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■ヒコーキ関係の場所・リスト■ [├場所]

(オイラがお邪魔した)ヒコーキにまつわる場所を北から順にまとめてみました。

  北海道 
祈りの塔  
上春別 RB29のプロペラ   
リンドバーグの壁画   
豊頃(MICとよころ)飛行場跡地   
計根別掩体壕   
能取水上基地跡地?    
あかびらスカイスポーツ振興センター専用空港   
たきかわスカイパーク   
新千歳空港国際線ターミナル   
新琴似四番通り   
京都合資会社   
月寒練兵場跡地   
国土交通省札幌航空交通管制部  
千歳市空港公園    
北海道・帯広第一飛行場掩体壕  
北海道・苫小牧ドローン飛行場 

 東 北 
青森県・みちのく北方漁船博物館     
青森県・青森県立三沢航空科学館   
青森県・浜子海岸   
青森県・夜越山原野   
青森県・弘前練兵場跡地  
秋田県・象潟海岸  
岩手県・慰霊の森     
岩手県・燕航空部隊発祥地碑    
岩手県・岩手県立一関第一高校  
岩手県・花巻防空監視哨跡地  
岩手県・北上平和記念展示館 
山形県・楯山防空監視哨跡   
山形県・城南練兵場跡地  
山形県・米沢飛行場(計画?)  
宮城県・石巻防空監視隊第四監視哨跡  
福島県・会津塩川バルーンフェスタ   
福島県・ウルトラマン空港   
福島県・千咲原飛行場候補地  
福島県・郡山歴史資料館  
福島県・野沢秘匿飛行場候補地  
福島県・千咲原飛行場候補地  
福島県・浪江航空基地(候補地)  
福島県・南相馬滑走路(福島ロボットテストフィールド内) 
福島県・浪江町滑走路(福島ロボットテストフィールド内) 
福島県・勿来風船爆弾打ち上げ基地跡 

 関 東 
栃木県・男鹿高原駅前広場緊急ヘリポート      
栃木県・栃木国際ハブ空港(構想)    
栃木県・ツインリンクもてぎ     
栃木県・烏山防空監視哨跡     
栃木県・栃木国際ハブ空港(構想)    
栃木県・金丸原飛行場掩体壕  
栃木県・東武今市飛行場(計画)  
栃木県・口粟野防空監視哨跡  
栃木県・JUIDA・那須塩原試験飛行場 
茨城県・つくばヘリポート      
茨城県・霞ヶ浦海軍航空隊の遺跡   
茨城県・県立水戸工高/練兵場    
茨城県・JUIDA・GOKOつくば試験飛行場  
茨城県・大津風船爆弾打ち上げ基地跡 
茨城県・水戸つばさの塔 
茨城県・歩兵第二連隊練兵場跡地 
千葉県・銚子ボルタック   
千葉県・さくらの山公園        
千葉県・航空科学博物館   
千葉県・船橋無線塔記念碑   
千葉県・山縣飛行士殉空の地碑     
千葉県・大慶園ヘリポート    
千葉県・稲毛民間航空記念館      
千葉県・下滝田基地跡地    
千葉県・館山海軍航空隊宮城掩体壕   
千葉県・館山海軍航空隊香掩体壕     
千葉県・赤山地下壕跡   
千葉県・千葉県立佐倉高等学校   
千葉県・御宿VORTAC  
千葉県・鳥居崎埋立地  
千葉県・千葉県立千葉中学校・高等学校  
千葉県・松戸駐屯地のC-1   
千葉県・県営千葉県魚群探見飛行場跡地  
千葉県・習志野演習場の不時着場跡地  
千葉県・根形(第二木更津)飛行場候補地  
千葉県・香取航空基地周辺の掩体壕  
千葉県・東葛飾高等学校  
千葉県・旧陸軍気球聯隊第二格納庫跡 
千葉県・亜細亜航空学校水上班建設予定地 
千葉県・風船爆弾打ち上げ基地跡 
群馬県・群馬ヘリポート   
群馬県・高崎ヘリポート   
群馬県・向井千秋記念子ども科学館      
群馬県・邑楽町 B29墜落地点   
群馬県・御巣鷹の尾根      
群馬県・東村花輪防空監視哨跡     
群馬県・長野原防空監視哨跡     
群馬県・新田荘歴史資料館    
群馬県・伊勢崎市の防空監視哨跡  
群馬県・中島新邸 
群馬県・尾島RCスカイポート   
群馬県・西小泉駅周辺   
群馬県・熊谷線の橋脚  
埼玉県・熊谷の防空監視哨跡地   
埼玉県・妻沼駅跡以南   
埼玉県・東武熊谷線物語・1,2     
埼玉県・吉見百穴地下軍需工場跡    
埼玉県・川島ヘリポート     
埼玉県・桶川飛行学校跡地      
埼玉県・東武東上線物語・1~3
埼玉県・国土交通省 坂戸航空無線通信所     
埼玉県・土屋公園の碑   
埼玉県・三澤建設ヘリポート     
埼玉県・所沢航空記念公園     
埼玉県・越谷防災基地    
埼玉県・秋ヶ瀬ヘリポート    
埼玉県・陸上自衛隊朝霞訓練場の観閲道  
埼玉県・JUIDA・大宮試験飛行場 
東京都・東京ヘリポート     
東京都・東京大空襲・戦災資料センター    
東京都・東京シティエアターミナル    
東京都・旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕    
東京都・旧日立航空機株式会社立川工場変電所      
東京都・成増陸軍飛行場の掩体壕
東京都・京浜島つばさ公園      
東京都・三宅村ヘリポート    
東京都・第二/三八丈島航空基地候補地   
東京都・第四八丈島航空基地候補地  
東京都・東京市飛行場(計画)  
東京都・母島海軍航空基地(計画) 
東京都・青山練兵場跡地 
東京都・戸山が原練兵場跡地 
東京都・国産飛行機発祥の地 
神奈川県・野島掩体壕 
神奈川県・厚木飛行場臨時滑走路跡  
神奈川県・県立商工実習学校  
神奈川県・船越の防空監視哨跡  
神奈川県・磯子町の市電埋立地  
神奈川県・青根防空監視哨跡 

