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磯子飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2016年1月訪問 2021/12更新   


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(旧1万地形図 10000 o474  根岸)1931年測量  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)  

前記事の通り、磯子の埋立地で1930年にタコマ市号の離陸があり、

これをきっかけに、「磯子の埋立地に飛行場建設を」という声が高まったのでした。

それから5年後の1935年4月23日付「横浜貿易新報」には、こんな記事があります。

「…遊覧飛行は過日漸く認可となったので、磯子区役所裏の禅馬埋立に飛行場の設備も出来た…」

この情報は横浜市立図書館さんから頂きましたm(_ _)m

また、磯子区のサイト(下記リンク参照)にも磯子飛行場についての記述があります。

その中で、昭和10年に旧磯子区役所(今の磯子警察署付近)裏の埋立地に、磯子飛行場ができたことが記されています。

その年3月から2か月間、山下公園で震災復興記念の横浜大博覧会が開催されたのですが、

この博覧会期間中、横浜飛行協会が横浜上空の遊覧飛行を行うため、飛行場を開いたのだそうです。

この飛行場を離陸した飛行機により、山下公園上空で飛行ショーも行われました。

上に貼ったのは、前回に引き続き1931年の地図です。

磯子飛行場は1935年ですから、その4年前ということですね。

実は「横浜市三千分一地形図」という1933年の地図(下記リンク参照)があり、

こちらの方がより年代が近く、且つ詳細で明瞭なのですが、残念ながらこちらはブログ貼り付け不可。

ということで、キーワードとなる「区役所」と「禅馬」を同じ位置に貼り付けてみました。

1931年の地図と1933の地図を比較してみると、建物は若干増えているものの、

埋立地南側は海水浴場以外、ほぼ何もありません。

ということで、この部分を飛行場として使用したのではないかと。

D20_0048.jpg

赤マーカー地点。

飛行場(と思われる)方向。

現在は開発が進み、当時の面影はありません。

磯子飛行場の明確な位置は不明なのですが、ともかく1935年にこの埋立地でヒコーキが飛んでいました。

オイラの知る限り、ここ磯子の埋立地でヒコーキが飛んだのは、ここまででご紹介した通り、

1930年のタコマ市号と、1935年の博覧会の時期だけなのですが、

そしてそれから5年後の1940年、前々回の記事でも書きましたがこの磯子埋立地のすぐ東側にある根岸の埋立地に、

横浜水上(根岸)飛行場 が完成することになるのです。


      神奈川県・磯子飛行場跡地     

磯子飛行場 データ

設置管理者:横浜飛行協会
種 別:陸上飛行場
所在地:神奈川県横浜市磯子区磯子1丁目
座 標:N35°24′41″E139°37′37″
標 高:4m
着陸帯:380m×230~150m
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1935年 3月から2ヵ月間博覧会開催。期間中当飛行場にて遊覧飛行、飛行ショー行われる

関連サイト:
横浜市磯子区/博覧会のイベント用    
横浜市三千分一地形図第四十三号「滝頭」1933年3月測図   
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