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■旅行記・リスト■ [■旅行記]

2000年 
沖縄・1 
沖縄・2 
沖縄・3 
沖縄・4 

2003年 
新潟,石川・1 
新潟,石川・2 
新潟,石川・3 
新潟,石川・4 

2004年 
沖縄・1 
沖縄・2 
沖縄・3 
沖縄・4 
沖縄・5 
関東 
東北・1 
東北・2 
東北・3 
九州・1 
九州・2 
阿蘇山  

2005年 
御巣鷹の尾根 
東北・1 
東北・2  

2006年
先島・1  
先島・2  
先島・3  
先島・4  
先島・5  
先島・6  
沖縄・1 
沖縄・2 
沖縄・3 
新潟 
高知
 
YS-11 搭乗記  
九州・1   
九州・2(1)   
九州・2(2)   
九州・3   
九州・4,5   
アメリカ・1   
アメリカ・2
   
アメリカ・3
  
アメリカ・4   
アメリカ・5
   

2007年
新潟空港 
沖縄行ってきます
とり@那覇市
とり@今夜も那覇市
うりずんにご用心!
沖縄旅行・1 那覇、南大東島
沖縄旅行・2 シュガートレイン、日没
沖縄旅行・3 海軍棒、塩屋海岸
沖縄旅行・4 北大東島の日没
沖縄旅行・5 沖縄最東端
沖縄旅行・6 波照間行き
沖縄旅行・7 日本最南端の碑
沖縄旅行・8 波照間空港
沖縄旅行・9 「さようならT先生」
沖縄旅行・10 久米島
沖縄旅行・11 ゴッパチドライブ
沖縄旅行・12
調布飛行場→神戸空港
JAPCON 新社屋落成式典
C58-16
神割崎
志津川湾
入港
出港
新潟港
車中泊
東北旅行・2日目
東北旅行・3日目
中部 車中泊 その1(奈良井木曽の大橋の話)
中部 車中泊 その2(ガス欠でピンチ!の話)
中部 車中泊 その3(滑空場の夕日がキレイだったという話)
中部 車中泊 その4(おんじの話)
中部 車中泊 その5(紅葉がキレイだった話)
沖縄旅行 その1(自宅から那覇へ移動した話)
沖縄旅行 その2(ひめゆりの塔、那覇タワー、海中道路、アメリカンビレッジ)
沖縄旅行 その3(やんばる亜熱帯園、今帰仁城跡)
沖縄旅行 その4(首里城、居酒屋)
沖縄旅行 その5(自宅に戻った話)

2008年
新潟・1(自宅から山越えして新潟に向かった話)
新潟・2(新潟空港と港をうろついた話)
新潟・3(自宅に帰る話)
沖縄行き・1(すっごいドキドキした話)
沖縄行き・2(瀬長島でヒコーキ見物の話)
沖縄行き・3(瀬長島で野球見物の話)
沖縄行き・4(4日分かよっ!という話)
また沖縄・1 首里城取り止め!(ふくさんがやってくれた話)
また沖縄・2 那覇タワー(那覇タワーイイ!という話)
また沖縄・3 美ら海水族館(美ら海水族館に行った話)
また沖縄・4 滑走路の行方(滑走路をうろついた話)
また沖縄・5(帰る話)
高校生日記・01(東京駅のホームに至るまでの話)
高校生日記・02(テツをやめた話)
高校生日記・03(鹿児島で右往左往の話)
高校生日記・04(とってもお世話になった話)
高校生日記・05(船乗りにパシらされる話)
高校生日記・06(甘酸っぱくない話)
高校生日記・07(兄さんにパシらされる話)
高校生日記・08(戻る話)
北海道・1(場所確保大事!という話)
北海道・2(部屋に入れない話)
北海道・3(性格変えないといけない話)
北海道・4(人のカメラに触った話)
北海道・5(雨で大ショック!の話)
北海道・6(お巡りさんに「全然寒くないです」と言い張った話)
北海道・7(6月なのに震えた話)
北海道・8(ノリ弁の美味しさに涙した話)
北海道・9(人の話はちゃんと聞かないとダメ!という話)
中国、四国・1(風呂に入れなかった話)
中国、四国・2(四国に入った話)
中国、四国・3(天気予報に引っ張り回される話)
中国、四国・4(エンジンブレーキの話)
新潟、山形、福島旅行(ふくスカにいく前にあちこちうろついた話)
グアム・1(シャワーの使い方が分からない話)
グアム・2
(見えない、食べられない、動けない話)
グアム・3
(オイラは踊れないという話)
グアム・4(オイラは英語しゃべれないという話)
グアム・5(きっぱり断れない話)
グアム・6(信頼されない、見つけられない、負けられない話)
グアム・7(発見できない、給油できない、買い物できない話)
グアム・8(フォーマル持ってない話)
グアム・9(特売の大根の話)

