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苫小牧不時着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2013年6月、2023年7月訪問 2023/7更新  


無題.png

撮影年月日1944/10/14(9122 C3 56) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

苫小牧市‎旭町にある「市立苫小牧東中学校」。

上図の通りかつてここには競馬場があり、陸軍が当競馬場を改造して不時着陸場としていました。

前記事の「雲雀ヶ丘飛行場跡地」の東約2.8kmに位置しています。

この飛行場については、「苫小牧市史下」1188pの「競馬場の飛行場転用」

という項目で初めてその存在を知ったのですが、

当飛行場について確認できる資料はこの市史のみで正式名称も不明だったため、

長いこと便宜的に「旭町の陸軍飛行場」としていました。

■防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部

の中に当飛行場のことが出ており、名称は「苫小牧不時着陸場」とあります。

上のグーグルマップの競馬場の形状については、「蝦夷古地図 地図で見る苫小牧の歴史 苫小牧市」の中の

「苫小牧町市街圖・昭和16年」を参考に作図しました。

水路部の資料には「要図」もあり、着陸場についてはこの「要図」を参考に作図しました。

「競馬場を改造して飛行場とした」とあるので、

オイラはてっきり競馬場のトラックの形状をそのまま飛行場にしていたのだとばかり思っていたんですが、

実際には上の地図を見ての通りで、競馬場の跡地に二つの着陸場が重なるように設定されていたんですね(@Д@)

水路部の資料を以下引用させて頂きます。

苫小牧不時着陸場(昭和15年8月調)
勇拂郡苫小牧町字旭町(苫小牧駅の南方約1粁)

所管 王子製紙株式会社。
着陸場の状況
広さ及形状 本場は苫小牧町の南東方旧競馬場跡付図に示す(1)及(2)
両地区にして長さ南北約600米、幅東西約120米乃至150米の南北方向に細長
き短形地区なり(付図参照)。
地表の土質 火山灰地にして沙を混ず。
地面の状況 本場は火山灰地にして転圧しあるを以て地表はで凸凹起伏なき
平坦且堅硬地なり・着陸区域は裸地なるも付近は芝密生す排水良好なり・日射
季節及降雨に依る影響なし。
場内の障碍物 着陸区域にはなし。

周囲の状況
地勢一般 本場は苫小牧街至近海岸近くに在り南は太平洋に面し、内陸は
北西方約17粁に聳立する樽前山(1,020)あり雙頂を有し富士山形をなす活火
山なり。
河川 苫小牧川其の他の小流は何れも南東に流下し付近に湿地原を有す。
煙突 場の西方に王子製紙株式会社苫小牧工場の白塗「コンクリート」造
煙突2基あり。
建築物 場の周囲処々に民家及学校あり。
電線 場の北側道路に沿い東西に架する高さ約11米の高圧線あり。
着目標 苫小牧街、室蘭本線、日高線・樽前山の噴煙は上層風を指示す。

地方の状況
警察署 苫小牧警察署(苫小牧町表町 南方約0.3粁。
役場 苫小牧町役場(苫小牧町本町)東方約1粁。
医療 苫小牧町に病院5、病院2あり。
宿泊 苫小牧町付近に旅館約10(収容員数計約200)あり。
応急修理 苫小牧町に王子製紙株式会社鉄工部あり一時的応急修理程度ならば
可能。
航空需品 苫小牧町に於いて「ガソリン」類少量ならば補給可能。

交通運輸及通信
鐡道 苫小牧駅(室蘭本線及日高線)北西方約1.3粁・長万部岩見沢間省
線を基幹とし日高線、苗穂線、渡富内線、支笏湖線相集中す・省線室蘭本線は
西南部海岸に沿い苫小牧町に来り夫より平野を北東方に貫く日高線は苫小牧駅
に起り南東部海岸を東して厚真村に通ず。
道路 場の北側に札幌至室蘭の国道あり南方に室蘭至浦河間の地方費道あ
り共に自動車類の運行可能なり。
車馬及運送店 苫小牧町に自動車(乗用1、貨物1)及荷馬車1あり・運
送店1あり。
電信及電話 苫小牧郵便局(苫小牧町)西方約1粁。

気象
地方風 夏季は南風冬は西風にして四季を通じて風弱し・1月至3月間及
11月は北風、4月至9月間は南風、10月は南南東風、12月は北西風なり。
最近の統計次の如し。
(月別の最多風向、平均風向・省略)
天候 5、6、7月は濃霧多し・大正12年至昭和7年10箇年間の統計次の
如し。
(月別の快晴日数、曇天日数、降水日数、霧日数、雪日数、暴風日数・省略)
気象特性 当地方は本島中気候最も温暖にして夏季暑熱劇しからず而も冬
季は温暖にして殆ど積雪を見ることなし即ち積雪最高量は30糎に満たず風
力又弱く吹雪等皆無なり・多霧期は5月、6月にして概ね海霧なり、沿岸は特
に濃密なるも内陸に入るに随い淡霧となり上空より見透し不良の際にても下方
より飛行機を視認し得と言う・沿岸に蓄積せる濃霧は苫小牧付近に尠く其の
両側沿岸に多し海霧は概ね南風を伴う・降雨期は8、9月にして時化は4、8月
及冬季なり・最長降雨連続日数4日乃至5日・飛行日和期は10月最良にして
3月之に次ぐ・冬期車輪航空機の使用可能にして戦車等の演習地に適す・夏及
秋には時々雷雨あり。

