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中部、近畿、中国・5 [■旅行記]


Ⓐ道の駅日義木曽駒高原→Ⓑ電波天文台→Ⓒ佐久市中央図書館→Ⓓ東長倉小学校跡地→Ⓔ軽井沢ゴルフ倶楽部→Ⓕ軽井沢競馬場跡地→Ⓖ自宅


5日目

3:30 起床 8℃でした。やっぱり標高高くて寒い!


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上の2枚は道の駅敷地の奥にありました。

こんな場所なんですね~。

4:25 道の駅日義木曽駒高原出発

6:00 諏訪IC前のガストで朝食


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7:30 野辺山駅着

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最高の駅

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「東日本鉄道最高駅野辺山」

わざわざ東日本鉄道最高駅と書くということは、西日本には野辺山よりもっと最高の駅があるのかしらん。

なんて思ったんですが、帰宅してからいろいろググッてみても、やっぱりココが全国で最も高い駅みたいですね。

じゃあ、何でわざわざ「東日本」なんて断るんでしょうか??

もしかして、

「最高の駅があるのは、JR〇海や〇R西日本じゃなくて、我がJR東日本管内なんですよ~!」d( ̄∇ ̄*)エッヘン

てことなんですか?

それから、線路的にもっと高いのは、同じく小海線なんですが、ここから数キロ先なんだそうですね。

ちゃんと碑もあるそうです。

まあオイラは一般人なので行きませんけども(o ̄∇ ̄o)ニヤ


ではなぜ一般人のオイラが朝もはよから野辺山駅で写真撮ってるかというと、お土産を買うためです。

今回の旅行で行った最も遠い場所は広島なんですが、夜遅くに着いて、翌朝5時に出たので、

お土産を買うタイミングがなかったのです。

特に今回はアチコチに大量のお土産を買う必要があったので、

必要数を買うと、車中泊の際にスペースが非常に厳しいのといのも大きいです。

ということで、最終日の本日、如何にも観光地観光地しているココで買うことにしたのでした。

(帰ってから「広島の八ヶ岳に行ってきました」とか意味不明のこと言って渡すハメになった)


でも朝の7時台で、お店は閉まっています。

丁度駅前の建物裏手におられたおじいさんに、

(ロータリー反対側を指さして)「あそこの土産物屋は何時に開きますか?」

と尋ねたら、数秒の微妙な間が空いた後、「……多分9時頃じゃないかな」と言われました。

(なんでそんなにあやふや??)

と不思議だったんですが、実はオイラがお尋ねした建物は表から見ると、

ここもお土産物を売っているお店でした。ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ(ノ><)ノヒイィィ!!!!


(気を取り直して)ここに来たのはお土産を買うのともう一つ、本当はコッチが主目的なんですが、

この近くにある丸山の頂上にある(とされる)三重航空隊野辺山派遣隊の碑を撮るためでした(下記リンク参照)。

ということで、山頂に至る道はないかとあちこち歩き回ったのですが、結局見つかりませんでした。

お土産物屋の開店まではまだまだ時間があるので、丸山のすぐ南側にある電波天文台へ。

見学時間まで少し間があったので、お隣にある筑波大学が解放している「恵みの森」遊歩道の散策へ。

あわよくば丸山頂上に登ろう。という魂胆です。


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約30分間散策したのですが、結局丸山に近づくことはできませんでした(;´Д⊂)

天文台受付で尋ねてみたところ、

「丸山は筑波大学敷地なので、ここからは立入りできないですよ。役場に問合せしてみたらいいですよ」

とのことでした。


9時になったので、再び駅前のお土産物屋に行ってみると、丁度開店準備中でした。

こうして跡地巡りをしていても、いつもはそんなにお土産買わないんですが、

今回は親せきやお得意先等、36個のクッキーその他を買う必要があり、

備え付けの買い物カゴに入れ始めたのですが、カゴはすぐ一杯になってしまい、

同じクッキーを詰めたカゴがいくつも並ぶハメに(XДX)

次々と鬼のようにクッキーカゴを作り続けるオイラに見かねた店の御主人が、

奥から箱で出して下さいました。

最初から声掛けておけばヨカッタ。。。orz

車の後部を文字通りお土産で一杯にし、野辺山を後にして佐久市へ。

もう車中泊をするスペースはありません。

なんとしても今晩中に自宅に辿り着かねば。


ということで、航空図書館(佐久市中央図書館内)に寄りました。

その名の通り、ここには航空図書があるのです。

館内に入ったのは初めて。

せいぜい棚2つ分程度かと思っていたら、とんでもない蔵書数でした(@Д@)

これは数年掛りでないと、読みたいものすら読めそうにありません。

(こっ、これはもう、ここに引っ越すしか(゚Д゚;≡;゚Д゚))

佐久市に住民票を移そうと、早速役所に向かったのですが、

そういえば今日は日曜日だった。と我に返ったのでしたΣ(゚Д゚;)


