埼玉県・川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地 [├国内の空港、飛行場]
2021年6月訪問

撮影年月日1944/09/27(893 C1 190)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

1/25000「赤羽」昭和20年部修「今昔マップ on the web」より作成
埼玉県川口市舟戸町、荒川の河川敷にあった「川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)」。
川口市近現代史年表稿 122p によりますと、
「昭和18年2月8日、飛行協会と川口市は協力して、川口地方滑空訓練所(舟戸ケ原滑空場)開所式挙行した」
とあります。
いろいろ調べたのですが、これ以上具体的な場所についての記述がないので、
あれこれ妄想して場所を特定しますのだ。
以下、オイラの憶測ですので話半分で見てください。
「舟戸ケ原滑空場」という名称からして滑空場は舟戸ヶ原に造られたと思うのですが、
その舟戸ヶ原がドコなのか分かりません。
舟戸ヶ原の位置について、川口商工会議所のサイト内に、「現在の新荒川大橋と鉄橋の間」とありました。
新荒川大橋とは、国道122号線の荒川と新河岸川を渡る大きな橋です。
この橋は、東京都北区と埼玉県川口市の県境にもなっています。
滑空場は飛行協会と川口市が協力して設け、名称にも「川口」を冠していますから、
新荒川大橋の埼玉県側(川の北側)ということに。
そして鉄橋についてですが、新荒川大橋の西650mに並行してJRの鉄橋がかかっています。
この周辺には他に鉄橋はありません。
ということで滑空場があったのは、新荒川大橋とJRの鉄橋の間の埼玉県側ということに。
滑空場の開所式が昭和18年2月。
上に貼った昭和19年9月の航空写真、
昭和20年の地図を見てみると、
橋と鉄橋にはさまれた荒川の北側には広々とした河川敷が広がっています。
その河川敷北側部分は善光寺の敷地になっているため、
残りの三角の部分が滑空場だったのだと思います。
ということで、先頭のグーグルマップは昭和20年の今昔マップから作図しました。
橋の部分まで滑空場敷地がかかっているのは、
1966年の架け替えにより、橋の位置が西側に少しズレたためです。

