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台湾・湖口陸軍演習場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




台湾新竹県湖口(ここう)郷にあった「湖口陸軍演習場」。

昭和14年当時、この演習場内に着陸場が設定されていました。


「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、

湖口(南)が連合軍によりELG(Emergency Landing Ground:緊急著陸場)に分類されていました。

■防衛研究所収蔵資料「航空路資料第10 台湾地方飛行場及不時着陸場 昭和15年4月刊行 水路部」

に着陸場の図があり、先頭のグーグルマップはこの図から作図しました。

ただし、非常にアバウトな図のため、目測で位置決めをしたら、なんかそれっぽい場所に当った。

という程度のものですので、ご了承くださいませ。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

湖口陸軍演習場(昭和14年2月調)
新竹州新竹郡湖口庄大字番子湖(湖口駅の南西方約3.5粁)

本演習場は湖口庄大字番子湖及其の南東側に接する同庄大字埔頂坪の一部を含
む長さ東西約7粁、南北最大約2粁の東西に長き演習場にして砲兵戦闘射撃に
主要されつゝあり・従来軍用機及民間機の離着陸場として使用しつゝある地域
は本演習場の中央部陸軍庁舎の南東方俗称を長臺高地と謂ふ・以下当地域に就
き記述す。

所管 臺灣軍
着陸場の状況
高さ 平均水面上約150米。
廣さ及形状 着陸地域は陸軍庁舎の南東方約0.4粁標高150米台地付近に
して概ね図示の長さ北東-南西約800米、幅北西-南東約200米の平行四辺形
地区なり(付図参照)。
地表の土質 赭粘土。
地面の状況 本場付近一帯は平坦にして起伏なくほとんど草地なり・着陸地
域は堅硬地にして中央部稍高く夫より北東及南西両方向に向け緩徐なる下り傾
斜を成す・排水極めて良好なり・芝地なるを以て日射又は季節等に因る影響少
きも降雨の際は地表稍軟化し盛上り勝なるも離着陸に支障なし・鉄道線路北側
は水田多し。
場内の障碍物 着陸地域内にはなし・展望台は夜間の離着陸には注意を要
す。
適当なる離着陸方向 1年を通じ北東風多きを以て南西より離着陸するを
可とす。
離着陸上注意すべき點 着陸地域の両端即ち東北東及西南西は長台高地の
周縁に接し中央部中高なる故場端より着陸するを可とす。
施設 格納庫、航空標識等なし・演習場の北側旧縦貫道路に沿ひ陸軍庁舎
あり高さ約4米にして飛行場より低きを以て支障とならず。

周囲の状況
高地 着陸場は高地(台上)に位し概ね平坦なる堅硬地なり其の外周南東
方を除く三方向は斜面を成す、付近樹木は一般に飛行場面より高きこと2米に
して着陸場障碍となることなし・場の至近四周は南東方の茶畑を除く外殆ど草
地なり其の外方は凹地をなし地表一般に不斎なり即ち南東方を除く北、西、南
方は着陸地の標高より遥に低し・場の南西側付近を長台と、更に其の南西方を
地獄谷と俗称す・場の北西方約2粁に円山(133)孤立し遠望顕著なり又北東方
約4粁長岡嶺付近には揚梅庄付近より連互せる丘陵突起す。
著樹 場の南西隅より南西方約0.5粁地獄谷南側に高さ約10米の独立樹
(濶葉樹)あり「高台の木」と称す其の他付近には灌木粗生す。
河海沼地 場の西南西方約13粁に旧港泊地あり支那型船の繋留に適する
も半潮以上に非ざれば小舟と雖も出入し難し・旧港至新竹間は道路平坦にして
軽便鉄道通ず・場の南方約5粁に西流する鳳山渓及北東方約0.5粁に小流あり
・縦貫道路以北付近一帯には耕作用溜池(埠)密集す・場の南東側に接し長池と
称する細長き湿地帯(池としての形状を備へず)あるも飛行場外に在るを以て
障碍とならず。
建築物 場の北隅153米高地の西方約150米に高さ約20米の砲兵用実弾
射撃観測展望台ある外至近に建物なし・北方約0.4粁道路に沿ひ陸軍庁舎あり
東より西に向ひ主管宿舎、医務室、幹部室、兵舎(数棟)炊事場、倉庫、厩舎
及南側に火工作業場、弾薬庫あり最高建築物は庁舎にして高さ約4米なり。
電線 場の北方約0.4粁に揚梅庄より新竹市に至る道路(旧縦貫道路)に
沿ひ北東-南西に架する高さ約7米の普通電線あり着陸地域面よりも低位に在
るを以て離着陸に支障とならず。
着目表 縦貫線、縦貫道路、鳳山渓、新竹市街、円山、陸軍庁舎。

地方の状況
演習場庁舎 北東隅に演習場主管舎宅あり(建築物欄に詳記す)。
軍隊 付近になし・台湾歩兵第1連隊、台湾山砲兵連隊(台北市旭町)北
東方約50粁。
憲兵 臺北憲兵隊(台北市乃木町)北方約50粁。
警察署 新竹警察署(新竹市東門町)、新竹州警務部警務課(新竹市表町1
丁目)南西方約12粁。
派出所 湖口警察官派出所(新竹郡湖口庄湖口)南西方約2粁。
役場 湖口庄役場(新竹郡湖口庄湖)南西方約2粁、新竹州庁(新竹市
表町1丁目)南西方約12粁。
医療 場内に医務室あり・湖口庄下北勢(北西方約4粁)に医院(本島人
経営)2あり・新竹市内に官立医院、私立医院各1、開業医30あり(昭和13年
版新竹市要覧に依る)。
宿泊 陸軍庁舎内に10箇中隊約1,500名及馬匹約135頭を収容し得る設
備あり・新竹市街に相当の設備を成せる旅館約6(収容人員数計300)あり。
清水 庁舎構内に水質良好水量豊富なる井水あり。
応急修理 構内に火工作業場あり・新竹市内に簡単なる鉄工所あり。
航空需品 新竹市内にて「ガソリン」類補給可能・湖口庄北勢所在の油業
所と預め連絡し置かば相当量供給を受くることを得。

