So-net無料ブログ作成

■ヒコーキの雑談・リスト■  [├雑談]

2005年
空港がいっぱい (全国に空港、飛行場はいっぱいあるという話)
飛行場の跡地  (オイラの地元の飛行場跡地の話)
ボーイング王国日本(今後日本がボーイング王国になってしまうという話)
太平洋無着陸横断への挑戦(挑戦の様子を年表形式でまとめたような話)
岩手県・花巻空港(旧ターミナル運用当時
)(国道のすぐわきに空港があった話)    
3レターコード
  (3レターについての話)
飛行機の燃費節約(ヒコーキ流燃料節約術の話)
さようなら YS-11(YSについての話)

2006年
エコノミー席での背もたれ倒し(エコノミーで背もたれを倒すのはやめませんか?という話)
災害とヒコーキ (新潟中越地震とヒコーキの話)
一ヒコーキ好きの嘆き(ヒコーキマニアの自虐ネタの話)
日航機ニアミス判決(判決についての話)
ヒコーキはなぜ飛ぶか・1(空気はスゲー重いという話)
ヒコーキはなぜ飛ぶか・2(ヒコーキはスゲー軽いという話)
あなたもパイロットになれますか?(人を陥れる話)
ベルヌーイvsニュートン・1(ベルヌーイで世界中が納得しているかと思ったら大間違いという話)
ベルヌーイvsニュートン・2(ベルヌーイの疑問点の話)
ベルヌーイvsニュートン・3(それぞれの言い分の話)
乗客が全員力士だったら(それでもヒコーキは飛ぶか?という話)
大西飛行場のその後(大西さんの夢はまだまだ続いているという話)
戦闘妖精雪風・DVD(雪風カッコイイイイイ!という話)
「機長、コーヒーです」(自衛隊関係者の皆様、ゴメンなさいという話)
気をつけなくっちゃ(マスメディアのヒコーキ話には結構ツッコミどころが多いという話)
本当の幸せとは(パイロットもいろいろ大変。という話)
YS-11企画展@所沢航空発祥記念館(YSイベントの話)
鳥人間コンテスト(同コンテストについての妄想記事)
UFO(UFOの正体にするどく迫った記事・笑)
A380の翼面荷重(A380の翼面荷重を他機といろいろ比較してみた話)
ヒコーキ雲(ヒコーキ雲ができる条件の話)
羽田空港の駐車場(P1,P2)(P1,P2の利用法の話)

2007年
ぼくは航空管制官(について熱く語った話)
ぼくは航空管制官2(同上)
空港ランキング(ビューベスト5)(今まで見た中で、眺めのよい空港の話)
空港ランキング(マニア度 ベスト5)(今まで見た中でマニアックだった空港の話)
空港ランキング(家族でドライブ ベスト5)(今まで見た中でドライブにお勧めな空港の話)
ボン社事故(Q400胴体着陸関連の妄想記事)
ヒコーキ好きにとって魅力的な空港(オイラ的魅力的な空港)      
新石垣空港建設計画
(建設決定 という話)      
ホンダエアポート/飛行船
(ホンダエアポートで飛行船を見学した話)      
石垣空港の跡地利用
(地元の方の懸念の話)      
PAN AM Tシャツ
(もらって嬉しかった話)
新潟空港阿賀野川側からの撮影情報
(解放して欲しい話)     
B787・1 開発開始までの迷走
(開発までを時系列で並べてみた話)      
B787・2 開発開始
(ロールアウトまでを時系列で並べてみた話)       
4レターコードの ”とり説”(改訂版)・1
(4レターの法則についての妄想話)
4レターコードの”とり説”(改訂版)・2(4レターの法則についての妄想話・2)
那覇~下地島 運休(エアトランセがコケてしまった話)     
ブログ紹介
(すごいお方のブログ紹介の話)     
波照間路線の今後
(エアードルフィンさん、引き継いでくれるの? という話)
名古屋空港事故(F-2事故の話)      
いわて花巻空港の展示物
(気になっていたものを確認した話)       
波照間路線の今後・2
(エアードルフィンさん、ありがとう!!という話)
妄想ドライバーの日々(運転中、パイロットになりきってる人の話)
波照間路線の今後・3(RAC波照間便廃止、という話)

