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朝鮮・水原飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2024年10月 記事作成(未訪問)  



 
大韓民国京畿道水原(スウォン/すいげん)市にある水原空軍基地。

かつてここは日本陸軍の「水原飛行場」でした。

■陸軍飛行場要覧(北海道・朝鮮)に図があり、先頭のグーグルマップはここから作図しました。

朝鮮京畿道 水原郡
滑走路 六〇x一五〇〇米 コンクリート舗装
掩体 大四四ヶ所
収容施設 六〇〇名分
※戦史史料・戦史叢書検索で見れます(10コマ)。

■疾風と共に : 飛行第二十二戦隊部隊史107p
 三月上旬といえば、緯度の高い朝鮮ではまだ相当に気温が低く寒い。水原飛行場も朝晩は完全に凍結し、日中日光を受ける部分が漸く溶けだすという状態であった。水原は飛行場完成以来日が浅いもののようで、舗装された滑走路以外、氷が解けると飛行機の地上滑走すらむずかしくなるような状態であった。
 戦隊長は以上のような状態では、円滑な部隊の行動が望めないと決心し、早速各方面に連絡調整した結果、部隊は三月八日京城西方の金浦飛行場に移動し、ここで戦力回復のための錬成訓練を行なうようになった。
※国立国会図書館デジタルコレクションで見れます(56コマ)。

敷地の広々とした飛行場ですが、実際の運用にはご苦労があったのですね。


3.png
本土航空作戦記録 (文書名: Japanese Monographs = 日本軍戦史 ; Monograph No. 23) (ボックス番号: 3) 

本土決戦の際、米軍が郡山付近に上陸した想定の飛行部隊展開配置図。

水原飛行場も作戦に組み入れられていました。

詳しくは潭陽飛行場記事をご覧ください 

国立国会図書館デジタルコレクションで【水原飛行場】と検索すると、

朝鮮戦争での水原飛行場関連を記した多数の書籍がヒットします。

マッカーサーも降り立った飛行場です。


飛行場敷地は1,800mx1,000mの方形で、東側に付属施設、西側に幅600mで飛び出た部分のある形状ですが、

線路と川に挟まれた地形にうまいことフィットする形状になっています。

図によれば、滑走路は方形の飛行地区のかなり東側に寄った場所に設けられています。

作図の際、この滑走路位置をどうやって決めようか悩みました。

現行の空軍基地には三本の滑走路があって、

幅は一番西側の滑走路が44m、真ん中と東側の滑走路が46mなんですが、

一番東側の15L/33Rだけ、明らかに60m幅の舗装面に46m幅の滑走路が乗る恰好になっています。

この幅60mは日本軍当時の滑走路幅と同じ。

それで、一番東側の15L/33Rが日本軍当時の滑走路位置だと考えました。

但し、日本軍当時の滑走路長さが1,500mだったのに対し、

この60m幅は、現行の滑走路の長さ(2,743m)いっぱいに続いています。


それからもう一つ、現行3本ある滑走路にペイントされている磁方位(数字で滑走路の向きを示す)は、

15R/33L、15L/33R、16/34

となっており、この数字だけ見ると、1本だけ微妙に滑走路の向きが違うのかと思いますが、

実際に滑走路同士の間隔を測ってみると、1m単位で同じでした。

つまり、ペイントされている数字は異なるのに、完全に平行滑走路ということです。

ドユコト??

不思議に思ってグーグルアースの過去画像を見てみたら、

2012/3/20までは15R/33L、15L/33Rの2本しかありませんでした。

2014/4/8の画像で西側に第三の滑走路が出現していますが、ランウェイナンバーのペイントはまだ無し。

2015/2/8の画像ですっかり16/34とペイントが施されており、現在に至ります。


ここまでが事実で、ココから先はオイラの憶測なんですが、

三本目の平行滑走路を作ったならば、本来は真ん中の滑走路は15L/33R→15C/33C に変更し、

三本目の滑走路に15L/33Rというランウェイナンバーを譲るべきなんですが、

長年の慣れもあるでしょうし、煩雑な諸々の変更業務を避けるため、

「16/34ですけど何か?」ということにしたんじゃないでしょうか。




     朝鮮・水原飛行場跡地         
(1)水原飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮京畿道水原郡
座 標:37°14'23.4"N 127°00'16.1"E
標 高:24m
飛行場:1,000mx1,800m(不定形)
滑走路:1,500mx60m(コンクリート)
方 位:15/33?
(座標、標高、方位はグーグルアースから。飛行場、滑走路長さは防衛研究所資料から)

