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RJTT RJAA [├雑談]

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10月12日(土) 15:10


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10月13日(日) 19:10


皆様お住まいの地域はいかがでしたでしょうか。

被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。


コメント(4) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

■ヒコーキの雑談・リスト■  [├雑談]

2005年
空港がいっぱい (全国に空港、飛行場はいっぱいあるという話)
飛行場の跡地  (オイラの地元の飛行場跡地の話)
ボーイング王国日本(今後日本がボーイング王国になってしまうという話)
太平洋無着陸横断への挑戦(挑戦の様子を年表形式でまとめたような話)
岩手県・花巻空港(旧ターミナル運用当時
)(国道のすぐわきに空港があった話)    
3レターコード
  (3レターについての話)
飛行機の燃費節約(ヒコーキ流燃料節約術の話)
さようなら YS-11(YSについての話)

2006年
エコノミー席での背もたれ倒し(エコノミーで背もたれを倒すのはやめませんか?という話)
災害とヒコーキ (新潟中越地震とヒコーキの話)
一ヒコーキ好きの嘆き(ヒコーキマニアの自虐ネタの話)
日航機ニアミス判決(判決についての話)
ヒコーキはなぜ飛ぶか・1(空気はスゲー重いという話)
ヒコーキはなぜ飛ぶか・2(ヒコーキはスゲー軽いという話)
あなたもパイロットになれますか?(人を陥れる話)
ベルヌーイvsニュートン・1(ベルヌーイで世界中が納得しているかと思ったら大間違いという話)
ベルヌーイvsニュートン・2(ベルヌーイの疑問点の話)
ベルヌーイvsニュートン・3(それぞれの言い分の話)
乗客が全員力士だったら(それでもヒコーキは飛ぶか?という話)
大西飛行場のその後(大西さんの夢はまだまだ続いているという話)
戦闘妖精雪風・DVD(雪風カッコイイイイイ!という話)
「機長、コーヒーです」(自衛隊関係者の皆様、ゴメンなさいという話)
気をつけなくっちゃ(マスメディアのヒコーキ話には結構ツッコミどころが多いという話)
本当の幸せとは(パイロットもいろいろ大変。という話)
YS-11企画展@所沢航空発祥記念館(YSイベントの話)
鳥人間コンテスト(同コンテストについての妄想記事)
UFO(UFOの正体にするどく迫った記事・笑)
A380の翼面荷重(A380の翼面荷重を他機といろいろ比較してみた話)
ヒコーキ雲(ヒコーキ雲ができる条件の話)
羽田空港の駐車場(P1,P2)(P1,P2の利用法の話)

2007年
ぼくは航空管制官(について熱く語った話)
ぼくは航空管制官2(同上)
空港ランキング(ビューベスト5)(今まで見た中で、眺めのよい空港の話)
空港ランキング(マニア度 ベスト5)(今まで見た中でマニアックだった空港の話)
空港ランキング(家族でドライブ ベスト5)(今まで見た中でドライブにお勧めな空港の話)
ボン社事故(Q400胴体着陸関連の妄想記事)
ヒコーキ好きにとって魅力的な空港(オイラ的魅力的な空港)      
新石垣空港建設計画
(建設決定 という話)      
ホンダエアポート/飛行船
(ホンダエアポートで飛行船を見学した話)      
石垣空港の跡地利用
(地元の方の懸念の話)      
PAN AM Tシャツ
(もらって嬉しかった話)
新潟空港阿賀野川側からの撮影情報
(解放して欲しい話)     
B787・1 開発開始までの迷走
(開発までを時系列で並べてみた話)      
B787・2 開発開始
(ロールアウトまでを時系列で並べてみた話)       
4レターコードの ”とり説”(改訂版)・1
(4レターの法則についての妄想話)
4レターコードの”とり説”(改訂版)・2(4レターの法則についての妄想話・2)
那覇~下地島 運休(エアトランセがコケてしまった話)     
ブログ紹介
(すごいお方のブログ紹介の話)     
波照間路線の今後
(エアードルフィンさん、引き継いでくれるの? という話)
名古屋空港事故(F-2事故の話)      
いわて花巻空港の展示物
(気になっていたものを確認した話)       
波照間路線の今後・2
(エアードルフィンさん、ありがとう!!という話)
妄想ドライバーの日々(運転中、パイロットになりきってる人の話)
波照間路線の今後・3(RAC波照間便廃止、という話)

2008年
交通機関とエコ その1(三乗の法則のちょっとおさらいの話)
交通機関とエコ その2(まずは船にダメ出しする話)
交通機関とエコ その3(列車にダメ出しする話)
交通機関とエコ その4(ヒコーキにダメ出しする話)
交通機関とエコ その5(鉄道活用の話)
岐阜県・各務原(各務原すげー!という話)
静岡空港(開港前)
(開港前に見に行った話)
羽田空港
(鶴丸ゲットした話)
ぼくは航空管制官3(ぼく菅3 出たよ!という話)
運休、廃止(福島空港、佐渡便の話)
ふくスカ桃祭り 2008・1(カンクリさんに会った話)
ふくスカ桃祭り 2008・2(室屋さんを見た話)
新サービス?(ここはドコ?という話)
ふくスカ・1(リンゴ祭り・午前の話)
ふくスカ・2(リンゴ祭り・午後の話)
旭伸航空(見納めの話)
映画 ハッピーフライト(珍しく映画の話)

