SSブログ

台湾・旧鹿港陸軍飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




台湾中部、台中市の南西に位置する鹿港(ろっこう)鎮にあった「旧鹿港陸軍飛行場」。

■防衛研究所収蔵資料「航空路資料第10 台湾地方飛行場及不時着陸場 昭和15年4月刊行 水路部」

に1/10,000の図があり、先頭のグーグルマップはこの図から作図しました。
(位置決めと飛行場敷地は、U.S. Army Map Service,/Rokkoを使用しています。下記リンク参照)

飛行場敷地の南側が非常に個性的ですね。

U.S. Army Map Serviceをご覧いただければ分かりますが、

当時は「鹿港渓」という川が蛇行しており、これが天然の境界になっていました。

資料の中にも出てきますが、この鹿港渓、かなりやんちゃだったようで、

時代により蛇行具合が激しく変化しています。

防衛研究所資料の図は、おおまかなもので、位置決めが難しいため、

飛行場敷地に関してはU.S. Army Map Serviceを使用せざるを得なかった。というのが実情です。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

鹿港陸軍飛行場(昭和14年8月調)
臺中州彰化郡鹿港街(鹿港街の西方約1.4粁)

所管 臺灣軍

着陸場の状況
高さ  平均水面上約4.5米。
廣さ及形状  本飛行場は南北約1,000米、東西約500米の南北方向に細長
き地区(総面積約50萬平方米)にして南側は鹿港渓の氾濫の為常に不規則なる
地形を成す・着陸地域は場の略東半部概ね図示の長さ南北約650米、東西約300
米の長方形地区なり(付図参照)。
地表の土質  細砂を混ずる黒色粘土。
地面の状況  本場は鹿港渓河口近くに在り場内北側及南側に高さ約0.7米
の草密生する外殆ど全面に芝を生ず・凸凹箇所は僅少にして概して平坦なり
・付近一帯は鹿港渓に向ひ極めて緩徐なる下り傾斜をなす・地表の硬度は普通
なるも降雨後は表面稍軟弱となる傾向あり・場の東西両側に沿ひ南流する溝渠
あり南側は鹿港渓を控ふるも場内の排水良好ならず・平坦地なるを以て降雨の
際は雨水滞溜し一帯に湿潤軟化す・満潮時豪雨ある時は付近一帯浸水すること
あり昭和7,8年頃鹿港渓大出水反乱の際飛行場全面に浸水したることあるも
減水後半日にして離着陸可能なりしと謂ふ。
適当なる着陸方向  北(冬季)、南(夏季)。
着陸上注意すべき點  付近一帯は河川反乱浸水し河岸の形状変化し付近地
表軟弱となり不斎地を生ずることあるを以て着陸の際注意を要す・鹿港街より
場の北側を西方鹿港製鹽株式会社に通ずる高さ約1米の臺車軌道あり。
施設  格納庫、航空標識等なし。

周囲の状況
山岳、丘陵及水田  本場は鹿港渓の北岸に在りて当河口と鹿港市街との間
に位し付近一般に廣濶なり即ち東側は鹿港市街に近接するも北側は水田及塩田
連なり西方は塩田を隔てて海に接し南側は鹿港渓を隔てて水田となり周囲概し
て廣濶なり・場の北東方約17粁に大肚山丘陵ありて北方に連互し最高標310
米なり又東方約13粁に八掛山陵あり。
樹林  場の南方鹿港渓の南岸及付近小径に沿ひ木□黄の防風林あり河岸の
ものは高さ約3米あり。
堤防  場の西側排水溝に平行し堤防あり高さ約1.2米なり塩田との境界を
成す・場の北側に鹿港街と製塩工場とを連絡し飛行場の北側境界線を成す土堤
あり・場の南方鹿港渓北岸に土留あり。
河川及沼地  南側に清流する鹿港渓あり河幅約30米にして満潮時には竹
筏(テツパイ)飛行場南方付近まで辛うじて潮航す・場の南西方約200米塩田と接
する付近は旧流域を認めざるも土質軟弱なりと謂ふ・場の東側に鹿港街の北側
を廻り南流し鹿港渓に注ぐ掘割あり・鹿港街の西側諸處に多数の灌漑用溜池
(埠)あり。
建築物  場の東北東約0.7粁に白色屋根の鹿港製塩株式会社工場あり。
電線  場の東側より東方鹿港街に至る電話線あり其の他付近に在る電線は
離着陸に支障なし。
着目標  鹿港街、縦貫線、鹿港渓、大肚渓、塩田、鹿港製塩株式会社(白
屋根)。

地方の状況
軍隊  臺中第3大隊(臺中市千城町)北東方約16粁。
憲兵  臺中憲兵分遣隊(臺中市千城町)北東方約16粁。
警察署  彰化警察署(彰化市彰化)東方約8粁。
派出所  鹿港水上派出所(彰化郡鹿港街)北東方約0.5粁・鹿港警部派出
所分室(彰化郡鹿港街)北東方約1.1粁。
役場  鹿港街役場(彰化郡鹿港街)東方約0.8粁。
医療  鹿港街に避病院1、医院約10あり(昭和13年鹿港街々勢一覧)。
宿泊  鹿港街にある旅館数不明なるも嘗て歩兵約500名市街に宿営せしこ
とあり。
清水  場の東側付近に井戸あり土民の言に依れば飲料に適すると謂ふ・其の
他供給方法としては鹿港街より運搬することを得。

