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台湾・台東(南)飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




台湾台東県台東にあった「台東(南)(北)飛行場」。

先頭のグーグルマップ、西側の山吹色のシェイプと、東側のレモンイエローのシェイプに分かれてますが、

レモンイエロー北東にある着陸場部分(現行滑走路北側部分)が以前記事にした「台東(北)飛行場」です。

そしてその南側のV字滑走路と、西側の山吹色の2本の滑走路が、「台東(南)飛行場」。

「台東(南)飛行場」には合計4本の滑走路があったのですね。

この記事では「台東(南)飛行場」を取り上げます。


■「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、

当飛行場は連合軍によりHLG(Heavy Bomber Landing Ground:重爆撃機着陸場)に分類されていました。

作図のうちレモンイエローのシェイプは、 U.S. Army Map Service/Formosa(以下AMS)から、

山吹色のシェイプは、「盟軍記載的二戰臺灣機場」というサイト様に航空写真があり、

そこから作図しました(下記リンク参照)。

AMSの地図はかなり末期の航空写真から作成されたものなんですが、

その後更に一部誘導路と掩体壕を潰してまで、2本の滑走路と誘導路を追加したことになります。

物凄い増強ぶりですね(XДX)


■太平洋戰爭下日本陸軍於高雄地區的機場整備與航空隊部署(下記リンク参照)には、

この物凄い増強をした理由が示されていました。

米軍が太平洋で着実に前進するにつれて、1944年初頭の大本営は米軍を警戒し、琉球、尖閣諸島(宮古列島、八重山列島、釣魚台などを含む)、台湾およびその他の重要な地域への交通を確保しました。絶対防衛圏と南ルートについては、上記地域の軍事力を強化するために「十号作戦準備​」が実施された。台湾の航空戦闘準備に加えて、宜蘭、花蓮、台東などの場所に「第2飛行場」が追加された。

着実に勢力を増してゆく米軍への対抗策として、日本軍は台湾の軍事力強化のため「第2飛行場」追加を計画し、

その計画の中に台東飛行場が含まれていたのですね。

建設時期が明確ではないのですが、防衛研究所資料からすると、V字滑走路はかなり後の時期に建設されました。

それでこのV字滑走路を含む「台東(南)飛行場」≒「第2飛行場」ということなのではないかと。


前出の「盟軍記載的二戰臺灣機場」(41コマ。下記リンク参照)にはこうあります。

台東空港については、以前のいくつかの研究では、台東(北)と台東(南)を1つの空港と見なし、いくつかは2つの空港と見なしていました。 米軍は台東(北)が台東空港の旧着陸地であると記録しているので、1つの空港を考えると、南の施設は巨大で、合計4本の滑走路があります。 日本の記録については、前節で述べたように、台東(北)が海軍空港、台東(南)が陸軍空港です。 著者は、2つの空港の建設時期が異なるだけでなく、軍の駐屯地の種類も異なると考えているため、別々に計算する必要があります。