交通運輸及通信
鉄道 湖口駅(縦貫線)約3.5粁。
乗合自動車の便あり毎日約6回往復す・最寄停留所(約2粁)は「演習
場入口」にして新縦貫道路と庁舎北側を通ずる旧縦貫道路との交差点付近な
り(付図参照)。
道路 場の南西側付近より北方陸軍庁舎に通ずる幅約2.5米の飛行場専用
道路(西方道路と称す)あり自動車の通行可能なるも坂道の最大傾斜約10度
にして雨天の際は地質軟弱の為通過困難なりと謂う毎年約2回道路を改修す又
場の中央部より陸軍庁舎に通ずる中央、東方の2道路あり僅に単独兵の通過可
能なるも幅小にして最大傾斜約20度あり車輛の通行不可能なり・場の北東方
約1粁付近より北上し湖口駅に至る道路は幅約4乃至5米にして自動車の通過
可能なるも荒廃す・臺北より湖口を経て新竹に至る縦貫道路は陸軍庁舎北東
方約400米(標高121.9)付近より西方に変更し、縦貫鉄道も北方約3粁に移設
せられ現在は路盤を残すのみなるも自動車類の運航可能なり。
車馬及運送店 湖口庄下北勢に自動車(乗用1、貨物1)湖口庄湖口に牛馬
1あり湖口庄下北勢に運送店2あり(昭和12年7月末調)。
電信及電話 主管舎宅に電話の設備あり。

気象
測候所 臺灣総督府新竹測候所(新竹市花園町)南西方約12粁。
地方風 夏季は南西風、冬季は北東風なるも1年を通じ北東風最も多し毎
年9月至翌年2月頃迄は風速約10米の北東風続吹すること多し・暴風期は8、
9月にして其の威力大なり・冬の季節風は強きを以て注意を要す。
昭和6年至10年5箇年間統計に拠る月別(1)最多風向及(2)平均風速次の如
し。(以下データ省略)
本場の南西方約12粁に在る新竹市における最近10箇年間の平均風速は3.4米/秒
なりと謂う。
天候 雨期は1月至4月間にして台北市に比し降雨少し・昭和6年至10
年5箇年間統計に拠る月別(1)快晴日数、(2)曇天日数、(3)降水日数次の如
し。(以下データ省略)
霧は2月に多し。
新竹市における最近10箇年間の平均天候(1箇年)は快晴70、晴天143、曇天86
雨天66なりと謂う。
地方特殊の気象 毎年9月頃より翌年5月頃迄は北東季節風強く1月頃よ
り6月頃に至る間は比較的降雨多しと謂う。

其の他
本場は昭和12年演習の際陸軍航空基地として使用し重爆撃機、偵察機及戦闘機
離着陸せしことありと謂う・飛行第8戦隊(高雄州屏東市所在)所属期は訓練
の為本場を屡使用す・本場の外方周囲は凸凹地及斜面地なるを以て着陸場として
適当ならざるも手入しあり常時使用し得と謂う。




     台湾・湖口陸軍演習場跡地         
湖口陸軍演習場 データ
所 管:臺灣軍
種 別:演習場内着陸場
所在地:台湾新竹州新竹郡湖口庄大字番子湖(現・新竹県湖口郷中興村)
座 標:24°52'10.1"N 121°02'52.4"E
標 高:150m
滑走路:800mx200m
方 位:06/24?
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1937年 演習の際陸軍航空基地として使用

関連サイト:
盟軍記載的二戰臺灣機場(21コマ) 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「航空路資料第10 台湾地方飛行場及不時着陸場 昭和15年4月刊行 水路部」


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台湾・桃園飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




台湾の桃園(とうえん)にある海軍桃園基地。

かつては日本陸軍の「桃園飛行場(龍潭飛行場)」で、末期には特攻隊の出撃がありました。


「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、

当飛行場は連合軍によりMAD(Medium Bomber Airfield:中爆撃機飛行場)に分類されています。

現在台湾の空の玄関口となっている桃園国際空港が北側に隣接しています。

■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

に日本陸軍当時の飛行場の1/25000要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。

実はこの要図、1,500mx1,500m、飛び出ている部分は1,800mという長さは記されているのですが、

ドコにあったかについては、「桃園駅の斜め上らへん」としか描かれておらず、

現地を含め様々なサイト様からやっと、「海軍桃園基地は元日本軍の飛行場だった」と知りました。

ということで、要図に示されているサイズの飛行場を現在の基地の敷地内に無理なく配置できるとしたら

こんな感じかなぁ。という場所に落ち着けてあります。

きっと位置は間違えてますが、現在の基地や、すぐ北にある国際空港と大きさの比較はできるのではないかと。

要図には情報欄もあるのですが、位置の項目しかなく、しかもそれが記載無しという。。。




赤マーカー地点。

2016年のTwitterで、隼、疾風等40機が今も保存されているという書き込みがあったのですが、

オイラには見つけられませんでした。

もっと後の時代の展示機はこんな感じであるのですが。。。




     台湾・桃園飛行場跡地         


桃園飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:337 台湾 桃園 大園区 大海里
座 標:25°03'15.6"N 121°14'27.0"E
標 高:45m
飛行場:1,500mx1,800m(不定形)
(座標、標高はグーグルアースから)

関連サイト:
盟軍記載的二戰臺灣機場(21コマ) 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

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台湾・宜蘭(北)飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