(2)水原空軍基地(現在) データ
設置管理者:大韓民国空軍
種 別:軍用飛行場
3レター:SWU
4レター:RKSW
所在地:大韓民国京畿道水原市
座 標:北緯37度14分21.86秒 東経127度0分25.39秒
標 高:27m
滑走路:2,743m×46m(15R/33L)、2,743m×46m(15L/33R)、2,297m×44m(16/34)アスファルト
(主にWiki/水原空軍基地から)

沿革
1945年 この頃建設

関連サイト:
ブログ内関連記事

この記事の資料:
陸軍飛行場要覧(北海道・朝鮮)
疾風と共に : 飛行第二十二戦隊部隊史


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朝鮮・西帰浦の飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2024年12月 記事作成  



 
前記事の続きです。

東西70km、南北30km余りの済州島は、軍事上の要衝として日本軍により次々と飛行場が建設された訳ですが、

済州島航空基地、済州島飛行場、済州東飛行場、陸軍秘匿飛行場ときて、5番目の飛行場が建設されたのでした。



 
済州島血の歴史 : 4・3武装闘争の記録 20p

「第五十八軍の作戦方針は、漢拏山(紫マーカー)を複廓陣地として長期持久し、もって済州(青マーカー)、摹瑟浦(黒マーカー)西帰浦(赤マーカー)などの飛行場群の使用を阻止妨害するにあった。」

書籍のタイトルにある「4・3武装闘争」とは、済州島で1948年4月3日に発生した大事件(済州島四・三事件)を指し、

これは第二次大戦後のことなので、日本軍と直接の関りはないのですが、

引用した箇所は、大戦末期について触れたもので、その内容は、

沖縄を落した米軍がいよいよ済州島に攻め上がってきた際の第五十八軍(済州島に配備された日本陸軍)

の作戦方針です。

ここで「西帰浦などの飛行場群」として、西帰浦に日本軍の飛行場があったことが記されています。

 
地元サイト

「済州島には5つの日本軍飛行場が建設された」とする地元サイト様は複数あり、例えばこうあります 

 日帝強占期の済州に建設された飛行場の中には、俗称アルトル飛行場とチョントルビ行場、ジンドル飛行場が代表的だ。これらの飛行場のほか、当時済州市チョチョン邑京畿里付近に建設された陸軍秘密飛行場と県西帰浦市役所一帯に造成された小規模飛行場があった。(中略) 県西帰浦市役所の建物を中心に東に東洪川まで、西に旋盤内まで芝生飛行場だった。(Google翻訳・以下同様)

西帰浦にあった飛行場の具体的な位置が示されていますね。

「県西帰浦市役所の建物を中心に」→西帰浦市庁 第1ビル(黄マーカー)

「東に東洪川まで」→(青マーカー)