2009年
空港探索について・1(ブログの路線変更の話)
空港探索について・2(優先順位の話)
バードストライク、FOD・1(用語の薀蓄話)
バードストライク、FOD・2(エンジンに金網張れない話)
バードストライク、FOD・3(鳥を追い払う苦労話)
バードストライク、FOD・4(エンジンの話)
バードストライク、FOD・5(またエンジンの話)
バードストライク、FOD・6(安心させる話)
787情報(787進捗情報の話) 
B787・3 ロールアウト以降のつまずき (ロールアウト以降の時系列の話)
787関連 衝撃の人事発表(恒例のお騒がせ話)
B787・4 概要(787スペックなどの話) 
Hotelicopter(壮大なスケールのエイプリルフール話) 
続・Hotelicopter(なんでこんなに壮大なことしたかの話)
羽田おきてん(羽田空港の変遷の話)       
アンケートのお願い
(メーカー、機種の人気投票の話)    
B787 6月にテストフライト  か?
(見事に裏切られた話)   
アンケートの結果です
(そのまんま結果発表の話)  
戦争遺構(なんで跡地を回っているのか、の話)     
ファーストクラスの世界・1
(行きの話)    
ファーストクラスの世界・2(戻りの話)   
ファーストクラスの世界・3(38,000円!!!! の話) 
787 エンジンテスト(787のエンジンの話) 
787 中間ガントレットテスト終了(初飛行の期待が高まっていた話)    
羽田D滑走路工事
(D滑走路を見学した話)  
羽田再拡張
(あちこち工事してる話) 
787初飛行延期
(トラブル発生!!! の話)  
東武小泉線物語
(小泉線変遷の話) 
東武小泉線西小泉駅
(西小泉駅周辺の話)      
熊谷~大幡・前編
(熊谷駅から歩いてみた話)  
熊谷~大幡・後編
(続きの話)   
787 いつになったら飛ぶの?
(豚よりは速く飛んで欲しい話)      
787 新スケジュール発表される
(今度は大丈夫??? という話)      
JALのこと・1
(コストをLCCと比較してみる話)     
JALのこと・2 安全確保
(整備費以外を削って欲しい話)    
JALのこと・3 日本の空にLCC
(LCCの運賃にビックリの話)    
Amazing Jumbo Landing!
(ヒコーキ動画の話)       
北方領土の飛行場
(上から丸見えの話)       
九州へ行った話
(社長に謁見した話)    
室谷さん@会津塩川バルーンフェスティバル2009
(ご家族の会話が面白かった話)      
それがマニア・1
(マニアの心理に鋭く迫った話 かな??)    
沈まぬ太陽
(JALに頑張って欲しい話)      
それがマニア・2
(自己診断の話)    
ヒコーキ版・今年の重大ニュース(アンケートのお願い)
(そのまんま今年の重大ニュースの話)    
ヒコーキ版・来年の重大ニュース(アンケートのお願い)
(来年に何に興味ある?? の話)     
787ファーストフライト スケジュール発表
(予定通り飛んでおくれ~ という話)   
787ファーストフライト
(やっと飛んだ話)    
B787・5 初飛行までの経緯
(初飛行までを時系列に並べた話)     
ヒコーキ版・今年の重大ニュース 結果発表
(投票ありがとうございました という話)    

2010年
ヒコーキ版・今年気になるランキング(こちらもご協力ありがとうございました という話)   
佐賀空港のYS-11再び!! (またワイエスが見られるようになる。という話)    
羽田・1
(羽田空港を見学して来た話)       
羽田・2(続きの話)      
787は今年中にデリバリーできるのか?
(についてアンケートお願いの話)       
どの路線にデビューする? 787
(についてアンケートお願いの話)       
航空自由化と離島路線
(小難しい話)
鴨池飛行場(鹿児島のこういちさんからいただいた当時の貴重な情報とお写真の話)
モヒカンジェット(やっとモヒカンをゲットできた話)
ツェッペリンNT号 事業停止(飛行船の話)  
ヒコーキ二題(ヒコーキの話ふたつ)
717の話(そのまんま717の話)
787デリバリー またまた遅延(また遅れてしまった話)
LCCの話(そのまんまLCCの話)
成田空港の運用時間は何時間?(成田の運用時間は短い。という話)
羽田見学(国際線ターミナル見学の話)
ハブ空港・1 国内線ここまでの話(国内線のここまで話)
ハブ空港・2 「ハブ空港」=「大空港」?(ハブ空港の話)
「ハブ空港」・3 日本と「ハブ空港」(ハブでいろいろ妄想する話)

2011年
787デリバリー 新スケジュール発表
(2011年第3四半期(7~9月)だそうですよという話
ハブとメーカー
(787と380の話)
「オペレーション・スターシップ」(エイプリル・フールネタ)
Q:どの位燃やされる?(久々の三択クイズ)
6周年(どうもありがとうございます)
A:どの位燃やされる?(三択クイズの続き)
B787、日本初飛来決定!(そのまんまの話)
二宮忠八とライト兄弟・1(思いつくままにいろいろ書いた話)
二宮忠八とライト兄弟・2(上に同じ)
ビードル号記念飛行(帰ってきたビードル号の話)    
787とウインドウォッシャー
(ついた話)
B787・6 デリバリー開始までの経緯(シリーズ完結の話)
787就航
(おろ・おろしさんおめでとうございます。という話)
日本とダグラス旅客機(ダグラス大好き~という話)