 中 部 
新潟県・阿賀野川河口付近  
新潟県・新潟県立柏崎高等学校  
新潟県・山本五十六記念館     
新潟県・高田公園  
新潟県・新潟市海岸線、新潟市學校町濱滑空場跡地  
新潟県・深才航空基地跡地(推定位置)  
新潟県・笹岡航空基地(推定) 
新潟県・英国機着陸記念塔 
長野県・大町防空監視哨跡      
長野県・陸軍松本飛行場跡地    
長野県・富草防空監視哨跡  
長野県・飯沼飛行士記念館 
長野県・上田市 松脂採取痕跡松  
長野県・上田市 仁古田飛行機製造地下工場跡  
長野県・下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート  
長野県・東長倉小学校跡地  
長野県・聖博物館(航空博物館)  
長野県・佐久市中央図書館 
長野県・軽井沢ゴルフ倶楽部 
山梨県・大月防空監視哨跡   
静岡県・中島飛行機三島製作所跡地     
静岡県・静岡ヘリポート     
静岡県・エアーパーク 航空自衛隊 浜松広報館    
静岡県・一色海岸  
静岡県・静岡県立磐田南高校  
静岡県・中島飛行機原谷地下工場跡地  
静岡県・三方原飛行場の掩体壕  
静岡県・JUIDA・富士箱根ランド試験飛行場跡地 
富山県・富山県立高岡工芸高等学校  
石川県・航空プラザ    
石川県・石川県立大聖寺高校  
石川県・粟ヶ崎砂丘   
石川県・東善作氏誕生之地碑  
石川県・松波飛行場跡地   
福井県・鯖江不時着場跡地  
福井県・敦賀練兵場跡地  
岐阜県・道の駅クレール平田のヘリポート    
岐阜県・ かかみがはら航空宇宙博物館     
愛知県・航空館boon    
愛知県・エアポートウオーク     
愛知県・名古屋城北練兵場着陸場跡地  
愛知県・伊良湖附近不時着場跡地   
愛知県・フライト・オブ・ドリームズ 

