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室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   (未訪問) 2019/6/22更新  



無題0.png
撮影年月日1944/10/22(91Q32 C8 124) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

「北海道室蘭市に戦前戦中あった飛行場」といえばそのスジの方は、

室蘭環状線(道道107号線)の西側に現在も地割が残っている1,000m超の「室蘭飛行場(八丁平飛行場)」

を思い浮かべると思いますが、先頭のグーグルマップ、航空写真をご覧の通り、

当記事の主役は、その「八丁平飛行場」ではありません。

当記事の主役は、室蘭環状線(道道107号線)をはさんで八丁平飛行場の向い側にあった

「室蘭市(室蘭市知利別)飛行場」です。


防衛研究所収蔵資料:「航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場」水路部 の中に、

「室蘭市飛行場」の資料と地図があり、先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

この資料は昭和15年8月調べのもので、資料にも地図にも「室蘭市飛行場」と大書きされていて、

室蘭市に複数の飛行場があったなどとは思いもしなかったオイラは、

当然、件の「八丁平飛行場」を扱ったものなんだろうと思っていたんですが、全くの別物でしたΣ(゚Д゚;)

改めてググってみたんですが、「八丁平飛行場」についてはたくさんのサイトがある一方で、

室蘭に八丁平以外の飛行場があったことを匂わせる情報は、現在のところネット上では見つかっておりません。

(地元の長老の方々にとっては言わずもがなでしょうけれども)

同資料ではこの小さな飛行場の名称を「室蘭市飛行場」、若しくは「室蘭市知利別飛行場」と記しています。

それで区別し易くするため、当ブログでは便宜上、

有名な八丁平の長い方の飛行場を「八丁平(はっちょうだいら)飛行場」、

この記事の主役である小さい方を「知利別(ちりべつ)飛行場」、

として以下話を進めさせて頂きます。


昭和15年の地図でも、そして上に貼った昭和19年の航空写真でも、

「知利別飛行場」の辺りは現在の「室蘭環状線」(道道107号線)とピッタリ同じ位置を南北方向に走る道路があります。

そして昭和15年の地図ではこの道路から丁字路で東側に分岐し、

滑走路北端に繋がるアクセス道路っぽいものが描かれていました。

これらの道路を先頭のグーグルマップに黄色線で示してあります。

上に貼った航空写真(昭和19年撮影)には、

地図で知利別飛行場が示されている辺りに、いかにも「飛行場がありました」という白っぽい地割が映ってます。

が、ドコからドコまで飛行場だったのか、境界がハッキリしません。

実は当飛行場敷地の東側は高低差数十メートルの崖が迫っています。

それで、崖とは逆方向(西側)に向かって、それからアクセス道路っぽいものから南に向かって、

資料通り300mx100mの線を引いています。

基準点がアバウトなので、作図もおおよそこんな感じという程度のものですのでご了承くださいませ。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

室蘭市飛行場(昭和15年8月調)
室蘭市知利別町(東室蘭駅の北方約3粁)
所管 室蘭市役所。
着陸場の状況
高さ 平均水面上約155米。
広さ及形状 本飛行場は東室蘭駅の北方約3粁、標高約155米の台地にし
て着陸地域は概ね図示の長さ南北約300米、幅東西約100米の短形地区(3萬
平方米)なり(付図参照)。
地表の土質 褐色壌土。
地面の状況 本場は森林地帯を伐採し開墾整地せしものにして起伏なき殆
ど平坦なる禿地なり・着陸区域は概して堅硬地なるも南東部に稍軟弱なる箇所
あり、南方に向い緩除なる下り勾配を成す・高台なるを以て排水良好なるも降
雨続きの際は地面軟化し盛上り気味なり・冬季結霜期及雪解の際は泥濘甚し・
夏季炎天続きの際は地面に亀裂を生ずることあり。
場内の障碍物 着陸区域内にはなし。
着陸上注意すべき点 着陸場は地域狭小にして且周囲に山稜を控うるを以
て離着陸の際注意を要す。

