観音寺(柞田)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2014年6月、2023年12月訪問 2023/12更新
撮影年月日1948/01/21(昭23)(USA M746 2)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。2枚とも)
香川県観音寺市柞田町にあった海軍の「観音寺航空基地(柞田飛行場)」。
地元の方から貴重な情報を頂きましたので、まずはそちらをご紹介させて頂きます。
・匿名希望さんから頂いた情報
今の、西部養護学校あたりに、昭和50年頃まで、コンクリート造りの管制塔が残っていた記憶があります。廃墟のようで、不気味だった。
すぐ上に貼った航空写真(2番目のもの)は、西部養護学校の辺りを拡大したものなんですが、
影のついた建物が映っています。
この航空写真全体を拡大してみ見渡すと、建物には南東方向()から陽が当たっているようです。
そしてこの影がついた部分が管制塔と仮定して、場所を落としたのが、グーグルマップ紫マーカーです。
・三野さんから頂いた情報
三野町の父方の祖父の家が土建屋をしていて、コンクリート・水路関係の工事をしました。
汽車で通ってきたそうです。
終戦になったら、現場事務所の資材が全て盗まれてしまったとの事です。
叔母から聞いた追加情報です。
柞田飛行場を工事する前は、詫間飛行場を作ったそうです。
当時は自宅の納屋には入る事が出来なくて、一度覗いたら、導火線がついた物がたくさんあったそうです。
今考えれば、岸壁を砕くダイナマイトだったのだろうと言っていました。
…生々しい話ですね~。
・SHIMIZUさんから頂いた情報
滑走路のコンクリートはごく一部が残っているだけ、管制塔(?)もなくなってしまいましたが、排水路は「軍川」という名前で残っています。
中部中学校の西側にあり、中部中学校の北の隅(テニスコートがあるあたり)で北に曲がり、不自然なほど真っ直ぐ北に延びています。
青マーカー部分のことだと思うのですが、飛行場当時の排水路が立派に現役で残っているんですね~。
匿名希望さん、三野さん、SHIMIZUさん、貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:観音寺 建設ノ年:1945 飛行場
長x幅 米:1500x140
190コンクリート 主要機隊数:小型6.5 主任務:作戦教育 隧道竝ニ地下施設:居住(400㎡)電信所、爆弾庫、燃料庫、魚雷調整場、魚雷格納庫、倉庫、工業場 小型機分解隠蔽35機分 掩体:小型有蓋22
小型隠蔽40 其ノ他記事:南方に偽滑走路アリ
■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
には、「観音寺空開隊(S20.3.1)(昭20建)」とありました。?
■「観音寺市誌通史編」に当飛行場の事が出ていました。
以下抜粋し、他資料からの情報も含めて引用させて頂きます。
昭和18年4月、柞田地区右岸の出在家(上出、中出、下出)と常盤地区出南の全地域並びに
木之郷、栗井、池之尻の一部を含む観音寺平野の広大な測量が実施されました。
10月 測量終了
12月着工
昭和19年1月 関係地区の関係者が集められ立ち退き要請。
建設命令で勤労奉仕隊を結成、砂利を運び、コンクリートを流して広い田畑を飛行場に変える作業が開始されました。
設営隊が今の栗井出晴? と木之郷の間に造られ、地元からも無料奉仕の自弁当で駆り出されました。
昭和19年3月完成
(6月に長さ1.5㎞、幅50mnの滑走路がほぼ完成という資料もあり)
昭和20年6月頃から赤トンボを配備し、訓練しかけた頃、この飛行場も目標となり機銃掃射を浴びました。
8月15日 終戦。午前中に滑走路のコンクリ打ちが完了したところでした。
戦後、観音寺航空隊へは11月7,8日、ミラー中尉を隊長とする35名が進駐し、
12月まで駐屯して兵器、弾薬、施設、糧食等の接収を行いました。
進駐軍による接収終了後、入植希望者に払い下げられることになったのでした。
飛行場でつぶされた農地250ha、立ち退き350戸位。
昭和20年末開拓許可が出て、まず滑走路のコンクリートを掘り返し、元の田畑に返す作業が始まりました。
厚さ15cmのコンクリートを手作業で掘り起こし砕いて撤去し、七宝山から採取した赤土を入れて耕しました。
■Wiki/国分海軍航空隊 の項目の中で以下の通り記されていました。
「(完成後)作戦に適さず放置されていたが、第一国分飛行場を実施部隊に引き渡した国分空の受け入れ先となり、移転のうえで新たに観音寺空を名乗った。(中略)実施部隊編入後は、乏しい燃料のために訓練を切り詰めつつ、特攻訓練を断続的に実施していた。一説によると、他の中練部隊と連合して編成した中練特攻隊の中に観音寺空からの選抜者もおり、かつて基地としていた第一国分飛行場に展開していたとする説もある。幸いにも観音寺空の中練特攻隊が出撃する前に終戦を迎えた。観音寺飛行場は現存しない。終戦直後より、引揚者の開拓地として大蔵省が開放したため、飛行場設置前と同じく水田地帯として復活した。」
赤マーカー地点。
滑走路方向。
現在跡地周辺はすっかり畑と住宅地。
香川県・観音寺(柞田)飛行場跡地
昭和50年頃まで当飛行場の指揮塔が残っていたのですが取り壊したのだそうです
観音寺(柞田)飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:軍用飛行場
所在地:香川県?観音寺市?柞田町?