台湾の宜蘭(ぎらん)県宜蘭市にあった「宜蘭(北)飛行場」。

公共用飛行場として建設された飛行場なのですが、末期の時期に大幅に拡張し、特攻機の出撃基地となりました。

当飛行場の開場については、アジ歴/「宜蘭飛行場開場の件」で閲覧することができます(下記リンク参照)。

台湾軍参謀長から陸軍次官に宛てた書簡の中で、

「昭和11年6月30日工事完成。7月15日開場式典」

とあります。

また、アジ歴/「島内定期航空開始に関する件」によれば、同年8月1日~29日まで、

島内定期航空運行に先立ち、台湾島内完熟飛行が計画されました(下記リンク参照)。

この計画には、当宜蘭飛行場も含まれており、

大日本航空が運航する島内循環定期航空路線の1つとなっていました。


■防衛研究所収蔵資料「航空路資料第10 台湾地方飛行場及不時着陸場 昭和15年4月刊行 水路部」

に当飛行場の図があり、先頭のグーグルマップはこの図から作図しました。

私的な話になってしまいますが、こうした図等の防衛研究所資料は、

防衛研究所資料閲覧室の複写室にて撮影するのですが、

冊子本を開いた丁度真ん中に滑走路図の西側部分がかかっていて、

冊子を力ずくで真っ直ぐに押し広げるなんて真似はとてもできず(本当はやりたいけど)、

写真ではすごい3Dになっているものを無理やり2Dに作図したため、

精度はかなり悪いと思いますが、おおよそこんな感じと思います。

2本の滑走路が組み合わさっていますが、現在も道路になんとなく滑走路の形跡が残ってますね。


この2本の滑走路、資料ではそれぞれA,Bとして区別されていて、

北東-南西方向([右斜め上])の方がメインのA滑走路、北西-南東方向([右斜め下])の方がサブのB滑走路でした。

同資料に情報がありましたので、以下引用させて頂きます。

宜蘭飛行場(昭和14年2月調)
臺北州宜蘭郡宜蘭町全六結字五結(宜蘭街の西方約1.8粁)
所管 宜蘭街
着陸場の状況
高さ 平均水面上約10米。
廣さ及形状 本飛行場は長さ北東-南西約800米、幅最大約200米及長さ
略東西約800米、幅約150米の地(総面積約25.8萬平方米)なり・着陸地域
内には図示の如く北東-南西及東西方向の両滑走路ありて北東-南西方向滑走
路(長さ約550米、幅約50米)の地区を最適とす(付図参照)。
地表の土質 砂を混ずる壌土。
地面の状況 畑地を飛行場として整地せしものにして地表転圧しある
を以て凸凹起伏なき平坦地なり、A滑走地区(南東側地区)は北西側に、B滑
走地区(西方地区)は南東方に夫夫下り傾斜(勾配約1/180)あり故にAB両滑
走区域の傾交する付近は豪雨の際瀦水となる箇所あり(付図参照)・滑走路は
砂利(空中より視認し得)にて転圧しあり平坦且堅硬なり・場の北東方及南西
方付近の未整地箇所は地表軟弱にして處々に裸地あり・西側練兵場に接する
地区は飛行場拡張予定地なり・場外周囲に排水溝を設け場中央付近に北東-南
西に走る暗渠あり集水桝を埋没しこれに雨水を注入せしむ・滑走路地区を除き殆
ど全面に芝、雑草を生ず・地面の状況は日射または季節などに因り特に変化なき
も降雨期には水溜を生じ地表軟弱となり乾燥期には表面粗□(髪の下が友ではな
く松)となる箇所あり(目下整地工事計画中)・場内西側に地名標識「ギラン」あり。
場内の障碍物 着陸区域内にはなし。
適当なる離着陸方向 北東又は南西、西北西又は東南東。
離着陸上注意すべき點 場の南東側を通ずる西〓堤防(高さ約3.5米、幅
約3.5米)及北西方約1.7粁に孤立せる枕頭山(72)は離着陸の際注意を要す
・西方に隣接せる陸軍練兵場は平坦なる芝地にして着陸場と誤認せざる様特に
注意を要す又飛行場との境には排水溝あり而して練兵場内の一部には塹壕及鉄
條網構築しありて着陸不可能なり之が警戒の為紅旗を掲揚しあり。
施設 飛行機格納庫なし・大日本航空株式会社臺北支所宜蘭出張場(高さ
約5.5米)・信号(吹流)柱(高さ約12米)・ギラン測候所飛行場出張所風速塔
(高さ約10米)・砂利敷滑走路(厚さ約5乃至7糎の砂利敷舗装)・地名標識
「ギラン」あり。

周囲の状況
山脈、丘陵及水田 本場は宜蘭街の西方約1.8粁に在りて宜蘭川の右岸に
位す付近は濁水渓の流域たる蘭陽平野にして東方は一帯に開豁なり又約8粁を
隔てて太平洋に臨む・西方には北方より南西方に向ひ連互する山脈ありて距離
約3粁にして其の山麓に達す、北西方約3.3粁に標高307米の高地及約1.7粁
に孤立せる高さ約72米の枕頭山あり・場の周囲は概ね水田地なり。
竹林 場外村落處處に竹林あり場の南西方のものは高さ約13米にして北
側周縁付近のものは約12米更に其の北方宜蘭川南岸付近のものは約15米あ
り。
並木 南東方を北東-南西に走る宜蘭街至三鬮間道路の両側に高さ約5米
の並木あり、北東方塵芥焼却場の西側を略南北に通ずる道路両側のものは高さ
約9米あり。
堤防 本場の南東側外苑に沿い高さ約3.5米の西〓堤防あり。
河川 濁水渓の支流宜蘭川(河端約120米)は場の南西より來り北西隅を
半圓徑に廻りて北東方に流る・場の北西方に高さ約6米の西〓橋あり。
煙突 北東方約2.3粁に煉瓦製造会社の高さ約36米の煙突及東方約1.2
粁に専売局酒工場の高さ約30米の煙突あり・場の東方火葬場に高さ約9.5米
及塵芥焼却場に高さ約15米の煙突あり。
建築物 飛行場に至る専用道路の西側に宜蘭測候所飛行場出張所(風速塔
高さ約10米)、入口付近に日航宜蘭出張所其の西隣に高さ約13米の信号(吹
流)柱あり、場の北東隅付近に塵芥焼却場、記念碑(高さ約4.2米)あり。
電線 場の東方に通ずる宜蘭市街至三星間道路に沿ふもの及之より飛行場
専用道路に沿ひ場内出張所に通ずる高さ約7米の電線及電話線あり。
着目標 宜蘭街、宜蘭川、地名標識「ギラン」。

