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朝鮮・済州島航空基地跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2024年9月記事作成 2024/12更新  



済州島.png
「済州島航空基地」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08010529900、鎮海警備府 引渡目録 3/3 (防衛省防衛研究所)(4枚とも)


大韓民国 済州島の南西端、大静邑。

広々とした畑地、草原の広がるこの場所は、かつて日本海軍の「済州島航空基地」でした。

そのスジでは有名な、海軍式有蓋掩体壕がそこら中に点在する済州島のあの場所です。

戦時中、飛行場は地元で「アルトゥル(下の原野)飛行場」と呼ばれていたのですが、

戦後接収を経て現在は韓国空軍所管の臨時滑走路になっています。

そのため「アルトゥル飛行場」という名称は現在でもグーグルマップで普通に使われています。


先頭のグーグルマップは、上に貼ったアジ歴の「済州島基地施設位置図」(以下・図)から作図しました。

図からレイヤを作って、グーグルマップに重ねてみると、

当時の誘導路が現在もほぼそのまま道路として使用されていたり、

格納庫のあった方形の地割がそのまま残っていたりと、驚くほど当時の痕跡が残ってました。

但し、図の掩体壕と誘導路の描き方が割とアバウトで、

現存する掩体壕の位置に合わせて、誘導路の形を調整してあります。

無蓋掩体壕は(オイラが見た限りでは)1つも残っておらず、どんな形状だったか不明のため、

中国 安慶市に建設された日本陸軍「安慶飛行場」の無蓋掩体壕の設計図 

から、26mx25.5mとして作図しました(かなりフリーハンドですけど)。


それから有蓋掩体壕につきましては、図には20基描かれており、

Wiki/アルトゥル飛行場や地元サイト様等には「20基のうち19が現存」とあるのですが、

グーグルマップで探した限り、オイラは17基しか見つけられませんでした。

グーグルアースで当地は2008年撮影の画像までさかのぼって閲覧可能なのですが、

2008年撮影の画像で探しても、あったはずの場所周辺にそれらしき形はありませんでした。

(グーグルマップの作図でその3基には(推定位置)と注釈してあります)


昭和8年~

地元サイト様等ネット情報によれば、当航空基地は1930年代初期に建設が始まったとあります。

(日本軍の飛行場としては)古くからあった部類ですね。

最初からこの規模の飛行場だったのではなく、

オイラの知る限り二度の拡張を経てグーグルマップの形になりました。

アジ歴に関連資料が残っていました。


8.png
「官房第3537号 8.8.1 土地買入の件 濟州島飛行機不時着陸場」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05023170400、公文備考 K巻11 土木建築 海軍大臣官房記録 昭和8(防衛省防衛研究所)(以下3枚とも)


「土地購入ノ件報告」

昭和8年、佐世保鎮守府から海軍大臣宛
用途:済州島飛行機不時着陸場用
数量:60,242坪、199,147㎡
価格:10,843.56円

7.png

済州島地形図に飛行機不時着陸場用地が示されていました(左下の矢印部分)。


文字がおもろい^^

マル秘マークの入った海軍大臣宛の資料なんですが、こんな遊び心? が入る余地があったんですね。

余談ですが軍作成の史料を見ていると、当時の書類は手書きの割合が多くその筆跡は様々で、

オイラにゃ判読不能なほど流麗な草書体から、如何にも左利きだったり、丸文字の元祖だったり実に様々です。


濟州島飛行機不時着陸場a.png

「済州島飛行機不時着陸場用地買収実測図」


道路、地割を一切無視して方形の用地買収。

この切り取り方、なんか陸軍ぽいような…



上の「実測図」をグーグルマップに落すとこんな感じ(赤枠部分)。

ここから始まったのですね。


昭和12年~


7.png
「第2373号 12.7.1 土地買入の件 朝鮮全羅南道済州島大静面」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05111121000、公文備考 昭和12年 K 土地建築 巻9(防衛省防衛研究所)(2枚とも)


