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愛媛県・愛媛義勇飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



無題2.png
測量年1932(25000 116-2-3-2 松山南部 ) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


愛媛県の松山ICすぐ近くの重信川右岸の河川敷に「愛媛義勇飛行場」がありました。

■防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」

の中に当飛行場の地図があり、先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

上に貼った1932年測量の地図は、水路部資料と年代が非常に近く、

飛行場の設けられていた地割(赤矢印部分)が全く同一でした。


同資料の情報を以下引用させて頂きます。

愛媛義勇飛行場(昭和10年6月調)
愛媛県温泉郡浮穴村大字井門地先重信河原(松山市南方約5粁)

着陸場の状況
高さ 平均水面上約25米。
広さ及形状 飛行機格納庫南方の重信川流域河原一帯を愛媛義勇飛行会県
当局より飛行場として使用方許可され使用中のものなり・着陸地域は飛行場内
図示の長さ北西-南東約500米、幅北東-南西約80米の細長き地区なり(付
図参照)。
地表の土質 礫石を混ずる沙。
地面の状況 本場付近重信川河幅は400米内外なるも常時河水の流るる本
流の幅は狭小にして此の流域には概して河原多し夏期出水時には相当に増水す
と雖も氾濫して着陸地域一帯に浸水するは5箇年間に1回程度なりと言う・着
陸地域付近一帯は南東方に緩傾斜し且同方向に緩除なる起伏あり・着陸地域内
地表は概して平坦なるも徑約10糎内外の稍大なる石を混ずる沙地にして車輪
没入の処なき概ね堅硬地なり・地表発生物なき沙地なるを以て排水良好なり・
着陸地域の北東及南西至近図示の両処に陥凹地あり(付図参照)。
場内の障碍物 着陸地域の両外側に在る陥凹地。
適当なる着陸方向 北西。
着陸上注意すべき点 着陸面に稍大なる石を混ずるを以て注意を要す・目
下本場使用中の「サルムソン」機の車輪には着陸接地滑走の際大なる影響なし
と言う。
施設 格納庫1(高さ約7米、間口奥行各約18.2米)此の屋根両外面にエ
ヒメと黒色にて記名標示す・吹流 格納庫北東側の高さ約30米の松樹頂に長
さ約4.5米の吹流を常時掲揚す。
其の他
本飛行場経営者は愛媛義勇飛行会なり・本場は目下「サルムソン」機を使用中
なり・重信川流域河原一帯に着陸可能の箇所多しと言う。 


■愛媛飛行場について

愛媛県のサイト:データベース『えひめの記憶』の中で、

大正時代にあった「愛媛飛行場」が登場します 

同サイト内の紹介によりますと、この飛行場は、「愛媛義勇飛行場」と同じく重信川河川敷にあり、

位置については「伊予郡松前町徳丸」とあり、オイラが(多分ココ)と考える場所は、

「愛媛義勇飛行場」の下流側なんですが、敷地がちょっと重なっています。

飛行場の名称も「義勇」がつくかどうかの違いだけで、(もしかして同一?)とも思ったのですが、

「同一ではない」という理由を以下列挙します。

1.時代が違う
「愛媛飛行場」は大正14年1月開場、1年5ヵ月で閉鎖
「義勇飛行場」は昭和10年11月の資料に運用中のものとして登場します。

2.大きさが違う
「愛媛飛行場」は1,000mx60m
「義勇飛行場」は500mx80m

3.地名が違う
「愛媛飛行場」は「伊予郡松前町徳丸の重信川河川敷」とあるのですが、
「徳丸」は明治期に「徳丸村」として存在しており、現在は重信川左岸側に大字として残っています。
「義勇飛行場」は昭和10年の資料で「温泉郡浮穴村大字井門地先重信河原」とあります。
「伊予郡」に対して「温泉群」と、郡名からして違うのですが、井門町は重信川右岸側にあります。