地方の状況
軍隊 臺灣歩兵第1連隊宜蘭分屯中隊(宜蘭街坤門)東方約1.4粁。
警察署 宜蘭郡警察課(宜蘭街坤門)東方約1.4粁。
派出所 巡査派出所(宜蘭街坤門)東方約2粁。
役場 宜蘭郡役所(宜蘭街坤門)東方約1.5粁、宜蘭街役場(宜蘭街坤門)
東方約1.8粁。
医療 宜蘭街に医院約8あり・官立宜蘭病院及宜蘭陸軍分院は相当の設備
を有す。
宿泊 宜蘭街に内地人経営の旅館7(収容員数計300)あり。
清水 場内及宜蘭街に上水道の設備あり。
応急修理 宜蘭街に鉄工場4(内3は旋盤設備を有す)あり一時的応急修
理程度ならば可能なり。
航空需品 宜蘭街にて「ガソリン」潤滑油類少量ならば需むることを得。

交通運輸及通信
鉄道 宜蘭駅(宜蘭線)東方約2.4粁。
乗合自動車 宜蘭街より飛行場東側を経て三星に至る昭和自動車株式会社
の乗合自動車の便あり約1時間毎に発車す・最寄停留場(約0.15粁)は飛行場
前なり。
道路 場の南東方約200米に在る道路は巾約15米にして宜蘭街より三星
方面に至る、自動車類の運航可能なり又これに連絡する巾約10米の飛行場専用
道路あり。
舟艇 宜蘭川は傳馬船の運航可能にして河口に近く東港あり河口を東港口
と称し高潮時支那型船入河するを得。
車馬 宜蘭街に自動車(乗用約5、貨物約8、荷馬車約30、外に「リヤカ
ー」約653あり。
運送店 宜蘭駅前に丸通運送株式会社等約8あり。
電信及電話 宜蘭郵便局(宜蘭街宜蘭)約2粁、電信及電話を取扱ふ・飛
行場内に電話あり。

気象
測候所 宜蘭測候所(宜蘭街)東方約2.7粁、航空気象を観測す・目下飛
行場に測候所分室設置の計画あり。
地方風 当地方における季節風次の如し、冬季季節風は10月至翌年3月
間北東風吹続し11月至翌年2月間強烈なり但し隅隅支那朝鮮等の方向を低気
圧が通過する際は消滅することあり、夏季季節風は5月至8月間南西風吹続す
るも其の風力極めて微弱にして冬季の比に非ず但し颱風は概ね毎年襲来す8
月最も多し。
・昭和12年至13年2箇年間の統計に拠る月別(1)最多風向及(2)平均風速
次の如し。(月別データ省略)
天候 冬季吹続する北東季節風は西方に連互する山岳に接触し連日降雨を
□し恰も内地の梅雨の如き天候となることあり・夏季は天候概ね平穏なり。
昭和12年至同13年2箇年間の統計に拠る月別(1)快晴日数、(2)曇天日数、
(3)降水日数次の如し。(月別データ省略)
霧は3月至5月最も多し。

其の他
本飛行場は昭和11年7月公共用陸上飛行場として許可せられたるものにして
設置期間は昭和11年7月1日至同21年6月30日なり・目下臺灣島内循環定
期航空路の中間寄港地にして大日本航空株式会社の輸送機寄航し旅客及郵便物
の輸送を行ひつつあり・毎日東西両廻各1回往復発着す・昭和12年4月8日
陸軍軽爆撃機故障のため不時着せしことありと謂ふ。





■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

に1/10,000の要図があり、上のグーグルマップはこの要図から作図しました。

サブのB滑走路、廃止になっちゃったんですね。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

位置
 台北州宜蘭市全六結(宜蘭市西北約一粁)
滑走地区
 滑走地区は従来更に東西方向に幅二〇〇米長さ
 五〇米の一方向ありしも既に之を廃し荒廃地化
 しありて使用不能なり 
 砂質壌土平坦にして芝密生しあり
 「ギラン」の文字標識あり明瞭なり
 雨期(一二月-三月)排水困難なり
飛行場
 周囲開闊しあるも宜蘭川及南東側堤防(高
 五米)障害をなし目下一方向の滑走地区は
 辛して小型機の使用可能
気象
 竹風蘭雨の如く新竹方面に風吹けば宜蘭
 雨となり比較的雨量多し
交通
 宜蘭市に至る道路あり
 宜蘭線宜蘭駅より台北市に通ず
其の他
 宜蘭川堤防気象上の障害等民間の定期航
 路としても不適当なりしものヽ如く当市付
 近に設くるとせば更に宜蘭市東方地区を可
 とせん
 所管宜蘭市に属す

