ごあいさつ [■ブログ]
毎年恒例の「空港探索」の進捗状況を(12/26現在)。
今年新たにお邪魔した飛行場/跡地:1
今年お邪魔したヒコーキ関連の場所、再訪した飛行場/跡地:10
これまでにお邪魔した飛行場/跡地総計:821
まだお邪魔してない飛行場/跡地:56(前年同月比-3)
これまでに場所特定した飛行場/跡地計:877(前年同月比±0)
(以前訪問して、今年カウントに含めた跡地があるため、辻褄合ってません)
今年は日帰り5回であちこちほっつき歩いたのでした。
再訪箇所は既にアップ済みの記事に追記してあります(末尾にリンク貼っておきます)。
各地の皆さまお邪魔致しました。そして大変お世話になりましたm(_ _)m
今後の予定について。
現在拙ブログでは、「関東地方強化月間」の最中なんですが、
来年の3月から「樺太、千島強化月間」、5月から「中国強化月間」の予定です。
来年も1月から2月いっぱいまでコメント欄を閉じさせて頂きます。
来年もどうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m
旅行記記事を作らなかった場所のこぼれ話。
東京都、昭和飛行場跡に現存する巨大格納庫。
終戦時に6つあった格納庫のうち3つが現存しており、
はなみずき通りから立ち並ぶ格納庫を眺めることができます。
この横断歩道、オイラがうろうろしていた30分程の間に、
横断者を譲らない車が次々3台も白バイにとっ捕まっており、入れ食い状態でした(XДX)
5月のゴールデンウイーク中、群馬県の大西飛行場跡地にある黒いナゾ物体を見に行った帰り、
たまたまヒコーキを発見したのでした。
埼玉スバルさきたまガーデン店(行田市)さんでした。
オイラがお邪魔した時はお休みだったんですが、建物内にも展示品があるらしいです。
1972年 新規登録。最初の定置場は函館空港だったんですが、一時熊本空港に移り、
その後2013年に所有:埼玉スバル自動車、定置場:埼玉スバルさきたまガーデンとなり、現在に至ります。
こちらは、T-1B 870号機 1963年製造の最終号機!!
埼玉スバル公式サイト様にて詳しく解説されていました■
記事に追記済みのもの:
千葉県・茂原飛行場跡地■
千葉県・東金飛行場跡地■
千葉県・銚子タカン■
茨城県・鹿島海軍航空隊跡地■
千葉県・習志野演習場C-1■
東京都 昭和飛行場の格納庫■
群馬県・大西飛行場の碑■
習志野4丁目滑走路跡 [├国内の空港、飛行場]
2021年6月訪問
昭和20年~昭和40年位まで短い滑走路が写っています。
この滑走路については、拙記事「習志野陸軍演習場不時着陸場跡地」のコメント欄にて、
2014年にアギラさんから情報を頂いておりました。
昔の習志野演習場関係者からも話が聞けました。
その人が言うには縦横短い滑走路が2つあり(地図で大雑把な場所は
聞いたのですが、、)
米軍の小型機もあったと言っていましたがいつ造られたかまではわか
らないそうです。
昭和40年ごろ(うろ覚えだそうです)に無くなったとも言っていま
した。
習志野演習場に2つあったとされる飛行場ですが
地図では分かりづらかったものが俯瞰写真を見たら縦の滑走路の場所
は分かったような気がしました。
教えてもらった滑走路の縦は地図では演習場内の道に沿っているよう
に見えましたが俯瞰写真では成田街道に近いヘリパッドの横に広い滑
走路のようにあるのが当時、縦側にあった滑走路の場所の様です。
見た感じでは今もソフトフィールドのランウエイとして使用している
かもしれません。
これに対して横の滑走路がL字型かト字型のようにあったと教わりま
したが俯瞰写真でも確認できませんでした。(本人もそこまで詳しく
は覚えてなかったようですし訊かれるとも思っていなかったようです)
とのことで、上に貼った昭和41年の航空写真がその場所ではないかと思っておりましたところ、
同じ記事のコメント欄にて、2021年になってケロ爺さんから情報頂きました。
子供の頃…昭和40年代中頃くらいまで
飛行場がありましたよ(紫マーカー付近)
40年代初頭くらいの頃には
大人達がフリーフライト機やラジコン機飛ばしたりしてました
近くには巨大な肥溜めも有ったな…
周辺はゴルフ場用の芝を作って居たり落花生栽培してたり…