現在オイラが個人的に所有しているヒコーキ関係の本、資料等は、

カラーボックス3つ分程度で、量はそんな大したことないのですが、

さるお方からお預かりしているもの、密林でぽちったもの等、

現在は絶版になってしまった貴重な書籍も数点あるのですが、

オイラの身に何かあった場合、これら貴重な書籍も含め、

恐らく家族が「うわぁ。。。」と半笑いでチリ紙交換送りにしてしまうに違いありません。

それで、どなたかこれらの書籍の価値を分かって下さっている方に託すか、

そうした方が見つからない場合は、ここの図書館に寄贈できないかしらん。

などと勝手に考えています。


その後軽井沢へ。

12:30 軽井沢の東長倉小学校跡地撮影

ここは昨年も来たんですが、撮影位置を間違えてたので、撮り直しに来ました。

その後、軽井沢ゴルフクラブ、軽井沢競馬場跡地を撮り、13:10 今回の旅行の撮影全て終了。

自宅に戻ることに。

東長倉小学校跡地と、軽井沢競馬場跡地は、過去記事を更新してあります(下記リンク参照)。

14:50 途中、群馬のおおぎやラーメン

16:50 自宅近くで給油を済ませ、帰宅したのでした。

長々とお付き合い、ありがとうございました。

(もう続かない)


本日の走行距離:309km
総走行距離:1,942km

関連記事:
三重航空隊野辺山派遣隊 
東長倉小学校跡地 
軽井沢競馬場跡地 


DSC_0150.jpgDSC_0151.jpg
今回の旅行では、「令和元年台風第19号」の爪痕をあちこちで目の当たりにしました。

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六甲飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2019年10月訪問 2022/1更新   


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撮影年月日1948/08/31(USA M84-1 52) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

兵庫県神戸市灘区を走る山手幹線。

ビルや住宅が所せましと立ち並ぶ文字通り幹線ですが、

第二次世界大戦後の昭和22~昭和24頃、六甲口交差点から石屋川までの間が、

「六甲飛行場」として駐留米軍が使用していました。

上に貼った航空写真は昭和23年のものなので、まさに飛行場として使用していた頃のものです。

また、広報誌「なだなだ」に飛行場当時の写真が掲載されています(下記リンク参照)。

この情報はミルキーさんから頂きました。

ミルキーさんありがとうございましたm(_ _)m


六甲台には当時、通称チューリップ村という将校ハウスがあって、周辺は米軍関係者の出入りで賑わっており、

これら米軍の生活用品、食料品などの輸送物資を運ぶのが主目的の飛行場だったのだそうです。

実際にグーグルマップで確認してみると、六甲口交差点から石屋川まで約840mの直線が続いていて、

小型機なら十分な長さと思います。

上に貼った航空写真はトリミングしてしまったんですが、元の航空写真で確認すると、

山手幹線は六甲口交差点の西側に向かって、都賀川のもっと先まで、約1,340mも直線が続いています。

広さも十分で、ここも滑走路として使用可能なように見えるんですが、

使用目的からして「この長さで十分」という米軍の判断だったのかも。

DSC_0090.jpg
赤マーカー地点。

六甲口交差点から石屋川方向。

ここをヒコーキが飛んでいたとは。。。



     兵庫県・六甲飛行場跡地         
六甲飛行場 データ
設置管理者:米軍
種 別:米軍用陸上飛行場
所在地:兵庫県神戸市灘区弓木町
座 標:N34°47′6″E135°14′31″
標 高:29.7m
滑走路:840m
方 位:07/25
(座標、標高、滑走路長さ、方位は国土地理院から)

沿革
1947年 この頃から1949年頃にかけて飛行場があった

関連サイト:
広報誌「なだだな」(リンク切れ)
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
神戸新聞総合出版センター 長島孝次氏著 神戸昭和レトロ集P125


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吉井川左岸福岡付近着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2019年10月訪問 2022/1更新   



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撮影年月日1947/12/15(USA M691 7) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

岡山県内を流れる吉井川沿いに「吉井川邑久滑空場」があります(下記リンク参照)。

この滑空場の上流約4kmの所に、昭和10年当時「吉井川左岸福岡付近着陸場」がありました。

■防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」に当着陸場の地図があり、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

吉井川左岸福岡付近(昭和10年6月調)
岡山県邑久郡行幸村大字福岡(吉井川左岸福岡ヶ原)

着陸場の状況
高さ 平均水面上約5米。
広さ及形状 着陸地域は長さ北東-南西約550米、幅北西-南東約100米
の(1)及長さ北東-南西約450米、幅北西-南東約80米の(2)の細長き両地
区なり(付図参照)。
地表の土質 硬質土を混ずる沙。
地面の状況 本着陸地域は吉井川左岸に位する福岡ヶ原と称する河原に在
り・地表は硬質土を混ずる沙地にして殆ど全面に芝及若干の雑草を生ずるも諸
処に芝採取跡の禿地あり・着陸地域内の地表は概して起伏なき平坦且堅硬地な
り・沙地なるを以て降水後雨水の滲透速にして地表軟弱と為ることなし・旱天
続く際には芝の僅少なる地域は枯れ気味と為るも地表の状況に影響なし。
場内の障碍物 着陸地域内にはなし。
適当なる着陸方向 両着陸地域の形状と付近周囲の地形との関係上着陸方
向は河流に並行方向なるを要す。
着陸上注意すべき点 着陸地域(1)の北東に架せる蘆田橋、同(2)の西方
対岸に在る高さ約20米の丘陵、吉井川を横断し着陸地域(1)、(2)間に架せる
高圧送電線及其の東側に在る高さ約8米の針葉樹に注意するを要す。
其の他
嘗て本処に軍用機及民間機数回不時着陸せしことありと言う。 