2本あった滑走路が1本に減ってしまい、縮小したように見えるのですが、

其の他に記されている文言が一部フラグとなり…




こちらは、U.S. Army Map Service,/Giran から作図しました(下記リンク参照)。

青マーカーの辺りから北東に延びているのが元々A滑走路のあった「宜蘭飛行場」。

ご覧の通りで、南側にV字滑走路、そして南西にも滑走路が建設されました。

一気に滑走路が増えた事に目を奪われがちで目立たないんですが、

元祖A滑走路、800mから1,700mへと、こちらも大拡張しています。

宜蘭の飛行場が3つになったため、元々の「宜蘭飛行場」は「宜蘭(北)飛行場」となり、

それ以外も「宜蘭(南)飛行場」、「宜蘭(西)飛行場」として区別されるようになりました。

「宜蘭(南)飛行場」と「宜蘭(西)飛行場」については、別記事で取りあげます。



    台湾・宜蘭(北)飛行場跡地        
・宜蘭飛行場(1939年調) データ
所 管:宜蘭街
種 別:公共用陸上飛行場
所在地:臺北州宜蘭郡宜蘭町全六結字五結
座 標:24°45'14.9"N 121°44'16.8"E
標 高:10m
飛行場:北東-南西約800mx約200m、東西約800mx約150m
面 積:25.8ha
滑走路:A550mx50m(05/23)、B500mx50m(11/29)
(座標、B滑走路長さ、方位はグーグルアースから。他は資料から)

・宜蘭飛行場(1944年資料)  データ
所 管:宜蘭市
種 別:陸上飛行場
所在地:台北州宜蘭市全六結
滑走路:800mx200m
方 位:05/23
(方位はグーグルアースから。他は資料から)

・宜蘭(北)飛行場(1945年地図) データ
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾宜蘭県宜蘭市泰山里
標 高:9m
滑走路:1,700m?x250m(05/23)
方 位:05/23
(標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1936年06月 30日 工事完成
    07月 15日 開場式典
    07月 公共用陸上飛行場として許可
    08月 1日~29日まで台湾島内完熟飛行
1937年04月 8日 陸軍軽爆撃機故障のため不時着
1941年    南飛行場建設
1945年08月 終戦
1946年    国民党防衛部隊の管理下におかれる


関連サイト:
太平洋戰爭下日本陸軍於高雄地區的機場整備與航空隊部署 
アジ歴/「宜蘭飛行場開場の件」 
アジ歴/「島内定期航空開始に関する件」 
U.S. Army Map Service,/Giran 
ブログ内関連記事


この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」
防衛研究所収蔵資料「航空路資料第10 台湾地方飛行場及不時着陸場 昭和15年4月刊行 水路部


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台湾・台北飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




台湾台北市松山区にある「台北松山空港」。

約30km西に新設された台湾桃園国際空港に主役の座を譲るまで、長く台湾の空の玄関口でしたが、

元々は日本統治時代に建設された「台北飛行場」でした。


「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、

当飛行場は連合軍によりMAD(Medium Bomber Airfield:中爆撃機飛行場)に分類されています。

「建設の施工企画 ’12.6 日本統治時代台湾における台北飛行場建設」というサイト様に、

当飛行場の図と情報があり(下記リンク参照)、先頭のグーグルマップは、この図から作図しました。

精度にあまり自信がないのですが、おおよそこんな感じと思います。

同サイト内の情報を以下引用させて頂きます。

(3)台北飛行場
 台湾本島では軍部によって屏東・鹿港・花蓮港・台東の諸地方に着陸場が開設された。しかしながらいずれの着陸場も,単に航空機の着陸に供するための最低限の設備しか有していなかった。そのため本島には軍部によって整備されたもの以外に 「飛行場と稱するものがない狀態」 であった。そこで台湾総督府は台北に空港を設置することとし,1932 年に予算を計上,翌年には台北市東部の約 14 万坪の敷地を整備し台北飛行場とすることを決定した。その後同飛行場は1935 年同面積全部の整地を完了し,翌 1936 年に第一期工事が竣工している。そして内台間定期航路が開始したことで同飛行場は空港として使用されるに至った。

現行の空港と比較するとかなり小さいのですが、当時の公共用飛行場としては、福岡第一、羽田に次いで、

第三位の規模であったと同サイト様にありました。

こうして臺灣総督府により、台北市東部に建設された飛行場だったのですが、

その後拡張が続けられることになります。




■防衛研究所収蔵資料「航空路資料第10 台湾地方飛行場及不時着陸場 昭和15年4月刊行 水路部」

に昭和14年(1939年)の資料と図があり、このグーグルマップはこの図から作図しました。

1936年に建設された飛行場の敷地をスッポリと覆うように着陸地域

(上のグーグルマップ・グレーのシェイプ)となっています。

また、斜めに2本の赤線が引いてありますが、北の赤線の北側、南の赤線の南側がそれぞれ「工事中」と

図に書かれており、大幅な拡張が計画されている様子が分かります。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

臺北飛行場(昭和14年2月調)
臺北州臺北市頂東勢(臺北市街の北東方約5粁)

