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父島飛行場 [├国内の空港、飛行場]

   (訪問困難) 2021/11更新  


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撮影年月日1968/12/20(昭43)(KT681YZ C1A 3) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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測量年1968(昭43)(5000国土基本図 図葉番号14-FE-94 ) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


東京都‎小笠原村‎父島の二見湾‎にある「父島飛行場」。

元々は海軍基地でした。

前記事の「洲崎飛行場跡地」の北約2kmにあります。

先頭のグーグルマップの黄色いポリゴンは、すぐ上に貼った1968年の地図から作図しました。

「水上機発着所」とありますね。

■「父島洲崎の変遷について(その2):洲崎飛行場と太平洋戦争」

によりますと、 海軍が二見湾内に水上機の基地を設け、昭和17年8月1日 海軍航空部隊(三座水偵6機)を配備しました。

「水上機発着所」は海軍の滑走台で、付近には格納庫もありました。


■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、一部次のように記載がありました。

基地名:第十一父島 建設年:1938 飛行場長x幅 米:60x30コンクリート一基
 主要機隊数:小型中型1.0 主任務:作戦 掩体:施設アルモ数量不明 其ノ他記事:付近ニ日?滑台アリ

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「父島空開隊(水偵)(S14.4.1)」とありました。

前記事の通り、洲崎飛行場と比較してこちらの水上機飛行場の方が配備面でも主であり、

米軍からの激しい攻撃を受けました。

「水上機発着所」の滑走台は1990年代まで残っていて、島民のボート置き場として活用されていましたが、

岸壁の拡張工事でなくなってしまい、現在は一般の港になっています。

戦後、基地機能は二見湾の西側部分に集約され、海上自衛隊父島分遣隊となり、

赤マーカー地点が飛行場になっていて、水上機用のスロープとヘリポートがあります。

ここは国交省航空局に正式に「父島飛行場」として登録があり、4レターコードもあります。

US-2等飛行艇が父島に飛来する際にもこのスロープを使用します。

所要時間は厚木から2時間30分。

おが丸だと東京の竹芝桟橋から24時間ですから、やっぱり船とは大分違いますね。

患者の緊急搬送に使用する事がありますが、湾外は波があり、湾内は山が迫っているため、

非常に危険を伴う離着水になる場合があるそうです。


      東京都・父島飛行場     

・海軍父島航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:水上機用飛行場
所在地:東京都‎小笠原村‎父島‎
座 標:27°05'40.3"N 142°11'45.2"E

・父島飛行場(現在) データ
設置管理者:防衛省
4レター:RJAO
種 別:水上機用飛行場
所在地:東京都‎小笠原村‎父島‎
座 標:27°05'25.2"N 142°11'31.3"E

沿革
1939年04月 1日、開隊
1942年08月 1日 海軍航空部隊(三座水偵6機)配備
       戦時中は激しい攻撃に曝され、大きな被害が出る
1944年    小笠原島民本土へ強制疎開開始
1945年08月 米軍の上陸なく終戦。米軍占領部隊上陸
1968年06月 26日 父島基地分遣隊開隊
1974年03月 30日 飛行艇すべり、艦船用桟橋完工
2008年03月 21日 エプロン周辺防波堤完工

この記事の資料:
父島洲崎の変遷について(その2):洲崎飛行場と太平洋戦争
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調


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コメント 5

鹿児島のこういち

オスプレイが離着陸出来そうな所は、確かにここしかなさそうですね。あとは、中学校の校庭のような気がしますが、そんなに広くはないのでは?
by 鹿児島のこういち (2014-07-25 19:52) 

an-kazu

ジパング版オスプレイ:海鳥も
飛んだところですね(*_*)☆\バキ!

http://youtu.be/Pgnp2U14EQE
by an-kazu (2014-07-25 23:29) 

とり

■鹿児島のこういちさん
校庭だとしたら、消防車が水まきに来るんでしょうか^^

■an-kazuさん
リンク先見ました。
あのシーン、父島の出来事だったんですね!
「二見湾が見えます」というセリフもありますね。
今頃気が付くという。。。d( ̄∇ ̄*)☆\(--

ちょっと調べてみました。
父島に初めて水偵が配備されたのは昭和17年8月。
そして父島に二式水戦が配備されたのは昭和19年6月。
(二式水戦の制式採用は昭和17年7月)


一方作中では、海鳥が父島に行くのは、みらいが昭和17年6月にタイムスリップ
して間もない頃ですから、本当なら父島には未だ水偵も配備されていません。
史実とは少しズレがありますね。
自衛隊員が日本海軍機により殉職する-
みらいの置かれた状況を強く印象付けるシーンのために少々変更したのでしょうね。
(並行世界のお話ですし)
by とり (2014-07-26 08:22) 

sionoiri

http://blog.livedoor.jp/ogatour/archives/39342571.html
現地の戦跡ガイドさんが撮影したMV-22の動画だそうです
by sionoiri (2014-07-28 22:07) 

とり

■sionoiriさん
前日の地形完熟飛行ですね。
どうもありがとうございました。
by とり (2014-07-29 05:51) 

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