朝鮮・海雲台飛行場(水営飛行場)跡地 [└日本統治時代の飛行場]
2024年10月 記事作成(未訪問)
大韓民国 釜山広域市 海雲台(ヘウンデ/かいうんだい)区にあった日本陸軍の「海雲台飛行場」。
■陸軍飛行場要覧(北海道・朝鮮)に資料があり、先頭のグーグルマップはここから作図しました。
(無断転載不可のためご覧になりたい方は、戦史史料・戦史叢書検索→キーワード入力欄に【陸軍飛行場要覧(北海道・朝鮮)】と入力→9コマ)
掩体 大一八ヶ所
収容施設 三〇〇名分
と記されていました。
■千葉清士 著『笹舟 : 自伝抄』236p(以下3点 国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。
「昭和二十年に入ると戦争はいよいよ激しさを増した。桂一は国民服に巻脚絆・戦闘帽・鉄帽・ガスマスク・水筒・雑蓑姿で隣組の人々と郊外の海雲台飛行場建設に毎日のように刈り出されるようになった。」
■誰に叫ばん : 元陸軍少年飛行兵第十二期生の記録612p
「釜山府海雲台飛行場に無事到着。五、六、七月と木浦派遣隊付となり、爆弾を翼下につけ、悪天候、払暁、薄暮、夜間を問わずに船団の援護に努力した。」
■端午之群像 69p
「二十年当初、遂に懐かしの赤い夕陽の満州をあとにして5航軍(下山琢磨中将)の指揮下に入って、朝鮮・海雲台飛行場に移駐し、木浦及び済州島を前進基地として対潜警戒と、青島との中間以東の船団護衛に任じた。」
本土航空作戦記録 (文書名: Japanese Monographs = 日本軍戦史 ; Monograph No. 23) (ボックス番号: 3)■
本土決戦の際、米軍が郡山付近に上陸した想定の飛行部隊展開配置図。
飛行場も作戦に組み入れられていました。
詳しくは潭陽飛行場記事をご覧ください■
「来信綴 日本軍連絡部(4)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010558200、「昭和20.8―10 来信綴 日本軍連絡部」(防衛省防衛研究所)
戦後の来信綴なので、米軍将校?の名前や英文が含まれるものが多いです。
朝鮮・海雲台飛行場跡地
海雲台飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:大韓民国 釜山広域市 海雲台区 水営江左岸
座 標:35°10'18.8"N 129°07'39.7"E
標 高:7m
滑走路:1,800mx300m
方 位:15/33
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さは防衛研究所資料から)
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