2012年
ヒコーキの前後バランスの話
(ウエバラの話)
エンジン位置の話(意外といろいろ差が出る。という話)
HondaJet・1 年表(実は先の二つの記事は前フリだった話)
HondaJet・2 MH02(元祖HondaJetの話)
飛行場の場所を教えてくださいm(_ _)m(他力本願な話)
日本のジェットエンジン開発(エンジン開発の皆さん、頑張ってください!という話)
HondaJet・3 エンジン開発(実は前記事は前フリだった話)
翼の取り付け位置の話(いろんな事情の話)
HondaJet・4 OTWEM(「主翼上面エンジン配置」の話)
HondaJet・5 翼型(「自然層流翼型」の話)
沖縄の飛行場の変遷(沖縄にはたくさん飛行場があった話)
787の近況(大急ぎで作らないといけない話)
米国にエアバスの工場(受注競争に与える影響を心配する話)
秘匿飛行場
(本当にここだったのかしらん。という話)
HondaJet・6 機体の特徴など(シリーズ完結。という話)
787デリバリー1周年(次の1年で何機デリバリーできるかという話)
岩国錦帯橋空港(べっ、別に偶然開港前にたまたま前を通りかかっただけなんだからねっ! という話)

2013年
787運行停止
(今のうちに膿を出し切って欲しい話)
787運行停止・その2(トラブルまとめの話)
787運行停止・その3(バッテリーの話)
787運行停止・その4(大人の事情の話)
A350XWB の近況(後発の利点を最大限活かしてる話)
枕崎空港廃止(寂しい話)
神風号亜欧連絡飛行・1(出発までの話)
神風号亜欧連絡飛行・2(その後の話)
787運行再開(やっと再開した話)
"重い"787(実は重かった。という話)
飛行の中の非日常(ヒコーキが怖くなる話)
八丈島の飛行場・補足(米軍もよくやるよ。。。という話)
787デリバリー2周年(OILMANさんおめどうございます。という話)
「君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らず。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」(防空識別圏の話)

2014年
福島空港とウルトラマン(福島空港を応援する話)
とり日記(ムック本に載った話)
広島ヘリポートのレターコード(ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。という話)
ANAの787(データ拾うのにすんごい苦労した割に地味な話)
桶川飛行場の「弾薬庫」のこと(奉安殿?? という話)
内閣中央航空研究所のこと(どんな研究所?? という話)
福岡第一飛行場
(離陸待機の話)
787デリバリー 3周年(いろいろ妄想が広がった話)
MRJ・1(祝・MRJロールアウト という話)
MRJ・2(続きの話)

2015年
ヒコーキネタ(ヒコーキネタいろいろの話)
HondaJet ワールドツアー@岡南飛行場
(おろ・おろしさん ありがとうございます!! という話)
伊良部大橋開通(やっと開通したけれど…という話)
オバーの歌(不思議な歌の話)
御宿と銚子のVOR廃止(コース変更の話)  
祝! MRJ 初飛行(この先も頑張って欲しい話)   
根岸氏と水産試験場のこと(疑惑の話)   
Honda Jet デリバリー開始(\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/)   
続・根岸氏と水産試験場のこと(やっぱりそうだったっぽい話)  

2016年 
ANA、A380発注正式発表(ANAは別にA380の運航がしたい訳じゃないような気がする話)
セントレア二題(順調にすすむのかしらん。という話)  
磯子埋立地 1,500mのナゾ(いろいろ妄想した話)   
ボーイングのデリバリー数(もうすぐ500!という話)  

2017年
国交省、完全自動化旅客機導入の方針(エイプリルフールネタ)
ボーイング、自動操縦ジェット旅客機の関連技術試験実施へ(うわの空)
朝鮮強化月間開催(しますよ!という話)
韓国、北朝鮮の飛行場(済州島に行きたくなった話)
朝鮮強化月間終了(終わりましたよ!という話)
那覇空港第二滑走路(何のために造ったのか分からなくなる話)  
松本空港展望デッキ(見学には辛い時代の話)  
せとうちホールディングス(ノウハウを国内に持ち込むつもりなのかしらん。という話)  
那覇空港・1(アップまで2カ月かかったけど、結局どうすればいいか分からない話の始まり)  
那覇空港・2(更によく分からなくなる話)
那覇空港・3(ますますよく分からなくなる話)
那覇空港・4(分からないまま終わる話)  
横田空域と羽田新ルート(これもよく分からない話)  
伊丹空港の展望デッキも。。。(見学には辛い時代の話2)

2018年
羽田空港ボーディングステーション供用開始(一度利用して見たい話)
ホンダジェット(世界地図色塗りがすげー大変だった話)
ボーイングとエンブラエル提携へ(この記事が実現するには幾つも奇跡が必要な話)
MRJデリバリー前倒しなるか(ちょっといい話)  
軽井沢の飛行場について(意外といっぱいあった話) 
SkyVectorのチャートのこと(同上の話) 
中国、2035年までに空港数をほぼ倍増へ(世界の本〇みたいな話) 

2019年
A380生産終了・1(胴体の話) 
A380生産終了・2(主翼の話) 
A380生産終了・3(エンジンの話) 
A380生産終了・4(航空会社の話) 
A380生産終了・5(メーカーの話・上) 
A380生産終了・6(メーカーの話・下) 
大西洋今昔(ちゃんと大圏コースの話) 


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大西洋今昔 [├雑談]



A380関連で大西洋記事書いてる最中、リンドバーグはどんな感じで横断したのか、気になって作図してみました。

1927年
5月20日 07:52(現地時間) ニューヨーク ルーズベルト飛行場離陸滑走開始
5月21日 22:22(現地時間)パリ ル・ブルジェ飛行場着陸
飛行時間:33時間30分
賞金:25,000$



無題1.png
flightradar24

現在はこんな感じ(XДX)

ニューヨーク→パリの飛行時間:7時間ちょい

料金:4万円台~

時間帯によっては、南側にもっと何列もヒコーキが連なります。

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A380生産終了・6 メーカーの話(下) [├雑談]

大型機開発前夜
世界初のジェット旅客機コメットが登場するまで、
「ジェット旅客機なんて、燃料喰い過ぎて商売にならない」と思われていたのに、
いざコメットがデビューすると、燃費は意外と悪くないし、速いし揺れないしで、
乗客からも航空会社からも受け入れられ、たちまち人気に火が付いたのでした。

