千葉県・特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡 [├場所]
2021年6月、2022年2月訪問
千葉県いすみ市行川にあった「桜花四三乙型」行川基地。
中川小学校正門前を道なりに進んでいくと、
青マーカー地点。
説明版の前に出ます。
説明版の前に出ます。
説明版の左上に上向きの矢印がありますが、ここから藪漕ぎをして60m先に基地跡があります。
説明版(全文)
いすみ市指定史跡
特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡
平成十六年三月二十三日指定
航空特攻兵器として有名な「桜花」の基地がこの地に建設され、現在、格納庫用の洞窟と旋回盤跡が残っています。
「桜花」はまず、一式陸上攻撃機の胴体下に吊るして目標付近まで曳航させ、滑空もしくはジェットエンジンで敵艦船に体当たりするグライダー型の「一一型」及び「二二型」が開発されました。
しかし、本土決戦の意識が高まってくると、近海に押し寄せるアメリカ艦船に対して、本土から直接発進させ激突させようとする計画が持ち上がりました。
この計画によって開発されたのが、頭部に八〇〇キロ爆弾を搭載した、単葉タービンロケット推進の脚なし単座特攻機「桜花四三乙型」です。
これは、山間部から海上に向けて射出するために、非常に高い初速が求められ、そのための高性能のカタパルトの開発は昭和二十年二月、「桜花四三乙型」本体の開発は三月から始まりました。
五月には横須賀鎮守府が、桜花四三乙型噴進射出装置基地施設構築を命じました。
基地候補地のうち八月末に使用可能を目標として工事に着手したのは伊豆半島の十国峠および竹ノ沢、筑波の五輪堂および閉居山、房総半島南部の上滝田および下滝田(南房総市)、房総半島東部では黒原(大多喜町)およびこの行川の八か所でした。
『中川小学校沿革史』によると、基地は七月二十六日に滑走路が完成したとありますが、それ以降も勤労奉仕が続いたとあるので、工事はまだ続いていたようです。
しかし、八月十五日の終戦までに、「桜花」が基地に届くことはなく、その役目を果たすことはありませんでした。
【格納庫の寸法】
奥行 三十六・五m
高さ 五・二m
幅 四・五五
旋回盤の直径 三m
基地跡はこの奥約60mの場所にあります。
※崩落の危険があるので、格納庫内部には立ち入らないで下さい。
いすみ市教育委員会
説明版(全文)
いすみ市指定史跡
特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡
平成十六年三月二十三日指定
航空特攻兵器として有名な「桜花」の基地がこの地に建設され、現在、格納庫用の洞窟と旋回盤跡が残っています。
「桜花」はまず、一式陸上攻撃機の胴体下に吊るして目標付近まで曳航させ、滑空もしくはジェットエンジンで敵艦船に体当たりするグライダー型の「一一型」及び「二二型」が開発されました。
しかし、本土決戦の意識が高まってくると、近海に押し寄せるアメリカ艦船に対して、本土から直接発進させ激突させようとする計画が持ち上がりました。
この計画によって開発されたのが、頭部に八〇〇キロ爆弾を搭載した、単葉タービンロケット推進の脚なし単座特攻機「桜花四三乙型」です。
これは、山間部から海上に向けて射出するために、非常に高い初速が求められ、そのための高性能のカタパルトの開発は昭和二十年二月、「桜花四三乙型」本体の開発は三月から始まりました。
五月には横須賀鎮守府が、桜花四三乙型噴進射出装置基地施設構築を命じました。
基地候補地のうち八月末に使用可能を目標として工事に着手したのは伊豆半島の十国峠および竹ノ沢、筑波の五輪堂および閉居山、房総半島南部の上滝田および下滝田(南房総市)、房総半島東部では黒原(大多喜町)およびこの行川の八か所でした。
『中川小学校沿革史』によると、基地は七月二十六日に滑走路が完成したとありますが、それ以降も勤労奉仕が続いたとあるので、工事はまだ続いていたようです。
しかし、八月十五日の終戦までに、「桜花」が基地に届くことはなく、その役目を果たすことはありませんでした。
【格納庫の寸法】
奥行 三十六・五m
高さ 五・二m
幅 四・五五
旋回盤の直径 三m
基地跡はこの奥約60mの場所にあります。
※崩落の危険があるので、格納庫内部には立ち入らないで下さい。
いすみ市教育委員会
赤マーカー地点。
旋回盤跡。
マムシが怖くて、半年後寒くなってから改めてお邪魔しました。
現在周囲はうっそうと茂っており、オイラのカメラだとこんな一部分しか撮れませんでした。
日の出から30分経過しているんですが、まだフラッシュ焚かないと真っ暗でした。
補正かければなんとかなるさ。と思っていたんですが…
旋回盤跡。
マムシが怖くて、半年後寒くなってから改めてお邪魔しました。
現在周囲はうっそうと茂っており、オイラのカメラだとこんな一部分しか撮れませんでした。
日の出から30分経過しているんですが、まだフラッシュ焚かないと真っ暗でした。
補正かければなんとかなるさ。と思っていたんですが…
旋回盤すぐ横に格納庫があります。
写真だと伝わらないですけど、「高さ5.2m」とある通りかなり巨大です。
写真だと伝わらないですけど、「高さ5.2m」とある通りかなり巨大です。
説明版に「立ち入らないで下さい」とあったので、入り口から。
千葉県・特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡
特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡 データ
設置管理者:横須賀鎮守府?