 関 西 
滋賀県・比叡山桜花特攻基地跡地 
滋賀県・虎姫高校  
滋賀県・野洲川滑空場計画地  
滋賀県・滋賀県平和祈念館  
滋賀県・柏木航空基地(未着工・推定位置)  
京都府・舞鶴の防空監視哨跡  
京都府・二十連隊練兵場跡地  
京都府・JUIDA・ATR けいはんな試験飛行場  
奈良県・奈良県立畝傍高等学校  
奈良県・美吉野運動場跡地  
和歌山県・和歌山県立星林高等学校   
和歌山県・和歌山陸軍練兵場跡地  
和歌山県・和歌山県立桐蔭高校  
和歌山県・和歌山県立向陽高校   
和歌山県・紀南ヘリポート  
和歌山県・王子ヶ浜   
大阪府・大正飛行場掩体壕  
大阪府・桃山学院中学校・高等学校   
大阪府・大阪府立住吉高等学校  
大阪府・府立生野高等学校跡地  
大阪府・津守神社南方地区   
大阪府・大阪府立高津高等学校  
大阪府・常翔学園高等学校、中学校  
大阪府・池田市立池田中学校  
大阪府・大阪府立鳳高等学校  
大阪府・陸軍航空廠跡地  
大阪府・藤井寺の無蓋掩体壕群跡地  
兵庫県・千里川土手      
兵庫県・神戸高等工業学校跡地  
兵庫県・西武庫公園  
兵庫県・尼崎北高等学校  
兵庫県・甲南大学岡本キャンパス  
兵庫県・城北練兵場跡地   

 中 国 
鳥取県・酒井片桐飛行殉難碑     
鳥取県・美保基地掩体壕     
鳥取県・皆生海岸臨時飛行場跡地  
鳥取県・美保飛行場の掩体壕その2   
鳥取県・鳥取県立博物館  
岡山県・廃川地  
広島県・甲山防空監視硝跡地   
広島県・豊栄飛行場   
広島県・広島ヘリポート  
広島県・広島県立尾道北高等学校  
島根県・大峯山偽装飛行場跡地  
山口県・岩国錦帯橋空港   
山口県・大平山   
山口県・山口宇部空港「ふれあい公園」   
山口県・関門医療センターヘリポート   
山口県・防石鉄道新橋停車場予定地  
山口県・菊ヶ浜海岸  
山口県・山口駐屯地訓練場  
山口県・藤曲の飛行場(計画)  

 四  国 
香川県・さぬきこどもの国       
香川県・二宮忠八飛行館     
高知県・高知空港周辺の掩体壕      
高知県・日章飛行場の防空監視哨跡  
愛媛県・松山空港周辺の掩体壕
愛媛県・海軍呉警備隊由利島聴測照射所指揮所跡 
徳島県・徳島空港   
徳島県・民間航空発祥の地碑  

 九  州 
福岡県・新行橋病院ヘリポート   
福岡県・小倉北区魚町の防空監視哨     
福岡県・旧小倉陸軍造兵廠の防空監視哨     
福岡県・航空交通管理センター、福岡航空交通管制部    
福岡県・大刀洗飛行場の掩体壕   
福岡県・大刀洗平和祈念館    
福岡県・大牟田市役所の防空監視硝  
福岡県・久留米練兵場着陸場跡地  
福岡県・福岡県立福岡高校  
佐賀県・海軍飛行場候補地 仮屋湾   
佐賀県・佐志海岸   
佐賀県・西ノ浜   
佐賀県・陸軍唐津飛行場候補地(大土井)   
佐賀県・松浦川岸   
佐賀県・虹の松原   
佐賀県・ジャピー氏遭難碑   
佐賀県・佐賀インターナショナルバルーンフェスタ      
佐賀県・佐賀空港のYS-11  
長崎県・川棚防空監視哨跡    
長崎県・長崎空港A滑走路地区(大村航空基地)  
熊本県・熊本渡鹿練兵場不時着場跡地  
熊本県・熊本帯山練兵場不時着場跡地  
熊本県・熊本渡鹿練兵場不時着場跡地  
熊本県・熊本帯山練兵場不時着場跡地  
大分県・佐伯海軍航空隊の掩体壕   
大分県・宇佐市平和資料館  
大分県・大神回天基地跡地(水上機)  
大分県・大分練兵場不時着場跡地  
宮崎県・・都城東飛行場跡地   
宮崎県・唐瀬原飛行場の滑走路跡地     
宮崎県・宮崎空港の周辺探索     
宮崎県・茶屋平特攻基地予定地     
鹿児島県・ 知覧特攻平和会館  
鹿児島県・鹿屋航空基地資料館 
鹿児島県・出水飛行場の掩体壕  
鹿児島県・笠野原飛行場の川東掩体壕  
鹿児島県・伊敷練兵場跡地  
鹿児島県・ニシムタ スカイマーケット鴨池店  
鹿児島県・枕崎ヘリポート  