2008年
交通機関とエコ その1(三乗の法則のちょっとおさらいの話)
交通機関とエコ その2(まずは船にダメ出しする話)
交通機関とエコ その3(列車にダメ出しする話)
交通機関とエコ その4(ヒコーキにダメ出しする話)
交通機関とエコ その5(鉄道活用の話)
岐阜県・各務原(各務原すげー!という話)
静岡空港(開港前)
(開港前に見に行った話)
羽田空港
(鶴丸ゲットした話)
ぼくは航空管制官3(ぼく菅3 出たよ!という話)
運休、廃止(福島空港、佐渡便の話)
ふくスカ桃祭り 2008・1(カンクリさんに会った話)
ふくスカ桃祭り 2008・2(室屋さんを見た話)
新サービス?(ここはドコ?という話)
ふくスカ・1(リンゴ祭り・午前の話)
ふくスカ・2(リンゴ祭り・午後の話)
旭伸航空(見納めの話)
映画 ハッピーフライト(珍しく映画の話)

2009年
空港探索について・1(ブログの路線変更の話)
空港探索について・2(優先順位の話)
バードストライク、FOD・1(用語の薀蓄話)
バードストライク、FOD・2(エンジンに金網張れない話)
バードストライク、FOD・3(鳥を追い払う苦労話)
バードストライク、FOD・4(エンジンの話)
バードストライク、FOD・5(またエンジンの話)
バードストライク、FOD・6(安心させる話)
787情報(787進捗情報の話) 
B787・3 ロールアウト以降のつまずき (ロールアウト以降の時系列の話)
787関連 衝撃の人事発表(恒例のお騒がせ話)
B787・4 概要(787スペックなどの話) 
Hotelicopter(壮大なスケールのエイプリルフール話) 
続・Hotelicopter(なんでこんなに壮大なことしたかの話)
羽田おきてん(羽田空港の変遷の話)       
アンケートのお願い
(メーカー、機種の人気投票の話)    
B787 6月にテストフライト  か?
(見事に裏切られた話)   
アンケートの結果です
(そのまんま結果発表の話)  
戦争遺構(なんで跡地を回っているのか、の話)     
ファーストクラスの世界・1
(行きの話)    
ファーストクラスの世界・2(戻りの話)   
ファーストクラスの世界・3(38,000円!!!! の話) 
787 エンジンテスト(787のエンジンの話) 
787 中間ガントレットテスト終了(初飛行の期待が高まっていた話)    
羽田D滑走路工事
(D滑走路を見学した話)  
羽田再拡張
(あちこち工事してる話) 
787初飛行延期
(トラブル発生!!! の話)  
東武小泉線物語
(小泉線変遷の話) 
東武小泉線西小泉駅
(西小泉駅周辺の話)      
熊谷~大幡・前編
(熊谷駅から歩いてみた話)  
熊谷~大幡・後編
(続きの話)   
787 いつになったら飛ぶの?
(豚よりは速く飛んで欲しい話)      
787 新スケジュール発表される
(今度は大丈夫??? という話)      
JALのこと・1
(コストをLCCと比較してみる話)     
JALのこと・2 安全確保
(整備費以外を削って欲しい話)    
JALのこと・3 日本の空にLCC
(LCCの運賃にビックリの話)    
Amazing Jumbo Landing!
(ヒコーキ動画の話)       
北方領土の飛行場
(上から丸見えの話)       
九州へ行った話
(社長に謁見した話)    
室谷さん@会津塩川バルーンフェスティバル2009
(ご家族の会話が面白かった話)      
それがマニア・1
(マニアの心理に鋭く迫った話 かな??)    
沈まぬ太陽
(JALに頑張って欲しい話)      
それがマニア・2
(自己診断の話)    
ヒコーキ版・今年の重大ニュース(アンケートのお願い)
(そのまんま今年の重大ニュースの話)    
ヒコーキ版・来年の重大ニュース(アンケートのお願い)
(来年に何に興味ある?? の話)     
787ファーストフライト スケジュール発表
(予定通り飛んでおくれ~ という話)   
787ファーストフライト
(やっと飛んだ話)    
B787・5 初飛行までの経緯
(初飛行までを時系列に並べた話)     
ヒコーキ版・今年の重大ニュース 結果発表
(投票ありがとうございました という話)    