種 別:桜花用射出滑走路
所在地:千葉県いすみ市行川
座 標:35°17'05.7"N 140°16'45.6"E
標 高:52m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革(案内板から)
1945年02月 カタパルト開発開始
03月 「桜花四三乙型」開発開始
05月 横須賀鎮守府、桜花四三乙型噴進射出装置基地施設構築を命じる
07月 26日 滑走路完成するも桜花届かず
08月 15日 終戦
2004年03月 23日 いすみ市指定史跡指定
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
現地の案内板
海南島/気球発射基地 [├雑談]
位置/説明は「日テレNEWS バンキシャ! 2023/2/20」から■
グーグルアース画像取得日:2016/2/29 で、発射台に白い気球が繋留している様子が閲覧できます。
18°56'22.23" N 110°28'23.26" E
グーグルアース画像取得日:2016/2/29 で、発射台に白い気球が繋留している様子が閲覧できます。
18°56'22.23" N 110°28'23.26" E
他サイト様で見つけた内モンゴル自治区の気球発射基地(と思われるもの)。
緯度は函館と同じ。
もしかして日本に飛んできたのは、ここからなのかしらん。
スペースジェット開発中止・2 [├雑談]
■「客室快適性」と「燃費性能」
この記事をアップした時点(2023年2月21日)で、
三菱の公式サイトには今でも三菱航空機/スペースジェットの紹介ページがあり、そこでは、
「Mitsubishi SpaceJetは最高レベルの客室快適性と最高レベルの運航経済性の両方を実現する機体であり」
とあります■
この記事をアップした時点(2023年2月21日)で、
三菱の公式サイトには今でも三菱航空機/スペースジェットの紹介ページがあり、そこでは、
「Mitsubishi SpaceJetは最高レベルの客室快適性と最高レベルの運航経済性の両方を実現する機体であり」
とあります■
(2023/5/14追記:4月25日にサイト閉鎖されました)
「客室快適性」(ローンチカスタマーのAMAから「戦闘機作ってるんじゃないんだぞ」
とかいろいろ言われつつだったようですけど)として具体的には、
座り心地の良いシート、客室の高さが挙げられます(客室内最大高さはE-Jetより4.5cm高い)。
「燃費性能」としては、
最新の空力設計と共に、圧倒的な低音、低燃費性能を謳ったPWの新開発エンジン(GTF)
を世界に先駆けて採用しました。
そして燃費性能に関して、三菱はこれだけで満足しませんでした。
■最大巡航高度
エンブラエルのリージョナルジェット:E-Jetファミリーの最大巡航高度は41,000ft。
対してMRJは39,000ftと、MRJの方が2,000ft低く設定されていて、
これを「MRJは劣っている」とする意見があります。
実際の運航では、乱気流を避けるためにより高い高度として41,000ftを選択する場面が少なくなく、
この高度まで上がれないMRJは快適性の面で不利である。というのがその理由です。
じゃあMRJもエンブラエル機と同等か、もっと高い巡航高度を設定すれば良かったじゃん。
と思ってしまいますが、そもそも旅客機の最大巡航高度って、どうやって決まるのでしょう?
幾つか要素があるのですが、その中の一つに「どの程度の圧力差に耐えられるか」があります。
上空にいくほど空気が薄くなるため、機内に与圧をかけていく訳ですが、
航空パニック映画の定番シーンとしてよく描写されるように、機内にはもの凄い差圧が生じます。
例えばジャンボの場合、「1㎡当たり約6.2tまで耐えられる」という機体強度で設計されており、
この約6.2tという機体強度上の数値から、「最大巡航高度は45,100ft」と定められています。
このように、機体強度をどの程度に設定するかは最大巡航高度に大きく影響します。
最大巡航高度を上げるには機体強度を上げなければならず、機体強度を上げるごとに機体重量が増加し、
当然の結果として燃費が悪化します。
ですからMRJの巡航高度が2,000ft低く設定されているという数字だけ見れば、
一見エンブラエル機より「劣っている」ことになるのですが、
燃費性能の観点では、最大巡航高度が低い→その分機体を軽く設計できる→燃費性能の優れた機体
という別の見方もある訳です。
同様に、エンブラエル機の巡航速度がマッハ0.82であるのに対し、MRJはマッハ0.78です。
これもMRJの「劣っている」点とする意見があるのですが、
巡航速度を低く設定すると、それだけ燃費性能は向上します(これは次の記事で書きます)。
このように、高度や速度の数字だけ持ってきて、どっちが「優れている」とか「劣っている」
とか言う単純な話ではなく、結局のところ、「高度をとるか燃費をとるか」、
若しくは「速度をとるか燃費をとるか」というトレードオフというか、バランスの問題になるのだと思います。