 沖  縄 
沖縄県・伊平屋ヘリポート     
沖縄県・伊平屋空港予定地     
沖縄県・本部監視哨跡      
沖縄県・辺野古V字滑走路建設予定地      
沖縄県・瀬長島        
沖縄県・那覇空港国際線ターミナル   
沖縄県・糸満防空監視哨跡     


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東京都・国産飛行機発祥の地 [├場所]

   2020年12月訪問  





東京都新宿区、首都高の高架沿いに「国産飛行機発祥の地」の説明版があります。


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(全文)新宿区指定史跡 国産飛行機発祥の地
所在地 新宿区西五軒町三十四番地 指定年月日 昭和六十年十二月六日

 この地は、明治四十二年(一九〇九)~四十三年(一九一〇)にかけて、陸軍大尉日野熊蔵(一八七八~一九四六)により初の国産飛行機「日野式一号機」が制作された林田商会(後の日本醸造機械株式会社)の跡である。
 明治時代末、飛行機が欧米各国で急速な進歩をとげている様子を見て、日野大尉はその将来性に着目し、全く独力でイギリス・アメリカ・ドイツ・フランスの文献を参考にして飛行機用発動機と機体の設計・制作に着手し、明治四十三年二月にこの地で完成した。
 一層式で翼長約八メートル、全長約三メートル、発動機は二衝程空冷式八馬力を搭載し、完成まで三ヶ月の期間と約二〇〇〇円を費やした。
 大尉はこの飛行機に自ら搭乗し、明治四三年三月十八日、戸山ヶ原で、日本で初めての国産飛行機の実地飛行試験に成功した。
 平成二十八年十二月二日 新宿区教育委員会

ライト兄弟の人類初飛行が1903年12月でしたから、僅か6、7年後にこの場所で国産機が制作されたことになります。

前記事の奈良原1号機が完成したのは、明治43年10月下旬、

そして戸山が原練兵場にて完成した奈良原式1号機の試乗が行われたのは、同10月30日。

一方、日野式一号機が完成したのは、明治43年2月、

そして戸山が原練兵場にて完成した奈良原式1号機の試乗が行われたのは、同3月18日。

制作と試乗は日野氏の方が7か月ほど先行していたのですね。



     東京都・国産飛行機発祥の地         

所在地:東京都新宿区西五軒町12-10

沿革
1909年11月 陸軍大尉日野熊蔵、この地で「日野式一号機」制作
1910年02月 「日野式一号機」完成
     03月 18日 実地飛行試験
1985年12月 6日 新宿区指定史跡指定年
2016年12月 2日 説明版設置?

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
現地の説明版


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東京都・戸山が原練兵場跡地 [├場所]