2009年 
北海道旅行・1(老人パワーに負けた話)       
北海道旅行・2
(寒さに負けた話)    
北海道旅行・3
(思い出に負けた話)        
北海道旅行・4
(サイクリングに負けた話)      
北海道旅行・5
(渋滞に負けた話)       
北海道旅行・6
(悪天候に負けた話) 
九州旅行・1日目(SF社長にお会いした話)  
九州旅行・2日目(ホバークラフトに乗った話)  
九州旅行・3日目
(掩体壕を見まくった話) 
九州旅行・4日目(上)(火山灰がすごかった話)  
九州旅行・4日目(下)
(島の生活の話) 
九州旅行・5日目
(島から鹿児島に上がった話)  
九州旅行・6日目
(戻った話) 
また九州・1日目
(車でGO! の話)  
また九州・2日目
(種子島、屋久島に行った話)  
また九州・3日目
(福江、博多に行った話)     
また九州・4日目(関西に行った話) 
また九州・5日目(南紀、名古屋に行った話) 

2010年
(小)雪の新潟空港(R/W10エンドに行った話)
北海道旅行・1(見る所多くて大変な話)
北海道旅行・2(カラスに襲われた話)
甲子園に行った話     
北海道旅行・3(カメになりそうだった話)
北海道旅行・4
(大回りをした話)
北海道旅行・5(ギリギリセーフの話)
北海道旅行・6(大ショックだった話)
富士山(など)の写真(富士さんとかの写真の話)

2011年  
新潟紀行(日帰りドライブの話) 
北部九州旅行・1
(博多港に辿り着けず!!>< の話) 
北部九州旅行・2
(何もかもうまくいかない話) 
甲子園紀行
(また甲子園に行った話) 
北部九州旅行・3(いろいろ捕まる話) 
北部九州旅行・4(1日2島回った話) 
北部九州旅行・5(毛虫に襲われた話) 
南九州旅行・1(資料忘れた話) 
南九州旅行・2(お風呂を探して彷徨った話) 
ふくスカ・リンゴ祭り(ふくスカに行った話) 
南九州旅行・3(雨が降り始めた話) 
南九州旅行・4
(すんごい降ってた話) 
南九州旅行・5(帰った話)  
日帰り新潟(新潟をコンプした話) 
東北旅行・1(秋田をコンプした話) 
東北旅行・2(青森をコンプした話) 
東北旅行・3(岩手をコンプできなかった話) 
東北旅行・4(山形県、宮城県をコンプできなかった話) 
東北旅行・5(福島県をコンプした話) 
(福島と)栃木へ行った話・1(詳しくは書いてないけど、前回の旅行で詐欺に遭ったことが判明した話・怒) 
栃木に行った話・2(ふくスカに行った帰りに栃木に寄っているので2から始まってる話) 
栃木へ行った話・3(丸2日費やしても栃木回りきれなかった話) 
中部・近畿旅行・1(連続で閉まってた話) 
中部・近畿旅行・2(夕焼けがキレイだった話) 
中部・近畿旅行・3(山で彷徨った話) 
中部・近畿旅行・4(お風呂に入れなかった話) 
中部・近畿旅行・5(またまた空振りだった話) 
名古屋に行った話(そのままの話) 
日帰り栃木(栃木でアチコチ寄った話) 
吉見百穴と新田荘歴史資料館に行った話(あかでみっくな一日だった話) 