最初の土地買収から4年後に飛行場増設したのですが、土地買収史料も残ってました。

「土地購入ノ件報告」

昭和12年、佐世保鎮守府から海軍大臣宛
用途:済州島着陸場増設敷地用
数量:147,257坪  486,800㎡
価格:27,582.770円

最初に買収した土地と比較すると、面積で2.44倍、価格は2.54倍なので、土地単価が僅かに上ってます。

昭和8年の最初の買収時は「済州島飛行機不時着陸場」でしたが、今回は「済州島着陸場」になっています。

広くなってちょっと昇格したんでしょうか。

それと、口座名が「済州島避難場」になっているのは、防諜目的なんでしょうか。


拡張.png


用地買収実測図もありました。

「在来着陸場」の南側が拡張したんですね。




こちらもグーグルマップに落すとこんな感じ(太い赤枠部分)。

この後更に土地買収を経て黄色い作図の範囲まで拡大したはずなのですが、

残念ながら、これ以降の土地買収関連史料は見つかりませんでした。

但し、戦史史料・戦史叢書検索で【済州島】と検索すると、

■⑤航空部隊-航空基地-87_2 済州島航空基地位置図 (20-5-1現在)

という史料があり、上のグーグルマップの黄色のシェイプの形が描かれていて、

「拡張地域(昭和二十年)」とありました。

昭和12年の段階で正方形と長四角を重ねたような形状の飛行場として計画され、

その後戦局が悪化して空襲への対応が迫られたため、敷地の東西に掩体壕、誘導路を建設するため、

昭和二十年に拡張した―

というところでしょうか。

地下施設、隧道も随分と建設されたようです。

■アジ歴グロッサリー/第58軍(砦)には一部こうありました。

「日本は韓国を併合した後、済州島を海軍佐世保鎮守府の管轄に入れ、「満州事変」、「北支事変」を通して済州島の航空基地化を進めていた」

a.png
「蘇州攻撃戦闘詳報 木更津海軍航空隊 昭和12年8月16日/附表第2 行動図及爆撃合戦図」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120384900、木更津海軍航空隊戦斗概(詳)報 昭和12.8~12.10(防衛省防衛研究所)戦斗概(詳)報 昭和12.8~12.10(防衛省防衛研究所)


増設のための文書がやりとりされたのと同じ年である昭和12年8月、

木更津海軍航空隊が済州島着陸場から蘇州攻撃を実施したことを示す図。

アジ歴で【済州島航空基地】で検索すると、

昭和12年に実施した済州島から中国大陸を渡洋攻撃した資料がいくつもヒットします。

上に貼ったのは済州島往復ですが、

大村基地を発進して中国(南京等)を空襲→済州島に着陸。というパターンもありました。

このように、済州島着陸場は中国大陸攻撃の前線基地として使用されていたのですが、

後に上海等に橋頭保を確保すると、中国沿岸の飛行場から直接出撃するようになったようです。


終戦まで

戦史史料・戦史叢書検索で【済州島】と検索すると、

■「鎮海警備管区 作戦施設工事現状報告 昭和20.3.20 件名 濟州島海軍航空隊」

という史料が見つかりました(無断転載不可のため、興味のある方は検索してみてください)。

この史料は済州島航空基地の工事進行表で、

掩体壕、誘導路から浴場、便所まで、ずらりと工事項目が並んでいます。

特に掩体壕関連を抜き出しますと、

零戦用有蓋掩体 11月1ヵ月間で6棟、同じく12月1ヵ月間で14棟
中攻用有蓋掩体 翌年4月~8月いっぱいで10棟 
艦攻用無蓋掩体 翌年7月下旬~9月いっぱいで10棟
零戦 無蓋掩体  翌年7月下旬~9月いっぱいで12棟

となっていました。

後述しますが、引渡し目録には有蓋掩体壕数:20とあります。

済州島航空基地の有蓋掩体壕は20基と様々なサイト様で記されていますが、

更に中攻用有蓋掩体10棟の計画があったのですね。

また無蓋掩体は、10+12で22基が計画されていましたが、引渡し目録の図では、

21しか確認できませんでした。

オイラが見落としてるのか…


2.png
「表紙「機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月 第17方面軍参謀部作戦班」」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070052400、機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月(防衛省防衛研究所)→ダウンロード→電報文起案・訳文綴 昭和20年6月(3)→31コマ