其の他
本場は王子製紙株式会社所有地たり、従来競馬場なりしを整地の上使用せし地
にして其の後冬季試験飛行の際?々使用せり・当地方は霧期と雖も霧の来襲せ
ざることあり内陸に入るには適当なる基地にして航続力僅少なる小型機の中継
地なり・昭和14年末海軍機此の地に着陸せりと言う。

なんと、王子製紙の所有地に設けられた不時着陸場だったんですね。

 

■上述の「苫小牧市史下」1188pの「競馬場の飛行場転用」の関係部分を抜粋してみます。

・競馬場の飛行場転用

 昭和十年になって飛行機に対する関心が高まり、各地で飛行場の設置がみられたが、北海道庁と樺太庁は帝国飛行協会に対して各市町村における飛行機着陸候補地の調査を依頼した。そして、同十年五月に北海道一一九カ所、樺太八カ所の選定を行ったが、苫小牧では旭町競馬場と雲雀ヶ丘放牧地の二か所であった。選定地は将来適当なる補助金を持って飛行機離着陸ならびに不時着場としてその施設を講ずることになっていた。

 そして、昭和十一年の陸軍大演習時には競馬場を改造して臨時飛行場とするため、工費六,〇〇〇円をもって臨時飛行場新設工事が行われた。この工事は費用が少なかったため、王子製紙苫小牧工場の奉仕作業によるもので、盛土、ローラー地固めなど一二万九千一六二平方メートルを完了した。

 また、昭和一二年四月、札幌-東京間の定期航空の開設により、航空無電局である空の安全指示、ラジオビーコンが札幌に建設されたが、さらに道内にもう一カ所必要となり、苫小牧、千歳、白老がその候補地にあがった。本町ではこの施設の重要性を認め熱心な誘致運動を行い、同十二年六月になって苫小牧町の中野に施設することが決定し、二年計画により工事が進められ同十四年より使用開始した。しかし、戦時下体勢がきびしくなると札幌-東京定期航空は、昭和十五年七月、無期停止となり、飛行場は軍の管理使用するところとなり、飛行場のない町村においては、住民の奉仕作業による軍飛行場建設が行われた。

 苫小牧においても旧競馬場が陸軍飛行場となり、同十八年三月から八月まで町内会、各学校生と、青年団の勤労作業によってその整備が行われた。また、本町においては沼ノ端にも陸軍の飛行場が設置された。

 

前記事の「雲雀ヶ丘飛行場跡地」の中に含めた市史の中で、

「(雲雀ヶ丘飛行場)のできる前には、旭町にあった競馬場に二、三度飛行機が離着陸しているが、」

という一文があります。

「苫小牧初の正式な飛行場」は「雲雀ヶ丘飛行場」なのですが、

具体的な年代は記されていないものの、この飛行場ができる前から旭町の競馬場にはヒコーキの飛来があった訳です。

そしてそんな実績から、飛行場候補地として挙げられることに繋がったのかもしれません。

当競馬場と共に候補地に挙げられた「雲雀ヶ丘放牧地」について具体的な記述はないのですが、

「雲雀ヶ丘飛行場」は昭和2年に完成して後、恐らくその年のうちに閉鎖してしまったと考えられます。

それから8年後の昭和10年に飛行場候補地についての調査が行われました。

これは飽くまで想像なのですが、もしかしたら 「雲雀ヶ丘放牧地」=「雲雀ヶ丘飛行場」なのかもしれません。

それはともかく、調査翌年の昭和11年には陸軍大演習時に競馬場を改造して臨時飛行場とする工事が行われました。、

その後、昭和18年には陸軍飛行場が地元の協力で整備が行われています。

 

D20_0044.jpg

赤マーカー地点

一対の石柱がいかにもな雰囲気なのですが、いつの時代のものか不明です。

D20_0045.jpg

同じ地点から。


(以下2023年7月撮影)

DSC_1119_00001.jpg

青マーカー地点。

着陸場(1)R/W14エンドから滑走路方向

DSC_1125_00001.jpg

黄マーカー地点。

着陸場(2)R/W12エンドから滑走路方向


      北海道・苫小牧不時着陸場跡地      

苫小牧不時着陸場 データ

設置管理者:旧陸軍
種 別:臨時飛行場→不時着陸場
所在地:北海道‎苫小牧市‎旭町‎2丁目‎
座 標:N42°37′54″E141°36′31″
標 高:7m
着陸場:(1)600mx150m(14/32)、(2)600mx120m(12/30)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1927年 この年より以前、二、三度飛行機が離着陸する
1935年 北海道庁、帝国飛行協会に対し飛行機 着陸候補地の調査を依頼。5月、当競馬場が候補地として選定される
1936年 陸軍大演習時に競馬場を改造して臨時飛行場とする
1943年 3月~8月まで地元による陸軍飛行場整備

関連サイト:
ブログ内関連記事    

この記事の資料:
苫小牧市史下
防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部


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コメント 2

鹿児島のこういち

元、競馬場なら工事費が少なくて奉仕で作業になっても、荒れ地や山などと違って、いくらかは楽だったかもしれませんね。
by 鹿児島のこういち (2013-09-22 08:41) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
そういう理由でここが選ばれたのかもしれないですね。
ご訪問ありがとうございます。
少しは落ち着かれましたでしょうか。
鹿児島のこういちさんご自身もどうぞご自愛くださいませ。
by とり (2013-09-23 05:52) 

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