また、「愛媛飛行場」は民間の飛行学校と説明されているのに対し、

「義勇飛行場」の方はその使用目的についての説明が見当たらないんですが、

その名称、運用している時代からして、国防を意識した意味合いが強いように思います。

ということで、資料の其の他の項目にも「重信川流域河原一帯に着陸可能の箇所多しと言う」とあり、

両者は別々の飛行場と思います。


DSC_1834_00001.jpg
青マーカー地点。

資料によれば、この辺りに格納庫、吹流しがありました。


DSC_1843_00001.jpg
赤マーカー地点。

飛行地区方向




     愛媛県・愛媛義勇飛行場跡地         
愛媛義勇飛行場 データ
設置管理者:愛媛義勇飛行会
種 別:飛行場
所在地:愛媛県温泉郡浮穴村大字井門地先重信河原(現・愛媛県松山市井門町/愛媛県伊予郡砥部町)
座 標:N33°47′36″E132°46′37″
標 高:25m
着陸場:500mx80m
方 位:14/32
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1935年 この頃運用中

関連サイト:
ブログ内関連記事(愛媛飛行場跡地)   ■    

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」


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下ヶ原航空基地(六二二基地)跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



無題0.png
撮影年月日1947/10/08(USA M539_1 28) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


広島県大竹市にあった海軍の「下ヶ原航空基地(六二二基地)」。

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)

に以下記されていました。

(NIDS 戦史資料・戦史叢書検索にて閲覧可になりました 18~21コマ)

下ヶ原航空基地施設調査資料
水陸別 水上 陸上
所在地 広島県佐伯郡栗谷村
最寄駅 東海道線玖波駅
創設年月 昭和二十年八月
主要機種 練習機
主要任務 発進用 


■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」209p にも以下記されていました。

下ヶ原海軍飛行場
佐伯郡栗谷村下ヶ原 
大竹市栗谷町下ヶ原
発進
600x30砂利敷
1945年7月
国道186号。山陽本線玖波駅西北8km
「飛行場は完成しましたが、
実際に滑走路は利用されることなく終戦をむかえ、
軍施設ということで地主に戻ることなく、ニュージ
ーランド軍が約一年ぐらい駐留したとのことです」。


■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました。


NIDS 戦史資料・戦史叢書検索→【航空特攻戦備】と検索→2.第2期 22コマ 

PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m

方面  呉
牧場  下ヶ原
滑走路 三〇×六〇〇NNE
縣郡村 広島、佐伯 □□村
記事  八月末既成


DSC_1803_00001.jpg

赤マーカー地点。

滑走路方向


DSC_1811_00001.jpg

青マーカー地点。

滑走路方向



     広島県・下ヶ原航空基地(六二二基地)跡地         
下ヶ原航空基地(六二二基地) データ
設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:広島県大竹市栗谷町大栗林
座 標:34°16'40.5"N 132°08'13.5"E
標 高:147m
滑走路:600mx30m
方 位:03/21
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さは資料から)

沿革
1945年08月末 既成

関連サイト:
ブログ内関連記事  

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)


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高津町付近着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



無題8.png
撮影年月日1947/04/26(USA M363 71) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


島根県益田市高津にあった「高津町付近着陸場」。

前記事に登場した同じく島根県の「都野津町付近不時着陸場」の南西約46kmに位置しています。

■防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」に当着陸場の地図があり、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

山陰本線と、国道191号線の南側に沿うように走る道路(旧国道?)の形が当時と現在で変わっておらず、

この2つを基準に位置決めしました。

海岸線のの形が随分変わってしまっていますが、上に貼った航空写真の赤矢印の辺りに着陸場がありました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