所管 臺灣総督府
着陸場の状況
高さ 平均水面上約6米
廣さ及形状 本飛行場は東西の長さ北部に於て約1,350米、中央部に於て
約700米、南部に於て約250米の略三角形地(総面積119萬平方米)なり・着
陸地域は長さ西南西-東北東約1,200米、南西-北東約900米(但し西南西端
中央部は建築物敷地に因り二分され其の各々の幅約170米なり)、北西-南東
約550米(敷地全面)の略V字型地なり(付図参照)。
地表の土質 砂を混ずる硬質粘土。
地面の状況 着陸地域(旧飛行場地区)は堅硬なり場の南北に目下整地工
事中の新拡張区域あるも未だ一帯に軟弱なり・場は概ね凸凹起伏なき平坦地な
るも中央部に於て略北方に向け極めて緩徐なる下り傾斜を成す・場内の排水設
備は完備し略東西に走る4條の暗渠と之と直行する数條の排水暗渠あり其の表
面は「コンクリート」造の蓋石を以て覆はる(付近地表と同一面を成す)又其
の中間に地表水集道路(約100米等間隔に南北方向に舗装し空中より視認し
得)を設け場内の水を周縁を繞る排水溝に導く・降雨及季節に因る影響なく
日射のため乾燥せば幾分の亀裂を生ずるも離着陸上の支障とならず。
場内の障害物 着陸地域内にはなし・着陸可能区域と新拡張区域との境界
に高さ約0.7米の仮場周表示燈(200ボルト、100ワツト)あり。
適当なる離着陸方向 西南西-東北東、南西-北東。
離着陸上注意すべき點 北方及南東方に山岳近接す・着陸可能区域を示す
仮場周表示燈あり。
本飛行場規定中特に注意すべき諸項(抜粋)概ね次の如し。
第一條 離陸の際は風向きに正対するを原則とす。
但し静穏の際は吹流の下に次の区別に依り旗を掲げ離陸法を指示するものと
す。
色別 風向
白  東
青  南
赤  西
黄  北
旗の中央の文字は着陸方向を示すものとす。
第2條 着陸の際の方向指示其の他空地連絡は次の如き空地連絡布板信号
に依る。
臺北飛行場使用規定別表
 空地連絡布板信号
  信号        意味
  T          着陸差支なし。
  Tの上にカタカナのハ 直ちに着陸せよ。
  Tの上に横棒1(〒)  注意し着陸せよ。
  Tの上に横棒2    着陸装置に異常あり注意せよ。
  Tの上に×      着陸待て。
摘要 1.布板設置場所は吹き流し信号柱付近とす。
   2.T字布板と補助布板との間隔は約2米を置くものとす。
   発煙 着陸待て。
摘要 状況に応じ布板信号と併用するものとす。
備考 降雪時は赤色若は黒色を用ふるものとす。
第3條 離着陸のための旋回は北北東方より南南東方の間の風向に対しては
右回りとし其の他の風向きの際は左回りとす。
施設 場の南西側建物敷地内に大日本航空株式会社臺北支所(高さ約10
米)、飛行場事務所、大日本航空株式会社格納庫(高さ約20米)(西側に格納庫建
築中)、計量器格納庫、信号(吹流)柱(高さ約20米)、油庫、海軍兵舎数棟(高
さ約8米)、発動機工場自動車庫、国防義会航空部格納庫、気象臺飛行場出張
所(高さ約10米)あり・場の南西方周縁に長波無線方位測定所、短波無線方
位測定所及磁気測定所(高さ約6米)等あり・夜間着陸可能区域表示の為其の
周縁に約200米等間隔を以て仮場周表示燈(高さ約0.7米)設置しあり又新拡
張区域に場周表示燈(高さ約1米)設置工事中なり・新区域の各隅6箇所に着
陸場照明燈(高さ約0.5米)あり。

周囲の状況
山脈丘陵及水田 付近一帯は淡水河及基隆河流域の平野にして周囲は水田
多く開豁なり・場の北西方より右回りに南東方に至る間は西流する基隆河あり
之を隔てて場端より外方約2粁乃至4粁付近より山麓となり直ちに標高を増し
山岳重畳連互する地帯となる。
建築物 場の外周北西方東勢付近の民家は高さ約6米にして夫れより右回
りに北東方上塔悠警察官吏派出所付近民家は高さ約6乃至10米あり南方のも
のは高さ約6米あり・飛行場建物敷地付近のものは施設蘭参照。
河川 東方より北方を隔てて西流する基隆河あり又場の外周處々に小渓存在
す。
煙突 場の北西端より北西方約1粁に高さ約40米の圓山煉瓦工場煙突及
場の東端より東方約1粁に臺灣煉瓦株式会社松山工場の煙突(高さ約20米1
基、約40米3基)あり頂上に紅色障碍燈を設置す。
電線 飛行場建物敷地内より南西方及場の南方を松山変電所に至る高さ約
8米の電線あり。
着目表 基隆河、縦貫道、臺北市街、松山市街。

地方の状況
軍隊 臺灣軍司令部(臺北市書院町)南西方約6粁・臺灣歩兵第1連隊、
臺灣山砲兵連隊(臺北市旭町)南西方約5.5粁。
憲兵 臺北憲兵隊臺北憲兵分隊(臺北市及木町)南西方約6粁。
警察署 南警察署(臺北市大和町)南西方約4粁。
派出所 上塔悠警察官吏派出所(臺北市上塔悠)北東方約0.2粁。
役場 臺北市役所(臺北市樺山町)南西方約4.5粁。
医療 臺北医院(臺北市明石町)南西方約5粁・日本赤十字病院(臺北市
東門町)南西方約5粁・臺北衛戊病院(臺北市南門町)南西方約6.5粁。
宿泊 場の西側に接し士官宿舎及兵舎数棟あり相当の人員を収容し得・近
くに臺北市街を控ふるを以て宿泊至便なり。
清水 場内に上水道の設備あり。
応急修理 場内に発動機手入工場、器材庫などの一般修理施設あり・臺北市
街に完備せる修理工場あり。
航空需品 場内に油庫数棟あり・日本石油株式会社臺北販売店(臺北市本
町4丁目)(南西方約5粁)に於て「ガソリン」類を需むることを得。

交通運輸及通信
鉄道 臺北駅(縦貫線)南西方約5粁・松山駅(縦貫線)南東方約4粁。
乗合自動車 臺北市街より松山に至る市営「バス」の便あり、最寄停留所
は飛行場入口(約1.7粁)なり・臺北市を基點とし基隆市を終點とする臺灣総
督府交通局鉄道部の局営「バス」の便あり。
道路 南方約1.5粁を東西に走る縦貫道あり之に連絡する飛行場専用道路
は場の南西隅より延長す幅約10乃至13米にして自動車類の運航可能なり・場
の北側より東方は梶頭に四方は臺北市に至る道路あり。
運航 北方及東方を流るる基隆河は傳馬船の運航可能なり。
車馬 臺北市に自動車(乗用車614、貨物888、特殊46)荷馬車13、牛車
109あり。
運送店 臺北市内に日東商船組臺北支店、日本通運株式会社臺北支店、臺
灣運輸業組合、臺灣海運株式会社其の他約50あり。
電信及電話 場内外に海軍臨時特設に係るものあり(付図参照)・場内に
電信及無線局に通ずる直通電話あり・臺北郵便局(臺北市京町)南西方約5粁、
電信及電話を取扱ふ。

