馬場平飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2013年10月訪問 2022/1更新
撮影年月日1952/04/07(昭27)(USA M4-7-2 184)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
福島県安達郡大玉村玉井馬場平にあった「馬場平飛行場」。
現在は県道30号線と小さな川に挟まれた静かな林、牧草地になっていて、とてもここに飛行場があったとは思えません。
先頭のグーグルマップは上に貼った航空写真から作図しました。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:馬場平 建設年:1945-8 飛行場長x幅 米:600x50 方向N-S 主要機隊数:小型 主任務:退避場 隧道竝ニ地下施設:工事中 其ノ他記事:工事中
■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m
方面 横須賀
牧場 馬場平
滑走路 六〇×八〇〇 SN
縣郡村 福島、安達 大山村
記事 既成
この土地は元々藩政期から玉ノ井村の管理地だったのですが、
昭和16年頃に北海道で財を成した渡辺富吉氏が北海道式酪農経営を目指して開墾しました。
ところがようやく開墾した土地が昭和19年9月以降全域海軍に買収され、翌20年より飛行場造成が開始されたのでした。
赤マーカー地点。
この少し先から滑走路だったと思います。
当飛行場の主な任務は航空機退避場で、収容設備などは工事中に終戦を迎えたのだそうです。
250kg陸用爆弾が139発、250kg通常爆弾が101発残り、米軍が爆破処理したと記録が残っています。
青マーカー地点。
川に架かる小さな橋。
架橋の際、不時着した零戦の残骸を転用したのだそうです。
立派なコンクリート製の橋ですが、その後架け替えが行われたのでしょうか。
それとも現在も「超々ジュラルミン筋コンクリート製」なのでしょうか。
この不時着機についてはこんな記録があります。
昭和20年8月15日、連合軍の艦載機が関東地区に来襲しました。
千葉県茂原海軍航空基地所属の零戦編隊が房総半島上空で迎撃したのですが、
そのうちの1機が燃料切れのため郡山基地ではなく二本松飛行場に不時着、転覆したという資料があり、
この零戦が架橋の際使用されたと考えられているのですが、この件について「いわき地方史研究」では、
「当時の二本松に飛行場は存在しないと思われるので矛盾する。そのため参考情報扱いとした」と記されています。
この「二本松飛行場」については、具体的な場所等不明なのですが以前から時々目にしております。
当「馬場平飛行場」は、住所的には「安達郡大玉村玉井馬場平」なのですが、飛び地であり、
周辺を「二本松市」に取り囲まれています。
これ以外に二本松市に飛行場があったという確実な情報も今のところなく
「馬場平飛行場」=「二本松飛行場」の可能性が高いのではないかと考えています。
(民間の飛行場だったのかもしれないという説もあります)、
情報お待ちしておりますm(_ _)m
福島県・馬場平飛行場跡地
昭和21年7月、飛行場周辺に秘匿されていた旧日本軍の250kg爆弾240発と、4月の本宮空襲時の米軍不発弾が大玉村皿久保の不動橋付近にて、米軍により爆破処理されました。処理地には子供が泳ぐほどの大きな爆弾穴が開いたのだそうです。現在は民家の庭園として残っており、25mx15m、深さ2.5mなのだそうです
馬場平飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:福島県安達郡大玉村玉井馬場平
座 標:37°34'43.9"N 140°21'13.2"E
標 高:413m
滑走路:600m×50m(800mx60mとする資料もあり)
方 位:18/36
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1941年 この頃北海道式酪農経営を目指して開墾される
1944年09月 以降海軍が全域買収
1945年 飛行場造成開始
08月 完成
1946年07月 近隣で米軍による不発弾処理
関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(21コマ)■