周囲の状況
山岳及丘陵 本場の外周一帯は高丘起伏連互し地表一般に不齊なり・北方
約1粁に天神山(215)、其の北方約3粁に(三角点記号)462高地及北東方5粁に(三角点記号)750高
地あり、750高地の西方約2.5粁室蘭市と札幌郡との境界に火山岩より成る鷲
別嶽(911)は最も顕著なり。
適当なる離着陸方向 北西-南東。
樹林 本場付近一帯は濶葉樹林にして四季を通じ繁茂す、高さ約6米なり。
水源地 場の東方約500米に日本製鉄株式会社水源池あり。
河川 場の東方約400米及西方約100米に小流あり

其の他
本飛行場は室蘭市知利別飛行場と呼称せらるるも飛行場と認めらるる程度のも
のに非ずして其の位置山稜高地に在りて地域狭小単なる不時着陸場に過ぎざる
を以て使用上特に注意を要す・本場は周囲との交通不便にして且拡張の余裕な
き為将来計画としては他に適当なる地域を選定する方針なりと言う。

「其の他」の項目は結びとして、

「拡張の余裕なき為将来計画としては他に適当なる地域を選定する方針なりと言う。」

とあります。

当飛行場の資料が作成された昭和15年8月の段階では、

「ここ狭いからもっと適当な場所にしよう」という方針だけ決まっているという状態だったんですね。
 

…と、ここまでが昭和15年調べの水路部資料を元にした「知利別飛行場」についての情報です。

前述の通り、ネット検索すると「八丁平飛行場」についての記事はかなり多いのですが、

実はコピペしたかのように同じ内容がとても多く(オイラも人のこと言えないけど)、

そして上記水路部資料とは、ちょっと食い違う点があります。

混乱を避けるため、ここまでネット情報は意図的に除外したのですが、

ここからは、水路部資料とネット情報の食い違いについて書いてみます。


ネット上に出てくる「八丁平飛行場」についての説明は-

昭和10年3月18日、室蘭市議会にて「市営飛行場」の建設提案を可決
同年7月1日、着工。場所は八丁平の市有牧場内
同年9月30日、「市営飛行場」完成。300mx11.5m
昭和18年 陸軍が拡張工事。550mx20m
最終的に滑走路の延長は1,300mに達した

文脈からすると、

「昭和10年に建設した小さな市営の飛行場が、終戦時にはこんなに大きな陸軍飛行場になりました」

という感じ。

サイトによっては、「八丁平飛行場」の航空写真が添付されているものもあり、

どの写真も、1,000m超級まで拡張された滑走路を南西側から撮った同一のものです。

総務省のサイトによりますと、この写真は、「丸」昭和52年12月特大号より。と説明がありました。

(滑走路表面、周辺の様子からすると、1944~1947年の間に撮ったっぽい)