「西に旋盤内まで」 実はコレが一筋縄では特定できませんでした。

グーグルマップで西帰浦付近を開いた状態で【旋盤内】とワード検索しても、

「旋盤内」なる場所はヒットしません。

それでGoogle翻訳で元のハングル文章をどんどん削ってゆき、「旋盤内」の部分だけ抽出すると、

"선반내"という言葉が残りました(Google翻訳ではなぜか「旋盤内」→「棚内」という訳に変化してた)。

先ほどと同じ要領で、グーグルマップで西帰浦付近を開いた状態で、【선반내】とワード検索すると、

赤マーカー付近を示しました。

…一応辻褄は合ってますね。

サイトに示された範囲に滑走路があったとすると、長さはちょうど1,000mになります。

先頭のグーグルマップは、この地元サイト様の情報に基づいて線を引いた推定図です。

ご了承ください。

推定位置は、現在地方道第1132号線と重なっており、まるで滑走路跡をそのまま道路に転用したかのよう。

ここが元々戦時中から道路であったかは不明なのですが、「芝生飛行場」と記されていることからすると、

少なくとも舗装道路を拡幅して滑走路化したのではなさそうですね。

で、滑走路の長さとしては申し分ないのですが、勾配がけっこう大変なことになってます。

西端から僅か300m足らずで20mも標高が上がり、その後はほぼ平坦なんですが、

ラスト200mで10m標高が下がります。

実は同サイトでは西帰浦の飛行場について、

冒頭部分では日帝強占期の済州に建設された飛行場の1つに数えているものの、

終盤では「4・3事件当時西帰浦市に建設された。」とも記されています。

日本軍が建設したのとは別の飛行場が西帰浦に新たに建設された可能性もあるのですが、

終戦と共に日本軍が建設した飛行場は接収され、その後朝鮮戦争で使用したパターンが多いです。

拡張工事を施したケースも多々あることから、西帰浦の飛行場もそういう部類だったかもしれません。

因みに滑走路ほぼ中央に大きなロータリー(紫マーカー)があり、

グーグルマップでは、史跡を示すマーカーが付いていて、서귀포비행장 터(西帰浦飛行場)とあります。



赤マーカー地点から滑走路方向。

キツイ上りが続きます。



こちらは青マーカー地点から滑走路方向。

すぐ後ろには東洪川の橋があります。
 

電報綴

前記事の後半で、電報のやり取りに触れました。

ちょっとおさらい。

昭和20年6月14日 朝鮮担当参謀から済州島担当参謀に対し、「秘匿飛行場建設せよ」

として、具体的な飛行場の位置、規模等指示が出されました。

ところがです。

昭和20年6月25日 朝鮮担当参謀から陸軍次官に対し、「至急、秘匿飛行場建設指令出してください」

と要請しています。

済州島担当参謀に建設指示を出した朝鮮担当参謀が、11日後、今度は陸軍次官に建設指令を出すよう要請―

なんでそんなことするんでしょう??

済州島第58軍参謀長がなかなか言うこと聞かないから、「ちょっと部長からも一言言ってやってくださいよ」

みたいなことなのかしらん。

なんてことを考えたのでした(おさらいはここまで)。


昭和20年6月25日の電報の内容、正確には、

「築参電第六七八〇号(済州島陣内二秘匿飛行場新設ノ件) 至急指令セラレ度」

というものです。

「築」は朝鮮を担当する第17方面軍の通称号/略称なので、

「築参電」の発信者は、朝鮮を担当する第17方面軍ということです。

つまり、築参電第六七八〇号の中に(済州島陣内二秘匿飛行場新設ノ件)について記されていて、

「この『築参電第六七八〇号』を至急指令してくださいよ」という意味なのですが、

ではこの電報はいつ出されたものなのか?

アジ歴で検索すると、ちょうどこの頃の電報綴を閲覧することができます。

できるのですが、ちょうど築参電第六七八〇号を含め、その前後がごっそりと抜けています(;´Д⊂)

六七八〇号の直前で閲覧できるのは、6月6日の築参電第六四三二號、

直後で閲覧できるのは、6月12日の築参電第六九八六號。

ということは、築参電第六七八〇号(済州島陣内二秘匿飛行場新設ノ件)は、

昭和20年6月6日~12日の間に出されたということになります。

それからもう1つ、こんな電報がありました。


3.png
「表紙「機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月 第17方面軍参謀部作戦班」」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070052400、機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月(防衛省防衛研究所)→ダウンロード→電報文起案・訳文綴 昭和20年6月(3)→31コマ