仮に巡航高度でその機の優劣が決まるのだとしたら、
45,100ftまで上がれるジャンボの方が41,000ftまでしか上がれないエンブラエル機よりずっと優れている。
ということになります。
エンブラエルとしては、リージョナルジェット機の実際の運航とコスト等様々な要素を考慮して、
「このクラスは41,000ftで十分」としたのだと思います。
エンブラエルのE-Jetシリーズは2002年に初飛行し、この時点で巡航速度はマッハ0.82でした。
MRJの開発が本格化したのは2008年でしたから、競合機の速度は当然分かっています。
これから機体設計を開始する三菱としては、
E-Jetと同等か、それ以上の巡航高度/速度に設定することもできたはず。
そこを敢えて若干落とし、燃費性能に振ったのであれば、三菱は相当トガったことしたと思いますし、
「燃費性能の徹底」という設計思想に沿ったものと言えます。
■航空会社の選択
世界の航空会社が次期リージョナルジェット機の購入を検討する際、
当然同クラスの競合機の様々なスペックを比較検討します。
MRJを導入するかどうか考慮した時点で、エンブラエル機の方がより高く、早く飛べるのは当然知っています。
巡航速度が競合機と比較して遅いということは、同一路線に競合機も投入されている場合、
時刻表で不利に表示されるケースもあるはず。
乗客の側からすると、「A社よりB社の方が早いみたいだから、B社で行こう」となるかも。
実際に運航が始まれば、「エンブラエル機を先に行かせるから、高度上げるのはちょっと待ってて」
なんて管制官から言われちゃうケースだってあるかもしれません。
航空会社としては、速度や高度が低いことのデメリットと、運航コストを天秤にかけ、
慎重に考慮することになります。
では、航空会社の出した結論はどうだったでしょうか。
■MRJの残した教訓
ANAがMRJのローンチカスタマーとなったのが2008年3月。
それから約6年半後の2014年8月、JALの発注でMRJの受注数は407機となりました。
この受注ペースは過去に例のないものだったそうです。
ところが、エンブラエル社がMRJと同じGTFエンジンを採用したE2(E-JETの改良版)を発表するや、
E2は僅か1年余りでなんと400機超の受注を得ました。
この2つの出来事は、旅客機を買って貰うには信頼と実績が何より大事であることと、
実績がないのを補って余りある性能差があれば、互角以上の勝負は可能であることを示しました。
そんな訳で、MRJが残した教訓とは要するに、
「日本の旅客機をたくさん買って貰うには、何か凄い目玉がないとダメ」ということになるのではないかと。
将来、国内のどこかのメーカーが「国産旅客機を作るぞ!!」と決断した時、何の実績もないところに加えて、
「15年がかりで型式証明すら」というイメージまでつきまとうため、セールス的にはMRJ以上に苦戦するはずです。
それでも、「何か凄い目玉」があれば、勝負できるはず。
いえ、どうかそうであって下さい(希望)。
話は冒頭に戻りますが、MRJが二大看板としてウリにしていた「客室快適性」と「燃費性能」、
これは航空会社への訴求ポイントとしてど真ん中です。
素人のオイラが改めて記事にするまでもなく、三菱は「凄い目玉がないとダメ」であると重々承知しており、
だからこそ特に「燃費性能」に関して、とことん突き詰めたんでしょうね。
果たしてMRJは「劣っている」のか、それとも「燃費に優れている」のか。
そしてそのさじ加減は正しかったのか。
受注数はその一つの解答と思います。
「巡航高度」と「巡航速度」でどれだけMRJを貶める意見があろうとも、
過去に例のないペースで航空会社の支持を集めたという事実は、
三菱の設計思想のバランスが決して間違っていなかった証と言えるのではないでしょうか。
(続きます)
「客室快適性」(ローンチカスタマーのAMAから「戦闘機作ってるんじゃないんだぞ」
とかいろいろ言われつつだったようですけど)として具体的には、
座り心地の良いシート、客室の高さが挙げられます(客室内最大高さはE-Jetより4.5cm高い)。
「燃費性能」としては、
最新の空力設計と共に、圧倒的な低音、低燃費性能を謳ったPWの新開発エンジン(GTF)
を世界に先駆けて採用しました。
そして燃費性能に関して、三菱はこれだけで満足しませんでした。
■最大巡航高度
エンブラエルのリージョナルジェット:E-Jetファミリーの最大巡航高度は41,000ft。
対してMRJは39,000ftと、MRJの方が2,000ft低く設定されていて、
これを「MRJは劣っている」とする意見があります。
実際の運航では、乱気流を避けるためにより高い高度として41,000ftを選択する場面が少なくなく、
この高度まで上がれないMRJは快適性の面で不利である。というのがその理由です。
じゃあMRJもエンブラエル機と同等か、もっと高い巡航高度を設定すれば良かったじゃん。
と思ってしまいますが、そもそも旅客機の最大巡航高度って、どうやって決まるのでしょう?