新荒川大橋から。
現在は野球場と、奥が自動車教習所になっています。
この教習所の名前が「飛鳥ドライビングカレッジ川口校」なんですよね~。
昔パイロットの卵を育てた場所で、今はドライバーの卵を育てているという。。。(o ̄∇ ̄o)フフ
埼玉県・川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地
川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場) データ
設置管理者:飛行協会と川口市?
種 別:滑空場
所在地:埼玉県川口市舟戸町地先荒川左岸河川敷
座 標:35°47'31.7"N 139°43'22.4"E
標 高:2m
滑走路:650mx295m
方 位:11/29
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
沿革
1943年02月 8日 開所式挙行
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
川口市近現代史年表稿
千葉に行った話 [■旅行記]
Ⓐ自宅→Ⓑ川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地→Ⓒ大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場跡地→Ⓓ習志野離着陸場→Ⓔ習志野4丁目滑走路跡→Ⓕ誉田飛行場跡地→Ⓖ茂原の掩体壕→Ⓗ特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡→Ⓘ風船爆弾打ち上げ基地跡(一宮基地)→Ⓙ東金飛行場格納庫基礎→Ⓐ自宅
本当は都内にも行きたい場所があったのですが、東京都の緊急事態宣言が延長されたため、
都内は避け、千葉県を回ることに。
4:15 自宅出発
セブンの海苔巻きなど食べつつ走り続け、
川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地(ここだけ埼玉県)
大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場跡地
習志野離着陸場
習志野4丁目滑走路跡地
誉田飛行場跡地
茂原航空基地跡地
と周り、次に特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡へ。
ここで基地についての説明版を撮る先客のおじさんと居合わせました。
学校裏手の説明版までは砂利道が整備され、すぐ近くまで車で問題なく来ることができるのですが、
この先の桜花回転台、格納庫までは藪を漕がねばなりません。
この行川基地についてはたくさんのサイト様で取り上げられていて、
ヒル、蚊等、夏場は大変だと書いてありました。
説明版のある場所から回転台、格納庫まではたったの60mだし、
オイラとしては多少刺されても吸われても行くき満々だったのですが、
おじさんは「今の時期はマムシが出るから」とのことで早々に退散。
この言葉が大きな懸念となり、オイラも退散することに(ノ><)ノヒイィィ
ここは冬にまた来よう。
次に風船爆弾打ち上げ基地跡(一宮基地)に行き、
15:20 東金飛行場跡地にて本日の見学終了。
東金では格納庫の基礎が見たかったのですが、ナビ画面では畦道がほとんど出ておらず、
探せませんでした。とほほ。
積み残しが2つ出来てしまいました。
最後に八潮の珍来で麻婆丼を食し、
20:30 自宅着
燃費:32.6km/L
走行距離:361.0km
以下の場所は既存の記事を更新してありますので、興味のある方はご覧下さいませ。
誉田飛行場跡地■
茂原航空基地跡地■
一宮風船爆弾打ち上げ基地跡■
栃木と福島に行った話 [■旅行記]
Ⓐ自宅→Ⓑ黒磯滑空場→Ⓒ福島ロボットテストフィールド浪江滑走路→Ⓐ自宅
日帰りで行ける範囲ということで、本当は都内、千葉県に行きたい場所が幾つもあったのですが、
緊急事態宣言が解除されなかったため、栃木県と福島県に行くことにしたのでした。
5:05 自宅出発
気温16℃ 曇り
本日は極力有料道路を使わず、今日中に帰ってこれる範囲で下道を使うことに。
9:30 栃木県・黒磯滑空場到着
ここは3年前にお邪魔していたんですが、その時はぬかるみが酷くて滑走路の前まで近づけなかったのでした。
で、2年前に再度お邪魔しました。
そしたら今度は区画整理?が進んだせいか滑空場に近づくことすらできませんでした(;´Д⊂)
その後地図を眺めていたら、西側から侵入進入できそうだと気が付いたのでした。
周辺は造成工事が続いていたんですが、今回はすんなり滑走路の前までこれました。
ということで、次に150km先の福島県浪江町へ。
今使ってるナビは、有料道路の無料区間を使ったルート検索ができるようになったので、
あぶくま高原道路の無料区間を利用させて頂きましたm(_ _)m
太平洋側に出て国道6号線を北上し、浪江町に向ったのですが、途中で福島第一原子力発電所跡のすぐ横を通過。
原子炉建屋まで最短1.3kmの箇所があるんですが、通過するだけなら普通に走れます。
ただし、国道6号をひたすら真っ直ぐ走ることしかできないようになっていて、
要所要所では警備員の方が目を光らせ、
まだまだ新しい宅地、パチンコ屋、牛丼屋、ディーラー等、道路沿いすぐそこに建ち並んでいるのに、
路地という路地、店や建物への入口という入口にはガードレールやバリケードが隙なく張り巡らされ、
ちょっと横道に入ることも立ち止まることもできず、まるで虚構の世界に迷い込んだかのようです。
「〇〇スクリーニング場」とか、緊急避難時の誘導をする表示、線量を表示する電光掲示板があり、
あの事故からもう10年経つのに、ここは相変わらずこんな状態。
かと思えば、コロナ感染拡大地域への往来自粛を呼びかける電光表示もありました。
そういえばちょっと前に大家さんが仕事で遠出をしたら、
地元の方から埼玉ナンバーを咎められ、「(コロナ酷い所から)来てんじゃねぇよ!」と怒鳴られたと話してたっけ。
地方の方にとっては、感染の酷い都市部の人間が入ってくるのは心配ですよね。
浪江町の道の駅でトイレ休憩をとったのですが、地元の方に心配をかけぬよう、
駐車スペースでは目立たないように一番奥の隅にこっそり停めて、なるべく人に近づかないようにしました。
13:00 福島ロボットテストフィールド浪江滑走路到着
ここは2年前にも来たんですが、周辺が大規模造成中で近づくことも出来ず、またお邪魔したのですが、
今回は無事目の前まで来れました。
これにて本日の見学はおしまい。
黒磯滑空場、浪江滑走路については過去記事を更新しましたので、興味のある方はご覧ください■■
途中小雨のパラつく中、自宅に戻ることに。
20:10 自宅着
結局高速を使うことなく戻ってこれました。
おわり。
走行距離:633.5km
燃費:33.7km/L
大分空港ホーバークラフト運行計画 [├雑談]
大分市側発着地は大分県サイトから作成(7コマ)■

旅客ターミナル(大分空港側)大分県サイトから(2枚とも)■

旅客ターミナル(大分港西大分地区側)



使用機材。英グリフォン・ホーバーワーク社製12000TD。メーカーサイトから■(上3枚とも)
2023年度中に復活する計画があります。
10月10日には、大分市側の旅客ターミナル起工式が行われました。
先頭のグーグルマップの通りなんですが、大分空港から大分駅までは、
現在は陸路だと高速を利用して別府湾をぐーっと迂回して、63km約1時間かかるんですが、
ホーバークラフトなら、約29kmを約25分でいけます。
令和5年中に運行開始予定とのことで、
使用する機材は、メーカーサイト■ によりますと、80人乗り、最高速力約83km/hだそうです。
以前の機材は三井造船MV-PP10 105人乗り、最高速力約90km/hだったので、1回り小さいですね。