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樺太・小能登呂飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2022/1更新(未訪問)  



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(昭和18年7月24日撮影)高度2,000米 方位NE
1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 63, 8 May 1945, photographs of airfields of Karafuto-Hokkaido and Aomori. Report No. 3-d(52), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)
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1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases. Report No. 3-d(54), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)


樺太真岡郡小能登呂村(このとろむら)にあった「小能登呂飛行場」。

樺太の飛行場はオホーツク海側に寄りがちなんですが、当飛行場は間宮海峡に面していました。

■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録(樺太の部) 大東亜戦争第1復員局」

の中に当飛行場の付図があり、先頭のグーグルマップはこの付図から作図しました。

滑走路跡はしっかり残っているのですが、現在は廃墟となっています。

戦後の一時期、ソ連軍が改修を加えてコストロムスコエ基地として使用していました。

他サイト様には、恐らくソ連軍時代ではないかと思われる地図を閲覧することが出来るのですが、

誘導路等いろいろと違いが見られます。

先頭のグーグルマップの薄紫のシェイプは、付図では点線で描かれている部分で、特に説明はありませんでした。

戦後の地図等で見ても、この部分は特に誘導路等なく、地割も残っていないことから、

もしかしたら計画だけで結局建設しなかったのかもしれません。

現在誘導路、施設等の地割は(オイラが見る限り)残っておらず、ほとんど付図だけを頼りに作図しました。

飽くまで上記資料に載っている「日本軍当時の飛行場」ということで、ご了承くださいませ。

また同資料内に当飛行場に関する情報がありました。

以下引用させて頂きます。

位置
樺太小能登呂町

気象
気温最低零下二十度
内外積雪平均二十糎

交通 其の他
小能登呂駅より約二粁
冬期間は積雪の為除雪滑走
路以外は使用不能なり

■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

にも同じ要図と情報がありました。




     樺太・小能登呂飛行場跡地         
小能登呂飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:樺太真岡郡小能登呂村(現・ロシア サハリン州 ホルムスキー・ライオン)
座 標:N47°17′22″E142°00′01″
標 高:5m
滑走路:1,200mx100m
方 位:12/30
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録(樺太の部) 大東亜戦争第1復員局」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」


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