2010年
ヒコーキ版・今年気になるランキング(こちらもご協力ありがとうございました という話)   
佐賀空港のYS-11再び!! (またワイエスが見られるようになる。という話)    
羽田・1
(羽田空港を見学して来た話)       
羽田・2(続きの話)      
787は今年中にデリバリーできるのか?
(についてアンケートお願いの話)       
どの路線にデビューする? 787
(についてアンケートお願いの話)       
航空自由化と離島路線
(小難しい話)
鴨池飛行場(鹿児島のこういちさんからいただいた当時の貴重な情報とお写真の話)
モヒカンジェット(やっとモヒカンをゲットできた話)
ツェッペリンNT号 事業停止(飛行船の話)  
ヒコーキ二題(ヒコーキの話ふたつ)
717の話(そのまんま717の話)
787デリバリー またまた遅延(また遅れてしまった話)
LCCの話(そのまんまLCCの話)
成田空港の運用時間は何時間?(成田の運用時間は短い。という話)
羽田見学(国際線ターミナル見学の話)
ハブ空港・1 国内線ここまでの話(国内線のここまで話)
ハブ空港・2 「ハブ空港」=「大空港」?(ハブ空港の話)
「ハブ空港」・3 日本と「ハブ空港」(ハブでいろいろ妄想する話)

2011年
787デリバリー 新スケジュール発表
(2011年第3四半期(7~9月)だそうですよという話
ハブとメーカー
(787と380の話)
「オペレーション・スターシップ」(エイプリル・フールネタ)
Q:どの位燃やされる?(久々の三択クイズ)
6周年(どうもありがとうございます)
A:どの位燃やされる?(三択クイズの続き)
B787、日本初飛来決定!(そのまんまの話)
二宮忠八とライト兄弟・1(思いつくままにいろいろ書いた話)
二宮忠八とライト兄弟・2(上に同じ)
ビードル号記念飛行(帰ってきたビードル号の話)    
787とウインドウォッシャー
(ついた話)
B787・6 デリバリー開始までの経緯(シリーズ完結の話)
787就航
(おろ・おろしさんおめでとうございます。という話)
日本とダグラス旅客機(ダグラス大好き~という話)

2012年
ヒコーキの前後バランスの話
(ウエバラの話)
エンジン位置の話(意外といろいろ差が出る。という話)
HondaJet・1 年表(実は先の二つの記事は前フリだった話)
HondaJet・2 MH02(元祖HondaJetの話)
飛行場の場所を教えてくださいm(_ _)m(他力本願な話)
日本のジェットエンジン開発(エンジン開発の皆さん、頑張ってください!という話)
HondaJet・3 エンジン開発(実は前記事は前フリだった話)
翼の取り付け位置の話(いろんな事情の話)
HondaJet・4 OTWEM(「主翼上面エンジン配置」の話)
HondaJet・5 翼型(「自然層流翼型」の話)
沖縄の飛行場の変遷(沖縄にはたくさん飛行場があった話)
787の近況(大急ぎで作らないといけない話)
米国にエアバスの工場(受注競争に与える影響を心配する話)
秘匿飛行場
(本当にここだったのかしらん。という話)
HondaJet・6 機体の特徴など(シリーズ完結。という話)
787デリバリー1周年(次の1年で何機デリバリーできるかという話)
岩国錦帯橋空港(べっ、別に偶然開港前にたまたま前を通りかかっただけなんだからねっ! という話)

2013年
787運行停止
(今のうちに膿を出し切って欲しい話)
787運行停止・その2(トラブルまとめの話)
787運行停止・その3(バッテリーの話)
787運行停止・その4(大人の事情の話)
A350XWB の近況(後発の利点を最大限活かしてる話)
枕崎空港廃止(寂しい話)
神風号亜欧連絡飛行・1(出発までの話)
神風号亜欧連絡飛行・2(その後の話)
787運行再開(やっと再開した話)
"重い"787(実は重かった。という話)
飛行の中の非日常(ヒコーキが怖くなる話)
八丈島の飛行場・補足(米軍もよくやるよ。。。という話)
787デリバリー2周年(OILMANさんおめどうございます。という話)
「君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らず。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」(防空識別圏の話)