幾つか要素があるのですが、その中の一つに「どの程度の圧力差に耐えられるか」があります。
上空にいくほど空気が薄くなるため、機内に与圧をかけていく訳ですが、
航空パニック映画の定番シーンとしてよく描写されるように、機内にはもの凄い差圧が生じます。
例えばジャンボの場合、「1㎡当たり約6.2tまで耐えられる」という機体強度で設計されており、
この約6.2tという機体強度上の数値から、「最大巡航高度は45,100ft」と定められています。
このように、機体強度をどの程度に設定するかは最大巡航高度に大きく影響します。
最大巡航高度を上げるには機体強度を上げなければならず、機体強度を上げるごとに機体重量が増加し、
当然の結果として燃費が悪化します。
ですからMRJの巡航高度が2,000ft低く設定されているという数字だけ見れば、
一見エンブラエル機より「劣っている」ことになるのですが、
燃費性能の観点では、最大巡航高度が低い→その分機体を軽く設計できる→燃費性能の優れた機体
という別の見方もある訳です。
同様に、エンブラエル機の巡航速度がマッハ0.82であるのに対し、MRJはマッハ0.78です。
これもMRJの「劣っている」点とする意見があるのですが、
巡航速度を低く設定すると、それだけ燃費性能は向上します(これは次の記事で書きます)。
このように、高度や速度の数字だけ持ってきて、どっちが「優れている」とか「劣っている」
とか言う単純な話ではなく、結局のところ、「高度をとるか燃費をとるか」、
若しくは「速度をとるか燃費をとるか」というトレードオフというか、バランスの問題になるのだと思います。
仮に巡航高度でその機の優劣が決まるのだとしたら、
45,100ftまで上がれるジャンボの方が41,000ftまでしか上がれないエンブラエル機よりずっと優れている。
ということになります。
エンブラエルとしては、リージョナルジェット機の実際の運航とコスト等様々な要素を考慮して、
「このクラスは41,000ftで十分」としたのだと思います。
エンブラエルのE-Jetシリーズは2002年に初飛行し、この時点で巡航速度はマッハ0.82でした。
MRJの開発が本格化したのは2008年でしたから、競合機の速度は当然分かっています。
これから機体設計を開始する三菱としては、
E-Jetと同等か、それ以上の巡航高度/速度に設定することもできたはず。
そこを敢えて若干落とし、燃費性能に振ったのであれば、三菱は相当トガったことしたと思いますし、
「燃費性能の徹底」という設計思想に沿ったものと言えます。
■航空会社の選択
世界の航空会社が次期リージョナルジェット機の購入を検討する際、
当然同クラスの競合機の様々なスペックを比較検討します。
MRJを導入するかどうか考慮した時点で、エンブラエル機の方がより高く、早く飛べるのは当然知っています。
巡航速度が競合機と比較して遅いということは、同一路線に競合機も投入されている場合、
時刻表で不利に表示されるケースもあるはず。
乗客の側からすると、「A社よりB社の方が早いみたいだから、B社で行こう」となるかも。
実際に運航が始まれば、「エンブラエル機を先に行かせるから、高度上げるのはちょっと待ってて」
なんて管制官から言われちゃうケースだってあるかもしれません。
航空会社としては、速度や高度が低いことのデメリットと、運航コストを天秤にかけ、
慎重に考慮することになります。
では、航空会社の出した結論はどうだったでしょうか。
■MRJの残した教訓
ANAがMRJのローンチカスタマーとなったのが2008年3月。
それから約6年半後の2014年8月、JALの発注でMRJの受注数は407機となりました。
この受注ペースは過去に例のないものだったそうです。
ところが、エンブラエル社がMRJと同じGTFエンジンを採用したE2(E-JETの改良版)を発表するや、
E2は僅か1年余りでなんと400機超の受注を得ました。
この2つの出来事は、旅客機を買って貰うには信頼と実績が何より大事であることと、
実績がないのを補って余りある性能差があれば、互角以上の勝負は可能であることを示しました。
そんな訳で、MRJが残した教訓とは要するに、
「日本の旅客機をたくさん買って貰うには、何か凄い目玉がないとダメ」ということになるのではないかと。
将来、国内のどこかのメーカーが「国産旅客機を作るぞ!!」と決断した時、何の実績もないところに加えて、
「15年がかりで型式証明すら」というイメージまでつきまとうため、セールス的にはMRJ以上に苦戦するはずです。
それでも、「何か凄い目玉」があれば、勝負できるはず。
いえ、どうかそうであって下さい(希望)。
話は冒頭に戻りますが、MRJが二大看板としてウリにしていた「客室快適性」と「燃費性能」、
これは航空会社への訴求ポイントとしてど真ん中です。
素人のオイラが改めて記事にするまでもなく、三菱は「凄い目玉がないとダメ」であると重々承知しており、
だからこそ特に「燃費性能」に関して、とことん突き詰めたんでしょうね。
果たしてMRJは「劣っている」のか、それとも「燃費に優れている」のか。
そしてそのさじ加減は正しかったのか。
受注数はその一つの解答と思います。