   2020年12月訪問  



無題d.png
1/20000「東京首都」明治42年測図「今昔マップ on the web」より作成


東京都新宿区、学習院女子大のある辺り一帯は、かつて尾張藩徳川家の下屋敷だったのですが、

明治維新で明治政府に明け渡され、跡地は陸軍戸山学校、練兵場となりました。

以前もどこかに書いた気がしますが、ココはヒコーキ的に歴史上のIFの場所です。

「飛行機の国内初飛行」は明治43年12月19日、フランス製のアンリ・ファルマン機によるもので、

国産機による国内初飛行」は、それから遅れること4ヵ月と17日後の明治44年5月5日のことでした。

西洋文化を必死で模倣する当時のことですから、国産機のが遅れるのは当然で、

寧ろ、たった4ヵ月ちょいの遅れしかなかったのか。というのが個人的な印象でした。

ところが、実はフランス製のヒコーキよりもっと早く、国産機がこの場所で飛んでいたかもしれないのです。

「南国イカロス記 かごしま民間航空史」22~27pにかけて、その事を詳しく扱っていました。

 
この記事の主役である奈良原三次は、明治37年に飛行機の研究を始め(ライト兄弟初飛行は明治36年12月)、

翌明治38年には推力に花火を使った模型飛行機の飛行実験を行います。

同年東京帝国大学工学部造兵科入学。

明治41年3月に卒業すると、海軍中技士として横須賀海軍工廠造兵部に奉職。

飛行機の研究にのめり込みます。

同明治41年7月30日 日本軍部は臨時軍用気球研究会設立すると、奈良原もこの研究会委員に加えられました。

研究会の仕事もしつつ、自作機「奈良原式1号」の製作も行っており、

奈良原式1号機の主翼骨組みなどは、主として四谷の父・繁男爵邸の庭先や玄関前で行われていたようですが、

後に臨時軍用気球研究会御用・東京飛行機製作所を新宿角筈の十二社に設立しました。

奈良原式1号機はここで製作が続けられます。

開発は順調だったのですが…

 フランスに発注したノーム五〇馬力エンジンがどこで間違ったのか、手元に届いたのはアンザニー二五馬力エンジンであった。半分の馬力ではどうしようもないと思ったが、ともかく1号機に装備して試乗してみるしかなかった。
 奈良原三次が1号機を完成するのに、二千円の費用がかかった。はなはだ高価なようだが、二か月後の十二月、徳川好敏陸軍工兵大尉がフランスから持って帰ったアンリ・ファルマン複葉機は八千三百六十三円、日野大尉のドイツ製グラーデ単葉機が五千百九十六円であったのにくらべると、国産機だけに安く仕上がったといえるだろう。

奈良原1号機が完成したのは、明治43年10月下旬でした。

そして戸山が原練兵場にて完成した奈良原式1号機の試乗が行われたのは、同10月30日。

うわさを聞き伝え大勢の見物人が押し掛けてきた。
 生前の田中良の証言(メモ書きをもとにした口頭)によると、その日アンザニー二五馬力エンジンの調子が悪く、まわってもすぐ停止してしまい、継続的に回転し出したときは夕暮れが迫っていた。
 機上に上った奈良原三次は、真剣そのものの表情で全速滑走した。田中良は、はじめから終わりまで、1号機に寄り添ってでこぼこの練兵場を駆けまわったので、息切れがした。1号機の後ろから、大勢の見物人が一緒になって追いかけた。危険きわまりない。だれも飛行機が飛ぶのを見たことはないから、羽根のはえた珍奇な自動車程度の認識しか持っていないのだ。
 しかしようやく勢いがつき、少なくとも三〇㌢は地面から離れた、と田中良は証言し「国産機が最初に飛行した歴史的なことである」といい「第1号機が飛行に失敗したと記すものがあるがこれは誤りである」というメモを残している。直接の関係者としては当然の気持ちに違いない。もし現在の飛行場のように平坦な場所だったら、あるいはもう少し高く浮揚したかも知れないが、三〇㌢程度の浮揚では、飛行というのは無理な気がする。とはいえ再発注したノーム五〇馬力が手にはいれば、絶対に飛べるという自信がついたようであった。

この奈良原式1号機、後に届いた50馬力エンジンに積み替え、奈良原の弟子がこれで練習飛行を重ねました。

注文通りのエンジンさえ届いていれば、やっぱりちゃんと飛べたのです。

前述の通り「飛行機の国内初飛行」は、明治43年12月19日、ここから4km程先の代々木練兵場のことで、

欧州まで出向いて操縦法を習得し、フランス製とドイツ製のヒコーキを購入して帰国したものによるのですが、

もしも、奈良原式1号機のエンジンが25馬力ではなく、発注通り50馬力のものがちゃんと届いていれば、

フランス製のヒコーキ初飛行より1ヵ月と20日早く国産機が飛んでおり、

代々木練兵場ではなく、ここ戸山が原練兵場が、「国内初飛行の地」として歴史に名を刻んだかもしれません。

因みに「国産機による国内初飛行」は、明治44年(1911年)5月5日、完成したばかりの所沢飛行場にて、

ノーム五〇馬力エンジン搭載の奈良原式2号機が達成したのでした。

…奈良原氏凄い。


DSC_0011_00001.jpgDSC_0010_00001.jpg


赤マーカー地点(2枚とも)。

跡地南側の戸山公園から。

練兵場の飛行場適地は現在完全に学習院女子大学になっています。

オイラにとってはその学校名からして、高さ50mの(見えない)壁で囲まれているように感じてしまうのですが、

ご覧の通りで塀が巡らされ、入り口では内部を撮影する不審な輩が現れないか常に警備員が目を光らせており、

中を伺うことができませんでした。

戸山公園から当時の練兵場方向を撮ったものですが、せめてもの。ということで。



     東京都・戸山が原練兵場跡地         
戸山が原練兵場 データ
設置管理者:陸軍
所在地:東京都新宿区戸山3丁目
座 標:N35°42′23″E139°42′42″
標 高:28.4m
着陸帯:東西370m 南北205m(不定形)
面 積:5.58ha
(座標、標高は今昔マップ、着陸帯長さ、面積はグーグルマップから)

