道路のどちら側に飛行場があったのか。ですが、
残念ながら現在のところこれ以上の情報がなく、不明です。
地図で見ると、標柱から南東方向に広大な土地が広がっているため、
飛行場はこっち方向(現在の野球場側)にあったのだろうか。と思ったのですが、
現地に建つ標柱は球場敷地ではなく、球場向いにある畑側にあり、
「北楢岡飛行場跡」と大きく記してある面を正面に見て立つと、
野球場に背を向ける恰好になり、目の前には広々とした畑が広がります。
(ストリートビューでも標柱とその周辺が見れます)
当時の地図上でも、標柱は道路の北西側(球場ではなく畑側)に位置しています。
X印の畑側の地割は、野球場側と比べて狭いんですが、
狭いといっても、500m四方のスペースは余裕であり、飛行場として使用するには充分だったかと。
そもそも大正九年に行われたのは、航空機の演習ではなく、陸軍師団同士の対抗演習でした。
つまりメインは陸軍演習だった訳で、飛行場は飽くまでサブ、臨時のものでした。
このことからしても、飛行場スペースは必要な広さが確保できれば、それで充分だったのではないかと。
以上の点から、飛行場はX印の北西方向(野球場じゃなく畑側)の可能性が高いと思います。
この標柱を建てた方が、「飛行場跡地を見渡せる場所に建てよう」
という意図を持っておられたのかどうかは知る由もないのですが、
全国アチコチの飛行場跡地の標柱や碑は、きちんと意味のある場所に建立されていることが多いです。
当北楢岡飛行場の場合、跡地は標柱の畑側だったのか、それとも野球場側だったのか。
果たしてドッチだったんでしょうか。。。



大正九年秋、県内で陸軍仙台二師団・弘前八師団の対抗演習が行われた時、ここに臨時飛行場を作って示威のため中島式、モーリアス・ファルマン式の飛行機を飛ばした。当時珍しかった「空飛ぶ機械」を見るため、小学生や一般人が訪れ未曾有の人出であった。


秋田県・北楢岡飛行場跡地
設置管理者:旧陸軍?
種 別:陸上飛行場
所在地:秋田県大仙市北楢岡向堀野
座 標:N39°29′49″E140°23′33″?
標 高:17.2m
(座標、標高は国土地理院から)
沿革
1920年 陸軍演習のため臨時飛行場建設
1993年 5月 標柱建立
関連サイト:
ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-■
佐藤章飛行士発着地■
六郷飛行場跡地■
ブログ内関連記事■
新潟県・笹岡航空基地(推定) [├場所]
2019年9月訪問 2022/1更新

撮影年月日1947/09/24(USA R226 148)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
新潟県の笹岡に建設計画のあった「笹岡航空基地」。
存在は以前から知っていたのですが、新潟県には現在の阿賀野市と三条市の両方に笹岡村があったため、
どちらの笹岡なのか長いこと絞り込めなかったのでした。
■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)の中に、
当航空基地の情報がありました。
以下引用させて頂きます。
位置:新潟県北蒲原郡笹岡
基地名:笹岡
最寄駅よりの方位距離:信越線水原駅E4
建設の年:1945
飛行場:方向NNE
主要機隊数:小型
主任務:退避
其の他 記事:工事中
基地の位置として、「新潟県北蒲原郡笹岡」、また最寄り駅は、「信越線水原駅E4」とあります。
これで、三条市ではなく、「現阿賀野市の笹岡」と確定したのでした。
オイラが日ごろ大変お世話になっておりますサイト「おお牧場はみどり!」(下記リンク参照)では、
笹岡航空基地の位置として、「郡山の北西110km」とあり、先の資料に出てくる「信越線水原駅E4」とは、
ビックリする程ピッタリ同じ位置を示しています(先頭のグーグルマップ青マーカー)。
ということで、この周辺にあったはずなのですが、上記資料では「工事中」とあり、
「おお牧場はみどり!」では、「未着工」とあります。
当基地はググっても他に資料がなく、滑走路の向きが北北東であること以外、
詳しい位置、滑走路の長さも不明で、
1947年の航空写真で周辺を見ても、オイラには滑走路跡らしきものは見つけられませんでした。
「工事中」といっても、実際には測量程度しかしてなかったのかもしれません。
それで、「主要機隊数:小型 主任務:退避」とあることから、滑走路の長さを600mx30mと仮定して、
当時の航空写真から飛行場適地を探したのでした。
先ず目についたのが、航空写真の(B)地点でした。
この周辺では比較的スッキリした環境で、しかも現在この周辺では唯一滑走路の向きと同じ地割になっています。
但し、ここに600mx30mの滑走路を建設するとなると、
防風林に囲まれた集落や道路に近接して非常に窮屈になってしまいます。
ということでオイラとしましては、航空写真の(A)の位置が最も適地なのではないかと思いました。
余談ですが、Wiki/笹岡村 (新潟県北蒲原郡)によりますと、
「1956年(昭和31年)9月30日 - 北蒲原郡神山村と合併し、笹神村となり消滅」
とありました。
前述の通り、現在は阿賀野市の一部となって残っているのですが、
終戦から間もなく村としては消滅してしまったんですね。
赤マーカー地点。
オイラとしては、ここから画面奥に向かって滑走路を建設しようとしていたのではないかと思うのですが。。。
新潟県・笹岡航空基地(推定)
笹岡航空基地(推定) データ
設置管理者:海軍
種 別:退避
所在地:新潟県北蒲原郡笹岡(現・阿賀野市蒔田?)
座 標:N37°50′29″E139°15′37″?
標 高:147m
滑走路:600mx30m?
方 位:01/19?
(座標、標高、はグーグルアースから)
沿革
1945年 工事中(未着工とする資料あり)
関連サイト:
おお牧場はみどり!■
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)
東北・2 [■旅行記]
2日目
4:00 起床
4:35 出発 15℃でした。
6:20 笹岡航空基地(推定)
実は数年前、自宅でここの飛行場の作図をしたんですが、
うっかり滑走路の向きを逆にしてしまいました(本当は/なのに、\にしてしまった)。
そしてその間違った地図を握りしめ、昨年現地にお邪魔して、
(おお、こっちの方向に…)なんて思いながら明後日方向を撮ってしまったのでした。
その後キチンと作図し直して、今回またお邪魔したのでした。
今度は間違ってないよ!(o ̄∇ ̄o)フフ
無事撮影終了。
次の目的地は秋田県の飛行場跡地なんですが、ここから約270km先です。
7:00 セブンでのり弁とヨーグルトの朝食
11:30 ローソンのお握り弁当と野菜ジュース
12:50 秋田県の北楢岡飛行場跡地
初めてお邪魔した場所なんですが、ストリートビューで見ていたので、初めてな感じがしない。
13:40 六郷飛行場跡地
ここは三度目だったんですが、案内板を撮りにきました。
今回撮った案内板は過去記事に追加してありますので、興味のある方はご覧くださいませ(下記リンク参照)