「巡航高度」と「巡航速度」でどれだけMRJを貶める意見があろうとも、
過去に例のないペースで航空会社の支持を集めたという事実は、
三菱の設計思想のバランスが決して間違っていなかった証と言えるのではないでしょうか。
(続きます)
スペースジェット開発中止・1 [├雑談]
■とある個人サイト
「三菱に旅客機は作れない」
ネットでは既に何年も前からそんな論調で埋め尽くされている感がありましたが、
オイラがこの論旨のサイトを発見したのは、2008年頃でした。
ちょうどMRJ事業化が発表され、いよいよ設計が始まろうかというタイミングで、
当時はネットもマスコミも「日本の翼よ再び!!」の気運が大いに盛り上がっていました。
MRJの成功を熱望していたオイラにとって、そのサイトを見た第一印象は、
「ヘンな人がいるなぁ。なんでそんな水差すようなこと書くかね (;-ω-)」でした。
当時も「三菱にはムリ」という意見はあるにはあったんですが、
じゃあどうして「ムリ」なのかという根拠は提示せず、冷やかしのようにチョロッと書き捨てていく、
単なるアンチコメント的なものばかりでした。
ところがこのサイトは、根拠をきちんと示した上で、「三菱に旅客機は絶対に作れない」と断言していたのです。
サイト氏が提示した根拠を一言で述べるなら、「三菱の企業体質」ということになると思います
(理解不足で間違っていたら申し訳ないです)。
「三菱に旅客機は絶対に作れない」とする主張は当時の国内ムードとは真逆であり、
しかも氏の歯に衣着せぬ文体も相まって、かなり刺激的な、過激な記事でした。
例えば-
「国民1人当たり500円の金を巻き上げた挙句、結局大失敗する会社と、国民1人当たり500円の金を配り、成功する会社。あなたならどちらに旅客機作ってもらいますか? 金を巻き上げた挙句、確実に大失敗する会社を応援するなんて、バカですか?」
(一字一句正確ではないですが)ニュアンスとしてはこんな感じでした。
2008年当時、ホンダジェットは米国に続き欧州でも受注を開始していたのですが、
量産機の飛行も型式証明取得もまだまだ先のこと。
ましてや事業化して、それを軌道に乗せるところまで考えると、
「一民間企業でそれを成そうとするホンダより、国、地元自治体その他から手厚い援助を受けているMRJの方が確実」
という意見が(少なくとも匿名掲示板では)多かったように思います。
この記事を書くに当たって、期間を絞る条件で関連記事を検索してみたのですが、
今日広く見られるようになった「明暗分かれた両者」的な記事が登場し始めたのは、
「上期、販売数初の世界一」の報が流れた2017年でした。
それ以前の両者の扱いは、例えば2016年にこんな記事がありました。
「2015年の“MRJフィーバー”の陰に若干隠れた感があるが、もう一つ、国内企業が主体となって開発に成功したジェット機がある。ホンダジェットだ。」■
2015年といえば、MRJが初飛行した年です。
「“MRJフィーバー”」、「若干隠れた感がある」という言葉はこの頃の感覚をよく表していると思います。
ところが氏はそんな時期からホンダの方を高く評価しており、
しばしばホンダジェットを引き合いに出しては上記のような主張を展開したのでした。
二者についての氏の評価は、世間の評価と大きく異なっていた訳で、
当然ながらこれには反論コメントが続々書き込まれたのですが、氏はこれらにきっちり反論。
かなり感情的な、激しい議論が延々繰り広げられました。
結果として氏の反証記事はどんどん増えてゆき、その文書量がこれまた膨大で、
クリーム色の背景に黒文字でびっしり書き連ねたその量は、
スクロールしてもスクロールしてもなかなか最後に辿り着かない程。
「三菱の企業体質」なんて、受け売りの情報しか持たぬオイラ。
それとは対照的に、どんな批判/反論がこようが、氏は理路整然と、淡々と、
まったくブレずにそれらに返答し続けていました。
氏のあまりに自信に満ち溢れた主張を目の当たりにするうちオイラは、
「そ、そうなのかなぁ。でも開発成功して欲しいなあ(´・ω・`)」と思うようになりました。
ところが自信たっぷりに「絶対ムリ」とする氏の主張とは裏腹に、MRJは遅延を繰り返しつつも、
試験機の製造、ロールアウト、初飛行、型式証明取得に向けての試験飛行、米国に拠点設立と、
着実に段階を進めてゆきました。
2018年4月には三菱航空機の社長が「2020年半ばのデリバリーに向けて作業に勤しんでいる」と発表。
同年8月には開発責任者が「TCフライト(型式証明試験)を19年末までに終え、
2~3カ月後には型式証明を取得できるだろう」と語りました。
型式証明さえ取得できれば、すぐにも航空会社にデリバリー可能
(B787は型式証明取得から1ヵ月後にANAにデリバリーされた)ですから、
こうなると、もうデリバリー開始はカウントダウン状態も同然(個人の感想です)。
なんか自信たっぷりにいろいろ書いてたけど、件の氏の予想は外れちゃったようですなあ(o ̄∇ ̄o)
「何か弁明記事でも出してないかしらん」
なんて、野次馬根性で久々に記事を探したのですが、見つかりません。
あー。ねえ。そりゃあ、そうでしょうよ。
この頃のオイラは、そんな風に思ってました。