沿革
1910年10月30日 奈良原式1号機試乗

関連サイト:
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この記事の資料:
「南国イカロス記 かごしま民間航空史」


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東京都・青山練兵場跡地 [├場所]

   2020年12月訪問  



無題d.png 
1/25000「東京西部」大正5年測図8年鉄補・大正8.10.30発行「今昔マップ on the web」より作成


東京都新宿区と港区にまたがる明治神宮外苑。

ここに青山練兵場があり、国内の航空黎明期にはしばしばヒコーキが飛んでいました。

明治45年(1912年)、当練兵場にて5月11、12日に無料公開飛行が行われました。

白戸栄之助の操縦する奈良原式4号鳳号により実施されたものだったのですが、

帝都中心地での国産機初飛行であるばかりか、皇族の御台臨もあったのでした。

大正期に入ると、アート・スミスが当練兵場で曲芸飛行を披露しました。

その時の様子について、「南国イカロス記 かごしま民間航空史」69pには次のように記されていました。

 アート・スミスが最初に来日したのは、鹿児島にくる一年前の大正五年(一九一六年)三月十八日であった。スミスは、カーチス式複葉プッシャー(推進式)二機を持参した。二機ともカーチス式OX九〇馬力発動機を搭載した普通の型式だが、曲芸飛行にたえられるように、油送管を二本にして一本を輪にし、宙返り飛行中でも間断なく燃料補給が出来るように工夫してあった。
 来日したスミスは、四月一日から四日までかかって、千葉県国府台で丹念に機体を組み立て、試験飛行をくりかえした。青山練兵場で飛行大会が催されたのは、四月八日(土)から三日間であった。
 奈良原三次の無給助手だった伊藤音次郎は、スミスの飛行大会より三か月前の一月八日に、みずから設計製作した伊藤式恵美第1型(通称「恵美」号)で、稲毛から海上往復五十五分の帝都訪問飛行に成功し、新進飛行家として認められるようになっていた。伊藤音次郎は、一番弟子の山縣豊太郎を伴い、青山練兵場へ出かけていった。その時の模様は、伊藤音次郎日記によろう。
 『四月八日、土曜、晴風なし。(中略)昼食もぬきにして、二時の開会から第一回の宙返りを見た。話し程に思わなかった。その内、場内整理の為追出された。名刺を出そーと思(っ)たが馬鹿馬鹿しいので、もくして出た。そして第二回のを見た。垂直らせん降下はうまいと思った。横転でも、すべてないるすよりきびんであっただけ、素人受する飛び方であった』
 飛行大会当日の入場者は、二十万人を超えた。入場料は特等五円、一等三円、普通一円である。

1年後の1917年4月に再来日したアート・スミスは、

ここ青山練兵場の観衆12万人の前で再び曲芸飛行を披露しています。


DSC_0005_00001.jpg


赤マーカー地点。

100年以上昔ここから練兵場が広がっていて、国産機が初お披露目を行い、

また二十万を超す観衆が見守る中、曲芸飛行大会が繰り広げられました。




     東京都・青山練兵場跡地         
青山練兵場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:練兵場
所在地:東京都新宿区霞ヶ丘町、港区北青
座 標:35°40'32.7"N 139°43'07.1"E
標 高:33m
着陸帯:1,000mx550m不定形
面 積:52ha
(座標、標高、着陸帯長さ、面積はグーグルアースから)

沿革
1912年05月 11、12日無料公開飛行。奈良原式4号鳳号・白戸栄之助操縦
1916年04月 8日から3日間、アート・スミスによる飛行大会
1917年04月 25日 アート・スミスによる飛行大会

関連サイト:
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この記事の資料:
「南国イカロス記 かごしま民間航空史」


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東京都・母島海軍航空基地(計画) [├場所]

   2022/1更新(未訪問)  



無題7.png
撮影年月日1947/06/29(USA M796 27) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
 