2012年  
沖縄旅行・1(とてもはかどった話) 
沖縄旅行・2(牛さんと船に乗った話) 
沖縄旅行・3(酔った話) 
沖縄旅行・4
(最北端の話) 
沖縄旅行・5(頭痛腰痛に悩まされた話) 
沖縄旅行・6(自宅に戻った話) 
東京・埼玉に行った話(日帰り見学) 
千葉県を回った話・1(結構回れた話) 
千葉県を回った話・2(宿題がいっぱい残った話) 
2012 ふくスカ りんご祭り・1(今年もふくスカに行った話) 
2012 ふくスカ りんご祭り・2(メインイベントの話) 
東北、茨城に行った話・1日目(今年も東北を回った話) 
東北、茨城に行った話・2日目(夕焼けが怖かった話) 
東北、茨城に行った話・3日目(茨城の長老からいろいろ教えていただいた話) 
近畿、中国に行った話・1(お客さんのお宅から直行した話) 
箱根(親戚と箱根に行った話) 
近畿、中国に行った話・2(日没に追われた話) 
近畿、中国に行った話・3(競馬場に入った話) 
近畿、中国に行った話・4(脱輪しかけた話) 
近畿、中国に行った話・5(滑走路まで辿り着けなかった話) 
(福島と)茨城に行った話・1(報われない話) 
茨城に行った話・2(入れない話) 
九州に行った話・1(出られない話) 
九州に行った話・2(鹿児島の親切なおぢさんたちの話) 
九州に行った話・3(ドア開けられた話) 
九州に行った話・4(自重した話) 
九州に行った話・5(雨に追いかけられた話) 
中国地方に行った話・1(また出掛けた話) 
中国地方に行った話・2(痛恨のミス!!の話) 
中国地方に行った話・3(太平洋側に行った話) 
中国地方に行った話・4(ステキなシーザーサラダおじさんの話) 
てつのくじら館(掃海艇の任務に驚いた話) 
大和ミュージアム(小さく造ろうとしていた話) 
中国地方に行った話・5(危なかった話) 
栃木県と茨城県に行った話(弟と回った話) 

2013年 
千葉県を回った話(日帰りの話) 
(東京と)千葉に行った話(東京とほほ。な話) 
山口県(と広島県)に行った話・1(出発が遅れて移動のみになった話) 
山口県(と広島県)に行った話・2(クレーンが撮れて嬉しかった話) 
山口県(と広島県)に行った話・3(風光明媚な観光地を回った話) 
山口県(と広島県)に行った話・4(いきなり抱きつかれた話) 
山口県(と広島県)に行った話・5(自宅に戻れない話) 
沖縄旅行・1(着いたらスコールだった話) 
沖縄旅行・2(アフリカマイマイ怖いという話) 
沖縄旅行・3(雨の瀬長島の話) 
沖縄旅行・4(国際通りを歩いた話) 
沖縄旅行・5(那覇空港の話) 
沖縄旅行・6(スカイマークのイメージが急上昇した話) 
北海道旅行・1(また北海道を走った話) 
北海道旅行・2(シカと走った話) 
北海道旅行・3(ライフル持ったソルジャーから走って逃げた話) 
北海道旅行・4(フロアを彷徨った話) 
北海道旅行・5(走れなくなった車の話) 
北海道旅行・6(振り掛けられなかった話) 
八丈島、三宅島・0(前フリの話) 
八丈島、三宅島・1(いろいろまごついた話) 
八丈島、三宅島・2(血が!の話) 
八丈島、三宅島・3(とっても怖かった話) 
八丈島、三宅島・4(無事船に乗れた話) 
九州旅行・1(鹿児島にGO! の話) 
九州旅行・2(朝焼けがキレイだった話) 
九州旅行・3(今回は間に合った話) 
九州旅行・4(日韓関係について考えさせられた話) 
九州旅行・5(カニに文句を言われた話) 
九州旅行・6(朝からラーメン食べた話) 
関東、東北旅行・1(おじいさんからいろいろ伺うことができた話) 
関東、東北旅行・2(普通にエンジンを止めた話) 
関東、東北旅行・3(普通にエンジン掛からない話) 

2014年
大島、神津島・1(大島のキョンの話) 
大島、神津島・2(大慌てした話) 
大島、神津島・3(無事に戻った話) 
四国~東京・1(四国に向かった話) 
四国~東京・2(順調に進んだ話) 
四国~東京・3(大勢の長老からお話を伺った話) 
四国~東京・4(ギリギリだった話) 
四国~東京・5(怒られた話) 
四国~東京・6(ギリギリまでほっつき歩いた話) 
埼玉県、群馬県を回った話(オイラの夏休みの話) 

2015年 
高崎市に行った話(食い気に負けた話) 
茨城県に行った話(hiroさん ありがとうございます! という話) 
Tさんと回った日(787やっと見た話) 
群馬に行った話(いろんな生き物に襲われた話) 
千葉県を回った話(滑走路が残ってるかとっても心配だった話) 
中部・1(シャトレーゼは全国規模! という話) 
中部・2(踊ってなしい歌ってない話) 
中部・3(砂浜にビビった話) 
中部・4
(ギリギリセーフの話) 
中部・5(Fさんと食べ納めの話) 
東海、近畿・1(Fさんのお見舞いに出掛けた話) 
東海、近畿・2(紀伊半島がデカかった話) 
東海、近畿・3(今回の旅行の主目的を果たした話) 
東海、近畿・4
(イオンのBGMに驚いた話)  
東海、近畿・5(朝からデニった話) 
東海、近畿・6(関西の道路事情の話) 
中国・1(FさんのPCを運んだ話) 
中国・2(未明の山上で右往左往した話) 
中国・3(美人の湯に入った話) 
中国・4(島に足止め!の話) 
中国・5(手がカサカサの話) 
中国・6(無事自宅に戻った話) 

