上別府(まのひ/青戸)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2012年11月訪問、2020/11更新
撮影年月日
1947/09/18(昭22)(USA M489_1 61)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
鹿児島県南九州市頴娃町(えいちょう)にあった旧陸軍の「上別府(まのひ/青戸)飛行場」。
「まのひ」とは非常に独特な名称ですが、これは陸軍の暗号です。
元々枕崎に飛行場を建設する予定だったので、「枕崎の飛行場」→「まのひ」だったのですが、
その後当地に変更になったため、そのまま「まのひ」で呼ばれたのだそうです(同様に知覧は「ちのひ」)。
ここも長い間明確な位置が不明だったのですが、
■防衛研究所収蔵「飛行場記録「上別府・万世・知覧」(陸空-本土周辺-115)」の中で、
当飛行場についての非常に詳細な記述と要図がありました。
それまで航空写真やグーグルマップをどんなに眺めても分からなかった滑走路や誘導路が、
この「要図」と比較することで、それまでの苦労がウソのように浮かび上がり、きちんと作図することができました。
下に同資料内の「飛行場記録」を引用させて頂きましたが、V字二本の滑走路を備えており、
ほぼ南北方向1,800mx200mの方が主滑走路、北西~南東方向2,000mx300mの方が副滑走路です。
短くて細い方がメインなんですね。
上の1947年の航空写真にかなり飛行場の地割が写っており、
グーグルマップにもビックリするほど滑走路や誘導路の地割が残っていて、作図はかなり楽でした。
ただし未完成のまま終戦になったとのことで、どちらの滑走路、平行誘導路も共に、両端部分が不明確です。
そこは資料に記されている長さを基に、強引に作図してしまいました。
同資料の情報を引用させて頂きます。
上別府飛行場記録
判決 晴天時乾燥十分ならざれば使用不可なり
飛行地区
滑走地区 主 二〇〇x一八〇〇米
副 三百x二〇〇〇米
舗装路 なし
土質 腐蝕土を転圧す 田及畑型に張り芝せしも地耐力弱し
地表面状況 腐蝕土なると排水施設不十分のため降雨に依り處々荒廃す
周辺障碍有無 なし
付属地区
誘導路 主誘導路二本
宿営 三角兵舎約三十棟(一千五〇〇名収容可能)
夜間着陸設 なし
動力線 水源池□□線
電灯線 兵舎地区に張線しあるも銃爆□に依り破壊ケ所多し
給水 極めて不便にして井戸は不可能なり
風向 北西
■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
にも当飛行場の情報がありました。
飛行場名 上別府
位 置 鹿児島県揖宿郡頴娃町
規 模 要図(1250・一部かすれて判別できず)
舗 装 (記載無し)
付属施設
収容施設 (記載無し)
格納施設 (記載無し)
摘 要 施設軍有
■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中で当飛行場について扱われていました。
以下一部引用させて頂きます。
本土決戦が必至であった時期、本土最南端の防備は急務とされた。
そこでここから直線で、5kmはなれた所に知覧陸軍飛行場があったが、ここは2000mの滑走路1本しかなく、
天候や風向きによっては離着陸が困難であったり、手狭にもなったので、
近く十分な広さと全天候型の2000m級の飛行場が物色された。
そして候補に上がったのが、この青戸陸軍飛行場である。
防諜上、暗号で知覧陸軍飛行場を「ちのひ」、青戸陸軍飛行場を「まのひ」と呼んだ。
昭和9年生まれの、頴娃町収入役の西俊寛氏は手記「幻の旧陸軍まのひ飛行場回想記」に書かれている。
完成を急いだ軍は、婦人や国民学校高学年生にも動員をかけ、人海戦術体勢をしいたが、
人海戦術とう(ママ)言葉はこのころ初めて聞いた言葉である。
動員された労働者は1日1万人ともいわれ、場内至る所に(人が)群がる様は正に「蟻の軍団」さながらであったが、
人力(スコップ、山鍬、ツルハシ、モッコに大量の土石の運搬には荷馬車やトロッコ)では、
岩盤、粘土、抜根に悩まされ、工事は遅々として捗らなかった。
そのうえ、当初予想もしなかった敵機の本土空襲に備えて、掩体壕や誘導路を構築する必要にせまられ、
いっそう工事が遅れた。
昭和19年に一応出来上がり、航空機の離着陸が行われたのですが、
翌昭和20年3月に入るとたびたび空襲を受けて工事の中断が続き、
前述の通り完成を見ることなく終戦を迎えたのだそうです。
赤マーカー地点。
トーチカ。
鉄が不足していたため、竹を使った竹筋コンクリート製なのだそうです。
竹は錆びないので現在でも丈夫なのだとか。
隣には説明版が。
紫マーカー地点。
案内杭
黒マーカー地点。
案内杭のすぐ近くにあるトーチカ。
副滑走路すぐ脇にありました。
黒マーカー地点から見た滑走路方向。
鹿児島県・上別府(まのひ/青戸)飛行場跡地
上別府(まのひ/青戸)飛行場 データ設置管理者:陸軍
種 別:補助飛行場
所在地:鹿児島県揖宿郡頴娃町(現・鹿児島県南九州市頴娃町上別府)
座 標:N31°18′13″E130°26′32″
標 高:157m
主滑走路:1,800mx200m(18/36)
副滑走路:2,000mx300m(12/20)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1944年 航空機の離着陸が行われるようになる
1945年03月 空襲
08月 未完成のまま終戦
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
現地説明板
防衛研究所収蔵「上別府・万世・知覧」(陸空-本土周辺-115)」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
ドラマちっくな光の加減ですね!
by an-kazu (2013-02-19 21:56)
ここは知ってはいましたが、行った事のないところです。地元だといつでも行けると思うと、なかなか行かない事ありますよね(^^ゞなんだか情報収集してみたくなるような所ですね(^o^)
by 鹿児島のこういち (2013-02-22 11:05)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m
■an-kazuさん
そうですね~。
マジックアワーぽかったです。朝ですけど。
オイラにテクがあれば。。。勿体ないことをしました。
■鹿児島のこういちさん
オイラも3年ほど前に地元の方から情報頂いているのに未だ見に行っていない場所があります。
自宅から10km足らずなのに。。。^^;
by とり (2013-02-23 09:30)
こんばんは
既にご存じかもしれませんが・・・・
米軍資料に情報が出ているのを見つけました。
これ↓の20コマ目です。(米軍名:BYU)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009764
by 再生おじさん (2014-06-03 23:16)
■再生おじさん
おはようございます。
昨日はコメントに気付かずスルーしてしまいました。
失礼致しましたm(_ _)m
よく見つけましたね~。
(オイラがこれまで探した中では)どこよりも詳しい情報が米軍資料から。。。
情報ありがとうございました。
by とり (2014-06-05 06:27)
ああ青春零戦隊作者の小高氏が最後に紫電改で着陸した基地がココだそうです。
びふ飛行場と書いてありましたが、当時はまだ未完成だと著作にも書いてあります。
by 名無し (2016-01-18 16:30)