その後、B707、DC-8、B727、B737といった100席クラスのジェット旅客機が大ヒット。
好景気に支えられた航空需要の爆発的な伸びに対応しようと、
B707やDC-8は胴体をどんどんストレッチして200席前後の型を出すのですが、
もうこれ以上伸ばせないところまでくると、
より経済的で強力なターボファンエンジン開発の目途がついたこともあり、
「よーし、次はバスのようにいつでも気軽に乗れる大型ジェット旅客機の時代だ!」
として、通路が2列の大型機開発の機運が欧米で高まったのでした。

ここまで連戦連勝で資金力、工業力のある米国メーカーは、ボーイングの747、
マクドネル・ダグラスのDC-10、そしてロッキードのトライスターと、
いきなり3機種の大型機開発を開始。

一方欧州の方は、開発しても開発しても、ちっとも売れない。
という状況が戦後約20年続いてしまいました(つД⊂;)
もしも当時ネットがあったら、【悲報VFW614爆死】【メルキュール売れ過ぎwwww】
みたいに散々叩かれていたのかも。
どうして欧州の旅客機がこんなに売れないのかについては、
「そんなの造ってたら、そりゃあたくさんは売れないでしょうよ。。。」
と言いたくなる自爆も多々あり、これについて書いていたらまた記事が長くなるので割愛しますが、
欧州機が売れない自爆以外の要因として、
大戦中自国領土に直接大きな被害があったため、
欧州はそもそもスタートから圧倒的に不利だったのが大きいです。
余談ですがプロペラ機部門では、アメリカのダグラスとロッキードの覇権争いが世界を席巻していました。
ジェット旅客機の開発競争ではロッキードがボーイングにすり替わっただけで、
どちらにしても「アメリカ一強」という構図は変わりません。


A300/A310の開発
旅客機開発には莫大な予算が必要な訳ですが、欧州各国政府は
多額の助成金を出すのが当たり前の状況で、それで失敗を繰り返したため、
メーカーはおろか国力まですっかり余裕がなくなってしまいました。
しかも、「A300を造るぞ!」と正式に決めた1969年は、予算が当初の3倍以上に膨らみ、
英仏両政府が湯水のように開発費を注ぎまくったコンコルド初飛行の年でした
(そしてこれが20機で生産終了という。。。)。
「コンコルドの誤謬」「コンコルド効果」なんて不名誉な言葉を生む程に、
コンコルドにまつわるお金の話はまだまだ悲惨な続きがあるんですが、
ともかくこれから新たに開発する大型エンジンと、
これまで造ったことのない規模の大型旅客機開発ともなると、
もはや1国で開発するのは余りに危険過ぎ、欧州で力を合わせて1機種造ることに
(その間、ドイツとフランスは件の小型機開発はしてる。12機しか売れなかったけど)。
747のみならず、モロにキャラ被りしてるDC-10とトライスターまで造れちゃう米国とは対照的ですね。

因みにA300用エンジン開発は当初ロールスロイス社の担当でした。
欧州で力を合わせて造るんですから、エンジンがイギリス製というのは至極当然と思うのですが、
その後、ロールスロイス社はトライスター用の大型エンジンを受注し、
こちらの開発を優先します(なんたって大成功が約束されているアメリカ様のヒコーキだし)。
ところがこれが困難を極め、倒産してしまいます(XДX)
実はボーイングも747の開発に想像以上に手こずり、倒産寸前まで追い込まれました。

未知の大型機開発が如何にギャンブルかを示す事例ですが、
もしかしたらエアバスにとっては、開発ハードルの低い双発だったのが幸いしたのかも
(エンジンが増えるだけですごく複雑になるらしい)。
仮にA300でコケてたら、今エアバス社って存在していたんでしょうか?
存在していたとして、果たして今の姿だったんでしょうか?
時々思い出したように売れないヒコーキ作っては、
「おお、そういえばエアバスって未だあったんだ。。。」
なんて状態だったとしても、不思議はないのかも。
後がない欧州は、747、DC-10、L-1011の開発状況を睨みながら、
慎重に仕様を決めることにしたのでした。

アメリカのメーカーが大型機の仕様を検討していた際、
一部航空会社からは「双発にして欲しい」という要望もあったのですが、
大型機に使用できるクラスのエンジンは当時未知数でしたし、
例の120分ルールができた1985年は遥か先のことで、
双発旅客機は、まだまだ信頼性が低いと見られており、
双発機は米国の航空法で悪天候下の運用に制限がついていました。
アメリカの大型機が4発と3発になった背景には、
当時のそうした双発機の制約や信頼性の低さも関係したと思われます。

一方のA300は、ヨーロッパ域内を飛び回れば十分の中短距離機と割り切り、双発としました。
加えてキャビン下の貨物室には、米国の大型機と同じ規格のコンテナを
入れられるようにすることが早い段階で決まっていました。
これは、欧州のフラッグキャリアが国際線用に747とDC-10の発注を決めたためです。
世界各国から欧州に到着した747とDC-10から、
乗客はA300に乗り換えて最終目的地に向かうのですが、
貨物の方も同様に747とDC-10からA300にスムーズに積み替えができるように。
と配慮してのことです。

花形の国際線には747とDC-10を使用し、
A300は欧州の地方空港へとチョコマカ飛び回る役割に徹するという、
同じ「大型機」というカテゴリーの旅客機を開発しているはずなのに、
航空先進国を自負する誇り高き欧州、そして現在のエアバス社からは
想像もつかない裏方振りですが、
ナローボディのジェット旅客機で16%のシェア(オイラ調べ)しかとれない当時としては、
仕方のない判断だったのかもしれません。
(当時のアメリカにとってA300は、「欧州の弱小寄せ集めメーカーが造る
、欧州専用機」という捉え方で、眼中なかったらしい)