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
いわき地方史研究 第47号 旧馬場平海軍飛行場調査報告(再生おじさん、あさん、ありがとうございました)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
えー、ひとまずは、保釈。。。(もういいですね)
昨年の10月に福島へ行った際に、安達太良SAの展望コーナーから安達太良山を眺めていました。
ひょっとしたら、この林も目に入っていたかなー。
by Takashi (2014-04-07 07:42)
こんばんは
速攻で解決です。(-_★)キラーン!!シリョウチョウサズミナノサァ~
アジア歴史資料センター
昭和20年6月9日~昭和20年6月30日 第501設営隊戦時日誌
レファレンスコード:C08030301700
これの9ページ目に、
6月30日現在工事設営状況が記載されていて、
「600米×50米敷地造成、内600米×30米転圧仕上」とあります。
設営隊の記録で、転圧(=滑走路)600m×30mとありますので、
長さ600mで確定だと思います・・・
(*´-д-)フゥ-3 マッテタヨ・・・キジガアップサレルノヲ・・・
by 再生おじさん (2014-04-07 20:26)
800mあれば陸攻も十分使えますね。^^
by ジョルノ飛曹長 (2014-04-08 21:59)
皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m
■Takashiさん
方向的にはあってますよね。
視界には入っていたでしょうね^^
■再生おじさんさん
ずっとお待たせしてしまっていたのですね。(;´Д⊂)
>6月30日現在工事設営状況が記載されていて、
>「600米×50米敷地造成、内600米×30米転圧仕上」
なのですね。ありがとうございますm(_ _)m
再生おじさんさんに頂いた「いわき地方史研究 第47号」の中では、
「600x50mの滑走路は8月完成、収容設備などは工事中に終戦」と書かれています。
滑走路の長さは600mで同じなのですが、6月と8月で時期にズレがありますね。
ひょっとすると、最低限のものを取り急ぎ作り(6月現在)、その後直ちに拡張工事に入った(8月完成)という可能性もあるかも。
と思いました。
「いわき地方史研究 第47号」の図は明らかに800mなのですが、
「某氏提供の図を改変」となっているんですよね。
どこを改変したのか、提供者がどんな方なのかはナゾですが。。。
■ジョルノ飛曹長さん
そうなのですか。
どうもありがとうございます。
オイラその辺が全然分からないからな~。
運用面の知識があると、こういう考察にも役立つんでしょうね。
by とり (2014-04-09 05:37)
(;^ω^)アジレキヲミテクレタトオモッテイタンダケド・・・
言葉足らずだったので、補足します・・・m(_ _;)m
工事概要:600米×50米敷地造成、内600米×30米転圧仕上
設営開始:6月30日 ←ココ注目です。(-_★)キラーン!!
出来高:(空欄)・・・・そりゃぁ着工日ですから空欄ですよね(;^ω^)
月ズレの件は、「設営開始が6月」で「完成が8月」という事なのでしょう。
幅の違いは、敷地幅50mの工事ですから、それと滑走路の幅がごっちゃになってしまっているのではないでしょうか? (*-゙-)ウーン…
さて、長さの件ですが、1952年の写真(スマホ対応版になってクッキリですねぇ(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪)を見ると、滑走路が800mだとすると「小道」と「V字・コの字ブツ」の謎が出てきます。
おじさん的には、「V字・コの字」が無蓋掩体で、滑走路は600m、掩体エリアまで入れたら800mなのではないかと見ております。
それ故に、地方紙研究の地図では「海軍飛行場」が800m分の長さになってしまっているのではないかと。(;^ω^)
1952年の写真しか無いので断言はできませんが・・・・・
[壁]ω-)ジー・・・・・・
転圧痕は600m分しか見えないのです。
[壁]ω-)ジー・・・・・・
なんとなく、誘導路跡も見えますねぇ。( ・∀・)ノシ∩へぇ~へぇ~
こんな事ではないかと思うのですが、どうでしょう?
