鹿児島県・奄美大島要塞司令部跡
2024年4月訪問
鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋にある「奄美大島要塞司令部跡」碑。
大島海峡防備のため設置された陸軍施設です。
前記事でも触れましたが、手安弾薬本庫跡等、現存するこの要塞の一部が国指定史跡になりました。

県立古仁屋高校正門。
画面左端に碑が建立しています。
画面左端に碑が建立しています。




碑文(全文)
大正九年(一九二〇)古仁屋に陸軍築城本部奄美大島支部が開設され、直ちに大島海峡東口(皆津崎・安脚場)、同西口(西古見・実久)四地点に砲台陣地構築と共に要塞司令部施設工事が着工。後に「太平洋上の防衛制限条約」(ワシントン)が締結され工事は中止の止むなきに至った。大正十二年(一九二三)砲台工事は未完成のまゝ奄美大島要塞司令部は、現在地に開庁された。以来、要塞司令官以下各砲台監視員・所要兵科要員が常駐した。この時同時開設された父島、膨湖島要塞と共に、日本三大要塞として国防第一線を担った。以来要塞地帯法・軍紀保護法等の施行により一般住民の日常生活にも制約を受けるに至った。昭和十六年(一九四一)大東亜戦争勃発、大島海峡は南進基地と化し、艦船や戦闘機の発着が激化、海峡両岸各地には三軍の防備部隊が駐屯、沖縄作戦と共に敵機は要塞司令部を目標として間断なく来襲、同司令部も遂に古仁屋市街地と共に被爆、周囲の塀に無数の弾痕を残し終戦となった。
こゝに由来の一端を記し後世に伝承する。 平成三年秋 瀬戸内大正会
鹿児島県・奄美大島要塞司令部跡
奄美大島要塞司令部跡 データ
設置管理者:陸軍
所在地:鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋399-1
座 標:28°09'05.2"N 129°18'43.1"E
(座標は碑の位置。グーグルアースから)
沿革
1920年 古仁屋に陸軍築城本部奄美大島支部開設
1923年 奄美大島要塞司令部開庁
1941年 大東亜戦争
1945年 終戦
1991年 碑建立
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この記事の資料:
現地碑文