こんな感じでA300は、当時デビューしていたB727、B737、DC-9といった
100席クラスのナローボディ機よりはずっと大きいんですが、
三発のDC-10、L-1011よりは小さく、4発の747より更に小さいという、
連戦連勝向かうところ敵なしのアメリカ様との正面衝突をとことん避けた
隙間狙いの仕様となったのでした。

こうして慎重にも慎重を期して仕様を決めたはずなのに、
いや却ってそれが災いしたのか、イザ完成して初飛行の段になっても、
受注数はたったの13機でしたつД`)・゚・。・゚゚・*:.。
それでもここから各種改修と、非常に粘り強い(強引ともいう)セールスで
少しずつ販売数を伸ばしていったのでした。
なんとしてでもアメリカの航空会社様に買ってもらうため、
米イースタン航空には4機を半年間無料貸し出し、
「A300はちょっと大き過ぎるんだよね」と難色を示されると、
200席機を導入した場合の運航費との差額を4年間補填するという
破格の条件までをつけたのでした。

極めつけは、イースタンのドル箱路線であるラガーディア空港の改修費用
50万$を拠出するという大盤振る舞い(☆Д☆)
欧州の航空機メーカーが米国の空港の滑走路改修費用を出すという、
ちょっとあり得ないような措置なんですが、
こうした営業努力が実り、アメリカでの橋頭保を確保。
エアバス社のサポート体制も十分なもので、アメリカ航空会社ビッグ4の一つ、
イースタン航空の高評価はその後のセールスに繋がりました。

その頃世界的な景気減速があり、A300はじめ旅客機の売れ行きが鈍ったんですが、
それまでは「エッ! 大型機なのにエンジンたった2つなの?」
と、双発であることが短所としてあんなに頼りなく見られたのに、
徐々に景気が回復してくると、その見方が一転、「双発なのにたくさん乗れる」
と、双発であることが経済性に優れた長所と見なされることに。
胴体短縮型のA310と合わせて、最終的に816機もの受注を得ることができました。
一方アメリカの三発機はというと、
L-1011 250機、DC-10 446機、MD-11 200機の計896機でした。
A300大善戦です\(^o^)/
1950年代や1960年代の、「採算分岐点上回ったら大成功!!!」からすると、隔世の感ですね。

これは完全に蛇足で、オイラの妄想話なんですが。
A300開発当時、ジェット旅客機で「双発」というのは、既に散々造られ、
別に珍しくもなんともなかったんですが、
ワイドボディで「双発」というのは、A300が世界初でした。
当時の航空会社からも「双発にしてよ」という要望はありましたし、
いずれ大型機でも双発が登場するのは必然だったのでしょうが、
前述の通り当時は双発の信頼性が低く、「エ? 大型なのに双発? 大丈夫?」
的な反応が一般的でした。

ところがその後航空王国アメリカでもA300の運航が始まると、
優れた実績(イースタン航空就航初期の定時出発率98.4%)を示し、
信頼を勝ち得ていったのでした。
開発当時の欧州は諸々の厳しい事情を抱えていた故に、3発4発ではなく
双発機を開発せざるを得なかった。
というのが実情だと思うんですが、それでも結果的にA300は、
経済性、信頼性を実証することで、「双発の大型化」の流れを確実に速めました。

747に遠慮して仕様を定め、エアバス社が初めて世に送り出したA300。
「双発の大型化」というA300の生み出した流れは、徐々に旅客機の奔流となりました。
時を経て「打倒747」を目指し、エアバスが開発した世界最大の旅客機が、
よもやその奔流に飲み込まれようとは、本当に皮肉なことです(別にこじつけてない)。


A320
1974年の初飛行から10年でA300の受注は259機に達し、
まだまだ受注の見込める状況が続いていました。
アメリカの三発機とも互角の勝負ができるまでに地歩を固めたエアバスが次に目指したのが、
1950年代1960年代、アメリカにコテンパンにやられた100席クラス機のリベンジでした。
絶対に失敗の許されないA300では、アメリカ様とぶつかってしまわないよう
おっかなびっくりだったのと対照的に、
今回は世界中を席巻していたB737、DC-9(と後継のMDシリーズ)に真っ向から勝負を挑み、
1988年にデビューしたのがA320でした。
B737とDC-9は、どちらも初飛行が1960年代なんですが、
この2機がまるで化石に見える程のハイテクを装備したA320は、
アメリカを含む世界中の航空会社から支持を集め、今日に至るまで生産が続いています。
現在のところB737のデリバリー数が10,533機に対し、
20年遅れで登場したA320は8,281機まできています。
しかも受注残はA320の方が多く、B737は現在暗雲垂れこめている状況です(2019/4現在)。


A330/A340
250~300席クラスのA300、100席クラスのA320ときて、
次にエアバスが開発を進めたのが、1970年代のA300では
アメリカ様に遠慮して造れなかった300~400席クラスのA330とA340でした。
1970年代はA300一機種の開発がやっとだったのに、
今度はそれより大きいヒコーキを同時に二機種開発ですからすごい躍進です。

ここまでA300をちょいちょい「大型機」と称してきたんですが、
これは1960年代の100席クラスしかない時代の、「もっと大型機を造ろう」
から来た便宜上のもので、中型機に分類されるB787より、A300って
一回り小さいんですよね。
実は「大型機」「中型機」「小型機」という分類には、
「何席以上は大型機」みたいに統一された決まりがある訳ではなく、
A330を大型機とする記事もあれば、中型機とする記事もあります
(エアバスは公式サイト内で「中型機」と表現してます)。