一方水路部資料の説明は-

「昭和15年現在、知利別町に市営飛行場がある。もっと広い場所探して移る予定」

だいたいこんな感じ。

そしてネット情報と水路部情報を額面通りに受け取ると、不自然と思われる点が多々出てきます。


1.「八丁平飛行場」の項目がない

水路部資料は、「北海道地方飛行場及不時着陸場」と題する冊子本になっていて、

この当時道内にあった地方飛行場と不時着陸場を、

1ヵ所につき数ページを割いて詳細な情報と付図を付けて取り上げる形式です。

上に引用したのは、当「知利別飛行場」の項目に記された情報のホンの一部であり、

実際はこの数倍のボリュームがあります(周辺の地勢、気象に関するデータ等が凄い)。

そしてこの冊子本には、「八丁平飛行場」についての項目はありません。

昭和15年当時、室蘭市に2つの市営飛行場があったとしたら、

知利別だけ取り上げ、お隣八丁平は取り上げていないのはヘンです。


2.「知利別飛行場」の項目にも一切出てこない

ネット情報によれば、「八丁平飛行場」が完成したのは昭和10年。

水路部の資料に「知利別飛行所」が取り上げられたのは昭和15年。

つまり昭和15年の時点では、室蘭市営の飛行場が2つあったことになります。

水路部資料では、近隣にある飛行場について触れることがしばしばあります。

なのに、最短で300m先にあったはずの同じ市営飛行場については一切触れられていません。

また、同資料「知利別飛行場」の付図には、「知利別飛行場」が真ん中に描かれていて、

1,000m超級の「八丁平飛行場」滑走路の北側約1/3に相当する範囲まで含んでいるんですが、

そこに滑走路や飛行場を匂わせるものは影も形もなく、

南北方向に走る真っ直ぐな道路の他は、「荒地」と「樹木(に似ている)」の地図記号の表示のみです。

まあこれは、もしかしたら付図では見切れている南西側2/3の部分に、まだ短い頃の「八丁平飛行場」があった。

とも考えられるんですが、同付図には、室蘭市のほぼ全域を含む「一般図」もワイプで加えられており、

ここにも「知利別飛行場」しか描かれていません。

5年前に完成していたはずの八丁平飛行場のことが水路部資料に一切出てこないのはなぜでしょう?


3.そもそも2つ必要?

ネット情報によれば「八丁平飛行場」は、

東京~札幌間の定期航空路の要衝にあるため開設されたものの、

地ならしをしただけの簡易なもので、1機も飛ぶことなく昭和18年の拡張工事に至った。

とあります。

使用実績が皆無の市営飛行場を同時期に2つ造る理由って何でしょうか。

今なら「税金の無駄遣い!」とか騒がれそうな気がするんですが。。。


このように、水路部資料とネット情報を突き合わせると、なんとも不自然な感じになってしまいます。

この2つの情報を無理やり両立させようとすると、こんな感じになると思います。

昭和10年 室蘭市は八丁平(のできるだけ南東側)に市営飛行場建設
昭和15年 この年までに室蘭市は知利別町に2つ目の市営飛行場建設済み。知利別の方は将来移転を計画
昭和16年 水路部資料刊行。知利別飛行場のみ取りあげられる。
      八丁平飛行場はうんと南東側にあるため付図の範囲にかからず、資料内でもなぜか一切触れられない
昭和18年 陸軍が八丁平飛行場の拡張工事。550mx20m
最終的に八丁平の滑走路の延長は1300mに達した
知利別飛行場は結局そのまま?