東京都母島の「母島飛行場」。

父島の南約45km、東京から1,000km超のこの島には、「日本海軍の飛行場」伝説情報があります。

■「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」には、

母島海軍飛行場 1000x60

とあります。

またググってみると、僅かながら同様の情報がヒットします。

ただし、起伏に富むこの島には滑走路が建設できそうな適地が見当たらず、

当然飛行場跡の航空写真等も無く、(ホントにあったのかしらん)と思っていました。

そしてこの度、やっと内部資料に出ているのに気が付いたのでした(資料は前から持ってた)。


■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)の中に、

母島の項目がありました。

以下引用させて頂きます。

位置 母島
基地名 母島
飛行場 長x幅 米 1.000x60
収容施設 士官
主要機隊数 小型機
主任務 作戦
其の他記事 計画中

具体的に1,000mx60mという滑走路の長さも出ていますが、

最後の項目、「其の他記事 計画中」とありますね。

この資料が昭和20年8月調べであることからすると、計画段階のまま終戦を迎えたのではないかと。

海軍として母島のドコか特定の場所を計画地として念頭に置いていたのか、

それとも単に「母島に1,000m級の飛行場を造るぞ」という構想だけがあったのか、

「計画中」というのがどのレベルなのか不明なのですが、

「仮にココだとすると、こんな感じ」という作図がしたいと考え、

実際に1,000m滑走路が建設できそうな場所はないかと、グーグルアースや等高線をいろいろ眺めたのですが、

なんとか無理やり1,000mの直線がとれても、滑走路端にはすぐ山が控えていたりして、

残念ながらオイラには飛行場適地は見つかりませんでした。


あまりにも島全体が険しいため、

(もしかして、陸上飛行場じゃなくて水上機基地だったとか?)

なんてことも考えたのですが、資料を見る限り、ここは陸上飛行場のようです。

この資料は、東北から沖縄まで海軍の201の航空基地を網羅する一覧表なんですが、

水上機用は(水)、水陸両用は(両)と、基地名にきちんと表示が入るからです(陸上飛行場は無印)。

実際に母島のすぐ上の父島には(水)の記入があり、滑走路の長さの項目には、

滑走路の代わりに滑走台の長さ(60x30)が記されていました。

母島には(水)や(両)といった記入はありませんし、

離島で1,000mというのは、普通に考えて滑走台ではなく、滑走路のサイズですし、

仮にこれが滑走台ではなく離着水エリアのサイズだとしても、

(湖ならともかく)幅をたったの60mに狭める意味がありません。

ということで海軍の計画は、母島に水上機基地ではなく、やっぱり1,000mx60m滑走路なのだと思います。

建設のことだけで言えば、水上機基地の方がずっと容易で現実的というのは重々承知していたはずなのですが、

任務からすると、どうしてもここに1,000m級の陸上飛行場が必要だったんでしょうか。
 

以下一般論なのですが、

軍用飛行場建設は、これまでオイラが見てきた限り、

建設とその後の維持管理に周辺住民が駆り出されるケースばかりであり、

直接的な建設の労力のみならず、水食料から寝泊りする場所に至るまで、

地元の支援を受けたというケースもしばしば目にします。

建設、運用に伴う輸送のため、駅や重要道路からほど近いのもポイントです。

そのため、「陸の孤島」のような隔絶した場所ではなく、周辺にそこそこ集落のある場所が建設候補地となりました。

ところが母島の場合、戦局が厳しくなった昭和19年、住民6,886人は本土へ強制疎開となり、

以降20年以上事実上無人島になったのだそうです(軍属として残された方もいたらしい)。

母島はほぼ「山の島」で、揚陸可能な地点も限られており、道路も未整備です。

地元民の支援も期待できず、疎開後に残された島のインフラを利用するのがせいぜいとなると、

どうしても母島最大の集落(青マーカー地点)に目が向いてしまうのですが。。。

ともかく現段階ではこれ以上の情報がないため、オイラはこんな妄想がせいぜいです。

上に貼った航空写真は、終戦から2年弱のグーグルマップマーカー周辺です。

一体ドコに建設するつもりだったんでしょうか。。。



     東京都・母島海軍航空基地(計画)         
母島海軍航空基地(計画) データ
管理者:海軍
種 別:作戦・陸上飛行場
所在地:母島
滑走路:1,000mx60m(計画)

沿革
1945年08月 計画中

この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)


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