2016年 
神奈川県(鶴見区役所にお世話になった話) 
東京・1(ヘンな組み合わせの話) 
東京・2(席をとられた話) 
神奈川県+羽田(再び神奈川に行った話) 
埼玉県、群馬県(4月)(アツく語ってしまった話) 
九州・1(停滞していた話) 
九州・2(寒かった話) 
九州・3(ズレていた話) 
九州・4(計画通りに進まない話) 
九州・5(ワイエスを見た話) 
九州・6(最後腰が痛くなった話) 
関西、中国、四国・1(エマージェンシーランディング・デュー・ツー・閃輝暗点の話) 
関西、中国、四国・2(いろいろとワタワタした話) 
関西、中国、四国・3(言い聞かせた話) 
関西、中国、四国・4(喉が痛い話) 
関西、中国、四国・5(すかさず撮った話) 
関西、中国、四国・6(やまかけうどんの話) 
北海道、東北・1(緊急搬送ヘリがやってきた話) 
北海道、東北・2(「やませ」の話<まみじゃないよ>) 
北海道、東北・3(津軽海峡を渡った話) 
北海道、東北・4(おいなりさんが赤い話) 
北海道、東北・5(福島で積み残しの話) 
北海道、東北・6(自宅に戻った話) 
神奈川、東京、埼玉(日帰りで周った話) 

2017年 
1月・高萩飛行場跡地へ(逆に近場は逆になかなか行けないという話。逆に) 
防衛研究所に行った話(そのまんま2月に行った話) 
沖縄・1(荷物と服装で慌てた話) 
沖縄・2(ターミナルで慌てた話) 
九州、中国・1(Fさんとカラオケボックスで一夜を明かす計画が倒れた話)  
九州、中国・2(ヒコーキを使った挙句、たどり着けなかったという残念な話) 
九州、中国・3(降られた話) 
九州、中国・4(いろいろ積み残した話) 
九州、中国・5(ナマ水上機の話) 
九州、中国・6(戻って即仕事の話) 
福島県(ホテル抜け出した話) 
千葉県を周った話(Kさん本当に本当にありがとうございました。という話) 

2018年 
中部(関東、関西)・1(準備不足でちょっと出遅れた話) 
中部(関東、関西)・2(視線がイタかった話) 
中部(関東、関西)・3(逃げるように退散した話) 
中部(関東、関西)・4(余震が心配だった話) 
東北、関東・1(お金あまり持って来なかった話) 
東北、関東・2(普通の店舗に戻っていて安心した話) 
東北、関東・3(いろいろ考えさせられた1日の話) 
東北、関東・4(吠えられたり鳴かれたりした話) 
東北、関東・5(スイスイ帰れた話)
軽井沢に行った話(2015年3月の話)
2018/11/3(土)(自宅近くからBIを見た話)
新宿に行った話(久々に師匠にお会いした話)

2019年 
埼玉県、千葉県を周った話(仕事のついでに日帰りで周った話) 
東北・1(服装失敗した話) 
東北・2(すごい走った話) 
東北・3(福島はまだまだ大変な話) 
東北・4(漢字の読み方を聞いておけばよかった話) 
中部、近畿、中国・1(迂回できない話) 
中部、近畿、中国・2(インシデント発生!の話) 
中部、近畿、中国・3(やらかしてしまった話) 
中部、近畿、中国・4(豆腐が旨かった話) 
中部、近畿、中国・5(万一の時の話) 
防衛研究所に行った話(毎年恒例の話) 

2020年 
熱海に行った話(これが当分のお泊り旅行納めとなった話) 
東京に行った話(すごく寒かった話) 

2021年 
栃木と福島に行った話(原発とコロナの話) 
千葉に行った話(マムシが怖くて行けない話) 
東京、千葉に行った話(癒された話) 

2022年 
群馬県に行った話(会えなかった話) 
千葉に行った話(マムシリベンジの話) 