ネット情報だけなら、「昭和10年建設の八丁平飛行場が終戦までに拡張された」と、

非常にスッキリ収まるんですが、ここに水路部の情報が入った途端、

こんなギクシャクした話になってしまいます。

では、水路部資料の信ぴょう性ってどうなんでしょうか。


1.改変の必要がない

水路部資料は、海軍が海軍のために作ったマル秘情報であり、外部にこの情報が漏れたりしませんから、

戦時改描等、おかしな改変をする必要がありません。


2.間違った情報だと身内が困る

民間のこんなに小さな飛行場までわざわざ取り上げて詳細な情報を海軍資料に載せるのは、

海軍機が被弾、故障等で緊急着陸の必要が生じた際の不時着地を事前に把握するためである他、

新規航空基地建設/接収のための場所選定の際、貴重な基礎資料とすることが考えられます。

水路部資料に取り上げられる飛行場資料には、前述の通り必ず地勢、過去10年間の風向風速、

天候の非常に詳細なデータが含まれます。

これらは飛行場建設の際、必要不可欠なものです。

「出向先の様子を事前に把握するため、早速水路部に向かった」。的な海軍軍人の手記もあります。

先程、「外部に漏れる心配がないから戦時改描の必要がない」と書きましたが、

こうした使い方を考えると、「改変の必要がない」どころか、

おかしな改変をしたら、間違った情報を元に各種作戦が実施されることになり、大変なことになってしまいます。

身内のための重要な情報源におかしな改変など、あり得ないはずです。


3.個人の感想

これまで水路部資料を8冊程記事化させていただいたのですが、地図に多少のズレはあるものの、

あるはずの飛行場を無いことにしたり、無いはずの飛行場を在るとしたり的な、

根本的な誤りは、オイラの知る限りただの一度もありませんでした。


ということで、ネット上では「知利別飛行場」に関する情報が皆無なのですが、

それでもオイラとしては、水路部資料を疑う気にはなれません。


少々蛇足になってしまうんですが、室蘭港は天然の良港で、古くから軍艦や海軍飛行艇の出入りがあり、

日鋼、日鉄等の超々重要施設もあることから、防空重要都市に指定されており、

陸海軍の高射砲、高角砲等防空陣地が市内各所に作られました。

そして、小規模な市営飛行場が、末期には結構な規模の陸軍飛行場に拡張されました。

そんな重要拠点にあって、水路部資料が作成された昭和15年当時、

八丁平は将来拡張可能な市営飛行場、片や知利別は拡張の余地なしとして移転先を探している市営飛行場。

当時は着陸場の広さとしては大差ないとしても、知利別は滑走路ギリギリに崖が迫っており、不時着するとしたら、

八丁平の方がまだマシなはず。

将来航空基地建設の候補地を選定するとしても、適地はどちらか明らかです。

もしネット情報にある通り、昭和15年当時八丁平に市営飛行場があったとしたら、

水路部資料で八丁平が完全にスルーされるというのがオイラにはどうしても解せません。


ということで、以下水路部資料を全面的に信用しているオイラの仮説です。

昭和10年 室蘭市は八丁平ではなく、知利別町に市営飛行場建設
昭和15年 この時点で室蘭市には、まだ知利別飛行場しか存在しない。移転計画あり
昭和16年 水路部資料刊行。室蘭市唯一の知利別飛行場のみ取りあげられる
昭和18年 この頃までに室蘭市は市営飛行場を知利別から八丁平に移転していた
      陸軍が八丁平飛行場の拡張工事。550mx20m
最終的に八丁平の滑走路の延長は1300mに達した

こんな感じ。

前述の通り、ネット情報では、昭和10年に市営の「八丁平飛行場」が建設され、

これが終戦までに1,000m超級の陸軍飛行場に拡張された。

という内容で統一されています。

オイラ個人としましては、この定説を否定してしまう形になるんですが、

こちらの方が自然なのではないかと。

オイラの壮大な勘違いである可能性もあるんですが、

拙記事がきっかけで室蘭の飛行場の情報が一つでも明らかになれば、

こうして妄想を晒すカイがあるというものです(o ̄∇ ̄o)フフ


繰り返しになりますが、ネット情報を時系列で並べるとこんな感じ。

昭和10年3月 室蘭市議会、「市営飛行場」建設を可決
 同年7月 着工
 同年9月 完成(300mx11.5m)
昭和18年 陸軍転用工事開始
昭和19年 9月完成