2014年
福島空港とウルトラマン(福島空港を応援する話)
とり日記(ムック本に載った話)
広島ヘリポートのレターコード(ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。という話)
ANAの787(データ拾うのにすんごい苦労した割に地味な話)
桶川飛行場の「弾薬庫」のこと(奉安殿?? という話)
内閣中央航空研究所のこと(どんな研究所?? という話)
福岡第一飛行場
(離陸待機の話)
787デリバリー 3周年(いろいろ妄想が広がった話)
MRJ・1(祝・MRJロールアウト という話)
MRJ・2(続きの話)

2015年
ヒコーキネタ(ヒコーキネタいろいろの話)
HondaJet ワールドツアー@岡南飛行場
(おろ・おろしさん ありがとうございます!! という話)
伊良部大橋開通(やっと開通したけれど…という話)
オバーの歌(不思議な歌の話)
御宿と銚子のVOR廃止(コース変更の話)  
祝! MRJ 初飛行(この先も頑張って欲しい話)   
根岸氏と水産試験場のこと(疑惑の話)   
Honda Jet デリバリー開始(\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/)   
続・根岸氏と水産試験場のこと(やっぱりそうだったっぽい話)  

2016年 
ANA、A380発注正式発表(ANAは別にA380の運航がしたい訳じゃないような気がする話)
セントレア二題(順調にすすむのかしらん。という話)  
磯子埋立地 1,500mのナゾ(いろいろ妄想した話)   
ボーイングのデリバリー数(もうすぐ500!という話)  

2017年
国交省、完全自動化旅客機導入の方針(エイプリルフールネタ)
ボーイング、自動操縦ジェット旅客機の関連技術試験実施へ(うわの空)
朝鮮強化月間開催(しますよ!という話)
韓国、北朝鮮の飛行場(済州島に行きたくなった話)
朝鮮強化月間終了(終わりましたよ!という話)
那覇空港第二滑走路(何のために造ったのか分からなくなる話)  
松本空港展望デッキ(見学には辛い時代の話)  
せとうちホールディングス(ノウハウを国内に持ち込むつもりなのかしらん。という話)  
那覇空港・1(アップまで2カ月かかったけど、結局どうすればいいか分からない話の始まり)  
那覇空港・2(更によく分からなくなる話)
那覇空港・3(ますますよく分からなくなる話)
那覇空港・4(分からないまま終わる話)  
横田空域と羽田新ルート(これもよく分からない話)  
伊丹空港の展望デッキも。。。(見学には辛い時代の話2)

2018年
羽田空港ボーディングステーション供用開始(一度利用して見たい話)
ホンダジェット(世界地図色塗りがすげー大変だった話)
ボーイングとエンブラエル提携へ(この記事が実現するには幾つも奇跡が必要な話)
MRJデリバリー前倒しなるか(ちょっといい話)  
軽井沢の飛行場について(意外といっぱいあった話) 
SkyVectorのチャートのこと(同上の話) 
中国、2035年までに空港数をほぼ倍増へ(世界の本〇みたいな話) 

2019年
A380生産終了・1(胴体の話) 
A380生産終了・2(主翼の話) 
A380生産終了・3(エンジンの話) 
A380生産終了・4(航空会社の話) 
A380生産終了・5(メーカーの話・上) 
A380生産終了・6(メーカーの話・下) 
大西洋今昔(ちゃんと大圏コースの話) 


コメント(22)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

福島県・勿来風船爆弾打ち上げ基地跡 [├場所]

   2019年9月 訪問  



無題b.png
撮影年月日1946/07/24(USA M205-A-7 143) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福島県いわき市にあった「風船爆弾打ち上げ基地」。