2023年 
長野県に行った話(足跡が怖かった話) 
新潟空港に行った話(トンネルが快適だった話) 
群馬に行った話(中島飛行機見学ツアーの話) 
中部・1(久々の車中泊の話) 
中部・2(辿りつけない話) 
中部・3(足をくじいた話) 
中部・4(バレた話) 
東北・1(事なきを得た話) 
東北・2(これで勝つる!な話) 
東北・3(台湾の皆さん本当にありがとうございますm(_ _)m ) 
北海道・1(個室化してた話) 
北海道・2(アドレナリン大放出話) 
北海道・3(スケジュール決めるの難しい話) 
北海道・4(整った話)
北海道・5(ヘロヘロになった話) 
東京さ行った話(そこらへんの草の話) 
山梨に行った話(自動車館には入らなかった話) 
茨城と千葉に行った話(通報されずに済んだ話) 
近畿・1(早めに帰る話) 
近畿・2(もろたらもろての話) 
近畿・3(予約済みの話) 
名古屋・1(ちょっと仮眠の話) 
名古屋・2(本眠になってた話) 
名古屋・3(味噌煮込みうどんおいしい話) 
中国四国・1(忘れた話) 
中国四国・2(朝焼けがキレイだった話) 
中国四国・3(間に合った話) 
中国四国・4(ホンダセンシング様々な話) 
中国四国・5(燃料の減りがパナイ話) 
九州・1(まるで精密機械な話) 
九州・2(大誤算な話) 
九州・3(事前に偵察した話) 


徳島県・沖洲飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



1.png
1/25000「徳島」昭和9年二修「今昔マップ on the web」から作成 
2.png
撮影年月日1947/10/08(昭22)(USA R517-2 2) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


徳島県徳島市北沖洲。

徳島空港の南約7kmのこの場所に昭和12年、民間の「沖洲飛行場」が建設されました。

飛行場の正確な位置は不明です。

後述しますが、飛行場の地名が「徳島市沖須町高洲」とあること、上に貼った地図、航空写真から、

恐らく先頭のグーグルマップに囲った範囲にあったと思います。

2.png
『徳島市民読本』,徳島市教育会研究部,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1035109 (参照 2024-02-28) 


■徳島市民読本(昭和12年出版)↑上に貼ったもの
「最近の発展」の項目で、「近く沖洲飛行場も開設を見やうとしてゐる。」

■「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」 211p
沖洲民間飛行場
(徳島飛行場・グライダー滑空場)
徳島市沖須町高洲
1937年8月28日徳島毎日新聞は「日本で初めての六角型の飛行場で…何れの風向に於ても自由に離着陸し得るもので相当期待がかけられている」と報じている。飛行場の埋め立てが完了したにかかわらず、陸上施設が竣工しなかったので、市民の期待する航空路は開設されなかった。

■徳島市史 第3巻 (産業経済編・交通通信編)760p
(三)沖洲飛行場の建設
 国民の空に対する関心が深まって、全国各地で愛国飛行場の建設、防空兵器の献納が盛んに行われるようになった。徳島においても昭和九年に北佐古町湊晴喜・佐古町山本岩吉・西新町大西角平らの在郷軍人が、愛国飛行場の建設・聴音機・高射砲の防空施設の設置を計画した。また、これに同調して徳島国権宣揚会も、建設資金の募集をはじめた。このころ逓信省においては、国内に航空路を新設するため新潟・長野・富山・徳島・高知に飛行場の建設を決定、昭和十年に七四万円の予算を計上した。翌十一年には大阪・徳島・高知間の航空路を開設するため、逓信省徳島飛行場出張所を設置し、延原正義を主任として常駐させた。
 徳島県は飛行場の候補地に、徳島市沖洲町高洲、徳島市津田町、名東郡加茂名町鮎喰川下流、板野郡川内村小松新田、那賀郡板野村和田島の五か所を内定した。逓信省森航空館の実地調査の結果、徳島市街に近接するうえ飛行機離着陸の障害物が少なく、比較的地価が低廉で全用地を久米寅七が所有しているため買収交渉が容易であるなどの好条件に恵まれている沖洲町高洲が指定された。
 総面積六万二〇〇〇余坪(二〇万四六〇〇平方㍍)の買収が完了したので、昭和十二年八月二十八日、清水徳島県知事・後藤総務部長、藤岡徳島市長・津川助役、立木・立石・橋本各県議、関係地主ら五〇余名が出席して、徳島飛行場建設地鎮祭が現地において厳粛に執行された。
 設計書が不明であるため飛行場の構造は詳かではないが、当時の徳島毎日新聞はつぎのように報じている。「日本ではじめて六角形の飛行場、敷設は六万余坪形状については理想的とする円形は経済の都合上差控え円形に次ぐ理想たる六角形状に類似したものを採用したもので此の計画は本邦嚆矢のものであり何れの風向に於いても自由に離着陸し得るもので相当期待がかけられている」しかし、実際に完成したときには三角形であったという説もある。建設工事を進めていた徳島県は、内務省神戸土木出張所のサンドポンプ船和泉丸を借用し、徳島港浚渫の土砂をもって六万二〇〇〇余坪を埋立てて、陸上施設を建築し昭和十二年度内に完成する予定であったが、工事が遅れて埋立てが完成するのは翌十三年八月ころであった。これに要した工費はおよそ一五万円であるが、地元に設置を希望した徳島市は市会の議決を経て五万七〇〇〇円を負担することにした。
 飛行場用地の埋立が完了したにもかかわらず陸上施設が竣功しなかったので、市民の期待した航空路は開設されなかった。このころ航空知識の普及と飛行士への適性を向上させるため、グライダーの操縦が盛んになってきた。徳島航空学校長岩田源一は、この用地を借用して徳島グライダー研究会を設立し、滑空士の養成にあたった。研究会は、名誉会長工藤隆治徳島市長・会長岩田源一徳島航空学校長・理事長谷川寛治徳島航空学校主事・専務理事中川一等飛行士・同糸田川二等飛行士らによって構成された。また、文部省が全国の中等学校・専門学校・高等学校・青年学校・青年団などに訓練を奨励したので、徳島においても、昭和十四年に徳島師範学校、翌十五年に徳島工業学校、同十六年には寺島青年学校が訓練をはじめた。このため沖洲飛行場は、グライダー滑空場となってしまった。