by 再生おじさん (2014-04-09 19:36)
こんばんは^^
福島にいた頃、何十回も通った県道ですよ@@;なつかしー
確か、この辺り、凹った土地のような気がしますが、飛行場があったなんて…またまた驚きですぇ。
確かに岳温泉の手前で二本松みたいなところですから、二本松の飛行場と思われても仕方ないですね^^*
by me-co (2014-04-10 01:33)
■再生おじさんさん
Σ(゚Д゚;)すみません。アジレキ見てませんでした。
>設営開始:6月30日
これなら再生おじさんさんの仰る通りと思います。
失礼致しましたm(_ _)m
■me-coさん
おお、なじみの県道だったのですね。
確かにとても飛行場があるような場所には見えませんでした。
周辺には除染の看板がそこここにあり悲しいことでした。
by とり (2014-04-10 06:41)
福島県ないおよび那須野の陸軍飛行場を研究しております。
5月に、矢吹陸軍飛行場の研究者の案内で、須賀川市内の戦争遺跡調査に参ります。岳温泉のほかに、会津の山都にも秘匿飛行場がありましたし、浪江にもありました。しらみつぶしに調査したい。
わたしは「原町陸軍飛行場ものがたり」の著者です。
by domingo (2014-04-23 11:43)
コメ欄お借りします。m(_ _;)m
domingoさん、御代田(神龍用?)と鏡石(米軍名:須賀川)と多田野(疎開飛行機工場、郡山市美穂田町山口地区、謎のY字)について情報をお持ちでしたら、教えて戴きたいのですが・・・m(_ _;)m
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9928117.html
by 再生おじさん (2014-04-24 00:05)
鏡石は、澤田のことじゃないですかね。
https://www.facebook.com/hidero.futakami#!/photo.php?fbid=485729494851514&set=a.481579575266506.1073741868.100002434029760&type=3&theater
by domingo (2014-04-25 12:20)
domingoさん 情報有り難うございます。
domingoさんの「澤田」は、とりさんのHPで「棚倉」と呼んでいる飛行場の事です。
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/2012-03-11
鏡石は、鏡石町史 第1巻 P950に載っている「岩瀬牧場の農場に造成されていたもので・・・」 の事なのですが、位置と滑走路のサイズがあまりわからないのです。
アーカイブ写真USA-R1185-20を元に転圧痕から推定したのですが、本当に合っているかが知りたいのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9926375.html
by 再生おじさん (2014-04-25 20:00)
■domingoさん いらっしゃいませ
返事が遅くなってしまい失礼致しました。
>岳温泉
岳温泉は馬場平飛行場のすぐ北側ですが、これが「二本松飛行場」なのでしょうか?
>会津の山都にも秘匿飛行場
山都町すぐ南側の喜多方市山都町三津合が海軍秘匿の「千咲原飛行場」の建設候補地だったらしいのですが、
これとは別のものでしょうか?
>浪江
海軍秘匿飛行場の候補地になったものの、実際は森林伐採程度だった「浪江飛行場」とは別のものなのでしょうか?
質問ばかりで申し訳ありませんが、明確な場所情報等お持ちでしたら教えて頂ければ幸いです。
by とり (2014-04-28 16:58)
浪江町の住民に聞いてみたら、大堀地区に平は平たん地があって、そこしか飛行場は考えられない、
という地形的な類推をお聞きしました。
場所はだいたい想定していますが、まだ確定していません。
by domingo (2015-08-18 09:37)
4年前に亡くなった、父の若かりし頃の思い出話(海軍兵)の中に福島県岳温泉で飛行場(上官よりの話では、特攻機の基地)設営を行っていたと聞きました。
40年ほど前に、父と岳温泉に泊まり当時の事(飛行場)が存在したのか、地元の方に尋ねたのが懐かしく思い出されます。
確か家に設営中隊のの集合写真がありました。
ご参考まで。
by 野﨑 亨 (2017-01-04 16:48)
■野﨑 亨さん
貴重なお話をありがとうございます。
岳温泉の飛行場のことは時々耳にするのですが、
当時の航空写真を見ても、資料を探しても、なかなか決め手となるものが見つかりません。
岳温泉のどの辺りにあったのか、更に詳しい情報をお持ちでしたら、
ご教授頂けないでしょうか?
by とり (2017-01-05 07:36)
とり様
ご参考になるかわかりませんが、設営作業後の風呂は岳温泉の道路の真ん中を流れている小川(戦時中は風呂小屋があった?)の上あったようで、
推測ですが岳温泉の宿営地(集合写真のバックには校舎がありました)から徒歩で毎日、作業地にいける距離から推察すると「馬場平飛行場」=「二本松飛行場」の可能性が高いのではないかと思います。
by 野﨑 亨 (2017-01-05 16:21)
■野﨑 亨様
早速お返事頂いていたのに、返信が遅れてしまい申し訳ありません。
実際に設営作業に携わっておられたお父様からの直接の情報、
そして現地にも同行された上で、
「馬場平飛行場」=「二本松飛行場」
というご推察は非常に重みがあります。
岳温泉から馬場平飛行場まで測ってみたら2.5km程でした。
充分徒歩で通える距離ですね。
感謝致します。
当時作業に従事しておられたお父様が、
作業の疲れを温泉で少しでも癒しておられていたら良いのですが。
by とり (2017-01-07 06:32)