高津町付近(昭和10年2月調)
島根県美濃郡高津町北西方約2粁高津浜海岸

着陸場の状況
高さ 平均水面上約3米。
広さ及形状 着陸地域は高津川河口西方約400米の箇所より西方に亙る海
岸波打際に沿う図示の長さ東西約600米、幅南北約50米の東西に細長き地区
なり(付図参照)。
地表の土質 礫を混ずる沙。
地面の状況 着陸地域は海岸波打際に沿い緩除なる波状の起伏あるも概し
て凸凹なき平坦地なり・地表は礫を混ずる硬き沙浜にして普通の徒歩にて足を
沙中に没入すること殆どなし・発生物なく排水は良好なり・潮差は平均約0.6
米にして大なる影響なきも高潮時波浪高きときは使用し得ず。
場内の障碍物 波打際付近に陸揚げしある漁船等あることあり。
適当なる着陸方向 海岸線に並行方向。
其の他
昭和9年8月本着陸地域付近に於て民間飛行家の興行飛行行われたりと言う。 

前記事の「都野津町付近不時着陸場」も同じく波打際にあり、歩くと靴が3cm沈む程フカフカでしたが、

こちらは殆んど沈まないとのことですので、この付近で不時着する事態になったとしたら、

極力こっちに降りたいです(それ以前に操縦できないけど)。

いつからいつまで着陸場だったのか、管理者等、不明なんですが、

こちらも陸揚げした漁船があることがあるとのことで、ゆるゆるな感じですね。

それから気になるのが、其の他の記述で、

「昭和9年8月本着陸地域付近に於て民間飛行家の興行飛行行われたりと言う。」

というものです。

この資料は昭和10年2月のものなので、「ちょっと前にこんなことがあった」という感覚だったんでしょうね。


DSC_1769_00001.jpg
赤マーカー地点付近(2枚とも)。

西南西方向

DSC_1770_00001.jpg
東北東方向



     島根県・高津町付近着陸場跡地         
高津町付近着陸場 データ
種 別:着陸場
所在地:島根県美濃郡高津町北西方約2粁高津浜海岸(現・益田市高津)
座 標:N34°41′37″E131°48′54″
標 高:3m
着陸場:600MX50M
方 位:06/24
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1934年08月 付近で民間飛行家の興行飛行実施
1935年02月 この頃着陸場があった


関連サイト:
ブログ内関連記事 

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」


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都野津町付近着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



無題3.png
撮影年月日1947/10/03(USA R514-4 119) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


島根県江津市都野津(つのづ)町、二宮町にあった「都野津町付近着陸場」。

防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」に当着陸場の地図があり、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

都野津町付近(昭和10年2月調)
島根県那賀郡都野津町、同郡二宮村(都野津町北西方約0.8粁)

着陸場の状況
高さ 平均水面上約3米。
広さ及形状 着陸地域は都野津町西方海岸波打際に沿う開示?の長さ北東-
南西約700米、幅北西-南東約80米の細長き長方形地区なり(付図参照)。
地表の土質 沙。
地面の状況 海岸波打際に沿い緩除なる波状の起伏あるも凸凹なし・概し
て海岸に向け緩傾斜を成す平坦地なり・着陸地域の地表は細き沙浜にして普通
の歩行にて靴を約3糎沙に没入する程度なるを以て車輪は相当に没入すべし・
潮差は平均約0.6米にして大なる影響なきも高潮時波浪高きときは使用し得ず
・同地域の南東外側は沙丘にして起伏及凸凹あり・西半部を横断する小流は降
水時以外は常時殆ど涸川にして此の下流は「コンクリート」造の排水暗渠と成
り上面は沙を以て覆われ視認し得ざるも着陸に支障とならず。
場内の障碍物 着陸地域付近の海岸に漂着物、網小屋、乾燥中の漁網及陸
揚しある漁船等あることあり。
適当なる着陸方向 海岸線に並行に進入着陸するを適当とす。
着陸上注意すべき点 車輪没入の処あるを以て重飛行機は特に注意を要す
・嘗て民間機着陸の際車輪を沙中に没入し□□を小破せしことありと言う又陸
軍機は離着陸に支障なかりしも発動機内に多量の沙塵を吸入せるものの如しと
言う。