逓信省主導の航空路新設構想から始まった飛行場建設だったのですね。

昭和13年頃に埋立が終わったものの、地上施設は完成せず、

大阪へ、高知へと、市民の期待した路線開設は実現しませんでした。

実現しなかった理由について、資料には特に記されていませんが、

大阪から水上機で小松島、松山、高松に路線開設していた日本航空輸送研究所が、

国策会社である大日本航空の設立により業務停止したのが昭和14年でした。

恐らくこうした徐々に強まる戦時統制の影響じゃないでしょうか。


冒頭でも触れましたが、資料にある通り、諸条件から「沖洲町高洲」が飛行場用地として選定されました。

上に貼った地図は昭和9年のものなので、「ここに造ろう!」と決まる2年前の地図。

海岸沿いに「高洲」という地名がありますからこの周辺なんだろうと分かりますが、

遊水地?の存在感が凄いです。

次の航空写真は昭和22年のものですが、ここでも遊水地?の存在感は相変わらず。

つまり、埋立工事を含む飛行場建設後も遊水地?は変わらずここにあった訳で、

とすると、円形に近い六角形の飛行場はこの遊水地?の内陸側にあったはず。

そう考えて昭和22年の航空写真を見ると、遊水地?の内陸側に三角形の地割が浮かび上がります。

ということで先頭のグーグルマップは、航空写真の三角形の範囲をレイヤにして作図したのでした。

資料では、「総面積六万二〇〇〇余坪(二〇万四六〇〇平方㍍)の買収」とあります。

二〇万四六〇〇平方㍍≒20.46ha
グーグルマップの三角形≒19.6ha

かなり近い数字ですね。

作図をしていた際は、「この三角形の範囲内に六角形の飛行場があったんじゃないか」と思っていたのですが、

それだと六角形の飛行場はかなり小さくなります。

六角形の飛行場の面積が、二〇万四六〇〇平方㍍≒20.46haだったとすると、

遊水地?は動かしようがないですから、

しっかりと整備されている道路、畑、集落のある側に飛行場を広げざるを得ません。

それよりは、資料内でも「実際に完成したときには三角形であったという説もある。」とある通り、

オイラとしましては、グーグルマップの三角形が飛行場の形にかなり近いのではないかと思います。

買収した飛行場敷地は三角形で、その中で特に離着陸に適した六角形の「離着陸帯」が設定されたのかも。


■徳島市史 第4巻 (教育編・文化編)452p
県立工業学校などは昭和十五年にいち早くグライダーを取り入れ、沖洲飛行場で盛んに猛訓練を繰り返した。

■帰らざるふるさと・徳島75p
(徳島市立工業学校卒業生の手記から一部抜粋) 航空機科の生徒は文部省から支給された「グライダー」の組立てをしたり、沖洲飛行場で連日滑空訓練に汗を流し大いにきたえられた。(中略)しかし昭和二十年八月十五日の終戦とともに航空機科は終わりをつげ、十一月に航空機科は正式に廃止された。

