北楢岡飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2019年9月訪問 2022/1更新
左:測量年 1913(大2) 61-12-1 大曲 おおまがり■
右:測量年 1929(昭4) 61-12-3 大曲 おおまがり■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。2枚とも)
秋田県大仙市にあった「北楢岡飛行場」。
郷土の英雄、佐藤章氏縁の「六郷飛行場」の北西約19kmに位置しており、
佐藤氏が郷土訪問飛行を行った翌年の大正9年に陸軍の演習が行われた際、
ここに臨時飛行場を造ったのだそうです。
この情報は、美郷町民さんから頂きましたm(_ _)m
美郷町民さん、どうもありがとうございました。
現在、神岡野球場の前に「北楢岡飛行場跡」の標柱が立っています(グーグルマップ赤マーカー)。
上に2枚の地図を並べましたが、左が飛行場建設の7年前、右が飛行場建設の9年後。
X印は、標柱の位置です。
【使用前】【使用後】で、標柱の周辺に大きな変化は見られないですね。
ちょうど標柱の位置に大きめの道路が斜めに走っていますが、
そのどちら側も飛行場を建設するのに支障なさそうに見えます(つまりドッチが飛行場が分からない)。
では、この道路のどちら側に飛行場があったのか。ですが、
残念ながら現在のところこれ以上の情報がなく、不明です。
地図で見ると、標柱から南東方向に広大な土地が広がっているため、
飛行場はこっち方向(現在の野球場側)にあったのだろうか。と思ったのですが、
現地に建つ標柱は球場敷地ではなく、球場向いにある畑側にあり、
「北楢岡飛行場跡」と大きく記してある面を正面に見て立つと、
野球場に背を向ける恰好になり、目の前には広々とした畑が広がります。
(ストリートビューでも標柱とその周辺が見れます)
当時の地図上でも、標柱は道路の北西側(球場ではなく畑側)に位置しています。
X印の畑側の地割は、野球場側と比べて狭いんですが、
狭いといっても、500m四方のスペースは余裕であり、飛行場として使用するには充分だったかと。
そもそも大正九年に行われたのは、航空機の演習ではなく、陸軍師団同士の対抗演習でした。
つまりメインは陸軍演習だった訳で、飛行場は飽くまでサブ、臨時のものでした。
このことからしても、飛行場スペースは必要な広さが確保できれば、それで充分だったのではないかと。
以上の点から、飛行場はX印の北西方向(野球場じゃなく畑側)の可能性が高いと思います。
この標柱を建てた方が、「飛行場跡地を見渡せる場所に建てよう」
という意図を持っておられたのかどうかは知る由もないのですが、
全国アチコチの飛行場跡地の標柱や碑は、きちんと意味のある場所に建立されていることが多いです。
当北楢岡飛行場の場合、跡地は標柱の畑側だったのか、それとも野球場側だったのか。
果たしてドッチだったんでしょうか。。。
大正九年秋、県内で陸軍仙台二師団・弘前八師団の対抗演習が行われた時、ここに臨時飛行場を作って示威のため中島式、モーリアス・ファルマン式の飛行機を飛ばした。当時珍しかった「空飛ぶ機械」を見るため、小学生や一般人が訪れ未曾有の人出であった。
平成五年 五月 建立 神岡町教育委員会
秋田県・北楢岡飛行場跡地
北楢岡飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍?
種 別:陸上飛行場
所在地:秋田県大仙市北楢岡向堀野
座 標:N39°29′49″E140°23′33″?
標 高:17.2m
(座標、標高は国土地理院から)
沿革
1920年 陸軍演習のため臨時飛行場建設
1993年 5月 標柱建立
関連サイト:
ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-■
佐藤章飛行士発着地■
六郷飛行場跡地■
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設置管理者:旧陸軍?
種 別:陸上飛行場
所在地:秋田県大仙市北楢岡向堀野
座 標:N39°29′49″E140°23′33″?
標 高:17.2m
(座標、標高は国土地理院から)
沿革
1920年 陸軍演習のため臨時飛行場建設
1993年 5月 標柱建立
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