座 標:34°06'59.5"N 133°40'13.7"E
標 高:10m
面 積:105ha?
滑走路:1,500m×140m/190m
方 位:08/26
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1943年04月 測量開始
10月 測量終了
12月 着工
1944年01月 関係者に対し立ち退き要請。建設命令。勤労奉仕隊を結成
1945年03月 完成。1日、国分より転属し観音寺空開隊。飛練42期の訓練を継続
05月 5日 十二連空を廃止し第五航空艦隊第十二航空戦隊に改編、実施部隊に指定
08月 15日 終戦。
11月 7,8日 ミラー中尉を隊長とする35名が進駐(12月まで)
その後、引揚者の開拓地となり飛行場設置前と同じく水田地帯になる
1975年 この頃飛行場の指揮塔取り壊し
この記事の資料:
観音寺市誌通史編
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
道路として使われている滑走路跡地もありますが、跡形も無く撤去されていますね。
ここに住んでいる人で、この場所に飛行場があったことを知らない人もいるんでしょうね。
by Takashi (2014-09-03 22:49)
皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m
■Takashiさん
僅かでも滑走路方向の地割が残ることは結構あるんですけど、
仰る通りでここは見事なくらい跡形もありませんでした。
地割や碑が残っていても、地元の年配者の方もご存じないことはよくありますから、
ここもご存じない方がおられても不思議はないと思います。
by とり (2014-09-04 04:35)
今の、西部養護学校あたりに、昭和50年頃まで、コンクリート造りの管制塔が残っていた記憶があります。廃墟のようで、不気味だった。
by 匿名希望 (2015-04-22 14:41)
■匿名希望さん
貴重な情報をどうもありがとうございました。
by とり (2015-04-23 05:39)
三野町の父方の祖父の家が土建屋をしていて、コンクリート・水路関係の工事をしました。
汽車で通ってきたそうです。
終戦になったら、現場事務所の資材が全て盗まれてしまったとの事です。
古い話です。
by 三野 (2019-04-24 13:22)
■三野さん
そんなことがあったのですか。
当時の貴重なお話を聞かせてくださり、感謝致します。
by とり (2019-04-26 07:15)
滑走路のコンクリートはごく一部が残っているだけ、管制塔(?)もなくなってしまいましたが、排水路は「軍川」という名前で残っています。
中部中学校の西側にあり、中部中学校の北の隅(テニスコートがあるあたり)で北に曲がり、不自然なほど真っ直ぐ北に延びています。
by SHIMIZU (2019-10-30 21:54)
■SHIMIZUさん
次四国にお邪魔したら、見学しようと思います。
貴重な情報ありがとうございます。
by とり (2019-11-02 03:34)
叔母から聞いた追加情報です。
柞田飛行場を工事する前は、詫間飛行場を作ったそうです。
当時は自宅の納屋には入る事が出来なくて、一度覗いたら、導火線がついた物がたくさんあったそうです。
今考えれば、岸壁を砕くダイナマイトだったのだろうと言っていました。
by 三野 (2020-10-28 03:23)
■三野さん
ご無沙汰しております。
複数の飛行場建設に携わっておられたのですね。
今回も当時の貴重なお話を聞かせてくださり、感謝致します。
by とり (2020-10-30 03:41)