当時は現在のマラソン道路には鉄道連隊の軽便鉄道線路が残って居ました
演習場のNIKEの周りの土塁でワラビやゼンマイ採ったり
ミサイル見ながらお弁当食べたり…
演習場を通って高津の方まで栗採りやキノコ採りに行ったり
極めて長閑でした
とのことで、地元情報として、ここが確かに滑走路であったことが確定したのでした。
因みにこの場所の航空写真を年代順に見ていくと、
昭和21年には更地だった場所に、翌昭和22年には滑走路が映っています。
そして上に貼った昭和41年まではしっかり滑走路が映っているのですが、
次に閲覧できる昭和45年になると、そこにはもう大きな建物が経っていて、滑走路は跡形もなくなっています。
つまりこの滑走路が確実にあったのは、昭和22年~昭和41年の約20年間ということになります。
これはアギラさん、ケロ爺さんの、
「昭和40年ごろ(うろ覚えだそうです)に無くなった」
「昭和40年代中頃くらいまで飛行場がありました」
と合致しています。
滑走路があった場所にかなり大きな建物を建設するのに2年を要するとすると、
滑走路の存続期間は、昭和22年~最大でも昭和43年頃ではないかと思います。
昭和22年といえば、終戦から7年間続いた航空禁止令の最中でした。
この時期に滑走路が建設され、「米軍の小型機もあった」ことから、
ここは米軍の連絡機用の滑走路として運用されたのではないかと思います。
「40年代初頭くらいの頃には大人達がフリーフライト機やラジコン機飛ばしたりしてました」
とのことですので、米軍から正式に許可を得ていたのか、黙認状態だったのか、
若しくはこの頃には既に返還/放棄されていたのかも。
アギラさん、ケロ爺さん、情報ありがとうございましたm(_ _)m
赤マーカー地点
カインズ船橋習志野店から奥に向って滑走路が続いていました。
習志野4丁目滑走路跡
習志野4丁目滑走路跡 データ
所在地:千葉県船橋市習志野4丁目12
座 標:35°42'23.3"N 140°03'40.9"E
標 高:31m
滑走路:370mx50m
方 位:17/35
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
関連サイト:
ブログ内関連記事■
習志野離着陸場 [├国内の空港、飛行場]
2021年6月訪問
千葉県習志野市、陸上自衛隊習志野演習場内にある「習志野離着陸場」。
国土地理院で年代順にこの場所を見ていくと、1963年までは滑走路の形がないのですが、
1966年以降の写真で滑走路が確認できます。
この奥に滑走路があります。
「滑走路西道」
千葉県・習志野離着陸場
習志野離着陸場 データ
設置管理者:防衛省
所在地:千葉県船橋市習志野台
座 標:N35°42′51″E140°03′53″
標 高:29m
滑走路:400m×20m(転圧)
方 位:06/24
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
関連サイト:
ブログ内関連記事■
千葉県・大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2021年6月訪問
千葉県松戸市にあった「大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場」。
「松戸飛行場」といえば、松戸市の松飛台にあった逓信省航空局(後に陸軍)の飛行場■ が圧倒的に有名ですが、
これとは別の飛行場です。
■「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
の中でこの飛行場について、以下の通り記されていました。
「松戸市史」によると、1936年(昭和11年)大日本飛行協会の 航空機訓練所松戸飛行場が、江戸川河畔に創設された。面積は約224,400㎡で、帝国飛行協会がこれを管理した。もっぱら大日本飛行機少年団のグライダー練習場として、利用された。
逓信省の「松戸飛行場」が昭和15年、現在の松飛台に建設されたのに対し、
こちらは大日本飛行協会の「松戸飛行場」で、昭和11年「江戸川河畔に創設」とあります。
パイセンですね。