交通運搬及通信
鹿港街より四囲に対する交通は彰化に軽便鉄道及自動車、員林に軽便鉄道を有
する外3方に道路を有するも軽便鉄道は製糖用にして発車間隔大なるを以て利
用価値少く主に貨物の運搬は牛馬車を用ひ街内の交通は人力車を主用す。
鉄道  彰化駅(縦貫線)東方約7.5粁・明治鹿港駅(明治製糖線)東方約
2粁
乗合自動車  鹿港街より彰化市街に至る鹿港自動車株式会社の乗合自動車
の便あり1日約15乃至30分間隔を以て運転す最寄停留所迄約0.6粁あり。
道路  飛行場の東側より鹿港街を経て彰化及臺中市街に通ずる幅約10乃
至11米の道路及鹿港街の南東側より員林に至る道路あり共に自動車類の運航
可能なり。
泊地  鹿港泊地は濁水渓の河口沖合に在り支那型船に依り対岸の厦門、福
州等と貿易を為す付近海岸は卑低にして距浜約2.5浬迄低潮に干出し泥沙堆擴
延す北方に1水道あり支那型船は此の水道に入りて錨泊するも其の過半数は低
潮に膠着す而して鹿港街とは小舟にて交通す。
車馬  鹿港街に自動車32、自転車1,950、人力車21、臺車170、牛車116、
「リヤカー」6,212あり(昭和13年鹿港街街勢一覧)。
電信及電話  鹿港郵便局(彰化市鹿港街)東方約1.1粁、電信及電話を取
扱ふ。

気象
測候所  臺中測候象(臺中市大正町)北東方約16粁・航空気象を観測せず。
地方風  最多風向は9月より翌年5月までは北東風、6月より8月迄は南西
風即ち冬季は北東風、夏季は南西風なり・昭和5年至同10年6箇年間の統計
に依る月別(1)最多風向及(2)平均風速次の如し。(以下データ省略)
天候  10月頃より翌年2月頃迄は概して晴天にして3月頃より9月頃迄は
雨天多し・昭和5年至10年6箇年間の統計に拠る月別(1)快晴日数(2)曇天
日数、(3)降水日数次の如し。(以下データ省略)
統計に拠れば暴風期は1月及10月なり霧は1,10,11月雷雨は6,7,8月多し。
地方特殊の気象  冬期季節風は北東風にして10月頃より翌年3月頃吹続
し概して風強く雨少し。

其の他
本飛行場は大正8年頃警察飛行班の練習飛行場として使用せしことあり最近は
昭和14年6月陸軍此地に於て現地戦術を実施したることありと謂ふ・目下臺
灣軍司令部経理部の管理に属し北部の土堤を陸軍用地と民有地との境界とす




■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

に1/10,000の要図があり、上のグーグルマップはこの要図から作図しました。

恒風 冬季:北北東 夏季:南西 と書き込みがありました。

以下情報を以下引用させて頂きます。

位置
 臺中州彰化郡鹿港街
地表の状況
 滑走地区東西五六〇米、南北一一〇〇米土質
 は粘土質にして乾燥せば固きも湿気ある場合
 は軟弱なり
 表面一面に短き芝あり
 排水極めて不良にして特に北側は湿地状態なり
 降雨後は使用困難
周囲の状況
 北及西方の外周道路は高さ一、五米にし
 て離着陸に注意を要す
 また南側鹿港渓左岸の樹木は約十米にして
 相当障碍あり
天候気象の交感
 冬季は風速極めて大にして十米に及ぶことあり
 比高低き為降雨の影響大なり
交通連絡
 彰化駅より西方約十五粁乗合自動車
 の便あり
其の他
 (記載無し)

こちらも、位置決めと飛行場敷地は、U.S. Army Map Serviceを使用して作図しています。

このU.S. Army Mapは、1945年の米軍による偵察写真から作成されたものだと思うのですが、

ROKKŌ LANDING STRIP(ABANDONED) とあります。

ABANDONED:放棄された

ということで、他の資料から確認がとれないのですが、U.S. Army Map Serviceの表記が正しければ、

末期の時期には使用していなかったことになります。

まあ資料でも川の氾濫、排水でかなり苦労した様子が伺えますしね。



     台湾・旧鹿港陸軍飛行場跡地         
・鹿港陸軍飛行場(昭和14年8月調べ) データ
所 管:臺灣軍司令部経理部
種 別:陸軍陸上飛行場
所在地:台臺中州彰化郡鹿港街
座 標:24°03'30.7"N 120°25'18.2"E
標 高:4.5m
面 積:50ha
飛行場:1,000mx500m
着陸地域:650mx300m
(座標はグーグルアースから。他は資料から)

・鹿港陸軍飛行場(昭和19年資料) データ
種 別:陸上飛行場
所在地:臺中州彰化郡鹿港街(現・台湾彰化県鹿港鎮東石里)
座 標:24°03'30.7"N 120°25'18.2"E
標 高:3m
滑走地区:560mx1,100m
(座標、標高はグーグルアースから。他は資料から)

沿革
1919年 この頃警察飛行班の練習飛行場として使用
1939年 6月 陸軍が現地戦術実施
1945年 8月 終戦。その前に放棄?

関連サイト:
U.S. Army Map Service,/Rokko 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」
防衛研究所収蔵資料「航空路資料第10 台湾地方飛行場及不時着陸場 昭和15年4月刊行 水路部」


コメント(0) 
メッセージを送る