上記2つの資料では、実際に沖洲飛行場で滑空訓練が行われていたことが扱われています。

滑空訓練は終戦まで続けられていたようですね。

民間航空路開設のために建設されたものの、グライダー練習場として終戦を迎え、

その後徐々に開発が進み現在に至ります。

まさに時代に翻弄された土地ですね。

仮に飛行場施設が計画通り完成し、航空路が開設していたとしたら、

もしかして、ここが拡張を続けて徳島空港になった未来もあったのかしらん。

なんてことも考えたのですが、当飛行場がグライダー練習場と化したのが昭和14年、

7km離れた場所に海軍徳島航空基地(現・徳島空港)が発足したのが昭和17年。

海軍は当然沖洲飛行場の存在は知っていたはずですが、それでも一面の田圃に新規で飛行場を造成したのでした。


DSC_2035_00001.jpg
赤マーカー地点。

この先に飛行場が広がっていたのではないかと。




     徳島県・沖洲飛行場跡地         
沖洲飛行場 データ
種 別:陸上飛行場
所在地:徳島県徳島市沖須町高洲(現・徳島市北沖洲)
座 標:34°04'14.5"N 134°35'21.7"E
標 高:2m
面 積:20.5ha
(座標、標高はグーグルアースから。面積は徳島市史から)

沿革
1934年 逓信省、この頃航空路新設のため新潟・長野・富山・徳島・高知県内に飛行場建設を決定
1935年 逓信省、74万円の予算計上
1936年 逓信省徳島飛行場出張所設置。その後、候補地の中から高洲に決定。土地買収へ
1937年 8月28日 地鎮祭
1938年 8月 この頃埋立て完成するも地上施設は完成せず 
1939年 徳島師範学校が滑空訓練開始
1940年 徳島工業学校が滑空訓練開始
1941年 寺島青年学校が滑空訓練開始
1945年 終戦

関連サイト:
ブログ内関連記事

この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
「徳島市史 第3巻 (産業経済編・交通通信編)」
「徳島市史 第4巻 (教育編・文化編)」
「帰らざるふるさと・徳島」


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香川県・日本航空輸送高松基地跡 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



5.png
1/25000「高松北部」昭和3年測図「今昔マップ on the web」から作成


大正時代、香川県高松市に日本航空輸送研究所の水上機基地が設けられました。

新修高松市史Ⅱ 482p に以下記されていました 

高松空港の由来
大正十一年(1922)十一月、日本航空輸送研究所機が、高松を訪問した。ちょうど、県下で、陸軍特別大演習が、行われている時であったから、速報をたっとぶ新聞社がわから、大いに歓迎、利用された。
 大演習の記事や、写真の輸送に、とりわけ、スピード化を発揮して、喜ばれた。この時の高松-大阪間は、一時間五十分でとんだ。
 大正十二年二月一日、同所(日本航空)は、堺-高松-徳島-堺の、三角コース定期航空を、開始した。
 高松の基地は、西浜漁港の近く、鉄道線路北がわに、格納庫一棟と、引揚用桟橋を設けて、ここから沖合に出た。
 当時の飛行機は、横廠式イ号甲型双浮舟複葉水上機という、いまから考えると幼稚な飛行機であった。
 大正十四年(1925)五月二十日、堺-高松-今治間の郵便飛行を開始した。昭和四年には、大阪(木津川)-高松-松山間の旅客、郵便、貨物の輸送が開始され、高松商船組(高松商運の前身)が、この航空路の代理店であった。
 高松港外(大的場)で、モーターボートによって、連絡し、旅客の送迎、郵便貨物を積み込んだ。とりわけ、悦ばれたのは、スピードを、利用する旅客はもちろん、大阪一流料亭への、鮮魚の輸送などに、おおもてだった。
 このときの使用機は、ユンカーF一三型金属製低翼単葉水上旅客機、発動機ユンカーモーターL五・三一〇馬力、速力、時速一ニ〇キロ、乗員二名、旅客四名、貨物一二〇キロであった。ほかに、ハンザー単葉水上機、六機で、貨物、郵便物も運んだ。
 そのご、昭和九年十二月三日、一四式改造旅客機五機をふやし、大阪-高松-松山-別府線に、就航させた。
 昭和十一年十一月四日から、スーパーマリン、サザンプトン双葉複葉飛行艇を使用した。この艇は、旅客十七名をのせる大型で、これを初めてみた市民は、なんと大きな、飛行艇だと、おどろいたものだ。
 いまでこそ、三十人、五十人、百人乗りの大型機が、就航している。昔のことで、十七人乗りは、大きなもの
であった。
 日本航空輸送が、どうして、この大型艇を、高松へもってきたか。これは、瀬戸内海国立公園の景観を、空からながめさせ、遊覧飛行の将来を、ねらうのが、目的であったらしい。
 だから、この機には、あらたに、エアホステスを乗せ、飛行ちゅう、機内で、空からみる島々の説明をし、飲
みもののサービスに、あたらしていた。
 ともかく、遊覧飛行のムードを、おこさせ、たのしい空の旅を、じゅうぶん、味あわせることに、つとめた。また大阪商船と、タイアップして、連絡券を発行し、飛行機と船で、高松、松山、別府への観光客を、誘致に努めたので、成績があがったといわれる。
 昭和十五年に入って、戦線はきびしく、戦時体制が強化された。こういうわけで、大阪-高松間の航空路を、そだてた日本航空輸送研究所は、大日本航空(株)会社に、統合された。
 そのご戦況おもわしくなく、ローカル・ラインは、ついに廃止された。瀬戸内海定期航空路は、戦争のため影
を消した。