これは、東京の陸軍次長から朝鮮を担当する陸軍第17方面軍築参謀長宛の電報です。

昭和20年6月16日「済州島の戦備強化に関する件」の一部なんですが、

「海軍飛行場の無用工事は中止する如く海軍に交渉中」とあります。

済州島の海軍飛行場といえば当済州島航空基地のこと。

末期には陸軍とこんな交渉があったのですね。


ha.jpgia.png

先頭のグーグルマップの作図に使用した図の全体図。

北側にも基地施設が続いており、かなり広大な基地であったことがわかりますね。

実はこの図、引渡目録の一部でして、

j.jpg
航空基地についての目録も含まれていました。

「済州島飛行機不時着陸場」→「済州島着陸場」ときて、ここでやっと「済州島航空基地」になりました。

飛行場の項目に、「一,二〇〇〇〇〇平米」(≒120ha)とありますね。

図では、南北方向の滑走路の東側が広く空いていて、中央に「飛行場」と記されています。

図に従って「飛行場」の範囲と思しき部分を囲ってみたら、104haでした(先頭のグーグルマップ水色のシェイプ)。

これよりもうちょい広かったんですね。

因みにこの引渡し目録にはもっと詳しい表もあり、そこには済州島航空基地の土地:220haとありました。

また、「掩体 20個 85万円」とありました。

単純に割ると、小型有蓋掩体壕1基:42,500円ということになるんですが、高いのか安いのか…


戦後~現在

Wiki/アルトゥル飛行場 によれば、

戦後は米軍に接収され、「朝鮮戦争時にはK-40済州第二空軍基地としてアメリカ空軍は使用」とあります。

その後韓国空軍の所管となり現在に至ります。



赤マーカー地点。

日本軍当時の滑走路方向



青マーカー地点。

360°掩体壕ゴロゴロ



紫マーカー地点。

これは…映えスポットなのかしらん。



     朝鮮・済州島航空基地跡地         
(1)済州島飛行機不時着陸場(昭和8年土地購入) データ
設置管理者:日本海軍
種 別:不時着陸場
所在地:朝鮮全羅南道済州島大静面上摹里及下摹里(現・大韓民国済州特別自治道西帰浦市大静邑)
座 標:33°12'26.9"N 126°16'09.1"E
標 高:12m
面 積:19.9ha
飛行場:460mx430m
(座標、標高はグーグルアースから。所在地、飛行場長さ、面積はアジ歴資料から)

(2)済州島着陸場(昭和12年土地購入) データ
設置管理者:日本海軍
種 別:着陸場
所在地:朝鮮全羅南道済州島大静面(現・大韓民国済州特別自治道西帰浦市大静邑)
座 標:33°12'19.3"N 126°16'11.5"E
標 高:9m
面 積:68.6ha
飛行場:1,100mx900m(不定形)
(座標、標高はグーグルアースから。所在地、飛行場長さ、面積はアジ歴資料から)

(3)済州島航空基地(昭和20年土地購入) データ
設置管理者:日本海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮全羅南道済州島済州邑(現・大韓民国済州特別自治道西帰浦市大静邑)
座 標:33°12'18.9"N 126°15'59.6"E
標 高:6m
面 積:120ha(飛行場部分)、220ha(航空基地)
飛行場:芝張転圧
滑走路:1,400mx70m(芝張転圧)
方 位:18/36
(座標、標高、方位はグーグルアースから。所在地、滑走路長さ、面積はアジ歴資料から)

(4)アルトゥル飛行場(現在) データ
設置管理者:韓国空軍
種 別:臨時滑走路
所在地:大韓民国済州特別自治道西帰浦市大静邑
座 標:33°12'11.7"N 126°16'19.8"E
標 高:7m
滑走路:1,300mx280m(芝張転圧)
方 位:15/33
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1933年 土地買収
1937年 増設のため土地買収、中国大陸攻撃実施
1945年 終戦。米軍に接収される
1950年 朝鮮戦争勃発。K-40済州第二空軍基地として米軍が使用。その後韓国空軍に移管

関連サイト:
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この記事の資料:
アジ歴グロッサリー/第58軍(砦)
戦史史料・戦史叢書検索:⑤航空部隊-航空基地-87_2 済州島航空基地位置図 (20-5-1現在)
戦史史料・戦史叢書検索:「鎮海警備管区 作戦施設工事現状報告 昭和20.3.20 件名 濟州島海軍航空隊」


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