これは、昭和20年6月16日 東京の陸軍次長から朝鮮を担当する陸軍第17方面軍参謀長宛の電報です。

東飛行場工事中止に続けて、「秘匿飛行場の䕜陣地内設定に関しては目下研究中」とあります。

※「䕜」という漢字については、(草冠に翠と特に註あり)と添えられているのですが、コレが何を意味するのかイロイロ調べたのですが、分かりませんでした。この電報綴では、文中になぜこの言葉が突然出てくるのか、? マークが付されるケースがちょいちょいあります。

それはともかく、この電報だけでも、飛行場建設に関して、

始めるも止めるも、中央から指示が出ていることが良く分かりますね(海軍飛行場の工事にまで口出ししてますし)。

 
ちょっと余談ですが、米子飛行場の敷地買収に関する一連の電報が閲覧できます(アジ歴:C01007174600)

これを見ると、既存の飛行場の敷地買収でさえ、陸軍大臣、大蔵大臣まで話が行っており、

経理部等と細かい文書のやり取りが続いています。

ましてや飛行場の新設ともなれば、飛行場設定隊が動きますし、器が完成した後の運用のこともありますから、

朝鮮担当参謀や済州島担当参謀が勝手に新設の指示を出すなど考えられません。

陸軍大臣→朝鮮担当の第17方面軍→済州島担当の第58軍 と、きちんと飛行場新設の指示が出ているはず。

…と考え、電報を探してみることに。


因みにアジ歴では、

昭和19年11月27日~20年7月末までの「機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月 第17方面軍参謀部作戦班」」

が閲覧できます。

この期間の電報の内容を目次で全部確認したのですが、結局秘匿飛行場関連はこの4つが全てでした。

時系列で並べると、こんな感じ。

①6月6日~12日 築参電第六七八〇号(済州島陣内二秘匿飛行場新設ノ件)

②6月14日 朝鮮担当参謀から済州島担当参謀に対し、「秘匿飛行場建設せよ」(築参電六九二一号)

③6月16日 東京の陸軍次長から済州島担当参謀に対し、「秘匿飛行場の䕜陣地内設定に関しては目下研究中」

④6月25日 朝鮮担当参謀から陸軍次官に対し、「築参電第六七八〇号の件、至急秘匿飛行場建設指令出してください」

4つの電報を見ると、実際に建設の指示を出しているのは②だけであり、

それ以外の3つは、「研究中」だったり要望だったりです。

②では、場所は「橋来里付近」と位置を示し、滑走路、付属施設についても規模を明示しています。

それなのに、その2日後の③で「秘匿飛行場の䕜陣地内設定に関しては目下研究中」って、おかしくないですか?

それと前記事からの繰り返しですが、

既に建設指令出てるのに「建設指令出してください」ってのも、おかしくないですか?

②で建設指示の出ている飛行場が現在の静石飛行場一帯ということは、内部文書から確定しています。

それでオイラとしましては、②を除く、①③④の電報にある秘匿飛行場とは、

現在の静石飛行場に続く、済州島5番目の飛行場=西帰浦の飛行場のことではないかと考えたのでした。

そういう前提でこのやり取りの流れを見ると、スッキリするのですが。。。 (個人の感想です)

拙ブログでは当飛行場の名称として便宜的に「西帰浦の飛行場」としましたが、

オイラの推測が正しければ、ココは4番目に建設された陸軍秘匿飛行場に続く、

「第二の陸軍秘匿飛行場」なのではないかと思います。

なんかモヤモヤした感じですが、一連の済州島内の日本軍飛行場シリーズはこれにて終了です。




     朝鮮・西帰浦の飛行場跡地         
西帰浦の飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍?
種 別:秘匿飛行場?
所在地:大韓民国 済州特別自治道 西帰浦市 東烘洞
座 標:33°15'11.5"N 126°33'38.2"E?
標 高:71m?
滑走路:1,000mx50m?
方 位:08/26?
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

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A:どの位燃やされる?(三択クイズの続き)
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HondaJet・2 MH02(元祖HondaJetの話)
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翼の取り付け位置の話(いろんな事情の話)
HondaJet・4 OTWEM(「主翼上面エンジン配置」の話)
HondaJet・5 翼型(「自然層流翼型」の話)
沖縄の飛行場の変遷(沖縄にはたくさん飛行場があった話)
787の近況(大急ぎで作らないといけない話)
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岩国錦帯橋空港(べっ、別に偶然開港前にたまたま前を通りかかっただけなんだからねっ! という話)

2013年
787運行停止
(今のうちに膿を出し切って欲しい話)
787運行停止・その2(トラブルまとめの話)
787運行停止・その3(バッテリーの話)
787運行停止・その4(大人の事情の話)
A350XWB の近況(後発の利点を最大限活かしてる話)
枕崎空港廃止(寂しい話)
神風号亜欧連絡飛行・1(出発までの話)
神風号亜欧連絡飛行・2(その後の話)
787運行再開(やっと再開した話)
"重い"787(実は重かった。という話)
飛行の中の非日常(ヒコーキが怖くなる話)
八丈島の飛行場・補足(米軍もよくやるよ。。。という話)
787デリバリー2周年(OILMANさんおめどうございます。という話)
「君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らず。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」(防空識別圏の話)

2014年
福島空港とウルトラマン(福島空港を応援する話)
とり日記(ムック本に載った話)
広島ヘリポートのレターコード(ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。という話)
ANAの787(データ拾うのにすんごい苦労した割に地味な話)
桶川飛行場の「弾薬庫」のこと(奉安殿?? という話)
内閣中央航空研究所のこと(どんな研究所?? という話)
福岡第一飛行場
(離陸待機の話)
787デリバリー 3周年(いろいろ妄想が広がった話)
MRJ・1(祝・MRJロールアウト という話)
MRJ・2(続きの話)

2015年
ヒコーキネタ(ヒコーキネタいろいろの話)
HondaJet ワールドツアー@岡南飛行場
(おろ・おろしさん ありがとうございます!! という話)
伊良部大橋開通(やっと開通したけれど…という話)
オバーの歌(不思議な歌の話)
御宿と銚子のVOR廃止(コース変更の話)  
祝! MRJ 初飛行(この先も頑張って欲しい話)   
根岸氏と水産試験場のこと(疑惑の話)   
Honda Jet デリバリー開始(\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/)   
続・根岸氏と水産試験場のこと(やっぱりそうだったっぽい話)  

2016年 
ANA、A380発注正式発表(ANAは別にA380の運航がしたい訳じゃないような気がする話)
セントレア二題(順調にすすむのかしらん。という話)  
磯子埋立地 1,500mのナゾ(いろいろ妄想した話)   
ボーイングのデリバリー数(もうすぐ500!という話)  

2017年
国交省、完全自動化旅客機導入の方針(エイプリルフールネタ)
ボーイング、自動操縦ジェット旅客機の関連技術試験実施へ(うわの空)
朝鮮強化月間開催(しますよ!という話)
韓国、北朝鮮の飛行場(済州島に行きたくなった話)
朝鮮強化月間終了(終わりましたよ!という話)
那覇空港第二滑走路(何のために造ったのか分からなくなる話)  
松本空港展望デッキ(見学には辛い時代の話)  
せとうちホールディングス(ノウハウを国内に持ち込むつもりなのかしらん。という話)  
那覇空港・1(アップまで2カ月かかったけど、結局どうすればいいか分からない話の始まり)  
那覇空港・2(更によく分からなくなる話)
那覇空港・3(ますますよく分からなくなる話)
那覇空港・4(分からないまま終わる話)  
横田空域と羽田新ルート(これもよく分からない話)  
伊丹空港の展望デッキも。。。(見学には辛い時代の話2)

2018年
羽田空港ボーディングステーション供用開始(一度利用して見たい話)
ホンダジェット(世界地図色塗りがすげー大変だった話)
ボーイングとエンブラエル提携へ(この記事が実現するには幾つも奇跡が必要な話)
MRJデリバリー前倒しなるか(ちょっといい話)  
軽井沢の飛行場について(意外といっぱいあった話) 
SkyVectorのチャートのこと(同上の話) 
中国、2035年までに空港数をほぼ倍増へ(世界の本〇みたいな話) 

2019年
A380生産終了・1(胴体の話) 
A380生産終了・2(主翼の話) 
A380生産終了・3(エンジンの話) 
A380生産終了・4(航空会社の話) 
A380生産終了・5(メーカーの話・上) 
A380生産終了・6(メーカーの話・下) 
大西洋今昔(ちゃんと大圏コースの話) 
RJTT RJAA(台風19号の話)

2021年
聖火リレーと飛行場(johokotuさんのおかげ企画) 
ブルーインパルス号デビュー!(マリオ師匠のおかげ企画) 
観測ロケットS-520-31号機 打上げ(鹿児島のこういちさんのおかげ企画) 
HondaJet 2600 Concept(出してください出してください出して) 

2022年
ロシアの旅客機問題(巻き込まれるロシア国民…な話)
三菱スペースジェット・3(MRJの続編話)
三菱スペースジェット・4(一応完結)
2タミ本館と北側サテライト結合へ(羽田はまだまだ進化する話)
TOKI AIR、ATR72-600型初号機受領(羽田バイパスのハブになって欲しい話)
大分空港ホーバークラフト運行計画(今度は軌道に乗って欲しい話) 

2023年 
747 最終引渡し(いろいろと目から鱗だった話)
スペースジェット開発中止・1(そういうものに わたしはなりたい話)
スペースジェット開発中止・2(多分航空会社とパイロットの見解の相違話) 
海南島/気球発射基地(ここから来たっぽい話) 
スペースジェット開発中止・3(いきなり飛び恥の話) 
スペースジェット開発中止・4(なんとか完結した話) 


朝鮮・陸軍秘匿飛行場跡地(推定位置) [└日本統治時代の飛行場]

   2024年10月 記事作成  



 
前記事の続きです。

日本陸軍は済州島飛行場を建設し、続けて済州東飛行場の建設を始めたのですが、

米軍に位置がバレているとして建設を中断、島の内陸に新たに秘匿飛行場の建設を進めたのでした。

大韓民国済州特別自治道西帰浦市にある大韓航空の訓練飛行場「静石飛行場」。

この静石飛行場一帯こそ、かつて日本陸軍の「陸軍秘匿飛行場」があった場所である―

こうした内容が地元複数のサイト様に共通して記されています。

Wiki/静石飛行場

静石飛行場の位置する一帯では、かつて日本陸軍が飛行場を建設していた。この飛行場は1945年6月1000m×100mと900m×50mの滑走路を持つ飛行場として計画され、7月末には完成したとみられる。

滑走路の正確な位置、方向は不明なのですが、

史料に「1000m×100mと900m×50mの滑走路」とあったため、

先頭のグーグルマップは現行の滑走路に1000m×100m、900m×50mで被せただけのものです。

ご了承くださいませ。

で、いろいろ探してやっと見つけたのでした。



d.pnge.png 
「表紙「機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月 第17方面軍参謀部作戦班」」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070052400、機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月(防衛省防衛研究所)(上2枚とも)
ダウンロード→電報文起案・訳文綴 昭和20年6月(3)→6,7コマ

「橋来里付近に別紙要領に基き秘匿飛行場を設定すべし」

とありますが、「橋来里」は静石飛行場近傍の地名です。

宛先が「砦参謀長」とあり、てっきり砦氏なる人物が当時参謀長を務めておられたのかと思ったのですが、

そうではなく、当時済州島に配備された第58軍の通称号/略称が「砦」だったのだそうです。

「砦参謀長」=「済州島第58軍参謀長」ということですね。

一.規模
1 滑走地区ハ先ず 一〇〇x一〇〇〇 五〇x九〇〇
2 収容洞窟 二〇〇名分
3 燃弾洞窟 (燃料四○○本分 弾薬五屯分)
4 飛行機格納 (イ) 洞窟は中級練習機(翼モギ)一二機分 (ロ)秘匿位置三〇機分
5 其の他所要の施設
二.完成は六月末を目途とす