常磐線勿来(なこそ)駅から引込線が建設され、倉庫、三角兵舎等の諸施設があり、

「放球台」が12あったのだそうです。

ここは基地跡の資料が最も充実していて、ググるといろいろ出てくると思います。

上の航空写真に(ある程度)反映させましたが、お陰で基地の規模、様子について知ることができました。

上に貼った終戦から11ヵ月後の航空写真の赤矢印が放球台なんですが、

「多分ここもそうなんじゃないだろうか」というものまで含めても、

10しか見つかりませんでした。


今更なんですが、「風船爆弾を打ち上げた場所」と聞いてオイラが勝手に想像していたのは、

波打際で2~3人がパッと手を放す。というラジオゾンデ的なものでした。

放球台の数は、ここと千葉の一宮が12、茨城の大津が18で、

総勢2,000名ともされる隊員は、放球台の数に合わせて編成されました。

3ヶ所で1944年11月から翌年3月までの間に、合計9,300もの打ち上げがありましたから、

単純計算で、1つの放球台につき221.4発の打ち上げがあったことに。

ここ勿来は12の放球台でしたから、合計2,657発の打ち上げがあった計算になります。

それだけの数の直径10mにもなる気球を満たすのに必要なだけの水素、膨大な物資の搬入、保管、組み立て、

それらを実施する隊員のための施設等々、打ち上げのための施設は、

オイラが想像していたよりずっとずっと大規模でした。


他の2基地同様、当基地でも昭和19年11月3日未明から打ち上げを開始したのですが、

同月1日に爆発事故が起きてしまい、死傷者が出ています。


戦史叢書81巻340pの中に、

昭和19年10月18日、19日に大津と勿来付近の主力部隊陣地視察についての記述があります。

当基地についての部分を以下引用させて頂きます。
 
勿来陣地 
立派なり
呉羽化学工業錦町工場
水素発生能力 2430㎥x2  1940㎥x1
コンプレッサー 100㎥/M24時間=2400㎥x2

また、風船爆弾にどの程度の効果があったのかについても記されていました。

81巻457p
米西部防衛司令部参謀長W・Hウィルバー代将の報告
内輪に見積もっても900~1,000個がアメリカ大陸に到達した。
風船爆弾が落下した区域はアラスカからメキシコに至る広範囲にわたり、
太平洋北西地帯から西部カナダにかけて200個近くが発見され、その外75
の風船の破片が陸場や海中から拾われた。
なお少なくも100個の風船が上空で爆発したのを見た人々がいる。
この攻撃はたいしたものではないと人々に思わせようと努めたが、実際にはこれは戦争
技術上の目覚ましい一進展を画したものであった。世界で初めて飛び道具が人間に
導かれないで海を渡ったのである。しかもそれが大損害をもたらす可能性が十分にあった。
幸いにも冬で雪のため山火事は少なかった。
軍隊式の消化班がいくつも編成された。また植物や獣、人間等に対する細菌を運んで来るのでは
あるまいかと心配し、アメリカ政府が動かした細菌学者は4,000名に及び、
要所要所に防毒マスクや薬が準備される騒ぎであった。
風船爆弾が米国本土でどれ程の効果を上げているかをかくすため、米国はこれを秘密にし、
国民に警告を与えることもできなかった。新聞もラジオも検閲によって
これを報道しなかったからである。

旧陸軍登戸研究所見学記というサイト様(下記リンク参照)によれば、

当時の日本は、アメリカの牛を殺すための牛の伝染病原ウイルスの分離、乾燥、感染の実験に成功し、

この牛疾病毒粉末を風船爆弾に積んで実践に応用できると参謀本部の会議で意見が一致したのですが、

結局は報復を恐れ実行しなかったのだそうです。

米国の恐れたシナリオ、本当は実行可能だったのですね。


DSC_0103.jpgDSC_0098.jpg
現地にある案内板と碑(先頭のグーグルマップ黒マーカー)




     福島県・勿来風船爆弾打ち上げ基地跡         
勿来風船爆弾打ち上げ基地 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:風船爆弾打ち上げ基地
所在地:福島県いわき市勿来町
座 標:N36°52′35″E140°47′3″
標 高:10m
(座標、標高は国土地理院から)

沿革
1944年11月1日 未明、暴発により死亡3名、負傷3名
    11月3日 放球開始

関連サイト:
旧陸軍登戸研究所見学記 
風船爆弾 

この記事の資料:
戦史叢書81巻340p,457p


コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

茨城県・大津風船爆弾打ち上げ基地跡 [├場所]