話を戻します。
ということで、150席クラスのA320から、400席クラスのA340まで
一応のラインナップを揃えた1990年代末、
アメリカの旅客機メーカーはボーイング一社のみとなり、それ以降、
エアバスは受注数、デリバリー数でボーイングと互角、若しくはそれ以上にまでなったのでした。


A380
ところが、唯一エアバスが持っておらず、
ボーイングがほくほく顔で殿様商売を続けるカテゴリーが最後に残りました。
超大型機部門です。
各カテゴリーでボーイングと互角に勝負できるまでになったのに、
ここだけがポッカリ抜けているせいで、美味しいところを完全にさらわれています。

双発のA330と4発のA340開発を正式決定したのは1987年のことで、
それから2年後の1989年にエアバスは747への対抗機の開発作業を本格化させています。
どうしてA340がわざわざ4発でなければならないのかについては、
ちゃんともっとも(らしい)な説明があるんですが、オイラにはどうしても
「超大型機開発~747に想いを寄せて~」の布石に思えてなりません。

前記事にも書きましたが、1990年代は747が最も売れた絶頂期で、
毎年のように50機超えのデリバリーが続き、
ついに1,000機の大台を突破して尚も受注がどんどん続いている状況でした。
1993年の通算1,000号機ロールアウトの際は華やかなセレモニーが行われ、
シンガポールエアに引き渡された機体の機首部分には、
当時デカデカと”1000th”というマーキングが入っていました。

この情景、きっとエアバス関係者はハンカチを噛み締め、
「ぐぬぬ。。。」と引っ張りながら見ていたはずです。
これからますます航空需要は伸び続け、
ハブ&スポークで超大型機の需要もすごい増えるはず。
となると、一通りラインナップが揃った今、
ここだけをボーイングに明け渡すなどあり得ません。

「エアバスも結構頑張ってるけどさあ、でもなんだかんだ言って世界一の旅客機を造っているのはボーイングだよね」
というイメージもついて回ります(個人の感想です)。
実際、受注数、納入数でエアバスと抜きつ抜かれつになってくると、ボーイングは
「エアバスは小型機で数字稼いでるだけですから(笑)。
エアバスがつくれない超大型機も作ってる我が社の方が、金額ベースでは~」
的なことを公言してました。

お膝元の大西洋路線でハブ&スポークが定着していないこと
航空会社が強く求めているのは、一貫して経済性に優れた双発であること
燃料費が上昇基調にあり、それが今後も続くと見られること
等々、今から新たに超大型機を開発することのリスクは十分分かり切っていたはず。

そうしたリスクを承知の上で、「どうしてエアバスはA380を造ったのか」と
専門家に問いかければ、様々な答えが返ってくるはずです。
輸送形態についての未来予測、若しくはイデオロギー対決という観点では、
「ハブ&スポーク構築のためにA380開発が必要」ということになり、
「A380 vs B787」という構図となるのでしょうが、
こうして戦後始まったジェット旅客機の欧米の対決という歴史的観点で見ると、
A300が軌道に乗るまでの、欧州航空産業全体の存亡の危機まで追いつめられた
当時の経験者にとっては、特に熱い思いがあったんじゃないでしょうか
(A380の記事なのに、1950年代のコメットから長々と書いたのは、これが言いたかった)。
各カテゴリーで互角かそれ以上の勝負ができているエアバスにとって、
ラインナップを揃えなければ。というのは自然な流れだったと思うのです。


存在意義
旅客機の評価は時代と共に変わることが多いです。
例えば、世界初のジェット旅客機、デ・ハビランド コメット。
プロペラ機で世界を席巻していたアメリカのメーカーは、
まさかジェット旅客機が航空会社に受け入れられるとは夢にも考えておらず、
プロペラ機の一方の雄ダグラス社は、「ジェット機は1960年代に入ってから」
と公言していました。
ところがコメットが1952年にデビューするや、熱狂的に受け入れられ、
ダグラスとボーイングは、いつまでもレシプロ機開発にしのぎを削っている場合ではないと、
大慌てでジェット機開発を行ったのでした。

しかしコメット人気もつかの間、ナゾの墜落が続くと、
「空飛ぶ棺桶」などと悪評を立てられ、
きちんと改修が施されたにもかかわらず、その後のセールスは散々でした。
すっかり失敗機の烙印が押されたコメットですが、
今後は間違いなくジェット旅客機の時代であるという方向性を明確に示したこと、
ジェットエンジンを使った新たな旅客機の安全技術の向上に寄与したこと等、
その後のジェット化という航空界の潮流にもたらした恩恵は
計り知れないものがあるとの評価が後年定着してゆきました。

デビュー後に悪評が高まっていったコンコルドは、
超音速というロマンだけでは商売が成り立たないことを明確にしました。
このところ日本を含め、各国で再び超音速旅客機の開発熱が高まっていますが、
現在進められている研究/開発は、コンコルドが明確にした問題点
(経済性、衝撃波、航続距離、オゾン層等)を一つ一つ技術的に解決する方向で
進められています。
現在の超音速機開発についての各種論文で、コンコルドはベンチマークとなっており、
コンコルドの様々な問題点が数値化され、盛んに登場します。
開発者たちは、「(コンコルドの)この数値を大幅に改善できなければ、
超音速旅客機の復活など夢のまた夢」というスタンスです。
将来超音速旅客機が復活するとしたら、
それはコメット同様にコンコルドが身をもって問題点を浮かび上がらせてくれたからこそ。
という評価になるはずです。

A380はかつて「欧州の夢」「強い経済の象徴」と称されました。
今【A380】でググると、
「10年余で期待を裏切った」「ステータスシンボルから凋落」「欧州の夢はなぜ失速したか」
みたいな言葉が並んでます。
それでも、造れど造れど惨敗続きだったA300以前とは、状況がまるで違います。
A320と A350には、7,000機余もの受注残があります。