ドコにあったのか位置を知る手がかりとして、「江戸川河畔」としか記されていないのですが、
松戸市史に登場する「松戸飛行場」ですから、「松戸市内の江戸川河畔」のはず。
江戸川は松戸市の西側の市境になっており、おおよそですが10km程の長さがあります。
それで江戸川河畔の松戸市側、松戸市境となる長さ約10kmのどこかにあったはずです。
いろいろ検索してみても、当飛行場についての具体的な地図等見つけられなかったのですが、
某サイト様に位置を特定する手掛かりがありました。
(実はこのサイト様を閲覧したのは数年前のことで、
記事をアップするタイミングで管理人様にご挨拶とリンク許可を請おうと思っていたのですが、
リンク切れになっていて、ご挨拶もできていないため、名称は伏せさせていただきます。
サイト管理人様、もしご覧になっておられましたら、ご一報いただければ幸いですm(_ _)m )
このサイト様では当飛行場について、
「昭和11年(1936年)8月創立にして松戸町、上矢切、中矢切、下矢切の地先江戸川畔にあり、地積6万8千坪帝国飛行協会の管理に属し、大日本飛行少年団のグライダー練習所なり」
と記されていました(松戸市は昭和18年3月末までは松戸町でした)。
「上矢切、中矢切、下矢切の地先江戸川畔」とあります。
この「上矢切」、「中矢切」、「下矢切」を先頭のグーグルマップに青マーカーで示してあります。
上中下、これら三矢切の「地先江戸川畔」は長さ約1,600m程度なので、これでかなり絞り込めました。
因みに有名な「矢切の渡し」は、ここ矢切と対岸の葛飾柴又との渡し舟でした(今でも渡してます■)。
開設年について、
「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」では1936年、こちらのサイト様では1936年8月とあります。
上に貼った航空写真は1936年6月11日撮影のものなので、
開設2ヵ月前ということになり、タイミングバッチリです。
航空写真をご覧の通りで、矢切地区北側に鉄橋があり、常磐線が江戸川を渡ってます。
常磐線鉄橋の向こうまで飛行場にするとは考えられませんから、鉄橋が飛行場の北限。
どちらの資料も「河畔」とあり、ハッキリ「河川敷」とは書いていないのですが、
航空写真を見る限り、河川敷の外側は田畑が整備されていることから、
やはり普通に河川敷を飛行場としていたのではないかと。
「上矢切、中矢切、下矢切の地先江戸川畔」に相当する範囲内の河川敷部分の幅は、
155m~220m程度で非常に細長いんですが、途中で極端に狭くなったり曲がったりしておらず、
飛行場として申し分ないように見えます。
面積について、
「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」では約224,400㎡、こちらのサイト様では6万8千坪とあります。
これはそれぞれ、22.44haと22.48haに相当します。
上に貼った航空写真から当時の河川敷の形を作図したのが先頭のグーグルマップで、
常磐線を飛行場北端とし、当時の河川敷の形でピッタリ22.4haになるまで飛行場の境界線を南下させました。
こんな感じだったとすると、長さは約1,500mとなります。
多分こんな感じの飛行場だったんじゃないかと。
新葛飾橋から。
当時はこの辺りから奥に向って飛行場だったと思うのですが。。。
千葉県・大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場跡地
大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場 データ
設置管理者:大日本飛行協会
種 別:グライダー練習場
所在地:千葉県松戸市上矢切、中矢切、下矢切地先江戸川畔左岸側
座 標:35°45'45.5"N 139°53'01.8"E
標 高:3m
滑走路:1,500mx155m~220m
方 位:16/34
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
沿革
1936年8月 開設
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」