気象
測候所 臺灣総督府気象臺飛行場出張所(場内)、航空気象を主とする気象
観測を実施す・臺北観測所(臺北市文武町)南西方約5.5粁、普通気象を観測
す。
地方風 東風・夏季は南北及西風吹くことあり。
大正15年至昭和10年10箇年間の統計に拠る月別(1)最多風向、(2)平均風速
次の如し。(以下月毎のデータ省略)
統計に拠れば暴風期は7,8月頃にして雷電は6,7及8月頃多し。
颱風 本島は颱風進路に当るを以て概ね毎年其の襲来を受くること多く其
の襲来を月別として示せば8月に於て最も多く38%を示しその進行方向より
見るに一は比律賓群島呂宋の北東若は其の東部の洋上に起り北西に進みて本島
を横断するか又は南端或は北端を掠めて通過し支那大陸に入るものにして其の
回数最も多く其の勢力亦最も猛烈なり此の外東部海上を北進するものあるも孰
れも前者に比すれば回数少なく概して勢力微弱なり。
天候 12月より翌年3月中旬までは雨期にして6月より8月の間は「スコ
ール」多く雷雨を伴ふ豪雨あり。
大正15年至昭和10年10箇年間の統計に拠る月別(1)快晴日数(2)曇天日数
(3)降水日数次の如し。(以下データ省略)
霧は12月至翌年3月多し。
地方特殊の気象及天気予察の俚諺 1.冬季 北東季節風季中は臺灣北部は陰
雲なる天候なるも稍規則的に1週間目位に太陽を見る日あり・季節風は約4,5
日の週期にて風向順転す、即ち北風より始まりて北東、東風となり此の時風勢及
雨量共最大にして南東風にて晴間を見、南風にて晴るるも南西となりて曇り爾
後雨となるときは北部海上に低気圧発生せる兆候なり、而して此の低気圧が東
北東に動き出すや約5,6時間晴れ次で偏北の季節風吹始め小雨となる・季節
風期には午前10時及午後10時頃気圧の最高を示す時刻に天候一般に良好とな
り始め午後2時及午前2時頃は雲量急激に増加する特徴あり。
2.夏季 颱風襲来前の天候は颱風南洋に発生し沖縄、南部洋上に来襲する
迄は風向東上して疾風程度となり終日快晴にして日射強く高温なり、上層風は
東南東又は編東風にして熱雷雨は全く消滅し視界最大となる・颱風本島北部洋
上を西行するときは北西、西、南西の風向は強風以上颱風程度に達し豪雨とな
り、北東又は北風は疾風程度にして時々驟雨となることあり(南部洋上を西行
するときは南東風強く概して雨なく晴天多し・颱風臺灣付近を去り上層風南西
風5%程度の時は午後熱雷の発生多し。
3.其の他 臺北は四季を通じ南又は北風弱く東又は西風強し・上海方面よ
り東方に進む低気圧九州に接近するときは降雨となり揚子江より上海方面に来
る間は天気は一般に快晴となること多し・低気圧九州方面に存在し不連続線本
島北部を通過するときは降雨となり雷(界雷)を伴ふ此の種の雷は6月に最も
強く3,4月頃及10月頃発生す・熱雷の発生する前兆は午前11時頃より周囲
山地に積雲発生し次で平地の上空に薄雲発生漸次発達し優勢なる積乱雲に進展
す但し単に山地の積雲のみにては雷雨とならざることあり、熱雷発生のときは
約3日間連続し第1日は午後1-2時頃より始まり、翌日及翌々日は約1時間位づ
つ発現時刻遅る。

其の他
本飛行場は昭和10年9月25日公共用陸上飛行場として設置を許可せられたる
ものなり・臺灣島内循環線定期航空路の起点終点飛行場にして大日本航空株式
会社の輸送機発着し旅客及郵便物の輸送を行ひつつあり目下毎日東西廻各1囘
発着す・新拡張区域は昭和14年4月整地完成せるも裸地にして着陸不可能な
りと謂ふ。

この資料によれば、昭和14年2月の時点では、飛行場の北側、南側はそれぞれに拡張工事中であり、

先頭のグーグルマップに赤線で示しましたが、かなり細い三角形の形状でした。

付属施設の位置は変わらずなので、着陸地域はこの付属施設の北側から東北東方向1,200m、

もしくは付属施設の南側から北東方向900mとするか、

これは明記していないのですが、付属施設の東側の開けた場所で北西から南東方向に550m

とあります。

大日本航空が島内循環線定期航空路を運行しており、その起点終点飛行場だったんですね。




■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

に当飛行場の要図があり、このグーグルマップはこの要図から作図しました。

恒風は、夏期が西風、冬期が東風とありました。

また飛行場敷地について、東西1,400m、南北1,360m、滑走路1,000x100m と書き込みがありました。

要図自体がアバウトなもののため、「当時はこの辺りにこんな大きさの飛行場があった」。

程度のものですのでご了承ください。

1つ上の1939年のマップでは、敷地の北側と南側が工事中で、着陸不可能のため、

中央部分が飛行地区として広く使用されていました。

1944年資料のマップでは、工事もすっかり完了し、

滑走地区は敷地北側の一か所のみに集約されたようです。

同資料にあった情報を以下引用させて頂きます。

位置
臺北市頂東勢(基北市東方約四粁)
滑走地区
滑走地区 東西一、〇〇〇米 南北一〇〇米
地表面は概ね平坦にして堅硬芝密生しあり
付属施設
格納庫四棟 兵員収容 八〇〇名(陸軍) 六〇〇名(海軍)なる庁舎あり
水道整備あり
大日本航空会社(修理工場)(小修理可能)あり
飛行場
四周水田にして北方約二,五〇〇米に高さ三十米の
煙突四本あり注意を要す
気象
冬季天候不良視度十分ならざること多し
但し淡水河又は基隆-基北間の隘路口よ
り進出せは概ね飛行に支障なし
交通通信 航法施設
台北-基隆道に飛行場専用道路連絡す
縦貫線基北駅東北方約五粁松山駅西
北約三粁
対空無線電信所あり
其の他
(記載無し)