ところが…
その後の「一旦立ち止まる」から今回の事態となりました。
今回改めて期間の条件を絞って氏のサイトを検索したのですが、残念ながら見つけられませんでした。
もし残ってたら、超絶慧眼の持ち主として崇められたと思うのですが。。。
かなり早い時期から「三菱に旅客機は作れない」ときちんと主張した方としてネットで確認可能なのは、
オイラの知る限り一例だけあるのですが、
この方の主張は、「『作る』と『造る』は別次元」というメカニカルな面が根拠となっており、
企業体質を根拠とする氏とは別人物と思います■
オイラも含めてですが、「夢の翼 MRJ」的な意見が大勢を占めていた最初期から、
批判、反論の集中砲火を浴び続け、
それでもただ独り臆することなく堂々と持論を主張し続けただけでも凄いのですが、
今回の発表で、結局正しかったのは氏の方であると明らかになりました。
■開発中止の影響
上でも少し触れましたが、三菱スペースジェットの開発には、国民1人当たり約500円の税金が投入されています。
また、これとは別に愛知県は約100億円の支援をしており、
これは愛知県の人口7,491,010人で割ると、1人当たり1,335円となります。
部品を納入すべく研究開発に資金を投じた関連協力企業は多数ありますし、工場を新設した企業まであります。
当初の予定では2013年にデリバリー開始としていましたから、出荷を見込んでいた数多の企業にとっては、
待たされ待たされ、挙句に計画を絶たれてしまいました。
MRJ導入を決めた航空会社にとっても計画を狂わされました。
YS-11は型式証明を取得して販売までいけましたが、それでも経営的に大失敗だった点がトラウマとなり、
その後の開発気運に影響を与え、長い空白期を生み出したとされています。
今後も国産旅客機開発の気運は残り続けて欲しいのですが、
「15年がかりで型式証明すらだった」という今回の事態は国内ではYS-11以上に大きなトラウマとなり、
海外には非常に悪いイメージとして長く残り続けるはずです。
将来のいつか、国内で再び旅客機開発が始まったとして、海外を含む航空会社にセールスをする際、
今回の「2023年の開発中止」は必ず相手から突っ込まれるはず。
競合するメーカーだって、存分にネタにするでしょう。
オイラが挙げることができるのはこの程度なんですが、それでもこうして中止がもたらした諸々を考えると、
今回の中止の発表の仕方には、強い違和感を抱かずにはいられません。
これが「企業体質」ってことなのかしらん。
残された機体、三菱にとっては黒歴史の象徴なのかもしれませんが、
いつの間にかサッサと廃棄するのではなく、展示を希望する受け入れ先があれば、
移送、設置の費用まできっちり三菱が面倒みるくらいしてもいいんじゃないかと個人的には思います。
(続きます)
「三菱に旅客機は作れない」
ネットでは既に何年も前からそんな論調で埋め尽くされている感がありましたが、
オイラがこの論旨のサイトを発見したのは、2008年頃でした。
ちょうどMRJ事業化が発表され、いよいよ設計が始まろうかというタイミングで、
当時はネットもマスコミも「日本の翼よ再び!!」の気運が大いに盛り上がっていました。
MRJの成功を熱望していたオイラにとって、そのサイトを見た第一印象は、
「ヘンな人がいるなぁ。なんでそんな水差すようなこと書くかね (;-ω-)」でした。
当時も「三菱にはムリ」という意見はあるにはあったんですが、
じゃあどうして「ムリ」なのかという根拠は提示せず、冷やかしのようにチョロッと書き捨てていく、
単なるアンチコメント的なものばかりでした。
ところがこのサイトは、根拠をきちんと示した上で、「三菱に旅客機は絶対に作れない」と断言していたのです。
サイト氏が提示した根拠を一言で述べるなら、「三菱の企業体質」ということになると思います
(理解不足で間違っていたら申し訳ないです)。
「三菱に旅客機は絶対に作れない」とする主張は当時の国内ムードとは真逆であり、
しかも氏の歯に衣着せぬ文体も相まって、かなり刺激的な、過激な記事でした。
例えば-
「国民1人当たり500円の金を巻き上げた挙句、結局大失敗する会社と、国民1人当たり500円の金を配り、成功する会社。あなたならどちらに旅客機作ってもらいますか? 金を巻き上げた挙句、確実に大失敗する会社を応援するなんて、バカですか?」
(一字一句正確ではないですが)ニュアンスとしてはこんな感じでした。
2008年当時、ホンダジェットは米国に続き欧州でも受注を開始していたのですが、
量産機の飛行も型式証明取得もまだまだ先のこと。
ましてや事業化して、それを軌道に乗せるところまで考えると、
「一民間企業でそれを成そうとするホンダより、国、地元自治体その他から手厚い援助を受けているMRJの方が確実」
という意見が(少なくとも匿名掲示板では)多かったように思います。
この記事を書くに当たって、期間を絞る条件で関連記事を検索してみたのですが、
今日広く見られるようになった「明暗分かれた両者」的な記事が登場し始めたのは、
「上期、販売数初の世界一」の報が流れた2017年でした。
それ以前の両者の扱いは、例えば2016年にこんな記事がありました。