   2019年9月 訪問  



無題2.png
撮影年月日1946/10/10(USA M283-A-10 53) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

茨城県北茨城市にあった「大津風船爆弾打ち上げ基地」。

現在跡地には「わすれじ平和の碑」が建立され、放球台跡が現存しています。

前記事の通り、風船爆弾打ち上げ基地は、千葉、茨城、福島の三カ所だったのですが、

連隊本部はここ茨城県大津におかれ、第二大隊が千葉、第三大隊が福島でした。

千葉と福島の放球台が12だったのに対し、ここ大津は18ありました。

上の航空写真は当時の基地周辺のもので、明確に「ここが放球台」と明示した資料が見つからなかったため、

如何にも放球台っぽいものを赤矢印で示してあります。

オイラは6個しか見つけられなかったのですが、18あったので、本当は周辺にまだまだあったはずです。

千葉と福島の基地は、水素を昭和電工川崎工場に供給して貰っていたのに対し、

ここ大津では自前の水素ガス発生装置、水素ガスタンクを備えていました。

しかも他の2基地と比べて放球台の数が1.5倍でしたから、

人員、施設もその分大規模だった訳で、ここに映っている建物や道路は、

もしかしたら当時は全体的に基地で使用していたのかもしれません。


戦史叢書81巻に、特に大津(と勿来)についての記事がありましたので、引用させて頂きます。

339~340p
10月18日、19日に大津と勿来付近の主力部隊陣地を視察
大津付近
敷地 27万坪
南谷 陣地9
水素発生装置 冷却水-海水より
中谷 同右
北谷 同右
目下瓦斯「タンク」を除き完了 電力-関東配電
地域内民家なし(殆んど立退き)
兵器費(製造用)900万
 大津 550万円
 勿来 170万円
 一宮 180万円
鋼材 1,500屯
懇談 迷彩偽装 放球100~150(日)
 

風船爆弾の打ち上げは、3基地とも11月3日未明だったのですが、

当日未明、当基地では爆発事故が起きてしまい、死亡3名、負傷4~5名という被害を出しています。

「わすれじ平和の碑」から少し離れた場所に鎮魂碑があります。


DSC_0112.jpgDSC_0108.jpgDSC_0107.jpg

DSC_0109.jpg

碑の横にある案内板

この案内板だと小さくしか映っていないんですが、真ん中に放球台までの行き方が図示されています。


DSC_0115.jpg

放球台跡。

案内板に従って、ぬかるんだ草ボーボーの小道を進むと、何重にも張り巡らされたクモ(大)の巣が。

それを突破して約160m先、やっとたどり着きました。


DSC_0116.jpg

来た道を引き返すのが嫌だったので、すぐそこに見えている県道に出ると-


DSC_0136.jpg

県道の斜め向かいに鎮魂碑がありました。


DSC_0132.jpg

DSC_0134.jpg

DSC_0129.jpg

鎮魂碑の近くから。

画面奥に放球台跡があります。

画面右側に見えている建設会社の資材置場脇に小道があり、ここを通ると放球台の目の前に出ます。

わすれじ平和の碑から案内板に従った方が移動距離は短いんですが、特に夏場はこっちからの方が楽かも。




     茨城県・大津風船爆弾打ち上げ基地跡         
大津風船爆弾打ち上げ基地 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:風船爆弾打ち上げ基地
所在地:茨城県北茨城市平潟町
座 標:N36°50′32″E140°47′48″
標 高:6m
(座標、標高は国土地理院から)

沿革
1944年11月3日 放球開始

関連サイト:
風船爆弾 

この記事の資料:
戦史叢書81巻339~340p


コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

千葉県・風船爆弾打ち上げ基地跡 [├場所]

   (未訪問)  



無題0.png
撮影年月日1952/11/29(USA M209 40) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