オイラはこれまで、「室蘭市に飛行場は1つしかなかった」と思い込んでいたため、

昭和10年の情報も含めて、全て「八丁平飛行場」のことを扱っているのだと考えていました。

しかし前述の通り、昭和15年の時点で「八丁平飛行場」は未だ存在せず、「知利別飛行場」しかなかったとすると、

この「市営飛行場の建設可決→着工→完成」という昭和10年の一連の出来事は、

「八丁平飛行場」ではなく、「知利別飛行場」について書いていることになります。


ちょっと気になるのが滑走路のサイズで、

ネット情報と水路部の資料とで幅の数字が異なっているんですが、

昭和10年に300mx11.5mで完成後、昭和15年までに300mx100mに拡幅工事を行った。

ということかもしれません。
 

ネット情報では続けて「昭和18年 陸軍転用工事開始 昭和19年9月完成」とあります。

上に貼った航空写真は昭和19年10月に撮影されたものなので、

「八丁平飛行場の陸軍転用工事」完成の翌月に撮られたものなんですね。

出来たてほやほやの「陸軍・八丁平飛行場」と、「市営・知利別飛行場」の地割が仲良く並んで映っています。

陸軍の「八丁平飛行場」と、市営の「知利別飛行場」。

移転後の知利別飛行場はどうなったんでしょうか。

「八丁平飛行場」は陸軍の飛行場になりましたから、知利別は改めて市の運用が続いたんでしょうか。

もしかしたら、移転後はすぐ廃止となったせいで、ネットではこんなに忘れられた存在になったのかも。


当記事を作るにあたり、どんなにググっても、「知利別飛行場」のちの字も出てこないため、

地元室蘭市の図書館に「知利別飛行場について何か情報がないでしょうか」と問い合わせをしたところ、

恐縮してしまうほどあちこち調査をしてくださったのですが、

「知利別に市営飛行場があったことを示す正式な資料はありません」。とのご回答でした。


ただし地元の古老の方の回想として、

「知利別212に飛行場があった」という情報と、手書きの地図が残っているとのことでした。

この「知利別212」は現在の天神町17-11(先頭のグーグルマップ赤マーカー)に当り、

「当地は栗林商会が経営する栗林農場があった場所」とのことでした。

知利別212(現・天神町17-11)は水路部の付図に描かれている飛行場の位置とは大分離れてしまうのですが、

「知利別212 という位置情報が絶対確実なものかどうかについては確認がとれない」とのことでした。

(実は室蘭市の第三の飛行場だったりして)

問合せの結果、情報が個人の回想という形で、しかも位置が微妙に違うんですが、

「知利別に飛行場があった」とする情報がかろうじて残っていることが分かりました。

室蘭市立図書館様、その節は大変お世話になりました。ありがとうございましたm(_ _)m


結論として、

・水路部付図の示す位置、そして資料通りの大きさの地割が当時の航空写真で確認できる
・地元図書館でも僅かながら記録が残っている

以上の点から、「知利別飛行場」は確かにあったのだと思います。



無題.png
測量年 1969(昭44)(5000 11-QF-05 11) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

余談:八丁平のナゾ

「八丁平飛行場」があった周辺、そして「知利別飛行場」があった場所も含め、

現在は広く「室蘭市八丁平」なんですが、

水路部の昭和15年の付図には、「知利別飛行場」のあった場所は「知利別町」と記されています。

室蘭市知利別町にあった飛行場ですから、「知利別飛行場」。

一方、「八丁平飛行場」のあった場所は同付図では「高平町」とあります。

上に貼ったのは、終戦から24年後の「八丁平飛行場跡地」周辺図。

飛行場の地割がハッキリ残り、一部自動車学校になっています。

この地図に「八丁平」という地名は見当たらず、飛行場跡地は赤矢印の通り、「高平町」になってます。

八丁平ドコいった??

という感じなんですが、

「八丁平」という地名、「八丁平飛行場」という名称は、昭和30年発行の室蘭市史にも普通に出ていました。

当時の「八丁平」とは、厳密な住所ではなく、広くこの地域を指す名称的なものなんでしょうか??




     北海道・室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地         


室蘭市(室蘭市知利別)飛行場 データ
所 轄:室蘭市
種 別:陸上飛行場(不時着陸場)
所在地:北海道室蘭市知利別町(現・室蘭市八丁平3丁目)
座 標:N42°22′20″E141°01′08″
標 高:155m
滑走路:300mx100m
方 位:15/33
(座標、方位はグーグルアースから)

沿 革
1935年03月 18日 室蘭市議会、「市営飛行場」建設を可決?
1935年07月 1日 市営飛行場(知利別飛行場)として着工?
1935年09月 30日 完成(300mx11.5m)?
1940年08月 水路部資料では「知利別300mx100m」とあり。拡幅工事したのかも
(1943年 陸軍転用工事開始)

関連サイト:
総務省/1-2,3室蘭飛行場   
室蘭(八丁平)飛行場跡地 


この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場
新編室蘭市史 昭和30年発行
新室蘭市史第四巻 昭和62年発行