デリバリー開始から僅か14年で生産中止が決まってしまったA380の存在に
何か意義があるとしたら、何でしょうか。
10年後、20年後、改めて振り返って見てみたら、
A380ってどんな位置付けになってるんでしょうか。
「A380が生産中止したのは平成である。〇か×か」とか、
「A380と747、ドッチが先に生産中止した?」なんて、カルトクイズになってたりして。
(違うそうじゃない)


長々とお付き合いありがとうございました。
(もう続かない)



A380生産終了・1(胴体の話) 
A380生産終了・2(主翼の話) 
A380生産終了・3(エンジンの話) 
A380生産終了・4(航空会社の話) 
A380生産終了・5(メーカーの話・上) 

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A380生産終了・5 メーカーの話(上) [├雑談]

A380総受注数
エアバス公式サイトに受注、引き渡し状況のページがあります。
それによりますとA380は、
確定受注合計:331
引き渡し合計:229
受注残数:102
となっています(2019年4月現在)。
ただしこの数字、2018年7月31日で更新が止まっています。
いろいろ検索してみるとこの最終更新の後、
2019年2月に入って、エミレーツ39機、カンタス8機、エアアコード3機、
アメデオ20機のキャンセルがありました。
また、UNDISCLOSED(未公開)となっている10機は、「香港航空」のキャンセル分
という情報もあり、これも含めると合計80機のキャンセルが出た計算に。

エアバスの公式データが更新されないので推定になってしまうんですが、
事実上A380の受注残は、エミレーツ19機とANA2機(2号機は6月デリバリーらしい)のみとなり、
A380の総受注数は、2019年4月時点で、251機と思います。
2016年にエアバスは受注が319機の段階で「機体として損益分岐点を越えた」
と発表していましたので、非常に厳しい状況となってしまいました。


747のデリバリー数
747の年代別デリバリー数を出してみました。
2010年代はまだ途中の数字なのと、受注残数(22)も含んでいます。

1960年代 4機
1970年代 410機
1980年代 341機
1990年代 481機
2000年代 182機
2010年代(153)機

747のデリバリー開始は1969年末だったので、
実質1970年から始まったようなものなんですが、
こうして見ると、デビュー直後の1970年代よりも
1990年代の方が売れてるんですね。
-400のデリバリーは1989年~2009年まででしたから、
1990年代はまさに-400の黄金期です。
そして2000年代に入るとデリバリー数は一挙に落ち込みます。
(-400への切り替え需要が一巡したのが大きいんでしょうか?)
そして2010年代には燃費、航続性に優れた小/中型機の台頭により、
747も存亡の危機を迎えます。

A380の方が3倍売れた
一方A380のデリバリー数なんですが、A380は2007年にデリバリー開始し、
2019年4月現在、総受注数は前述の通り251機(オイラ調べ)。
A380がデリバリーを開始した2007年から2019年までの期間に限ると、
747のデリバリー数と受注残の合計は、192機で、A380の方が多いです。
しかも747の数字には-8F(貨物機)の 107機が含まれますので、
747の旅客型に限ると、85機となります。
実は-400の貨物型もかなりの数生産されているんですが、
年別のデリバリー数が分からないため、計算に含めていません。
なので2007年以降の旅客型に限るともっと減ると思います。

つまり、同じ期間で比較すると、A380の方が3倍は売れています。
確実にその数だけ747の需要を奪いました。
「あと10年早ければ」という言葉がありますが、
仮にA380のデリバリーがあと10年早く1997年だったとしたら、
747-400が最高に売れた黄金期の後半に当ります。
前記事でも書きましたが、747-400と比較して、A380の方がずっと大きく、
しかも1席当りの燃費はA380の方が優れていることはボーイングも認めています。
各航空会社も、「そんなにイイヒコーキが出るんなら、ちょっと待ってそっちにしようかなぁ」
と考えるかも。
A380の登場があと10年早かったら、貨物型も開発され、
双方の生産数は随分変わっていたのではないかと。

ネット上には「A380はB747との競争に敗れた」的な論調の記事があります。
確かに総受注数(251機と1,572機)、生産年数(14年と50年)を見れば、747の圧勝なんですが、
デリバリー開始からの期間に限って見れば、A380の方がずっと売れてます。
A380がちっとも売れないのに、747は相変わらず売れ続けているのではなく、
超大型機の2機種が仲良く衰退している訳ですので、
どっちが勝った負けたではなく、敢えて何に負けたかといえば、
どちらも、「 時 代 に 負 け た 」んじゃないでしょうか(いいこと言った風)。


貨物型
大ヒットとなった747-400の後を継いだ747-8は、
旅客型の受注が僅か47機に留まっており、既に全機引き渡し済み。
A380はつい先日「2021年で生産中止」と発表しましたが、
実は747だって、もうとっくに生産中止の発表があってもおかしくなかった訳です。
そうならなかったのは、747-8には貨物型があるから。
こちらは107機の受注があり、現在受注残の22機を細々と生産中です(2019/4現在)。

運ぶのが人なら、旅客機はある程度小さくても支障はなく、
むしろ経済性を求める航空会社のニーズとも合致しますが、
貨物の場合、モノがすごく嵩張ったり重かったりすると、
どうしても大型機でなければ運べません。
一連の記事で繰り返し述べていますが、大型機、そして4発機はコスト面で不利で、
これが超大型旅客機終焉の主因なんですが、
貨物機の場合、そうした大きなマイナスを差し置いてでも、
大型機でなければならない理由がある訳です。
一応アントノフに747より大型の貨物機はあるんですが、
これまで半世紀にわたり、モデルチェンジを繰り返しながら
1,500機超の売り上げを誇る絶大な信頼感と性能は唯一無二のものです。