千葉県一宮町にあった「風船爆弾打ち上げ基地跡」(先頭のグーグルマップ紫マーカー)。

ここは異国船に備えて砲台を築いた場所でもあり、風船爆弾の碑のすぐ側には、「加納藩台場跡」の碑もあります。

風船爆弾の打ち上げ基地は、千葉、茨城、福島の3ヵ所にありました。

当記事は、「ふ」号作戦に(基地としては)最初期から関わっていた一宮についてです。

 
昭和19年、上総一ノ宮駅から海岸に向かって引込線の建設があり、放球台、兵舎も作られたのですが、

何のために引込線を引いているのか等、住民には秘密とされ、

列車も鎧戸を閉めさせられ、海側を見る事が禁じられたのだそうです。

一宮町の公式サイト(下記リンク参照)によれば、放球台は直径10m、円形のコンクリート床であり、

ここ一宮には、12の放球台が建設されたのだそうです。

上に貼った航空写真は、「風船爆弾打ち上げ基地跡」の石碑周辺です。

円形、半円の如何にもそれらしいものが映ってますね(白矢印部分)。


風船爆弾の打ち上げは昭和19年11月から始まったのですが、

これに先立ち、昭和19年2月と3月に、当基地から約200個の実験気球が打ち上げられました。

陸軍気球聯隊から近い太平洋岸であること、輸送の便、秘匿性等からこの場所が選ばれ、

偏西風は冬期に強まることからこのタイミングの実験だったのではないかと。

現在では関連施設は全て取り壊され、上総一ノ宮駅の1番線に名残があるのみだそうです。

(どういう名残なのかは不明)

米国は風船爆弾の砂袋の砂を分析し、放球地点の一つが千葉県であることまで突き止めていたのだそうです(@Д@)

(風船爆弾に貼られたお札で場所がバレた。という話もあります)


戦史叢書に風船爆弾についての記述がありましたので、

この記事では準備段階から打ち上げに至るまでをまとめてみます。

81巻73p 
風船利用兵器について、秘匿のため頭文字をとって「ふ」号と呼んだ。
材料は我が国特有の和紙とノリ(コンニャク)であり、他の軍需品と競合しない。

「ふ」号作戦の「ふ」って、やはりというか、ふうせんの「ふ」だったんですね。

75巻279p
昭和18年8月 第九陸軍技術研究所にて風船爆弾研究開始。11月、初の試作気球完成。
昭和19年2月から3月にかけて約200個の気球を準備し、一宮海岸で大規模な放流実験を行った。
この実験は、気球の飛翔状況や高度保持に関するデータを得るためのものであり、
もちろんまだ米本国攻撃のためのものではなかったが、
それでも米本国に到達した場合の反響を期待して焼夷弾を積んだ気球を交えて放たれた。
この放流研究には陸軍省、参謀本部、兵器行政本部等から多数の見学者が集まり、
三月末現地で会議を開いて種々検討した結果、19年末から20年春にかけて大規模な「フ」号攻撃
を実施する計画
(8月までに研究を完成、10月までに準備を終わり、11月初旬から翌三月下旬にかけて攻撃を行うこと)
を決定した。
このときの実験結果につき2月23日の「大本営機密戦争日誌」は
「『フ』号は時速200粁にて概ね50時間程度を以て米本土に到達しあるが如く敵側情報にもその微候現出しあり」
と記し、眞田第一部長もまた三月末その日記に
「226個放流し順調に飛翔したるもの186個、13ヶ所に到着(情報には20ヶ所)、24時間観測しあり。
成果不確実、来年3万個作りたい。紙と「コンニャク」が要る。水素は1個につき300リットル要る。
水素の点から計算すれば2万個しか出来ぬ。現在の見透では2万個は確実。
10月迄に完成、11月から明年3月の間に放流する。アルミは300屯、水素ボンベは3万本要る。
隘路はグリセリンにある。パーム油か漁油が1万屯要る。食塩6,000屯要る。
これさえ解決すれば紙とコンニャクはできたから劇場を使い学徒動員で800屯は落とせる
(爆弾、焼夷弾、宣伝文等の内訳は参謀本部として考える)」
飛翔距離8,000粁、平均時速200粁として40時間を要する。
上空の気温は零下50度以下、気圧は地上気圧の四分の一近い。
また太陽の直射により気球内瓦斯の温度は昼夜で30度からの差ができる。
これらの条件を克服して気球を長時間平衡飛翔させるための研究が問題であった。