陸軍が済州島に建設した三番目の飛行場ということになるのですが、

三番目にしてやっと軍作成の資料が見つかるという…(o ̄∇ ̄o)フフ

g.png
「表紙「機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月 第17方面軍参謀部作戦班」」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070052400、機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月(防衛省防衛研究所)
ダウンロード→電報文起案・訳文綴 昭和20年6月(5)→2コマ


先のものから11日後の電報。

築参電第六七八〇号「済州島陣内に秘匿飛行場新設の件」至急指令せられ度

というもので、内容は似てますね。

先のものが、築参謀長から砦参謀長宛でして、

「築参謀長」の「築」は、朝鮮を担当する第17方面軍の通称号/略称なのだそうです。

ですから先のものは、第17方面軍参謀長から済州島第58軍参謀長に対し、

「秘匿飛行場を設定せよ」という内容。

それに対しこちらの電報は、発信者が「管区参謀長」になっていますが、

「築」を消して「管区」に書き直しています。

第17方面軍の参謀長は、朝鮮軍管区の参謀長も兼ねていたのだそうですので、同一ですね。

朝鮮軍から陸軍次官に対し、「済州島陣内の秘匿飛行場新設を至急指令してください」と進言する内容です。

こうなると、指令要請の根拠となる築参電第六七八〇号「済州島陣内に秘匿飛行場新設の件」

に俄然興味が沸くのですが、いろいろ検索しても見つかりませんでした。

(閲覧可能な6780号前後の築参電が綴りからごっそり抜けてる)

繰り返しになってしまいますが、

第17方面軍参謀長が済州島第58軍参謀長に対し、「秘匿飛行場を設定せよ」

と指示してから11日後、

同じく第17方面軍参謀長が今度は陸軍次官に対し、「済州島陣内の秘匿飛行場新設を至急指令してください」

と進言。

済州島の秘匿飛行場計画に一体何があったのでしょうか。

済州島第58軍参謀長がなかなか言うこと聞かないから、「ちょっと部長からも一言言ってやってくださいよ」

みたいなことなのかしらん。

なんてことも考えたのですが…。

続きます。




     朝鮮・陸軍秘匿飛行場跡地         
現在、静石飛行場の駐機場に大型機が駐機しているように見えるのですが、実はコレ、静石航空館の展示機なのだそうで、グーグルアースの過去画像で確認すると、2002年~B747とA300が、次いで2009年以降コンステレーションが加わり、じっと同じ場所に駐機したままになっています。

(1)陸軍秘匿飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:朝鮮橋来里付近
座 標:33°23'58.5"N 126°42'41.5"E?
標 高:352m?
滑走路:1,000mx100m(01/19)、900mx50m(15/33)?
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さはアジ歴史料から)

(2)静石飛行場(現在) データ
設置管理者:大韓航空
種 別:訓練用飛行場
3レター:JDG
4レター:RKPD
所在地:大韓民国済州特別自治道西帰浦市
座 標:北緯33度23分54秒 東経126度42分47秒
標 高:357.8m
滑走路:2,300m×45m(01/19)、900m×25m(15/33)
(情報はWiki/静石飛行場から)

沿革
1945年06月 建設指示

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朝鮮・済州東飛行場跡地(推定) [└日本統治時代の飛行場]

   2024年10月 記事作成(未訪問)  



9.png

 
前記事の続きです。

日本陸軍済州島飛行場(現・大韓民国済州国際空港)の東約10kmに、日本陸軍の「済州飛行場」がありました。

【제주국제공항 일본 육군】(済州国際空港 日本陸軍)で検索すると、

「済州国際空港は、元々日本陸軍が建設した飛行場である」

と記したハングルのサイト様はいくらでも見つかるのですが、その多くが

「日本陸軍は続けて、済州飛行場も建設した」と記しています。

例えばその中の1つにはこうあります 

「1945年初めには済州市朝川邑新村里に3番目の飛行場である俗称ジンドル飛行場建設が始まった。済州東飛行場と命名されたこの飛行場の竣工時期は把握されないが、同年4月中旬に第2滑走で工事をした。」(Google翻訳・以下同様)