元々747計画は、当時の米空軍の次期大型輸送機開発で
ロッキード案に敗れたところからスタートしました。
この時のボーイング輸送機案を見ると、機首をガバッと開けて積み下ろしが可能なように、
コックピットは上に設けられており、エンジンが4発なのは現在の747と同様です。
ただし軍用輸送機らしい高翼機で、現在の747とは大分印象が違います
(興味のある方は【Boeing CX-HLS】でググってみてください)。
747開発当時、ボーイングの社長は、「747は貨客兼用機としても売れる」と考え、
軍用輸送機案と同様、コックピットを二階に置き、機首を開けられるようにしました。
ノーズをガバッと開けて貨物の出し入れができれば、
胴体側面のカーゴドアからはとても入らないような長尺の貨物でも
積み込みができます(A380はこういう設計になってない)。
また、当時は近い将来超音速旅客機の時代が来るとされており、
ボーイングの開発者たちは、「そうなったら、747は貨物機に転用しよう」と考えていました。

結局超音速旅客機の時代は来ず、747が主役の時代が長く続きましたが、
その代わり今度は燃費の優れた双発の小/中型機の時代が到来。
今度こそ超大型旅客機は引退の時期を迎え、A380が一足先に生産中止を発表したのですが、
747は貨物専用の-8Fのおかげで首の皮一枚繋がっている状態。
「そうなったら、747は貨物機に転用しよう」という思惑が半世紀を経て活きたことになります。
でも当時の747開発者たちは、超音速機ではなく、まさか「ミニジャンボ」
と呼ばれた737(とその後の787等)が747を引退に追い込む存在にまで
発展を遂げることになろうとは、夢にも思わなかったんじゃないでしょうか。


戦後のジェット旅客機開発

初飛行年 メーカー 機 種 座席数  生産数
1949年 (英)デ・ハビランド コメット 36-79 112
1955年 (仏)シュド・エスト カラベル 60-140 279
1957年 (米)ボーイング B707 147-195 1,010
1958年 (米)ダグラス DC-8 132-259 556
1959年 (米)コンベア CV880 110 75
(米)ボーイング B720 149-170 154
1961年 (米)コンベア CV990 133 37
1962年 (英)ホーカーシドレー トライデント 128-180 117
 ↑ (英)ビッカース VC-10 151 54
1963年 (米)ボーイング B727 150-189 1,831
 ↑ (英)BAC 1-11 89-119 230
1965年 (米)ダグラス DC-9 90-139 976
1967年 (米)ボーイング B737 115-130 1,021
(欄)フォッカー F28フェローシップ 60-85 241
1969年 (英仏)BAC、シュド コンコルド 100 20
1971年 (独)VFW VFW614 44 12
 ↑ (仏)ダッソー  メルキュール  150  12

一応A300等ワイドボディ機就航以前のジェット旅客機を全部含めたつもりです。
座席数、生産数共に資料によって若干バラつきがあるのと、
この中で唯一生産が続き、未だに5,000機近いバックオーダーを抱えているB737は、
おおよそこの表で扱っている年代の-100、-200型機だけの数字です。
ご了承くださいませ。
この時代のジェット旅客機は、エンジンの数が2発、3発、4発と様々なんですが、
全て単通路型のナローボディ機で、座席数もおおよそ100席クラスで共通しています。
B707とDC-8なんて、4発機なのに100席台~なんですよね。
現代の感覚からするとビックリです。

表の通り、ジェット旅客機の歴史はイギリスのコメットから始まりました。
話が広がり過ぎてしまうので、東側以外の全メーカーを対象に表を作ったんですが、
全17機種全て西欧とアメリカのメーカーで占められています。

1955年初飛行のフランス製カラベルは、採算分岐点200機のところ279機も売って、
「商業的に成功」と評されており、
1963年のイギリスのBACワンイレブンも230機の生産で、
「イギリス製ジェット旅客機で最も成功」とされています。
1967年のオランダのフェローシップも241機生産されて採算分岐点
(225機とされていた)を超え、これをベースに続くシリーズが製作されました。

ただしそれ以外が、米国と比較すると文字通り桁違い。惨憺たる有様ですね。
最後の2機なんて、12機ですよ…(資料により諸説あり)。
ジェット旅客機で12機しか生産されないとか悪夢です。
ボーイング、エアバスの生産数に慣れている現代の感覚では、
このテの小型双発機なら数百機、数千機売れて当然。という感じなので、
「え、ナニ? 12機って…あっそうか! 試作機? 試作機だよね? エッ違う?
…じゃあ、すぐ派生型に生産移ったとか??」
なんて思ってしまうのですが、
VFW614は真面目に1,000機市場に投入するつもりでしたし、
メルキュールだってDC-9の後継機として、「1,500機は売れる!」
と本気で目論んでました。

開発したヒコーキの種類でいうと、米国の8に対して欧州は9で数は多いんですが、
生産数を比較すると、

欧州:1,077機
米国:5,660機

となり、米国製のシェアは84.0%に達します。
ということで、1950年代、1960年代の第一世代、第二世代のジェット旅客機製造競争は、
数字から明らかな通り、米国の完全勝利。
(主に)西側諸国の空には、米国製の100席クラスのジェット旅客機が
何千機も飛び回る状況となったのでした。


(今回で終わると思ったけど続きます)



A380生産終了・1(胴体の話) 
A380生産終了・2(主翼の話) 
A380生産終了・3(エンジンの話) 
A380生産終了・4(航空会社の話) 
A380生産終了・6(メーカーの話・下) 



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