飛行地区が大きく変化したことについては、特にコメント無しですね。




U.S. Army Map Service, 1944-1945 Taihoku-Matsuyama

から作図しました(下記リンク参照)。

■「地図で読み解く台湾」によれば、この地図は戦争末期の時期に、

台湾の爆撃を目的に米軍が偵察写真を撮り、これに基づいて作成された地図とのことです。

恐らくこれが日本統治時代の飛行場の最終形態ではないかと。

滑走路のレイアウトだけ見ると、1936年飛行場発足当初のものに近く、

こうして見ると、台北飛行場は非常に目まぐるしく変化を続けたのですね。

東西方向の滑走路延長のためと思われますが、飛行場敷地北西部分が拡張されています。

戦後の台北飛行場について、Wiki/台北松山空港によれば、

1945年、日本の敗戦による台湾統治終了とともに国民政府(中国国民党)の管轄下となり、台湾の国際・国内航空路線の中心的な空港となった。のちには日本航空とチャイナエアラインによる羽田空港、伊丹空港、福岡空港などを結ぶ路線が設定されている。1979年に国際空港として中正国際空港(現・台湾桃園国際空港)が開港されてからは、国内線専用となった。

とありました。




     台湾・台北飛行場跡地         
・臺北飛行場(昭和11年) データ
所 管:臺灣総督府
種 別:公共用陸上飛行場
所在地:中華民国臺北州臺北市頂東勢
標 高:6m
面 積:46.86ha
飛行場:950mx850m略三角形地
滑走路:第一号線900m(08/26)、第二号線700m(15/33)
(飛行場長さ、方位はグーグルアースから。他は資料から)

・臺北飛行場(昭和14年2月調) データ
所 管:臺灣総督府
種 別:公共用陸上飛行場
所在地:中華民国臺北州臺北市頂東勢
標 高:6m
面 積:119ha
飛行場:東西1,350m~250mの略三角形地
着陸地域:1,200mx170m(07/25)、900mx170m(05/23)、550m(14/32)
(方位はグーグルアースから)

・台北飛行場(1944年当時) データ
種 別:陸上飛行場
所在地:臺北市頂東勢
面 積:128ha?
滑走路:1,000mx100m
方 位:10/28?
(面積、方位はグーグルアースから。他は防衛研究所資料から)

・台北松山空港(現在) データ
運営者:民用航空局、空軍
種 別:軍民共用
3レター:TSA
4レター:RCSS
所在地:中華民国台北市松山区
座 標:N25°04′10″E120°33′06″
標 高:5m
面 積:182ha(民間航空エリア:83ha)
滑走路:2,605m×60m(アスファルト)
磁方位:10/28
運用時間:0600-2300(台湾標準時)
(座標、面積は公式サイトから。他はWikiから)

沿革
1932年     飛行場建設のため予算計上
1933年     台北市東部約14万坪の敷地を整備し飛行場とすることを決定
1935年09月 25日 公共用陸上飛行場として設置許可
1936年     第一期工事竣工
     03月 台北飛行場開港
1939年04月 新拡張区域整地完成
1945年08月 終戦。国民党政府の管轄となる
1950年04月 16日 民間空港として開港

関連サイト:
空港公式サイト 
建設の施工企画 ’12. 6 
盟軍記載的二戰臺灣機場(21コマ) 
U.S. Army Map Service, 1944-1945 Taihoku-Matsuyama 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「地図で読み解く台湾」
防衛研究所収蔵資料「航空路資料第10 台湾地方飛行場及不時着陸場 昭和15年4月刊行 水路部」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」


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マーシャリング全国導入へ [■ブログ]

マーシャリング全国導入へ 

(USO通信・時事)


  「誘導の仕方がバラバラで分かりにくい」-以前からドライバーの苦情が絶えない道路誘導について、一部地域で実施した試験運用の結果、ドライバーの感想がおおむね好評であることから、マーシャリング(飛行機の地上誘導)をアレンジした方式を全国導入する。1年間の準備期間を設け、来年度から実施の計画。

  道路誘導には国家資格があるが、国家資格者を配置しなければならないのは、高速道路や国道等に限られる。このためそれ以外の道路では、必ずしも誘導員が国家資格を有しておらず、新人の教育は各会社に任されており、新人のバイトが簡単な説明を受けただけで誘導を行っているケースもあるのが現状。

  このため、先輩から教えられ方式、我流が混在し、有資格者であっても、ベテランほど基本から離れてしまう場合があり、誘導の方法は統一されていない。このため、ドライバーにとっては混乱を来すことがあり、
道路誘導について尋ねたアンケート(複数回答)では、「行っていいのか止まれなのか分かりにくいことがある」(72%)、「合図がバラバラで分かりにくい」(63%)、「危ないと感じたことがある」(48%)等の声が寄せられている。
昨年末都内で発生した観光バスとタンクローリーの関係した大事故は記憶に新しい。

  こうした状況を改善するため、飛行機の誘導を行う際に用いられるマーシャリングを道路用にアレンジし、一部地域で1年間の試験運用を行ってきた。実際にマーシャリングによる誘導を体験したドライバーへの聞き取り調査でも、
「非常に分かりやすい/分かりやすい」(92%)と高評価であることから、1年間の準備期間を設け、全国導入に踏み切る。公道での道路誘導を行う際は、この統一された方式で誘導を行うことが求められる。

  大臣は発表の席上、「全国の道路誘導員にこの方式を導入していただくご負担を強いることになるが、事故防止の観点からご理解ご協力を賜りたい」と述べた。


警視庁:道路誘導に係る事故資料 
車用にアレンジしたマーシャリングの様子 

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