「高松の基地は、西浜漁港の近く、鉄道線路北がわに、格納庫一棟と、引揚用桟橋を設けて、ここから沖合に出た。」

とあります。

これは大正12年(1923年)のことで、上に貼った地図は昭和3年(1928年)のものですが、

確かにそんな感じになってますね。

先頭のグーグルマップをご覧の通りで、その後埋立が進み、

当時の海岸線も桟橋も、今はすっかり陸地になっています。

DSC_2019_00001.jpg
赤マーカー地点。

瀬戸大橋通りを跨ぐ陸橋から。

当時はこの瀬戸大橋通りの画面向って右側が陸側で、左側が海でした。

陸側から海に突き出した桟橋は、画面左端のボーリング場の辺りまで伸びてました(オイラの作図が正しければ)。

この辺りで小型水上機や連絡船の行き来があったはずです。




     香川県・日本航空輸送高松基地跡         
日本航空輸送高松基地 データ
設置管理者:井上長一
種 別:水上飛行場
所在地:香川県高松市浜ノ町9-12
座 標:34°20'57.7"N 134°02'20.1"E
標 高:2m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1922年11月 日本航空輸送研究所機飛来
1923年02月 1日 堺-高松-徳島-堺の三角コース定期運航開始
1925年05月 20日 堺-高松-今治間郵便飛行開始
1929年   大阪(木津川)-高松-松山間の旅客、郵便、貨物輸送開始
1934年12月 3日 大阪-高松-松山-別府線に一四式改造旅客機就航
1940年   日本航空輸送研究所、大日本航空(株)会社に統合

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香川県・善通寺練兵場着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



無題6.png
撮影年月日1947/09/08(USA M450 40) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

香川県善通寺市、善通寺駐屯地の北約1kmにあった「善通寺練兵場」。

現在は研究所、医療センター等になっていますが、当時この練兵場内に着陸場が設定されていました。

■防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」の中に当着陸場の地図があり、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

精度は低いんですが、おおよそこんな感じと思います。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

善通寺練兵場(昭和10年6月調)
香川県仲多度郡善通寺町

着陸場の状況
高さ 平均水面上約25米。
広さ及形状 本練兵場は東西最大約1粁、南北最大約550米の東西に長き
地域なり・着陸地域は其の東半部図示の長さ東西約550米、幅南北約100米の
東西に細長き長方形地区なり(付図参照)。
地表の土質 沙を混ずる粘土。
地面の状況 地表概ね平坦且堅硬なり・場の西半部には殆ど芝を生ずるも
東半部の着陸地域内及其の付近一帯は禿地にして沙地の地肌を露出す・場の北
西隅付近芝を生ずる地域一帯は起伏なきも若干の凸凹あり地表比較的軟弱なり
・着陸地域内及其の付近一帯は禿地なるを以て夏季炎天続き強風の際は沙塵を
飛揚することあり・降雨の際は地表概して平坦なる為諸処に水溜を生ずるも沙
を混ずるを以て排水概ね良好なり、又霜解け時には地表土質粘土なるを以て局
処的に稍泥濘と為る処あり。
場内の障碍物 着陸地域内にはなし・場の北側略中央部に付近に(原文ママ)軍用建築
物ある森林地帯あり・場の南側東部に高さ約5米の独立樹(松の記念樹)あり。
適当なる着陸方向及着陸上注意すべき点 西南西・前記の際は場の北東外
側に沿う道路の東方に在る高さ約15米の赤煉瓦煙突を右下に認めつつ西南西
方に降下着陸するを適当とす・場の東側南部に在る高さ約7米の並木に注意を
要す。
其の他
本練兵場は航空各部隊の飛行基地として屡使用す。 


DSC_1982_00001.jpg

赤マーカー地点。

着陸場方向。




     香川県・善通寺練兵場着陸場跡地         
善通寺練兵場着陸場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:着陸場
所在地:香川県仲多度郡善通寺町(現・善通寺市仙遊町)
座 標:N34°13′47″E133°46′25″
標 高:25m
着陸場:550mx100m
方 位:07/25
(座標、方位はグーグルアースから)

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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」


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