「2015年の“MRJフィーバー”の陰に若干隠れた感があるが、もう一つ、国内企業が主体となって開発に成功したジェット機がある。ホンダジェットだ。」■
2015年といえば、MRJが初飛行した年です。
「“MRJフィーバー”」、「若干隠れた感がある」という言葉はこの頃の感覚をよく表していると思います。
ところが氏はそんな時期からホンダの方を高く評価しており、
しばしばホンダジェットを引き合いに出しては上記のような主張を展開したのでした。
二者についての氏の評価は、世間の評価と大きく異なっていた訳で、
当然ながらこれには反論コメントが続々書き込まれたのですが、氏はこれらにきっちり反論。
かなり感情的な、激しい議論が延々繰り広げられました。
結果として氏の反証記事はどんどん増えてゆき、その文書量がこれまた膨大で、
クリーム色の背景に黒文字でびっしり書き連ねたその量は、
スクロールしてもスクロールしてもなかなか最後に辿り着かない程。
「三菱の企業体質」なんて、受け売りの情報しか持たぬオイラ。
それとは対照的に、どんな批判/反論がこようが、氏は理路整然と、淡々と、
まったくブレずにそれらに返答し続けていました。
氏のあまりに自信に満ち溢れた主張を目の当たりにするうちオイラは、
「そ、そうなのかなぁ。でも開発成功して欲しいなあ(´・ω・`)」と思うようになりました。
ところが自信たっぷりに「絶対ムリ」とする氏の主張とは裏腹に、MRJは遅延を繰り返しつつも、
試験機の製造、ロールアウト、初飛行、型式証明取得に向けての試験飛行、米国に拠点設立と、
着実に段階を進めてゆきました。
2018年4月には三菱航空機の社長が「2020年半ばのデリバリーに向けて作業に勤しんでいる」と発表。
同年8月には開発責任者が「TCフライト(型式証明試験)を19年末までに終え、
2~3カ月後には型式証明を取得できるだろう」と語りました。
型式証明さえ取得できれば、すぐにも航空会社にデリバリー可能
(B787は型式証明取得から1ヵ月後にANAにデリバリーされた)ですから、
こうなると、もうデリバリー開始はカウントダウン状態も同然(個人の感想です)。
なんか自信たっぷりにいろいろ書いてたけど、件の氏の予想は外れちゃったようですなあ(o ̄∇ ̄o)
「何か弁明記事でも出してないかしらん」
なんて、野次馬根性で久々に記事を探したのですが、見つかりません。
あー。ねえ。そりゃあ、そうでしょうよ。
この頃のオイラは、そんな風に思ってました。
ところが…
その後の「一旦立ち止まる」から今回の事態となりました。
今回改めて期間の条件を絞って氏のサイトを検索したのですが、残念ながら見つけられませんでした。
もし残ってたら、超絶慧眼の持ち主として崇められたと思うのですが。。。
かなり早い時期から「三菱に旅客機は作れない」ときちんと主張した方としてネットで確認可能なのは、
オイラの知る限り一例だけあるのですが、
この方の主張は、「『作る』と『造る』は別次元」というメカニカルな面が根拠となっており、
企業体質を根拠とする氏とは別人物と思います■
オイラも含めてですが、「夢の翼 MRJ」的な意見が大勢を占めていた最初期から、
批判、反論の集中砲火を浴び続け、
それでもただ独り臆することなく堂々と持論を主張し続けただけでも凄いのですが、
今回の発表で、結局正しかったのは氏の方であると明らかになりました。
■開発中止の影響
上でも少し触れましたが、三菱スペースジェットの開発には、国民1人当たり約500円の税金が投入されています。
また、これとは別に愛知県は約100億円の支援をしており、
これは愛知県の人口7,491,010人で割ると、1人当たり1,335円となります。
部品を納入すべく研究開発に資金を投じた関連協力企業は多数ありますし、工場を新設した企業まであります。
当初の予定では2013年にデリバリー開始としていましたから、出荷を見込んでいた数多の企業にとっては、
待たされ待たされ、挙句に計画を絶たれてしまいました。
MRJ導入を決めた航空会社にとっても計画を狂わされました。
YS-11は型式証明を取得して販売までいけましたが、それでも経営的に大失敗だった点がトラウマとなり、
その後の開発気運に影響を与え、長い空白期を生み出したとされています。
今後も国産旅客機開発の気運は残り続けて欲しいのですが、
「15年がかりで型式証明すらだった」という今回の事態は国内ではYS-11以上に大きなトラウマとなり、
海外には非常に悪いイメージとして長く残り続けるはずです。
将来のいつか、国内で再び旅客機開発が始まったとして、海外を含む航空会社にセールスをする際、
今回の「2023年の開発中止」は必ず相手から突っ込まれるはず。
競合するメーカーだって、存分にネタにするでしょう。
オイラが挙げることができるのはこの程度なんですが、それでもこうして中止がもたらした諸々を考えると、
今回の中止の発表の仕方には、強い違和感を抱かずにはいられません。
これが「企業体質」ってことなのかしらん。
残された機体、三菱にとっては黒歴史の象徴なのかもしれませんが、
いつの間にかサッサと廃棄するのではなく、展示を希望する受け入れ先があれば、