砂浜を利用した飛行場は幾つか事例がありますが、

青森県の淋代海岸のように、「ハーフ・ベイクド・クレイ」と称される程硬くしまっている砂浜があるかと思えば、

ここは普通に歩いても靴が3cm沈むとか、ヒコーキが壊れるとか、エンジンに砂大量に吸い込むとかありますから、

フカフカですね^^;

これは余程のことがないと降りたくないかも。

資料内には、当着陸場がドコの管理下に置かれているか記されていません。

乾燥中の漁網、陸揚した漁船があるかも。などとあり運用も結構ゆるゆるな感じなので、

地元の漁村前の砂浜を文字通り不時着陸場に設定している(させて頂いている)。

という感じなのかもしれません。

いつからいつまでここが「不時着陸場」として設定されていたかも不明なんですが、

上に貼った1947年の航空写真を見る限り、

昭和10年の地図にある着陸場としての状態を維持しているような気がします。

昭和10年当時暗渠化されていたところ、グーグルマップで見ると、

現在は海岸に向かっていた水路が直角に曲がってますが、これは排水暗渠の名残なんでしょうか。

現在は一部緑地化していますが、掘ればコンクリの構造物が出てくるのかしらん。

この暗渠も、純粋に離着陸のための工事だったかは不明なんですが、

ほったらかしのような、それなりに手の込んでいるような、不思議な着陸場です(個人の感想です)。


DSC_1767_00001.jpg

赤マーカー地点。

滑走路方向



     島根県・都野津町付近着陸場跡地         
都野津町付近着陸場 データ
種 別:不時着陸場
所在地:島根県那賀郡都野津町、同郡二宮村(現・江津市都野津町都野津、二宮町神主)
座 標:N34°59′19″E132°10′59″
標 高:3m
着陸場:700mx80m
方 位:04/22
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1935年 この当時不時着陸場だった  


関連サイト:
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」


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なかうみスカイポート [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



島根県松江市 中海西岸にある「なかうみスカイポート」。

山陰中央新報2017年2月4日付によれば、

松江市は中海振興の一環で水陸両用機の飛行場を整備、せとうちSEAPLANESを誘致する計画であるとしました。

2018年春の運用開始を見込んでおり、飛行場としてだけでなく、サイクルステーションの併設、

水上スポーツや野鳥観察の拠点施設としても活用する計画でした。
 

残念ながらその後せとうちSEAPLANESはなくなってしまいましたが、

松江市のサイト:なかうみスカイポート(松江市中海振興多目的施設) 

松江市観光協会/なかうみスカイポート 

では、現在でも水陸両用機運用可能な施設であると謳っています。


DSC_1717_00001.jpg
斜路

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浮き桟橋


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なかうみスカイポート


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DSC_1723_00001.jpgDSC_1726_00001.jpg
サイクリングスタンド

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無料双眼鏡

DSC_1728_00001.jpg

DSC_1730_00001.jpg
駐機場

ここで180°回頭すると、

DSC_1731_00001.jpg

県道260号線(青ペイント部分)を隔ててスロープがあります。



     島根県・なかうみスカイポート         
なかうみスカイポート データ
占用者:松江市長
種 別:水陸両用飛行場
所在地:島根県松江市上宇部尾町626
座 標:35°29'26.1"N 133°08'04.9"E
標 高:3m
占用面積:3382.62㎡
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
2016年 春以降、せとうちSEAPLANESによる調査飛行、チャーター便による遊覧飛行実施
2017年02月 3日 松江市による水陸両用機施設整備計画が明らかに。2018年春の運用予定
2018年 なかうみスカイポート竣工。プレ運航開始
2019年04月 本格運航開始
2021年01月 せとうちSEAPLANES営業休止
     09月 せとうちSEAPLANES清算

関連サイト:
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