地元研究者の間でも飛行場の分類に関して、評価が分かれる様子が記されていますが、

台湾の飛行場については、名称、用途、陸軍なのか海軍なのか等、判定が分かれているケースが散見されます。

例えばこの資料では、「台東(北)飛行場」は海軍、「台東(南)飛行場」は陸軍としていますが、

他の資料(日治下臺南永康機場的時空記憶)では南北どちらも陸軍として分類しています。

オイラ個人としましては、両方の飛行場が非常に隣接しており、誘導路で非常に仲良く繋がっていることから、

どちらも陸軍であるか、若しくは末期に共用していたような気がするのですが。。。

ザッと見た感じ、掩体壕は現在1つも残ってないようなんですが、

掩体壕が残っていれば陸軍型か海軍型かで判断材料になったんですけどね。


以下完全に余談なんですが、作図の苦労話を。

台湾に何の土地勘も予備知識も持たぬオイラは、AMSの緯度経度情報からおおよそのアタリをつけ、

どこかにV字滑走路の地割は残っていないだろうかとグーグルマップを探したのですが、

まず最初に「ここじゃないだろうか」と思ったのは、現在の滑走路R/W04エンドから西南西約3kmにある、

国立台東大学でした。

大学の陸上トラックの辺りが、方向といい、大きさといい、丁度V字滑走路っぽいです。

ところがこの場所で作図を始めてみたら、AMSと滑走路の角度が約1°合いません。

たったの1°なんですが、滑走路の全長は2,000mあり、1°ズレたままで2,000m伸ばすと、

かなりの歪みになります。

どうもここではないらしい。ということで次に目を付けたのは、

現在の滑走路のR/W04エンド付近でした。

ここも角度といい大きさといい、V字っぽい地割になっています。

ところが、ここもしっくりこず、すっかり途方に暮れてしまったのですが、

AMSに描かれている周辺の主用道路全体をレイヤにしてみたら、

意外なことにほぼそのまま現在まで残っており、想像だにしない場所にV字滑走路が浮かび上がったのでした。




     台湾・台東(南)飛行場跡地         
台東(南)飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾台東県台東新園里、康楽里等
座 標:22°45'08.5"N 121°04'51.7"E
標 高:64m
西側の滑走路:1,500mx150m(01/19)
東側の滑走路:1,450mx190m(04/22)
V字滑走路:2,000mx210m(04/22)、2,000mx210m(17/35)
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
盟軍記載的二戰臺灣機場(21,41,42コマ) 
U.S. Army Map Service/Formosa (Taiwan) City Plans/Tainan 
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台湾・鹽埔(新圍)飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




台湾の屏東県鹽埔(えんぽ)郷のすぐ南にあった「鹽埔(新圍)飛行場」。

現在のところ、アジ歴、国立公文書館デジタルアーカイブ、手持の防衛研究所収蔵資料、

ネットには情報がない飛行場です。

■「盟軍記載的二戰臺灣機場」というサイト様(下記リンク参照)

が唯一の情報源なんですが、ここに屏東北飛行場との位置関係を写した1945年の航空写真があり、

先頭のグーグルマップはこの航空写真から作図しました。

広範囲を写した不鮮明な写真なので精度に自信ないですが、おおよそこんな感じと思います。

滑走路の長さについては、航空写真からだとかなり読み取り辛いんですが、

写真に書き込まれた数字を参考にしました。

また同資料によれば、

当飛行場は連合軍によりHLG(Heavy Bomber Landing Ground:重爆撃機着陸場)に分類されており、

連合軍は1945年1月の偵察写真で「鹽埔(新圍)飛行場」を確認し、爆撃した後放棄したと思われる。

この飛行場については日本にも記録がなく、詳細は未だ確認されていない。

とありました。




     台湾・鹽埔(新圍)飛行場跡地         
鹽埔(新圍)飛行場 データ
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾 屏東 長治郷 徳和村
座 標:22°42'34.2"N 120°32'38.6"E
標 高:44m
滑走路:1,935mx97m(10/28)、1,200mx64m(01/19)
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さは資料:盟軍記載的二戰臺灣機場から)

関連サイト:
盟軍記載的二戰臺灣機場(21,40-50コマ) 
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台湾・台中西(豐原西)飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




(TAIWANAIRBLOG様から許可を得て作図を使用させて頂いておりますm(_ _)m 下記リンク参照)

台湾台中沙鹿区にあった日本陸軍の「台中西(豐原西)飛行場」。

現在は台中国際空港敷地の西側に当り、ターミナルビル、駐機場、誘導路があります。




     台湾・台中西(豐原西)飛行場跡地         
台中西(豐原西)飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾台中沙鹿区西勢里
座 標:24°15'26.9"N 120°36'07.5"E
標 高:198m
滑走路:1,230mx210m
方 位:02/20
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
TAIWANAIRBLOG/台中飛行場西跑道■ 
盟軍記載的二戰臺灣機場(30,31コマ) 
日治下臺南永康機場的時空記憶(5コマ) 
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2タミ本館と北側サテライト結合へ [├雑談]



8.png
撮影年月日2019/08/08(令1)(CKT20191 C27 147) 貴賓室があった頃。
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


羽田の2タミには、2018年12月10日に供用開始となった北側サテライトがあります。

このサテライトと本館との間には政府専用機の発着などに使う貴賓室があったため、連絡バスで結んでいました。

貴賓室は2020年10月に、東側貨物地区北側の新施設に移転したため、

本館とサテライトを結ぶ通路が整備できるようになりました。

計画では、2025年3月ごろから、サテライトまで徒歩で移動できるようになります。

これに伴い、従来ある2つのスポットを閉鎖し、新たに3つのスポットを新設。

トータルではスポット数:+1になるのだそうです。


直近でも今年3月に「多摩川スカイブリッジ」が開通しましたし、今後も、

2027年以降運用予定の京急羽田駅の待避線延長計画

2029年度開業予定のJR東日本「羽田空港アクセス線(仮称)」計画

1タミ、2タミの接続計画(早ければ2030年供用開始)

と、羽田は今後もまだまだ大きく変化をし続けるのですね(@Д@)

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