オイラが想像していたより、ずっと前々から具体的な計画が立てられ、周到な準備がなされた作戦でした。

81巻187p
昭和19年
9月8日 気球聯隊、同補充隊の臨時動員令達
9月25日 参謀総長隷下に入れられる
9月30日 参謀総長、気球聯隊長に攻撃準備命令

ちょっと前の記事でご紹介した千葉市にある「陸軍気球聯隊」がここで登場してます。

研究所での実験開発を経て、実行部隊に話が移りました。

この命令書には、「陸軍中央気象部長は、密に気球聯隊に協力すべし」とも記されていました。
 
81巻340p 457p
昭和19年 10月25日 参謀総長「ふ」号特殊攻撃実施命令
11月 約500個とし 5日頃迄の放球数を努めて大ならしむ
12月 約3,500個
1月 約4,500個
2月 約4,500個
3月 約2,000個
放球実施に方りては気象判断を適正ならしめ 以て帝国領土並に「ソ」領への落下を防止すると共に 
米国本土到達率を大ならしむるに勉む
機密保持の主眼は特殊攻撃に関する企図を軍の内外に対し秘匿するに在り
陣地の諸施設は上空並びに海上に対し極力遮蔽す
放球は気象状況許す限り黎明、薄暮及夜間等に実施するに勉む
今次特殊攻撃を「富号試験」と呼称す
11月1日 気球聯隊「ふ」号攻撃開始

後の記事で書きますが、実際に放たれた風船爆弾は、風に乗ってかなり広範囲に散らばりました。

「気象によく注意を払い、ソ連領に落下しないように」とあります。

「日ソ中立条約」については、「日本も頃合いを見て破棄する気だったからドッチもドッチ」

的な話もある訳ですが、少なくともこの命令書では、帝国領土と同列でソ連領にも落とさないように。

とし、「日ソ中立条約」をキッチリ順守しているように見えます。

因みに、「風船爆弾」という非常に資料性の高いサイト様(下記リンク参照)によりますと、

気球の放射地点は当初、根室、宮古、銚子が予定されたのだそうです。

但し、北海道からだと北に流れ、ソ連領侵入の危険もあったため、これは無しになったとありました。


話を戻します。

加えてこの命令書には、

気象観測のために試射が必要なら、11月以前に打ち上げても良い。その際、実弾を装着しても良い。

とも記されていました。

結構臨機応変というか、柔軟性を持たせた命令書だったんですね。

ということで、11月1日に攻撃開始となったのですが、

11月3日が晴れの特異点であることから、3基地とも11月3日打ち上げ開始となったのですが、

この年の11月3日、現地は土砂降りだったのだそうです。

前述のサイト「風船爆弾」によりますと、風船爆弾が最初に米側に発見されたのは、11月4日。

発見されたのはカリフォルニア州サンペドロの沖合100キロ地点の海上で、

発見したのはコースト・ガード(沿岸警備隊)の警備艦でした。

しかし、ジェット気流に乗ったとしても翌日に到達できる距離ではないので、

これは11月3日以前に放球された試験気球ではないかと思われる。とありました。




     千葉県・風船爆弾打ち上げ基地跡         
風船爆弾打ち上げ基地 データ
設置管理者:陸軍
種 別:気球放球基地
所在地:千葉県一宮町一宮
座 標:N35°22′12″E140°23′11″
標 高:5m
(座標、標高は国土地理院から)

沿革
1943年 8月 第九陸軍技術研究所にて風船爆弾研究開始
     11月、初の試作気球完成。
1944年 2月、3月 実験気球打ち上げ。この年の末から「ふ」号攻撃実施を決定
     9月8日 気球聯隊、同補充隊の臨時動員令達
     9月25日 参謀総長隷下に入れられる
     9月30日 参謀総長、気球聯隊長に攻撃準備命令
     10月25日 参謀総長「ふ」号特殊攻撃実施命令
     11月1日 気球聯隊「ふ」号攻撃開始
1945年 2月 この月まで打ち上げ実施。その後主力部隊撤収
2019年 4月 一宮町、風船爆弾に関する資料、証言の収集開始

関連サイト:
風船爆弾 
一宮町/風船爆弾 

この記事の資料:
戦史叢書75巻279p、81巻73p,187p,340p,457p


コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー