第二/三八丈島航空基地候補地 [├場所]
2013年7月訪問 2021/11更新
撮影年月日1949/03/25(昭24)(USA M1250 33)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
東京都八丈町大賀郷。
海軍の飛行場候補地となった場所です。
現在周辺は南原スポーツ公園等が整備されています。
■「八丈島の戦史」付図3
に八丈島全図を示した1/20,000の地図があり、滑走路が描かれています。
先頭のグーグルマップはこの地図から作図させて頂きました。
■防衛研究所収蔵資料:航空基地-115 海軍航空基地位置図
には、「八丈島航空基地」として、こちらも八丈島全図を示した1/50,000の青図があり、
先頭のグーグルマップのような感じで2本の滑走路が描かれています。
先の「八丈島の戦史」付図3に描かれている滑走路は、
非常に緻密に描かれている反面、 単に「飛行場」としか表記がないのに対し、
防衛研究所の青図は、陸側の滑走路には「第二」、海側の滑走路には「第三」と記されています。
それで当記事ではこれに則り、
「第二/第三八丈島航空基地」若しくは「第二」、「第三」として話を進めさせていただきます。
「第二」と「第三」の滑走路は、互いにV字というか、Y字というか、一部重なった形状ですね。
付図3には、旧飛行場、「第一」、そして当記事の「第二」、「第三」の他に、
島の南東側にもう一つ「第四」の滑走路が描かれています。
「八丈島、三宅島・2」の記事でも書きましたが(下記リンク参照)、八丈町役場の教育課の方にお聞きしたところ、
旧飛行場、「第一」以外は、「ここがいいのではないか」という計画のみだったのだそうです。
上に「第二」、「第三」候補地周辺の1949年航空写真を貼りましたが、
確かに周辺にはそれらしい地割は(オイラには)見当たりません。
Aircraft Action Report No. 1 1945/02/16 : Report No. 2-d(36): USS Hornet, USSBS Index Section 7(国立国会図書館ウェブサイトから転載)■
これは、1945年2月作成の米軍戦闘報告書添付の地図です(使い回しですが)。
(この地図はPUTINさんから教えて頂きました。PUTINさんありがとうございましたm(_ _)m )
驚くのは、この米軍作成の地図に"POSSIBLE AIRSTRIPS"として描かれている西側の1本滑走路と、
「第二」滑走路とが、長さ、向き、位置共にビックリするほどソックリであるという点です。
「八丈島の戦史」付図3の地図上部には、
軍極秘
處理法 用済後焼却
軍令部(昭和20年2月作成)
などと厳めしい文字が並んでいます。
この地図、奇しくも作成月が米軍作成の地図と同じなんですよね。
なんでこんな日本軍の極秘資料に描かれている滑走路が、2本のうち1本のみとはいえ、
米軍作成の地図に描かれているのか…。
繰り返しになりますが、当時の航空写真に滑走路の地割はなく、
写真を見ただけではこんな線は(少なくともオイラには)引けません。
Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases. Report No. 3-d(54), USSBS Index Section 6
(国立国会図書館ウェブサイトから転載)■
こちらは1945年5月作成の米軍資料にある地図。
2本滑走路の位置関係、長さ、第一と誘導路で連絡している点まで、付図3とほぼ同じ。
もはや「日本軍の極秘地図から簡単に描き写した」としか思えません(XДX)
一体どーやって情報を入手したんでしょうか??
赤マーカー地点。
野球場バックネット裏
東京都・第二/第三八丈島飛行場候補地
第二/第三八丈島飛行場候補地 データ種 別:軍用滑走路
所在地:東京都八丈町大賀郷
座 標:N33°06′32″E139°45′20″
標 高:26m
滑走路:第二:1,300mx180m(12/30)、第三: 1,350mx180m(16/34)
(座標、標高、滑走路長、方位はグーグルアースから)
関連サイト:
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この記事の資料:
八丈島の戦史 付図3
防衛研究所収蔵資料:航空基地-115 海軍航空基地位置図
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