朝鮮・海州飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]
2024/11更新(未訪問)
北朝鮮黄海南道海州(ヘジュ)市にあった日本陸軍の「海州飛行場跡地」。
航空写真モードにしていただくと分かりますが、後に飛行場として大きく拡張されたようです。
■朝鮮交通史 1041p
昭和14年現在の飛行場 として、以下記されていました。
飛行場名 海州(不時着場)
所在地 黄海道海州郡泳泉面控海里
滑走地帯(東西・南北)m 1,000 800
備考 陸軍用用地を含む
■朝鮮交通史 1041p
日本国内では航空機の進展に順応して、行政機構の設置、関連法令の制定と航空保安施設の整
備が行われていたが、朝鮮では昭和4年の日鮮満を結ぶ定期航空路の開設に伴いようやくこれに
取組むようになったが、しかも急速に整備する必要に追われた。(中略)
定期航空開始に間に合うようこれの寄航地は次のように準備されたが、朝鮮の飛行場建設に当
たり特に留意しなければならぬ要点は
(1)冬期に土壌の凍結がひどいこと
(2)梅雨季には豪雨により地盤が軟弱となったり、飛行場が冠水するおそれがあること
等があったが朝鮮内では適当な候補地を得られないので、これが選定に当たっては相当苦慮させ
られ、施工に当たっても予想以上の困難が伴った。(中略)
終戦までに整備した飛行場の概況は次の通りである。
海州飛行場 1047p
陸軍砲兵演習場であったのを昭和12年臨時軍事費で一部を飛行場として建設された。
■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
に1/10,000の要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。
南北方向の滑走路は500m、東西方向の滑走路は800mと書き込みがありました。
位置、縮尺等、非常におおまかなものですので、ご了承くださいませ。
同資料の情報を以下引用させていただきます。
位置 朝鮮黄海道海州郡
積量 七七〇,〇〇〇平方米(軍用地四七〇,〇〇〇平米)
地表の状況 概ね平坦にして雑草を生し稍軟弱なり
周囲の状況 南方は海に面し西北方に丘阜地近接
しあるも四周概ね開闊しあり
天候気象の交感 記載無し
格納施設 一,二〇〇平米一棟
居住施設 学生三〇名分 工員二〇名分
交通連絡 海州市街■約六.五粁
其の他 記載無し
本土航空作戦記録 (文書名: Japanese Monographs = 日本軍戦史 ; Monograph No. 23) (ボックス番号: 3)■
本土決戦の際、米軍が郡山付近に上陸した想定の飛行部隊展開配置図。
海州飛行場も作戦に組み入れられていました。
詳しくは潭陽飛行場記事をご覧ください■
朝鮮・海州飛行場跡地
海州飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮黄海道海州郡(現・北朝鮮黄海南道)
座 標:38°00'22.1"N 125°46'33.5"E
標 高:10m
滑走路:800mx220m?(10/28),500mx110m?(17/35)
(座標、標高はグーグルアースから、方位は地理院から)
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この記事の資料:
朝鮮交通史
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
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