コメント(8) 
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コメント 8

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コブラボール

知利別飛行場の記事を拝読しました。記事を読みながら古い記憶が蘇りました。但し50年以上前の記憶なので正確さについてはいささか疑問があります。前置きはこの辺で本題にはいります。
1、結論
  知利別飛行場と思われる、広く開かれた土地は確かに存在して
 いた。
2、理由
 (1) 記憶の整理
   ア 昭和44年ころ、私は当時室蘭市日の出町に所在していた
    高校に室蘭市港北町から通学しており、降雪期以外往路は
   バス、復路は徒歩で帰宅し、帰路の経路は室蘭環状線を登り
   八丁平飛行場跡地を経由していました。
   イ 八丁平飛行場跡地の東側にあった室蘭環状線は未舗装で滑
   走路から見る延長線より一段下がった感じの位置を通り、そ
   の環状線のさらに東側には濃い茶色の土が多く露出していた
   平坦は土地が展開しており、室蘭環状線は八丁平飛行場跡地
   と東側の平坦な土地との間にある小さな「谷」の様な形状で
   あったように記憶しています。また室蘭環状線の東側には小
   さな川が流れていました。
   ウ 高校生時代、自宅への帰路の途中、八丁平飛行場の東側の
   環状線を通る度に環状線から見える東側の平坦な土地が「八丁
   平飛行場の延長」の様に感じていました。そのくらい人為的に
   整備されたように見える平坦な土地だったように今でも思って
   います。
    またその平坦な土地は八丁平飛行場の延長のみならず、北側
   の室蘭岳方向へと広がっていたように記憶しています。
 (2)  本記事(空港探索3)と記憶の整合
    本記事を読み、50年以上前のもやもや(八丁平飛行場の延長
   線上に展開していた不自然に見える平坦な土地)が蘇り、解決
   されていなかった思いを導き出してくれました。たしかに「知
   利別飛行場」と思われる平坦な土地は存在していたと考えます
3、実査の結果
 (1) 令和元年11月末、実際に八丁平飛行場跡地とその周辺を実査
   してみました。
    昭和44年ころとはあまりも違う八丁平飛行場跡地周辺に驚
   き車を走らせました。
    自動車学校は元の位置のままのようでしたが、昭和44年当
   時見ることができた滑走路の跡は全く無くなってしまったよ
   うです。
 (2) 推定知利別飛行場跡地の探索
   ア 住宅地に変貌
     当時私が見ていた「平坦な土地」は一面住宅地になってい
    ました。
   イ 南北に伸びる舗装路    
    「推定知利別飛行場跡地」には舗装路が整備され、さらにそ
    の舗装路が南北に伸びており、推定知利別飛行場の様に見え
    ました。但し途中要所でバリケード閉鎖されていました。
4、終わりに
  私の記憶では知利別飛行場と思われる平坦な土地は昭和44年まで
 は存在していた。しかし今その跡地を正確に見つけることは出来な
 かったです。
  詳細に渡る調べは来年以降、日帰りではなく数泊しながら、かつ
 市役所等へ出向いて情報を収集してうえでチャレンジしたいと思い
 ます。
  中途半端なレポートで申し訳ありません。写真が数枚あるので…

by コブラボール (2019-12-03 10:10) 

とり

■コブラボール様
非常に理路整然とした詳しい情報を下さり、ありがとうございます。
いただいた地名から、お住まいと高校の位置を確認させて頂いたのですが、
地元も地元、昭和40年代に跡地を見ておられたのですね。
こうして思いがけず地元の方から当時の情報を頂けるのが、
記事を公開して良かったと感じる瞬間です。
本当にありがとうございました。
「広く開かれた土地は確かに存在していた。」
とのことで、オイラとしましては、やっぱり知利別飛行場はあったのかも。
という思いを更に得ました。
来年以降またお出掛けの計画とのことで、
是非また情報いただければ幸いです。
実はオイラも来年の恐らく7月頃に現地にお邪魔する予定でおります。