16時閉館だったのでギリギリでしたが、
職員さんからご親切にいろいろ説明を受けることができました。
次は太平洋岸の山田水上機基地跡地へ。
ここは去年も行ったんですが、被災後の大規模工事中で跡地に近寄れなかったため、
今年も行ってみることにしたのでした。
現場に到着する頃にはもうとっくに真っ暗なので、工事が完了して跡地に入れるか確認してみて、
入れなければ、すぐ次の目的地に移動開始し、
入れるようなら、そのまま留まって夜を明かし、明朝撮影するつもり。
17:30 給油
自宅最寄りのスタンドで給油してから762km。
本当はあと100km弱走れそうなんですが、田舎は閉店時間が早いのと、
明日も早朝から走り回るので、早目に給油しておくことに。
18:00 山田水上機基地跡地着
すぐに跡地に入れるか確認したんですが…まだ工事中でした。残念(;´Д⊂)

それを過ぎたら入れるのかしらん。
ここも下にリンク貼っておきます。
20:40 道の駅大家海岸着
途中から行程が完全に去年と一緒です。
去年もここの道の駅で車中泊したのでした。
去年利用した際、道の駅は国道の海岸側(上り線側)にありました。
で、海側を気にしながら走ってたら、道の駅は国道の陸側に移設していて、
危うくオーバーシュートするところでしたΣ(゚Д゚;)
自宅に戻ってから調べたら、防潮堤工事に伴い、国道の切り替え、道の駅の移設が行われていました。
去年は車内で眠りながら波の音が聞こえたんですが、今年は聞こえない。
21:15 寝る
おやすみなさい
本日の走行距離:
707km
今回の東北旅行では、全行程下道のみで、有料道路は使わなかったんですが、
本日は三陸道の無料区間をフル活用させて頂きましたm(_ _)m
六郷飛行場跡地■
山田水上機基地跡地■
(続きます)
東北・1 [■旅行記]
Ⓐ自宅→Ⓑ道の駅おぢや(車中泊)
9月の末に車中泊で東北を周ったのでした。
車中泊で跡地を周るのは昨年の6月以来、1年3カ月ぶりで、大分間が空いてしまいました。
1日目
12:55 自宅出発。最寄りのスタンドで給油。
午前中に仕事を終え、速攻で車の積み替えをして出かけました。
9月もすっかり下旬となり、朝晩は涼しいというか寒い位になったのですが、
日中はまだまだ暑く、自宅のある埼玉県鶴ヶ島市は連日30℃超えが続いており、今日も暑い日でした。
短パン半袖でも汗が出ます(XДX)
国道254号→17号で一路新潟へ。
16:40 月夜野道路情報ターミナルでトイレ休憩。
23℃で、短パン半袖だと、ちょっと肌寒い感じ。
ここから本格的に山岳道路になるのですが、標高が上がるごとに気温がぐんぐん下がり始め、
県境三国峠を越えて新潟県に入ると、13℃まで下がりました。
昼まで30℃で暑い暑い言ってたのに、オイラの服装は完全に季節外れです(゚Д゚;≡;゚Д゚)
念のためウインドブレーカーは持って来たんですが、長袖は持ってきてません。
新潟舐めてました_| ̄|○ il||li
明日以降、更に北上するのに大丈夫かしらん。
18:20 六日町のセブンで牛丼弁当
19:40 道の駅おぢや着 気温はちょっと持ち直して17℃だったので一安心。
ラジオで聞いたんですが、実はこの日の早朝、
南魚沼市でランニング中の男性がクマに襲われるという事件がありました。
恐ろしや。
20:00 寝る
おやすみなさい
(続きます)
本日の走行距離:233km