「3番目の飛行場」とありますが、多くのハングルサイト様が済州島に建設された日本軍飛行場について、

陸海の区別をつけず、とにかく建設された順番でカウントしています(詳しくはリンク先のサイト様をご覧ください)。

①1933年 島の南西端に建設された海軍済州島航空基地
②1942年 陸軍の済州島飛行場(現・大韓民国済州国際空港
③1945年 陸軍の済州東飛行場(←今ココ)

サイト内に、済州東飛行場の地名が出ており、調べてみると、

この地名は済州飛行場(現・済州国際空港)の東側に位置しています。

ところで、上に貼った図は前記事の使い回しなんですが、

済州島の中央北側に井桁マーク(飛行場記号)が2つ並んでいますね。

西側の井桁マークは〇で囲われていて、これは注釈によれば「既設飛行場」であることを示しており、

東側の〇で囲われていない方は、昭和20年6月中旬時点で「新設(設定中を含む)」とあります。

地元サイト様情報ですが、済州飛行場は1942年に設置され、済州東飛行場は1945年初めに建設が始まったとあり、

これは図の2つの井桁マークの並び、それから〇のあるなしと合致しています。

ということでオイラとしましては、上の図の赤矢印で示した〇で囲われていない方の井桁マークが、

「済州東飛行場」なのだと思います。

済州東飛行場に関する軍作成の資料で見つけることができたのは、実はこれだけで、

後は全て地元サイト様の情報です。

済州東飛行場関連の地元サイト様で特にご紹介したい記事があります 

無断転載禁止のため内容をかいつまみますと、

「済州東飛行場の近くにあるコンクリート製建屋が飛行場の付属施設と推定される」というものです。

記事には建屋の内外を撮影した写真が掲載されており、これは

先頭のグーグルマップの紫マーカー地点にある建物のことだと思います。
(記事にある写真と住所、グーグルマップとストリートビューで確認)

また、当記事では東飛行場のあった場所についても記しています。

なかなかきちんと場所を特定できないのですが、

恐らく先頭のグーグルマップの作図の辺りではないかと。

滑走路の長さ、方向が不明のため、一応1,000mx100mにしてあります。

情報をお待ちしておりますm(_ _)m


 


a.pngb.png
「目次「機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年4月 第17方面軍参謀部作戦班」」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070050800、機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年4月(防衛省防衛研究所)→ダウンロード→電報文起案・訳文綴 昭和20年4月(3)→15,16コマ


第二滑走路及びこれに関連する誘導路、掩体10の整備を一時中止し、新たに秘匿飛行機繋留地20機分追加せよ

という内容ですが、東飛行場に第二滑走路の整備が進められていたのですね。


この東飛行場の顛末について取り扱っている複数の地元サイト様に共通しているのは、

「建設の進められた東飛行場であったが、既に米軍に場所がバレているため、工事を中断し、

内陸に秘匿飛行場を建設することとなった」

というものです。


1.png
「表紙「機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月 第17方面軍参謀部作戦班」」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070052400、機密作戦日誌(乙綴) 昭和20年6月(防衛省防衛研究所)→ダウンロード→電報文起案・訳文綴 昭和20年6月(3)→31コマ


これは、東京から築参謀長宛 6月16日「済州島の戦備強化に関する件」の一部です。

(「築参謀長」の「築」は、朝鮮を担当する第17方面軍の通称号/略称)

地元サイト様にある通り、「東飛行場工事中止」とハッキリ指示していますね。

ということで、続きます。




黄色マーカー地点。

地元サイト様に、「滑走路跡は現在往復4車線の道路になっている」とあったので、それらしい場所。




     朝鮮・済州東飛行場跡地(推定)         
済州東飛行場(推定) データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:大韓民国 済州特別自治道 済州市 朝天邑
座 標:33°31'25.4"N 126°36'24.1"E?
標 高:30m?
滑走路:1,000mx100m?
方 位:05/23?
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年 建設/中止

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