防衛研究所の知利別飛行場関連の資料を撮影して残してあるのですが、
もし必要でしたら、メールか郵送でお送り致しますので、
お申し付けくださいませ。
それから、勘違いだったら申し訳ないのですが、
以前に同じネームでコメント頂いたことありましたでしょうか?
by とり (2019-12-04 05:26) 

コブラボール

とり様
コメントありがとうございます。
まず文章の誤字脱字があったことをお詫びします。
八丁平飛行場跡地に関するコメントは3度目です。過去2回のコメントの後、今一度、八丁平飛行場跡地を訪ねてみたいと思いながら中々行くことができず、今年になってしまいました。
来年のことを言うと鬼に笑われそうですが、次回は事前の準備を十分に整えてから再度八丁平飛行場跡地、知利別飛行場跡地に行きたいと考えています。
ところで、この度撮影した「知利別飛行場跡地」と推定される場所の画像を送りたいのですが、どの様に送ったらよろしいでしょうか。
因みに、「知利別飛行場跡地」と推定される道路の東側は崖のようになっていました。
併せて、希望ですが防衛研究所の知利別飛行場関連の資料を頂けると幸いです。
よろしくお願いいたします。
by コブラボール (2019-12-04 10:01) 

とり

■コブラボール様
八丁平飛行場記事でいろいろ教えて頂いていましたね。
大変失礼しました。
画像をお送り頂けるとのことで、ありがとうございます。
防衛研究所の資料もお送り致しますので、
下のコメント欄のメールまでご連絡頂けますでしょうか?
(メールアドレスは、メール頂き次第削除しますのでご了承くださいませ)
by とり (2019-12-05 05:29) 

コブラボール

とり様
早速の御返事ありがとうございます。
先ほど、画像を送らせていただきました。
画像の説明に一部不正確なところがありましたので併せて訂正文を送信しています。
なお当方のメルアドは送信済みメール上にあると思います。メルアドの連絡は、この方法でよろしいでしょうか。

なお、メールでも連絡済みですが「アメリカが記録した室蘭の防空」という書籍の中に八丁平飛行場に関する記述があります。その中で八丁平飛行場について市営飛行場の規模等の前振りのあとに「撮影状態から見て新たに建設された飛行場…」という表現がされています。
この表現が、市営飛行場とされるものを拡張したものか、全く新たに建設したものかを指すかは判然としませんが、知利別飛行場に関する新たな情報と考えてもよいのではないかと考えています。
なおこの八丁平飛行場に関する記述の締めくくりは段を改め(米国国立公文書館)となっています。

「アメリカが記録した室蘭の防空」は来週中に発送することが可能です。

 とり様
                    コブラボール

by コブラボール (2019-12-05 10:06) 

鹿児島のこういち

土地を調べるのであれば、法務局で土地の所有権移転を調べるのが早い方法かもしれません。
だいたいの地番を、ここだろうと想定して調べないといけないのですが(´・ω・`)
陸軍飛行場に転用したのであれば、陸軍が土地を接収していて、土地登記を陸軍省または国に移転してるかもしれないので、ある一定期間だけそのような面積の広い地番が見つかれば、その地番が飛行場であった可能性はあると思います。
ただ、当時は字絵図だけで、地積測量図は無いと思われるので、これから正確な形は見いだせないとは思います・・・(;^ω^)
元の地番がわかれば、そこから移転、分筆、合筆、そして今現在の地番が判ると思うんですよね。
※調べるのも印紙代が必要になるんで、こういうやり方もありますよって事です(^^)
by 鹿児島のこういち (2019-12-05 10:15) 

とり

■コブラボール様
メール、確かに頂きました。
どうもありがとうございました。
書籍の件も感謝致します。
by とり (2019-12-06 04:38) 

とり

■鹿児島のこういちさん
地元図書館から教えて頂いた「知利別212」
というものがいつの時代のものなのか不明なんですが、
これも手掛かりになるかもしれないですね。
どうもありがとうございました。
by とり (2019-12-06 04:42)