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朝鮮・木浦飛行場(木浦西飛行場、木浦東飛行場)跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2024年9月 記事作成(記事作成)  



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「木浦附近 附図」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070030400、木浦地区兵要地理 昭和25年7月調整(防衛省防衛研究所)


大韓民国全羅南道西南部にある木浦(モクポ/もっぽ)市。

李氏朝鮮時代末期に開港場となり発展した港町で、日本統治時代には朝鮮半島有数の大都市でした(Wiki情報)。

ここに日本陸軍の「木浦飛行場(望雲飛行場)」がありました。

第二滑走路付近には現在務安国際空港があります。

先頭のグーグルマップは、上に貼った図から作図しました。

アバウトな地図のため、少々強引に作図してしまい、続く史料では、滑走路の間隔は約3kmとあるのですが、

作図してから滑走路の中心間を測ったところ、2.3kmしかありませんでした。

おおよそこんな。ということでご了承くださいませ。

以下、上に貼った史料です。

此の地域に於て如何なる飛行場が利用出来るかそれは何の飛行場か
 木浦(望雲)飛行場

其等の飛行場は現在如何なる状態に在るか
 記載無し

如何なる機種がその飛行場を使用出来るか
 終戦時 軽爆(双発機)以下

飛行場位置の海面高度、飛行場の形状、排水施設、滑走路の長さ、幅及素質
 木浦北方約三十粁 望雲面
 滑走路二本並列(間隔約三粁)
 南北長方形 特別の排水施設
 第一滑走路一〇〇x一五〇〇 転圧のみ(一部砕石基礎?)
 第二滑走路一〇〇x一二〇〇
 土質は粘土質

格納施設(格納庫の構造)
 土製無蓋掩体(凹型)約六〇(中型機用)

燃料貯蔵施設
 土製無蓋掩体

丘陵等飛行障碍物
 なし

滑走路拡張の余地ありや、その位置
 更に二~三〇〇米程度拡張し得

道路及鉄道の便宜
 太田-木浦 鐡道 鶴橋駅より自動車道
 (鶴橋駅から約一〇粁)マカダム舗装

能力、如何なる引込線及支線があるか
 ない
 

■飛行場配當要図(内地及び朝鮮)

の図には、「木浦西」「木浦東」と2つの飛行場があるように描かれています。

これは恐らく、第一滑走路→木浦西飛行場、第二滑走路→木浦東飛行場

ということではないかと。

(戦史史料・戦史叢書検索で閲覧できます)

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本土航空作戦記録 (文書名: Japanese Monographs = 日本軍戦史 ; Monograph No. 23) (ボックス番号: 3) 

本土決戦の際、米軍が郡山付近に上陸した想定の飛行部隊展開配置図。

潭陽飛行場と共に作戦に組み入れられていました。

詳しくは前記事をご覧くださいませ。




     朝鮮・木浦飛行場跡地         
木浦飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:大韓民国全羅南道木浦市
座 標:35°00'34.4"N 126°23'32.0"E
標 高:3m
・第一滑走路
滑走路:1,500mx100
着陸帯:1,800mx120m
方 位:18/36
・第二滑走路
滑走路:1,200x100
着陸帯:1,500mx150m
方 位:18/36
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さはアジ歴「木浦附近 附図」から)

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この記事の資料:
飛行場配當要図(内地及び朝鮮)


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