現在はすっかり痩せてしまいましたが、着陸場のあった場所は当時、

「福岡ヶ原」という広々とした河原だったんですね。

いつからいつまでここが着陸場だったか不明なんですが、

上に貼った1947年の航空写真では既に着陸場の地割は両方とも消えてしまっています。


DSC_0078.jpg

青マーカー地点。

備前大橋の上から(1)の着陸場方向。

当時はここから奥に向かって着陸場だったんですね~。


DSC_0073.jpg
赤マーカー地点。

下に降りてみた。

ここから奥に向かって(1)の着陸場でした。


DSC_0087.jpg
黄マーカー地点。

ちょっと場所が正確でないかもしれないのですが、この辺りから奥に向かって(2)の着陸場でした。


DSC_0088.jpg
着陸場の東側には美しいグリーンが広がり、


DSC_0080.jpg
福岡城址がありました。



     岡山県・吉井川左岸福岡付近着陸場跡地         
吉井川左岸福岡付近着陸場 データ
種 別:着陸場
所在地:岡山県邑久郡行幸村大字福岡(吉井川左岸福岡ヶ原) 現・瀬戸内市長船町福岡、八日市 岡山市東区一日市
座 標:N34°42′31″E134°05′08″
標 高:5m
着陸場:(1)550mx100m (05/23)、(2)450mx80m (05/23)
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1935年 この頃着陸場があった

関連サイト:
旅行記 
吉井川邑久滑空場 

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」


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岡山練兵場着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2019年10月訪問 2022/1更新  



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撮影年月日1947/10/07(USA R516-3 68) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

岡山駅の北約1.5kmに県総合グラウンドがあります。

ここはかつて岡山練兵場でした。

■「南国イカロス記 かごしま民間航空史」55pによれば、

大正元年12月20日から3日間、奈良原三次率いる一行による興行飛行が行われています。

操縦士は白戸栄之助、飛行機は奈良原式鳳号でした。

■防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」

の中に当着陸場の地図があり、先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

岡山練兵場(昭和10年2月調)
岡山県岡山市上伊福(岡山市北部)

着陸場の状況
高さ 平均水面上約4米。
広さ及形状 本練兵場は東西約700米、南北約400乃至600米にして総面
積約46萬平方米なり・着陸地域は図示の長さ北東-南西約500米、幅北西-
南東約140米の細長き平行四辺形の地区なり(付図参照)。
地表の土質 粘土。
地面の状況 本練兵場は水田埋立地にして多少の凸凹あるも概ね平坦地な
り・硬度尋常にして粘着性なく各種飛行機の離着陸に適す・殆ど全面に通稱道
シダ(羊歯植物)と称する根株大なる草及「クローバー」類密生す・着陸地域付
近は排水概ね良好なるも場周縁より内方約100米の地域は概ね不良なり特に図
示の東端より内方約70米の地区、南東側堆土付近の地区及南西隅付近の3地
区は排水不良にして地面諸処稍不齊なり・降雨は草地なる為全面的には影響な
きも大雨の際は諸処に水溜を生じ局処的泥濘と為ることあり。
場内の障碍物 着陸地域内にはなし・場内の北西部付近に徒歩障碍物、障
碍通過場、鉄條網、柵杭、記念碑、厠及高さ約10米の松の記念樹あり・南東
側に堆土あり・南側に乗馬隊障碍飛越場あり。
適当なる着陸方向及着陸上注意すべき点 北東又は南西・場の南西隅より
南西方約500米に高さ約50米の煙突1あり・練兵場は軍隊常時使用す。
其の他
本練兵場は民間定期航空路の不時着陸場にして軍用機及民間機屢使用す。 

ここは元々水田だったんですね。

周辺には県庁もあり、今からではとても想像つきません。

第二次大戦後、練兵場は接収され、米軍の飛行機発着場となりました。

上に貼った1947年の航空写真には、クロスした2本の滑走路的なものが見えますが、

これは米軍が建設したものではないかと。

DSC_0071.jpg
赤マーカー地点。

着陸場方向。

現在はこんな感じ。



     岡山県・岡山練兵場着陸場跡地         
岡山練兵場着陸場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:着陸場
所在地:岡山県岡山市上伊福(現・岡山市北区いずみ町)
座 標:N34°40′43″E133°55′03″
標 高:4m
滑走路:500mx140m
方 位:04/22
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1912年12月 20日から3日間、奈良原三次率いる一行による興行飛行実施
1935年   この頃練兵場内に着陸場が設定されていた
1945年   接収。米軍の飛行機発着場となる 

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」
「南国イカロス記 かごしま民間航空史」


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