移送、設置の費用まできっちり三菱が面倒みるくらいしてもいいんじゃないかと個人的には思います。
(続きます)
千葉に行った話 [■旅行記]
Ⓐ自宅→Ⓑ桜花基地跡地→Ⓒ茂原飛行場掩体壕跡→Ⓓ東金飛行場格納庫基礎跡→Ⓔ銚子VOR/DME跡→Ⓕ鹿島水上機基地跡→Ⓖ習志野駐屯地のC-1→Ⓗ珍来→Ⓐ自宅
2022年2月、千葉(と1ヵ所だけ茨城)を周ったのでした。
3:00 自宅出発
気温0℃
千葉県いすみ市の桜花基地跡地を目指しました。
実は昨年の6月にもお邪魔していたのですが、基地跡は藪をかき分けて60m先にあり、
蛇(など)が出そうだったので、その時は撤退したのでした。
調べてみたところ、蛇が冬眠に入るのは最低気温が5℃を下回ったら。とのことで、
このところいすみ市の最低気温は0~2℃で推移しています。
ふふふ変温動物め。これなら動けまい。
とっととしっぽを丸めておとなしく眠っているがよいわd( ̄∇ ̄*)☆\(--
駄菓子菓子、寒さは十分申し分ないものの、一昨日から昨日にかけて関東地方は雪でした。
天気をずっとチェックしてたんですが、他はともかくいすみ市は降っても短時間のみぞれ程度。
オイラの自宅周辺はみぞれどころか雨もほとんど降らなかったので、
これなら問題なかろう。と思ってました。
ところが千葉に向って進むにつれ、途中の国道沿いには、雪が結構残っています。
こんな積もる程だったのかΣ(゚Д゚;)
国道を逸れて山間部に入っても、結構積雪してます。
桜花基地跡に現存するコンクリート製の回転台が見たかったのですが、
これはガチガチに凍った雪を砕いてどかさないとダメかも。
念のため作業用の丈夫な手袋を持ってきてたのですが、山林でこんな積雪だと、
最悪発見すらかも(;´Д⊂)
…と思っていたのですが、いすみ市の現場に近づくにつれて残雪はみるみる少なくなってゆき、
畑にもほとんど残らない状態で、結局杞憂に終わりました。
このところ都心部は積雪するのにオイラの住む田舎の方は雪がチラリとも降らないというパターンが続いており、
ホントに場所によってこんなに違うのか。という感じでした。
6:30 現地到着。
説明版には、「基地跡はこの奥約60mの場所にあります。」とだけ書かれています。
ともかく藪に突っ込み前進開始。
3:00 自宅出発
気温0℃
千葉県いすみ市の桜花基地跡地を目指しました。
実は昨年の6月にもお邪魔していたのですが、基地跡は藪をかき分けて60m先にあり、
蛇(など)が出そうだったので、その時は撤退したのでした。
調べてみたところ、蛇が冬眠に入るのは最低気温が5℃を下回ったら。とのことで、
このところいすみ市の最低気温は0~2℃で推移しています。
ふふふ変温動物め。これなら動けまい。
とっととしっぽを丸めておとなしく眠っているがよいわd( ̄∇ ̄*)☆\(--
駄菓子菓子、寒さは十分申し分ないものの、一昨日から昨日にかけて関東地方は雪でした。
天気をずっとチェックしてたんですが、他はともかくいすみ市は降っても短時間のみぞれ程度。
オイラの自宅周辺はみぞれどころか雨もほとんど降らなかったので、
これなら問題なかろう。と思ってました。
ところが千葉に向って進むにつれ、途中の国道沿いには、雪が結構残っています。
こんな積もる程だったのかΣ(゚Д゚;)
国道を逸れて山間部に入っても、結構積雪してます。
桜花基地跡に現存するコンクリート製の回転台が見たかったのですが、
これはガチガチに凍った雪を砕いてどかさないとダメかも。
念のため作業用の丈夫な手袋を持ってきてたのですが、山林でこんな積雪だと、
最悪発見すらかも(;´Д⊂)
…と思っていたのですが、いすみ市の現場に近づくにつれて残雪はみるみる少なくなってゆき、
畑にもほとんど残らない状態で、結局杞憂に終わりました。
このところ都心部は積雪するのにオイラの住む田舎の方は雪がチラリとも降らないというパターンが続いており、
ホントに場所によってこんなに違うのか。という感じでした。
6:30 現地到着。
説明版には、「基地跡はこの奥約60mの場所にあります。」とだけ書かれています。
ともかく藪に突っ込み前進開始。
素人のオイラには、そこが通り道なのか、違うのかの見分けもほとんどつかず、
行きつ戻りつ、なんとか回転台を発見。
…なんかオイラ、山で迷子になるのが特技かも。
到着してみればなんてことはないのですが、跡地への行き方は、
「真っ直ぐ進んで、突き当りを右折」とだけ書いておきます。
行きつ戻りつ、なんとか回転台を発見。
…なんかオイラ、山で迷子になるのが特技かも。
到着してみればなんてことはないのですが、跡地への行き方は、
「真っ直ぐ進んで、突き当りを右折」とだけ書いておきます。
東金飛行場跡。
その後は順調に各地の見学をすることができ、
18時に八潮市の珍来で麻婆丼を食し、
20:40 自宅に戻ったのでした。
おしまい。
今回お邪魔した場所は桜花基地以外、それぞれの記事に追記してあります。
その後は順調に各地の見学をすることができ、
18時に八潮市の珍来で麻婆丼を食し、
20:40 自宅に戻ったのでした。
おしまい。
今回お邪魔した場所は桜花基地以外、それぞれの記事に追記してあります。
走行距離:462.9km
燃費:30.0km/L
燃費:30.0km/L